2019年12月04日
海外旅行 一人旅の面白さ!
海外旅行は友人と行っても楽しいですが、行き先を決めてノープランで行くのは面白いです。まず、夜中に着くフライトですと朝まで空港で過ごすか1日分の宿は日本で確保しておいた方がよいです。私の場合は、安宿を確保しておくパターンが多いです。4人1部屋などのドミトリーがオススメ️宿に着き次第、寝るしかないんですが、フロントの人達は現地人なので、そこでどこに訪れたらいいかなどのアドバイスを豊富に持ってます。街の地図くらいは用意しておいて、あとはバスや電車などの交通機関を使い移動するのみ1人だと自分のペースで回れるので楽ですよ。しかも安く済ませたいなら、安宿&アエロフロートかカタール航空がいいです。季節に寄っては、凄い安くチケットが手に入ります。こちらの航空会社でアカウントを作れば、日本の代理店経由ではないので安く手に入りますし、てるみクラブみたいに潰れても直接のチケット購入なので安全です!続報をお待ち下さい️
2016年03月09日
アジア一人旅を振り返って・・・
日本に帰って来ると25才になっていた。自分の周りは、就職して結婚してと、それぞれの生計を経てていたが、自分には全く興味がなかった。そんな事より、自分の目で世界を見てみたい!それが将来にプラスになるのかは分からないが、先進国・後進国の違いをまざまざと見てきたつもりであった。日本に帰って来ると、この狭い日本と言う国の中の縛られたルールの中で生きていかなければならない。治安がいい日本は住みやすいが、細かい事を気にする人種なので何か住みづらいような気がする。アリのように働き、発散出来る物は会社帰りの酒くらいなもんだ。美味しい物に酒と見た目は豪勢だが、それだけで満足は出来ないような何かがある。また、バイトをして100〜300万円貯めて、海外に出れば1〜3年は貧乏旅行が出来る。世界を見てみたい若者には、この日本と言う国で生まれた事に感謝すべきでもある。ただ、世界を見るのも大事だが、行った先の国で沈没してはダメ人間になってしまう。今もこれからも若者は世界を目指す事に期待する。閉鎖的な社会で一生を過ごすのは勿体ない。世界を見てから世界を語れる人間になるのが一番いいと私は思う。
2015年07月08日
アジア一人旅終了!
飛行機は、バンコクのドンムアン空港に到着した。乗り換えでゲートが変わり、3時間待ちとなってしまった。あいにくバーツを持っていなかったので、ジュースを買う事すら出来ないがゲートの前の椅子でパックパックを枕変わりにして仮眠を取る事にした。気持ち良く寝ている所に、巡回の警備員が近寄って来て何やらタイ語で話をされて、どうやら自分の寝方に問題があったようで注意を受けてしまった。席を2人分占領していたのが悪かったのか分からないが、気分良く寝ている所を起こされたので不快な気分になってしまい、もう寝るのは止めてボーっと発着する飛行機を眺めていた。自分の飛行機がゲートに着いて、日本から乗せた客を降し始めた。もう少しで搭乗が始まるので暫く待っていた。搭乗が始まり、エコノミーではあるがフカフカな席で寝る事が出来た。起きた時には、離陸する所で東南アジアの地を離れて行くのが何とも切なかったが、これで旅は終わった。あとは、数時間もすれば成田空港に着くと思い、最後の空の旅を楽しむ事にした。成田空港が近くになって来るとシートベルトサインが点灯した。眼下に見えるのは1年振りの日本であった。千葉県に住んでいる自分は東京湾の上を通った時に、昔住んでいた大型マンションが見えて感動した。何より日本に帰ってきた事にも感動した。我が国、日本!帰ってきたぜ!飛行機は成田国際空港に到着して、税関の所まで来た。税関職員にパスポートを見られて、予定通りと言うか、予想していたが止められてしまった。「インドから帰国ですか。。。」