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2017年02月20日
アマゾンカワイルカ。アマゾン川に生息する盲目のイルカ・・ちょっと怖いが魅力的な原始的生物。
イルカの生息地を聞かれれば十中八九「海」と答えるでしょうが、実は海だけではなく、川にも生息しているのです。
このイルカ、アマゾンカワイルカ。川に生息するカワイルカの一種。
アマゾンといえば、流れがすごく、常に濁っており、どこから何が出てくるかわからないまさに自然の宝箱のような川。イルカ界の競争に負け川に逃げ込み適応してきたイルカたちです。
海イルカと川イルカの違いは以下の様な点。
1 海イルカにはない細長い嘴(くちばし)
カワイルカを見てもらうと、非常に尖がった口をしているのがわかります。これは、川底にいる獲物を泥ごと拾い、水でジャブジャブ洗って食べるため。川の中に潜む海老なんかを捕まえるのに便利なんです。
2 カワイルカ特有の退化した目
カワイルカは濁った水の中にいるので、基本目を使いません。とくにガンジスカワイルカなんかは盲目。他のカワイルカもほとんど見えていません。
3 発達した聴覚と触角
目を失った代わりにカワイルカが手にしたものは触覚と聴覚。嘴の下に感覚毛が並んでおり、どこに獲物が潜んでいるのかわかる鋭い触覚。そして「エコーロケーション」と呼ばれる超音波で障害物などの位置を知る聴覚。この2つによって真っ暗な川の中でも自由自在に動き回ることが出来るのです。
まだ、わからないことも多いのですが、脳が大きく、首の骨があるなど、かなり太古の形を残しているカワイルカ。1000万年以上前の特長を今に伝える貴重なそんざいなのです。
名前:アマゾンカワイルカ
英語:Amazon river dolphin
体長208〜250cm/体重85kgほど
哺乳綱クジラ目アマゾンカワイルカ科アマゾンカワイルカ属
やっぱりイルカだなぁと思おうのは、こうやって人と友好的なところですね。
カワイルカ上科(河海豚上科、Platanistoidea)はクジラ目ハクジラ亜目の上科の1つ。単にカワイルカと言った場合、このカワイルカ上科に属する種を意味することが多いが、狭義ではカワイルカ科を指すこともある。
4科4属から成る。うち3科3属は淡水の河川に棲息する。ラプラタカワイルカ科のみは塩分を含む河口や海に棲息するが、このカワイルカ上科に分類される。
概要[ソースを編集]
カワイルカは全クジラ目の中で最も絶滅の危機に瀕している部類である。棲息に適した環境の喪失、人間による捕獲、元々多くない生息数などが、絶滅の危機に瀕している主な原因である。多くのカワイルカは視力が弱く(ほぼ盲目に近い種類もいる)、そのことも人間や人工物(船や漁網)に出くわす可能性が高い原因となっている。
一部のイルカは海水でも淡水でも棲息することが可能である。例えば、コビトイルカ Sotalia fluviatilis はどちらの水であっても安定して棲息することができる。しかしこれらのイルカはカワイルカ上科には含まれない。
分類[ソースを編集]
1998年のRiceによる分類[Rice98]では、カワイルカと呼ばれている科は4つあるが、カワイルカ上科 Platanistoidea として現存する科はカワイルカ科 Platanistidae のみであるとしている(他の3科はカワイルカ上科には含まれない)。またRiceはカワイルカ科カワイルカ属に属するのはインドカワイルカ Platanista gangetica 1種のみとしている。
Rice以前の一般的な分類法では、カワイルカ上科は4科で構成されるとし、ガンジスカワイルカ Platanista gangetia とインダスカワイルカ Platanista minor をカワイルカ科カワイルカ属に属する別の種としている。
Riceによる分類(Rice, 1998)[ソースを編集]
カワイルカ上科 Platanistoideaカワイルカ科 Platanistidae カワイルカ属 Platanista インドカワイルカ(スースー) Ganges and Indus River Dolphin, Platanista gangetica ガンジスカワイルカ Ganges River Dolphin, Platanista gangetica gangetica
インダスカワイルカ Indus River Dolphin, Platanista gangetica minor
アマゾンカワイルカ科 Iniidae アマゾンカワイルカ属 Inia アマゾンカワイルカ Amazon River Dolphin, Inia geoffrensis
ボリビアカワイルカ Bolivian River Dolphin, Inia boliviensis 1998年以降一時期アマゾンカワイルカの亜種とみなされたこともあった
