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2018年01月14日

私、病院を訴えました! 後編

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こんばんわ〜( ^^) _旦~~
やっと週末、ぐでぐでしてしまいました。

さて、後編ですが、時を遡ること2年になります。関東にきて夜勤をリタイヤし、夜勤は常勤になれないということなので退職をして新しい職場を探そうとしたところ、そこの看護部長から
「あなたには100万円はらってるのよ!」
ときつく叱咤を受けました。確かに10か月ぐらいで辞めましたから損害を出しましたが、派遣会社に勧められて関東のことを何も知らず入り、私の糖尿病の資格を活かしたいと、それにも同意してくれていたにも関わらず、外来でなぜか就職してすぐに救急外来をまかせたいと。経歴にはICU、資格は救急救命士、教育の経験もありましたから、それでかなと仕方なく引き受けたわけですが、環境の変化と体力の限界を感じ、糖尿病には携われそうになかったので退職させてもらいました。400症の病院だというのに、看護研究の指導をできる人も真面にいず、救急においての看護も決して良いものではありませんでした。師長がDrが入れられなかったサーフローもいれたことがあります。科によってDrのスキルは違いましたが、結構大きい病院なのにレベル低いなとおもいました。

人材派遣には懲りたので、わからないなりにもいろいろ探し、面接にいきましたが、やっぱり日勤となると給料が安い"(-""-)" でも、その当時は結婚していたので給料は大目に見て就職先を自分でアポをとりつつやっていました。

2016年1月付けで訪問診療を立ち上げてほしいという看護部長の熱心な勧誘があり、訪問看護ステーションの管理者経験もあり、在宅医療について現職で経験者がいないからということで全権をゆだねるということで、特命看護師として、看護婦長付けで就職しました。

が、言ってることと実際が全く違う!訪問診療は、院長が10年来診てきた思い入れのある患者のためであって、医局は総スカンだったみたいです。もちろん、院長に歯向かう人はいませんでしたが。
しかも、病棟、OP、入院患者の診察の合間にするという馬鹿げたものでした。それに、協力者は、38歳と年だけは食っていましたが、病棟で尿路感染と肺炎を誤診したという研修医の先生。そんなんで、どうやって地域に貢献する?!

私は看護部長室の横の副部長が鎮座する看護部に専用のというか、突貫で特別室から持ってきた机で専用のPCもなく、作業をしていました。対象患者は限られています。研修医でも対応できること、ターミナルは診ないこと、バルン装着患者は診ないこと、マーゲンチューブ挿入患者はみないこと・・・ありえませんよね?もちろん体制が整っていない分報酬単価も低くなり、事業と呼べるもんじゃありませんでした。しかも、その2月、ひと病棟で中堅ナースが一気に10人辞めるというクーデターが起こりました。
この時点で失敗したー( ;∀;)と思いました。

しかし、専従は私しかいません。もう一人いると言っていましたが、結局みんな拒否してたらいまわしにされ、人がいい外来主任さんに任されていたのです。全くと言っていいほど手つかずでしたね。物品の一つ、契約書から、ほぼ私一人孤独で作業を続けました。気軽に話せる同僚もいない、病院の内情もわからなく自分でリサーチする毎日。同年2月に始動しましたが、全部私に任せるからと言っておきながら、ざっくりした方針からずれたり、何か問題があると私に集中砲火。そりゃ、食欲もなくなりますよ・・・。最初は、子供の病気やら、私の体調不良、方向音痴のため車通勤で遅刻を結構してしまいました。それでも、患者訪問の日は9度の熱があっても出勤し、一度も休んだことがなかった。

このようなことを、私の上司は一体誰?という状態の中していました。問題が起きるまえは、院長が思っていた以上に実績をあげてしまったので、来春には本気でDrも呼んで改めてやろうという雰囲気になっていました。そこで、私の失態。。。ほんまにやらかしたな・・・と今でも後悔の嵐です。

その後の対応がひどかった。ちょうど、私を勧誘してくれた部長が退職され、新看護部長へ。正直、評判はあまり良くなく、看護師長からも愚痴がよく耳に入りました。
私は、薬が効きすぎて寝坊してしまったことは伏せたかったので、1日体調不良で入院していましたで済ませたかったのですが、それから執拗ないびりが入ってきました。普通は就業規約にも載っていないことで、そこまで釈明は不必要とおもわれましたが、なぜか、入院をしてた証明をしろ、領収書をみせろなど、なんかしつこいんです。しまいめに、遠回しに、子供がかわいそうじゃなかったのか?看護師失格、旦那の悪口まで言い出す始末。もちろん密室でのことだったので、人事課に訴えましたが、あっさりと否定。論議にもなりませんでした。

そして話はもつれにもつれ、看護部長への告発は名誉棄損だの、退職勧奨など、数日にわたって個室に呼び出され、責め立てられました。そして、自宅待機を命じられ、いや、私しか知らないことがあるので、せめて申し送りに何日かくださいと患者さまのことが心配で訴えました。でも、看護部長は、大丈夫と言っているからととりあってもらえず、次の日から自宅待機となりました。

最初から、一人で何でもというプレッシャーに耐えながら、緊急電話も毎日持って帰って対応していたのに、手当も付けてもらえず、権限ももらえず、相当なプレッシャーとストレスでした。そして、今回このようなことに。崩壊寸前でした。私の努力はいったいなんだったのか?誰が評価してくれていたのか?看護部長はリクルート活動でほとんど病院にいず、私がどれだけ苦労したのかもしりません。結局、退職まで、看護部長と話す機会は設けられず、なぜか、懲戒解雇になったのです。

もう1年以上になりますね。早いもんです。

次回は、退職勧奨後、どのように対応したか、みなさんに聞いてもらいたいと思います。参考になることもあるとおもいますよ。

長い文章、最後まで読んでくれてありがとうございました




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posted by KUROTO at 01:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 労働訴訟
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私にあった本当のこと・・・それは、幼児性的虐待、母親からの虐待、子供のころからの自殺願望、褒めてもらえない子供、弟の難病、火事、最愛で最後の味方祖母の死、ネグレクト、初恋相手は略奪愛、自分の養子縁組話、学校の先生の夫との不倫、母の失踪、親の離婚、妹、弟の非行、祖父のDNR決断、自殺未遂、抑うつ状態、借金生活、3度の離婚、流産、子供の連れ去り、子供の引き渡し審判、詐欺、泥棒被害、5股、2婚約男との結婚、部下、親友の裏切り、ゴミ屋敷夫の実家での生活、妹の境界型人格障害の発症、不当解雇と労働訴訟・・・済んでしまえば笑い話。時間が経つにつれ笑い話になるのです。
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