と言われて、バックパックをジーッと見られ「インドからの帰国はダメ何ですか?」と答えてみた。職員も「ダメではないですが、日本に持ち込んではいけない物を持ってますか?」と言われたので「そんな物は持ってませんよ。」と答えたが、呼び出しボタンを押されてしまい違う職員が丁重に「こちらへどうぞ!」と別室へ連れて行かれた。シアトルでも別室に連れ込まされた経験があったので、またかよ!ってな感じで別室へ移動。小さい部屋に職員が4名いて、自分は椅子に座らされてバックパックを開けられた。3人の職員はバックの中を調べていて、1人の職員は自分に旅の経緯を聞いてきた。当てのない旅なので、なんで旅をしたのか聞いて来るのだが、返答したのは「世界を見る為。」としか言えない。バックを物色していた職員が葉っぱらしき物を発見した途端、口調が変わり「この葉っぱを、これから液体に浸ける。色が紫に変わったらマリファナだぞ!」と怒り出してきた。自分は「どうぞ、やって見て下さい。」と、この年下っぽい職員に腹が立ち、苛立ちを見せた自分に別の職員が「落ち着いて下さい。」と制止してきた。職員全員は、マリファナだと確信して液体の中に葉っぱを入れて色が変わるのを待っていた。しかし、色は何にも変わらない。。。職員達に焦りが出てきていた。自分は「色が変わるんでしょ?変わらないじゃないか!」と攻撃開始。職員達は「あれ?これマリファナじゃないですね。新しい麻薬ですかね。」と話合っている。何だかバカげて来たので、自分は強い口調で「あなた達は、自信を持ってマリファナだと思っていたんでしょうけど、この葉っぱを見て分からないんですかね。どう見ても、お茶の葉じゃないか。」と言ってみた。それもそのはず、デリーの宿でバックを綺麗にして、中国で買ったお茶の葉が残り、日本でも飲もうと思っていたのだが、バッグの中で散乱してしまったみたいだ。こんなんで日本の警察が優秀とは到底思えなかったが、自分は「マリファナなんて持って帰ってくるもんか。そんなもんは綺麗に始末してきたからねー。それより、葉っぱを見つけた時に散らかした物を綺麗に元通りにしてくれないかな、暇じゃないんだし。」と言って、衣服などを散らかした職員達は綺麗に折りたたんで元に戻してチャックを閉めた。職員達は誤認を認めて、謝罪をして来たが、自分の怒りは収まらず「京成で帰るので、そこまで案内してくれ!」とバックパックを職員に持たせて、京成電鉄まで案内させた。別れ際に「マリファナを知らないのであれば、取り締まる人も経験した方がいいんじゃない?」と捨てゼリフを吐いて電車に乗込んだ。最後は、まんまと引っ掛かってくれた税関職員に感謝して家路に着いた。日本は過ごしやすい秋の季節になっており、灼熱の南アジアから脱出した解放感があった。
2015年07月07日
インドの旅125〜終焉〜
デリーの空港内の空調が心地よく出発までゲート付近の椅子で寝てしまっていた。この飛行機に乗ってバンコクまで行き、トランジットで成田へと向かう。もう、あとには引けないがバンコクで1ヶ月ほど過ごす事も出来るがチケット代が勿体ないし、バンコクに行ってもやる事がないので余計な事は考えずに、日本へと帰る事だけを考えた。もしかしたら、まだカオサンに行けば、西森さんがいるかもしれないと思ったが、それでも心を鬼にして帰る事にした。自分が乗る飛行機は目の前にある。そしてチェックインが始まった。混んではいなかったが、やはりインド人とタイ人らしき色のした人ばかりである。飛行機は定刻通りにバンコクへと飛び、窓から眼下を見るとデリーの街が小さくなっていくのを見て「さよならデリー、さよならインド、そして旅よ!ありがとう!」と感謝でいっぱいだった。色んな事があったが、トータルで考えると楽しかった。東欧、アフリカ、南米なども見てみたく行ってみたいと思ったが、アメリカで過ごした時間が長かったせいか、もう旅は出来ないだろうな。と思い、日本での生活を考えないといけない年でもあるし、もっと若くにして世界を旅すれば良かったのかなと感じた。機内食も出て、順調にバンコクへ向けて飛行機は飛び立っていた。