標準和名不明、 Araguaian River Dolphin, Inia araguaiaensis -2014年記載の新種
[1]
ヨウスコウカワイルカ科 Lipotidae ヨウスコウカワイルカ属 Lipotes ヨウスコウカワイルカ Chinese River Dolphin, Lipotes vexillifer
ラプラタカワイルカ科 Pontoporiidae ラプラタカワイルカ属 Pontoporia ラプラタカワイルカ La Plata Dolphin, Pontoporia blainvillei
Rice以前の一般的な分類[ソースを編集]
カワイルカ上科 Platanistoideaカワイルカ科 Platanistidae カワイルカ属 Platanista ガンジスカワイルカ Ganges River Dolphin, Platanista gangetica
インダスカワイルカ Indus River Dolphin, Platanista minor
アマゾンカワイルカ科 Iniidae アマゾンカワイルカ属 Inia アマゾンカワイルカ Amazon River Dolphin, Inia geoffrensis
ボリビアカワイルカ Bolivian River Dolphin, Inia boliviensis
ヨウスコウカワイルカ科 Lipotidae ヨウスコウカワイルカ属 Lipotes ヨウスコウカワイルカ Chinese River Dolphin, Lipotes vexillifer
ラプラタカワイルカ科 Pontoporiidae ラプラタカワイルカ属 Pontoporia ラプラタカワイルカ La Plata Dolphin, Pontoporia blainvillei
2017年02月15日
日本から輸入のイルカ死ぬ…動物保護団体が糾弾=韓国
1: ジャーマンスープレックス(東京都)@\(^o^)/ [US] 2017/02/14(火) 17:52:33.27 ID:Pe7P1uT30● BE:583472408-PLT(14015) ポイント特典
日本から輸入のイルカ死ぬ…動物保護団体が糾弾=韓国
中央日報日本語版 2/14(火) 15:24配信
動物虐待という批判がある中で蔚山市(ウルサンシ)南区が日本から輸入したイルカ2匹のうち1匹が死んだ。
--- 引用ここまで 以下引用元参照 ---
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170214-00000045-cnippou-kr
25: ファイヤーバードスプラッシュ(山口県)@\(^o^)/[EU] 2017/02/14(火) 17:57:11.86 ID:TcSkPXDP0
カルキぬきしないでイルカを水槽に入れたんじゃあるまいな
206: TEKKAMAKI(チベット自治区)@\(^o^)/[US] 2017/02/14(火) 19:48:43.95 ID:jEk+us7R0
>>25
メダカかよw
34: ときめきメモリアル(家)@\(^o^)/[CA] 2017/02/14(火) 17:59:03.24 ID:gr99yMKU0
太地にいても食われただろう
36: レッドインク(空)@\(^o^)/[US] 2017/02/14(火) 17:59:41.81 ID:yU/fEuu60
和歌山で捕獲イルカの網を切ってイルカを逃がしたのに、給餌員が呼んだらすぐ帰ってきたのは笑った
57: ドラゴンスクリュー(茸)@\(^o^)/[DE] 2017/02/14(火) 18:06:26.89 ID:tJVCS4XR0
>>1
そんなヤツいるか?
なんちて
101: スパイダージャーマン(やわらか銀行)@\(^o^)/[NG] 2017/02/14(火) 18:26:51.92 ID:bfEHQGJK0
いくらなんでも早すぎだろwwwwwww
131: スパイダージャーマン(埼玉県)@\(^o^)/[ニダ] 2017/02/14(火) 18:42:16.41 ID:WSq9wS+z0
水の生き物はちょっとした環境の変化であっという間にダメになりそうなイメージ
143: クロイツラス(東京都【18:39 東京都震度1】)@\(^o^)/[CN] 2017/02/14(火) 18:53:04.05 ID:uf5yaVys0
飼育技術が未熟だったんだろ
150: サソリ固め(茸)@\(^o^)/[US] 2017/02/14(火) 18:56:45.80 ID:EOQSOGdP0
激怒する理由がわからん
やってもーたーって思うのが普通だろ
196: ファイヤーボールスプラッシュ(大阪府)@\(^o^)/[JP] 2017/02/14(火) 19:34:31.66 ID:T1pubCQy0
動物保護団体は何故イルカだけ特別扱いするの?
