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古里物語

朝は墓 夜はお話


冬二月朝な朝なの墓参り、夜は夜更けて話を致しました。
椎の実はおいしい、黒ヂョカに七、八個の実を入れて炒るのです。
パチパチとはじける椎の実。
母は語るその昔のことを。
暗いほどに繁った椎の木の山ぢやったと。
山裾は泥の泥泥とした深い泥田ぢゃつたと。
明治四十三年兄陸映誕生の年。
株梠縄でお互いの腰を結び合い、頑丈な男達が数人、山壁を這うように登って行きましたと。
鶴嘴を持ち序序に進んで行く男達を山の下に集まった人人はぢっと見上げていたということです。
山頂には岩石の一団があり、椎の木にかくれて下から姿が見えなくなった時、男達は第一の鶴嘴を打ち込みました。
以来断続を繰返しながら昭和初年まで、町作り道作り、橋を架ける仕事まで、それはお父さんの一生の仕事になったのでした。
その第一期工事の時、まだ三十代であったお父さんは、自分を信じるように人をも信じ、工事請負師に工事費一切前渡ししましたと。
請負師はこれ幸いとその金を持逃げ姿をくらましましたと。
この失敗は後年、測量、架橋時の技術を自分で身につけ、工事一切の監督を出来るようになりましたと。
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もう眠ろや。
こうして眠りにつくのでした。

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