2015年07月06日
インドの旅124
いよいよ、インド滞在の最後の日が来てしまった。やっぱり朝食はお世話になった中華レストランでの炒飯とコーラで終わりにする事となった。彼も一緒に来てくれて、最後の食事となった。外は相変わらずの暑さだが、この暑さとも今日でお別れかと思うと複雑な気持ちで一杯だった。朝食を終えると宿には、オートリキシャのオッチャンが待っていた。オッチャンは、この日を待っていたに違いない。無料で観光をさせてくれて、日本ではオンボロのカメラだが、ここでは宝のような「made in Japan」のカメラを貰えるのだから。部屋に入ってバックパックを取り、忘れ物がないか確認をして宿のフロントでチェックアウトをした。フロントには欧米人が早朝に着いたのか、チェックアウトする人を待っている。この宿は相当人気なのかな?とも思った。そして、オッチャンのバイクの後ろに荷物を乗せて、彼とお別れをした。バイクは走り出し、彼が見えなくなるまで手を振った。飛行機は昼の便で3時間前には着くだろうと計算していたが、事前に空港の場所を確認していなくて、おまけに渋滞にもハマってしまった。オッチャンに何分くらいで着くのか聞いてみた所、30分くらいで着くが渋滞で1時間くらいになるかもしれない。と言われた。1時間くらいなら飛行機を逃す事はないだろうと安心してデリーの喧騒の中をバイクは走り続けた。さすがに、40分ほどストレートに乗っているとお尻も痛くなってきたりして疲れてくる。おまけにオッチャンは渋滞を回避するべく未舗装の道路を走り出した。上下にバウンドするバイクは乗っているだけで体力を奪っていき、疲れも倍以上になりヘトヘトになってきた。外を眺めていると空をジェット機が飛んで行くのが近くに見えてきたので、もうすぐ飛行場だと確認出来た。1時間ほどで空港に着いて、最後の写真を1枚撮ってもらいフィルムを取り出して、カメラをオッチャンにあげた。オッチャンは喜ぶようにカメラを受取り、オッチャンと握手をして別れを告げて空港内へと入った。空港内は、これがインドの首都の国際空港かと思うほど殺風景だったがクーラーが効いており、カウンターでチェックインをしてボーディングパスを受け取って、ゲートへと進んだ。終わった、すべてが終わったんだ。やりきったと言う感じではなく、1年前に日本を出てからの出来事が走馬灯のように頭の中を駆け回った。
2015年07月03日
インドの旅123
チケット屋で航空券を購入した彼は「急に日本に帰りたくなるとは思わなかった。」と言い、誰もが思う事だよ。と返答した。日本に帰れる事がよほど嬉しかったのか、自分が明日帰国するので最後のお別れ会をしよう!とメインバザールでは、ちょっと高そうなレストランに入ってみる事にした。そこも、中華レストランなのだが、ちゃんとした店構えで店内はクーラーが効いていてビールも置いてあった。まずは乾杯をして餃子やエビチリなどのおつまみを注文した。味は、いつも行っている中華レストランよりも美味しい。それもそのはずで、値段がいつもより倍近くするからだ。インドが最後の日でもカレーを食べる事なく、ビールと中華で楽しい夕食を食べて過ごす事が出来た。会計は、彼がどうしても払いたいとの事だったので甘えて御馳走になる事となり、夜のメインバザールを酔いながら歩いて、最後のネオンを見て宿へと戻り、彼の部屋でお互いの旅の面白話で盛り上がった。旅の最後にふさわしい終わり方でもあった。彼と最初に出会ったメインバザールから数日しか一緒にしか居られなかったが、どこかで出会っていたら、一緒に行動していたかもしれないね。と、それほど仲良くなったのに別れるのが辛くなってきた。彼と日本の住所と電話番号を交換して日本でも会おう!となり、お互い良い将来になるといいね。と最後を惜しむ形で、深夜まで彼と話こんだ。1階のロビーでは欧米人の数名が酔っ払っているのか、大声で叫ぶのも聞こえてきたが、そんな事はおかまいなしに自分達も部屋で大きい声で話をして盛り上がった。旅をしていて久しぶりに楽しい時間を過ごせたので、彼には感謝の気持ちでいっぱいだった。