303: ドラゴンスリーパー(庭)@\(^o^)/[GB] 2017/02/15(水) 07:25:50.15 ID:5FTk4eSt0
>>196
本件はイルカだから、ではないんよ
ここの水族館モドキ自体が飼育不良で死なせて、を繰り返してる
公設なんで、狭小設備の割りに大型動物ばっかり欲しがってる
イルカの輸送に32時間も掛かったのも、単に段取りの悪さと職員の練度不足と不採算で人手不足
日本みたいな水族館欲しい!で始めたけど、中身が追いつかないいつものアレ
ちなみに、人格体うんぬんは中央日報の付け足し
中央日報はサムソン系だけど、ここの自治体は現代重系
213: フォーク攻撃(茸)@\(^o^)/[US] 2017/02/14(火) 19:56:52.37 ID:sRfZ36us0
水が合わなかったんだろ
287: 腕ひしぎ十字固め(大阪府)@\(^o^)/[MA] 2017/02/15(水) 01:39:20.83 ID:rs9yk4t80
極秘輸入ワロタ
韓国が日本から極秘で輸入したイルカ、たった5日で突然死
http://news.infoseek.co.jp/article/recordchina_RC_163166/
290: アキレス腱固め(やわらか銀行)@\(^o^)/[US] 2017/02/15(水) 02:00:00.09 ID:mTbiAqbe0
イルカかわいそう
2017年02月14日
ダイソーの100円釣り竿を使った結果……
1: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:40:35.089 ID:8doUcipH0
掛かったと思ったら一発で折れたわ
2: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:41:01.581 ID:UMekaJrv0
魚がかわいそう
3: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:41:07.794 ID:qJac8kzj0
108円だろクソボケ
4: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:41:15.259 ID:6k/SNPzza
フィーッシュ!!
5: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:43:02.218 ID:iCK7ldzK0
魚による
6: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:43:36.719 ID:fUu2qIKv0
下手くそ
腕があれば1メートルの鯉でも上がるぞあの竿
7: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:45:36.149 ID:8doUcipH0
>>6
どう上げたんだよ
30オーバーでも厳しくないか
8: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:46:10.103 ID:2+3TL+410
100円に文句言うなよ
9: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:47:10.174 ID:t7whhou7a
3竿買って重ねて使うんだよ
10: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:47:35.301 ID:I14qb1Ie0
ちょwww
最大12センチのスズキしか釣ったことない俺には100円の竿でよかったやん
11: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:47:40.523 ID:zaKoK7DCa
せめて千円くらいだせよ
12: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:47:49.525 ID:F/4R2KhPK
3本束ねろよ
13: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:48:02.675 ID:Tq1ZjJmgd
1mの鯉ってやばくね?
16: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:49:11.137 ID:8doUcipH0
>>13
デカい川ならいるらしいな
俺のとこだとせいぜい50ぐらいだわ
14: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:48:52.546 ID:F4/Q1aRg0
品質が安定してないから何本も買って折れないやつを探すのね
17: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:50:04.535 ID:BDRVeVmj0
ルアーは馬鹿にできない
18: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:51:00.297 ID:0bRzW18C0
継ぎ目の金属のガタガタをエポキシ接着剤で固めないとすぐ折れるよ
19: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:51:00.894 ID:XRNQDfvFd
100円の釣竿があることに驚き
21: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:51:17.077 ID:jWRiDkt80
1000円ちょいのロッドで雷魚釣ったことあるけど
正直釣ったと言うより引き摺り出した感じだったわ
24: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:54:41.122 ID:8doUcipH0
>>21
グラスロッドなら1000円でも割といいだろ
26: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:57:05.292 ID:0bRzW18C0
