2009年10月26日
斎藤道三 〜其の参・婿殿〜
守護土岐頼芸を追放し、
自ら美濃国主となった5年後の1547年、
尾張の虎・織田信秀(信長の父)が
土岐頼芸を擁し、稲葉城下まで迫った。
しかし、これを退け織田氏と講和した
(尾張に逃れていた土岐頼芸はこれを機に美濃に戻ることとなる)。
さらに翌年1548年には娘濃姫を信秀の子信長に嫁がせ、
信長がどのような人物か見極めるため、会見の場を設けた。
会見の場までの道中の信長は、
「かぶき」
な立ち振る舞いで、
道三の家臣の評価は悪かった。
しかし、いざ会見の場になると、
正装に変身し、それを見た道三は、
「残念ながら自分の息子どもは信長の家来になってしまうだろう」
と、嘆いてしまった。
その後、1552年に織田信秀が亡くなると、
土岐氏を再び美濃から追い出した。
戦国武将 斎藤道三
二人の思い出はここから始まる。
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尾張の虎・織田信秀(信長の父)が
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な立ち振る舞いで、
道三の家臣の評価は悪かった。
しかし、いざ会見の場になると、
正装に変身し、それを見た道三は、
「残念ながら自分の息子どもは信長の家来になってしまうだろう」
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