2015年07月02日
インドの旅122
彼はメインバザールの自分がチケットを買った所で、バンコク経由の成田行きのチケットを購入した。出発は3日後になった。バンコクで一息入れて帰れば良いのでは?と促してみたが、急に日本に帰りたくなった。と、まだマリファナで飛んでいる目で話していた。日本円で5万円程度で帰れるのだから、また来たくなったらデリーに帰ってくるさ。と言っていたが、たぶんホームシックになったのだろうと感じた。日本に居れば不自由な事なく生きていられるが、海外に来ると日本のようにいかない事ばかりでストレスを感じる時もある。そのストレスが溜まってしまうと、やはり日本に帰りたくなってしまう。海外で旅するのは誰でも出来るし簡単。ダメ人間が多くいるのも事実であり、働くのが嫌いな人にはもってこいの逃げ道でもある。金がなくなれば日本で1年ほどバイトをすれば、東南アジアで2年から3年は軽く生きていける。しかも仕事しなくていいのだから楽な生き方でもある。旅をしていて、それが嫌で途中で帰国する人もインドでは見かけたが自分は上海からデリーまでの目的を果たした。この先、こんな旅は出来ないだろうし、したいとも思わないだろう。次の人生は何が待っているのか分からないが、彼みたいに思いついたら行動に移すのが一番大切であるが10分前までは、まだデリーにいる感じだったのだが、今は成田への航空券を買っている。人間って面白いなー。と思い、彼とチケット屋をあとにした。
2015年07月01日
インドの旅121
宿の部屋でパッキングを終えた自分はメインバザールへ行ってみる事にした。入口から中華レストランくらいまでの100mくらいしか歩いてなかったので、奥の方まで行ってみる事にして歩き出した。奥に行くほど、なぜかディープな臭いがしてきた。木陰に座っているインド人達が「こっちに来い!」と声を掛けてきたので「話があるなら、お前が来い!」と暑さのせいか自分はカッカきてしまっていた。店舗が道の両脇にあるのだが、全く必要もない物を半ば強引に店に入れようとする所もあり、歩いていて疲れ果ててしまったので、宿に戻って友人の部屋に行く事にした。友人の部屋の前に来ると相変わらずマリファナの匂いがしている。ノックすると目が真っ赤になっていて、かなり飛んでいるのが分かる。友人は「行動派だねー。毎日どっかしら出掛けていて。。。」と言っていたが、ちょっとくらいは体を動かさないと、気分悪いからね。と返答した。明日の朝、チェックアウトして空港に向かうので遊べるのは今日で最後だね。と話すと、また1人になってしまうのかー。と、ちょっと寂しそうな彼の一面を見る事が出来た。その時、彼は「俺も日本に帰ろうかな。」といきなり話出した。こんな暑い所にいて毎日マリファナやっていても、何も面白くないし日本でまっとうに生きてみるかな。と彼からそんな言葉が出るとは思わなかった。彼は本当に日本に帰るのを決めたらしく、メインバザールにあるチケット屋に行くと言うので2人で外に出る事にした。
2015年06月30日
インドの旅120