>>24
定価5万のグラスロッド持ってる
買ったのは5500円くらいだけど
22: 以下、無断転載禁止でVIPがお送りします 2017/01/26(木) 13:52:08.843 ID:fvp/0ZCC0
そんなもんまで売ってるのかよ
2016年03月30日
【イルカの小話】仲間を見捨てないオキゴンドウ
日本で実際にあったお話です。静岡県伊豆半島の東海岸にふと富戸というところがあります。ここは、いまでも、漁港にイルカを追い込んで捕殺する「イルカの追い込み猟」※が許可されている数少ない場所のひとつです。
1996年10月17日、イルカの追い込み猟が、この富戸で行なわれました。当時、富戸では、ハンドウイルカ、スジイルカ、マダライルカを捕えたり、殺して肉にしたりすることが許可されていました。しかし、オキゴンドウを捕殺することは許されていませんでした。殺したり捕えたりできるイルカの種類と、頭数には制限があったのです。
しかし、日本政府(水産庁)と静岡県は、富戸の漁師にそのことをはっきり知らせていませんでした。また、イルカ猟の違反を防ぐために監視をすることになっていた静岡県の職員は、イルカ猟に立ちあっていませんでした。そうした中で、捕獲を許されていないオキゴンドウが少なくとも5頭殺され、さらに6頭が生け捕りにされて二つの水族館に売り払われるという違反行為が起きました。そして、現場でイルカ猟を取材していた市民団体によって違反が明らかにされました。市民団体は不法に捕えたオキゴンドウを、元の海に戻すことを強く求め、結局、10月31日に、6頭のオキゴンドウが富戸の海に放されました。
その日、オキゴンドウは、1頭ずつつ吊り具(イルカの胸びれが出るように胸びれの位置に穴をあけたたんか担架)に入れられ、クレーンで水深5メートルの海に下ろされました。そして、海に入った水族館のダイバーが海中で吊り具を外して、1頭ずつオキゴンドウを海に放しました。作業を始めたのは午前9時14分で、最後の6頭目を放したときは、午前9時58分になっていました。約40分かかって、全員が海に放されたことになります。
最初に放された2頭は、あたりをうろうろと泳ぎ回っていて逃げていきませんでした。3番目に放されたオキゴンドウは、一度は泳いで行ってしまいましたが、また、戻ってきました。そして、最後に6頭目が放されるまで、全員が仲間を待ち続けました。そして、6頭そろうと、いっしょにかたまって、あたりを泳ぎ回り、それから、6頭連れだって沖へ泳ぎ去りました。
オキゴンドウは遊び好きで、よく船首や船尾の波に乗って泳ぐことが知られていますが、仲間とのきずな絆が固いことでも知られています。
富戸の港には、1978年にも40頭のオキゴンドウが追い込まれています。この時は、まだ何の規制もなく、漁師はどんなイルカでも好きなだけ捕まえることができました。(日本政府が、捕獲するイルカの種類や頭数を制限したのは、1993年になってからのことです。)
富戸の漁師は水族館にオキゴンドウを買ってもらいたいと思い、港にオキゴンドウを閉じ込めたまま、何日も水族館と交渉していたそうです。ところが、その間、毎晩、閉じ込められたオキゴンドウの仲間が30頭も富戸の港の入口まで迎えに来て、港の中のオキゴンドウとキーキーとなき交わし続けたということです。
漁師の中には、その声を聞いて、心を動かされ、涙した人もいたということですが、オキゴンドウが海に返されたという記録はありません。
1996年10月17日、イルカの追い込み猟が、この富戸で行なわれました。当時、富戸では、ハンドウイルカ、スジイルカ、マダライルカを捕えたり、殺して肉にしたりすることが許可されていました。しかし、オキゴンドウを捕殺することは許されていませんでした。殺したり捕えたりできるイルカの種類と、頭数には制限があったのです。
しかし、日本政府(水産庁)と静岡県は、富戸の漁師にそのことをはっきり知らせていませんでした。また、イルカ猟の違反を防ぐために監視をすることになっていた静岡県の職員は、イルカ猟に立ちあっていませんでした。そうした中で、捕獲を許されていないオキゴンドウが少なくとも5頭殺され、さらに6頭が生け捕りにされて二つの水族館に売り払われるという違反行為が起きました。そして、現場でイルカ猟を取材していた市民団体によって違反が明らかにされました。市民団体は不法に捕えたオキゴンドウを、元の海に戻すことを強く求め、結局、10月31日に、6頭のオキゴンドウが富戸の海に放されました。
その日、オキゴンドウは、1頭ずつつ吊り具(イルカの胸びれが出るように胸びれの位置に穴をあけたたんか担架)に入れられ、クレーンで水深5メートルの海に下ろされました。そして、海に入った水族館のダイバーが海中で吊り具を外して、1頭ずつオキゴンドウを海に放しました。作業を始めたのは午前9時14分で、最後の6頭目を放したときは、午前9時58分になっていました。約40分かかって、全員が海に放されたことになります。
最初に放された2頭は、あたりをうろうろと泳ぎ回っていて逃げていきませんでした。3番目に放されたオキゴンドウは、一度は泳いで行ってしまいましたが、また、戻ってきました。そして、最後に6頭目が放されるまで、全員が仲間を待ち続けました。そして、6頭そろうと、いっしょにかたまって、あたりを泳ぎ回り、それから、6頭連れだって沖へ泳ぎ去りました。
オキゴンドウは遊び好きで、よく船首や船尾の波に乗って泳ぐことが知られていますが、仲間とのきずな絆が固いことでも知られています。
富戸の港には、1978年にも40頭のオキゴンドウが追い込まれています。この時は、まだ何の規制もなく、漁師はどんなイルカでも好きなだけ捕まえることができました。(日本政府が、捕獲するイルカの種類や頭数を制限したのは、1993年になってからのことです。)
富戸の漁師は水族館にオキゴンドウを買ってもらいたいと思い、港にオキゴンドウを閉じ込めたまま、何日も水族館と交渉していたそうです。ところが、その間、毎晩、閉じ込められたオキゴンドウの仲間が30頭も富戸の港の入口まで迎えに来て、港の中のオキゴンドウとキーキーとなき交わし続けたということです。
漁師の中には、その声を聞いて、心を動かされ、涙した人もいたということですが、オキゴンドウが海に返されたという記録はありません。
2016年03月27日
【イルカの小話】イルカがクジラを救った!
