私はライブに行き始めたのが1986年だったのでまだバンドブームが来ていない時代でした
その頃のライブといえば様式美系のバンドには女子のお客さんも多いけれど
普通のロックバンドのライブだと女子はほんのわずかで
私は端っこの方で腕を振り上げたりして楽しんでいました
その頃はヘドバンしてる人とか居なかったように記憶しています。
まず最初に元気の出るテレビでヘビメタ〜ってつくコーナーがあって
見た目の派手なバンドが色々と出演して(ヘビメタではないバンドもいました)
バンドの演奏についてはあまりテレビで流れなかったと記憶しています。
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TVに出演したバンドはお客さんも増えましたが
バラエティー番組での人気だったため
バンドブームとはまだ言えるような感じではなかったです。
1989年2月に「三宅裕司のいかすバンド天国」が始まることになり
普段遊びに行っているバンドの一つだった
パッションローズが出演することになり
一回目の放送を拝見
問題の女の子ボーカルの生放送で下着脱いじゃう事件があり
放送ではカメラマンの機転で急なアングル変更で一番やばい放送事故は防げましたが
翌日以降の話題にこの話がすごかったです。
放送後のパッションローズのライブでリハーサル始まる時間帯からいつも遊びに行っているので
ライブハウスの前はなんとなくお客さんが多い気がするなって感じで
他の常連さんと一緒に今日はTV放送後だけどどんなかなって話しいて
開場時間に入場列を見たらとんでもない人数が並んでいる
神楽坂エクスプロージョンには絶対に入りきらない人数が...
案の定お客さんが入り切ってない、階段の上までびっしりでドアすら閉められない状態でした
やっぱりTV出ると、すごいんだなと実感したのはこの時でした
そしていつもは当日券で余裕では入れたバンドのライブも
イカ天出演したバンドのチケットは発売後すぐ売り切れることが続いていきました。
お客さんの年齢層も幅広くなりました
イカ天に出演したバンドがプロデビューすることがいくつか決まってくると
後に続けとばかりに、新しくバンドを結成する人たちがとても増えました。
増えたバンドに対してライブハウスなどの増えたり
ロックバンドの出る音楽イベントも増えました。
イカ天ではAURAやビギンがそのままでプロデビューしましたが
同時にインディーズというカテゴリーが認識されて
バンド単体ですべての業務をこなす方々もいて
今までプロダクションと契約してメジャーデビューしないといけない風潮だったものが
インディーズとして動けるようになった基盤も出来上がり
色々なジャンルのバンドが色々な活動ができるようになり
多くのお客さんが自分に合った好きなバンドのライブを楽しめる環境が出来たことで
とても楽しかったです。
90年代に入りだんだんとバンドの数が減っていき(学生とかプロ志向じゃない人は解散したり)
92年ごろは特に時代の入れ替わりを感じました。
イカ天に出ていたバンドの人がソロで活動することが多くなったのもこの頃だった気がします。
とくにフォートブラッグに在籍していた小野正利さんがピュアになれでソロデビューして
三枚目のYou're the Only…でレコード大賞と紅白出演は
バンド単体から才能のあるアーティスト個人での活動という新しい流れを
感じ取りました。
93年ごろにはすでにバンドブームという流れから今度は
その頃に見たバンドに影響されて音楽活動をする人たちとうい流れが出来て
この辺でバンドブームというのが終わったように思います。
AURA.ビギン.人間椅子がまだバンドとして活動していることも素敵ですが
ジッタリンジンの曲の様に別のアーティストがカバーしたりとかも
バンドブーム世代にとってはとてもうれしかったりします。
バンドブームがもし来なかったら私がバンドブーム前に通っていたバンドの人たちも
もうバンド活動してなかっただろうなと思うとブームが来たことでの恩恵をいただいたと思います。
現在、世界的なウイルスの感染で芸術関連でのイベントが行われることに対して
とても消極的で、ライブハウスに遊びに行くこと自体が少なくなってしまいましたが
その文化がもしもなくなってしまったら今後がとてもつまらないなと思う
既にバンドブームというブームは終わってしまいましたが
そこでついたと灯が今後も消えないといいな
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