デリーと言うか旅の最終日が来た。明日はデリーの国際空港からバンコクへ飛び成田行きに乗り換えて日本に帰る。朝からオッチャンが待っていたが、デリーの見どころスポットは、ほとんど見たので行く所さえなかったが、オートリキシャに乗ってコンノートプレースへと行った。コンノートプレースでボーっとしているのが、なぜか落ち着くのだ。メインバザールみたいにゴチャゴチャしている所よりも綺麗で高級店が並んでいる場所の方が自分は好きだった。昨日買ったスムージーを、また買って飲んで、オッチャンにも買ってあげた。オッチャンは、明日に貰える自分のカメラが気に入っているらしく時間があるとカメラを見せてくれ!と渡すとジロジロと嬉しそうに見ているが、日本で3千円もしないようなカメラで、しかもボロボロ。日本で、こんな汚いカメラで写真を撮る人なんていないよ。と言いたい所だが、明日は飛行場まで送ってもらえるので、この貴重なカメラを今あげる事は出来なかった。今あげたら逃げてしまいそうな感じもしたからだ。コンノートプレースでゆっくりと過ごしたあとに、オッチャンに「今日は宿でゆっくりするから宿に戻ってくれ!」と言って、オッチャンの仕事は終了。部屋に入り、バックパックの中身をすべて出して、持って帰る物と捨てて帰る物を分けてバックパックを綺麗にして整理をした。成田の税関で必ず止められると思っていたので、帰る時は自分の持っている服の中で一番綺麗な物をピックアップしてみた。
2015年06月29日
インドの旅119
次の日の早朝にオッチャンが迎えに来たのだが、まだ7時と言う早さに朝食も食べていなかったので待ってもらう事にした。宿が同じの日本人の友人と一緒に朝食を食べに行ったのだが、昼食と夕食に訪れている中華レストランに行ってみたら、早朝からオープンしているではないか!朝から炒飯とは、ちょっと重たい気がするがカレーを食べる気にはならないので炒飯を食べて宿へと戻った。この日も外は暑くてバテテしまうほどだった。友人と宿で別れて、オッチャンのオートリキシャに乗って観光を始めた。最初にコンノートプレースに行って写真を撮ってもらう事にして、記念撮影。あまりの暑さに耐えきれなくてスムージーが売っていたのでオレンジ味を注文。これが、かなり美味しくて何回でも飲みたい物リストに入るほどだった。次は、どこに行くのか分からなかったがオッチャンがラール・キラーに連れて行くと言うので行ってみる事にした。バイクで、そんなに走らなくてもすぐに到着したが、敷地がかなり広そうで猛暑の中を歩くのが苦痛だったのでラール・キラーの前で記念撮影をして終わりにした。オッチャンが言うには、ここがデリーで一番の見どころだと言うのだが早く見ても1時間は掛かると言うのでパス。再度、コンノートプレースの近くに戻ったと思ったら、何か場違いのシルク屋さんを案内されたが、店内のクーラーが心地よいだけで買う物は何にもなく店を後にした。あとは適当にデリーの街を走ってもらったのだが、特に面白くもないのでメインバザールの宿に戻ってもらい、今日はここで終わりにした。それでも昼を過ぎていて、14時になっていた。1人で中華レストランに行って、また炒飯を食べたのだが店の人も自分の顔を覚えていてくれたのか、メニューを見ないでも炒飯と瓶のコーラを出してくれるようになっていた。食事も終えて、宿にいる日本人の友人の部屋に行ってみたら、相変わらずどこにも行かないでマリファナを吸っていた。まだ、デリーを出ないのですか?と聞いてみたが、当分ここにいるので自分の方が日本に帰る方が先になりそうだ。その日は、彼とメインバザールで買い物に付き合ってもらい、日本の友人にお土産としてシーツ変わりにしていた大きい布を5枚ほど買ってウィンドウショッピングを楽しんだ。夕方になり、またまた中華レストランに行き炒飯とビールで夜ご飯にして、彼の部屋で夜遅くまで話して一日が終わってしまった。明日は、旅の最後の日。この1年間で色んな所を見て回ったが、あっと言う間の1年だったなー。としみじみと旅を振り返った。