人間の命は神が私たちにくださった最も貴重な贈り物です。私たちがこの贈り物をいかに有意義に実り豊かなものにするか、そして人生の真の目的を成就し、心の平安と至福と最高の叡智を得るかは、大きく私たちにかかっています。
本書はサイズとしては小さいものですが、適切な例や引用、多くの実際的なヒントを用いて、私たちの生活の諸問題とその解決法について論じています。
「本文」より
心の性質――さまざまな角度から
パタンジャリのヨーガ・スートラでは、心をさまざまな種類に分類しています。例えば、鳥やサルのようにまったく集中できない心、ときどきは集中できてもすぐに落ち着かなくなる心、また、長いあいだ集中できたのにその状態から堕落する心などです。
ヴェーダーンタ哲学では心を大きくとらえて、それはマナス(心)、ブッディ(知性)、チッタ(記憶)、アハンカーラ(自我)であると考えました。心は思考、欲望、感情を持つマナスとして述べることもできるし、マナス(思考、欲望、感情)とともに、ブッディ(識別能力・物事を決定する部分)、チッタ(過去の経験の記憶)、アハンカーラ(「私」意識と「私の」意識が起こる部分)とをまとめて、心と述べることもあります。
西洋の心理学によると、心は主に「意識(私たちが普段自覚している意識)」と「無意識(潜在意識)」の二つに分けられます。潜在意識は意識よりもはるかに大きく、意識は氷山の一角にすぎません。そして潜在意識はすべて海面下に隠れています。西洋の心理学者、特にジークムント・フロイトは、このテーマについて広範囲にわたる研究を行い、数えきれないほど多くの隠れた欲望、情緒、コンプレックス、傾向といった潜在意識の内容に多くの光を当ててきました。
インドの心理学も意識と潜在意識について述べていますが、インド心理学と西洋心理学の見解の違いは、インドの心理学者が前提としている心の超越状態(superconscious mind:超意識あるいは超越意識)を、西洋の心理学者はほとんど認めていないという点です。この超意識とは「魂」のことです。魂の本性を悟ることと心の超意識状態に入ることとはまったく同じ意味です。
(続く)
ありがとうございます。
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