ディスカバリー・チャンネルが報じためずらしいイルカの話です。2008年3月12日、AP通信も「ニュージーランド北島で、迷って浜に近づいたクジラ親子を1頭のイルカが沖合に誘導して救助した」と伝えています。
2008年3月10日未明、ニュージーランドの北島東海岸マヒアビーチの近くに住む保護局員マルカム・スミスさんは、2頭のクジラがざしょう座礁したという知らせを受けました。その場所は、首都ウェリントンの北東500キロほどのところでした。
早速救助にかけつけると、座礁していたのは、コマッコウクジラ(pygmy sperm whale)の親子でした。母親は体長3メートルくらい、子どもは雄クジラでした。スミスさんたちは、何とか母子を救いたいと、クジラを懸命に海へ押し返しました。2度、3度と、何とか海へ戻しても、母子はすぐに海岸に戻ってきてしまいます。スミスさんはクジラの体に海水をかけ続けましたが、2頭ともかなり疲労してきました。こうして1時間半がたち、スミスさんは、クジラたちの苦しみを除いてやるために、人道的な方法で母子のクジラを安楽死させることを考え始めました。
ちょうどその時、1頭のイルカが姿を現しました。地元の人々が「モコ」と名づけているハンドウイルカです。
スミスさんはイルカとクジラが声をかけあっているのに気づきました。モコは、クジラの母子と声を交わしながら、体を並べて200メートルほどいっしょに泳ぎ、親子を砂州の端まで案内し、つぎに、直角に方向をかえ、狭い水路を通り抜けて、母子を海へ連れ出しました。
「こんな話は後にも先にも聞いたことがありません。あれ以来、クジラの母子が戻ってきたという話はきいていません。1頭のイルカが、人間が救えなかったクジラの親子を座礁から救ったのは間違いないことです」とスミスさんは語っています。
現場で救助に立ちあった国立博物館の海洋生物専門家アントンバン・ヘルデンさんも、イルカのモコの救助は「すばらしいものだった」と絶賛。 救助を手伝ったフアニータ・シムズさんも、「すごい体験だった。人生で最良の日だった」と話しています。
いっぽう、クジラを救助した後、イルカのモコは海岸付近に戻って地元住民たちとの遊びに加わったそうです。
2008年3月10日未明、ニュージーランドの北島東海岸マヒアビーチの近くに住む保護局員マルカム・スミスさんは、2頭のクジラがざしょう座礁したという知らせを受けました。その場所は、首都ウェリントンの北東500キロほどのところでした。
早速救助にかけつけると、座礁していたのは、コマッコウクジラ(pygmy sperm whale)の親子でした。母親は体長3メートルくらい、子どもは雄クジラでした。スミスさんたちは、何とか母子を救いたいと、クジラを懸命に海へ押し返しました。2度、3度と、何とか海へ戻しても、母子はすぐに海岸に戻ってきてしまいます。スミスさんはクジラの体に海水をかけ続けましたが、2頭ともかなり疲労してきました。こうして1時間半がたち、スミスさんは、クジラたちの苦しみを除いてやるために、人道的な方法で母子のクジラを安楽死させることを考え始めました。
ちょうどその時、1頭のイルカが姿を現しました。地元の人々が「モコ」と名づけているハンドウイルカです。
スミスさんはイルカとクジラが声をかけあっているのに気づきました。モコは、クジラの母子と声を交わしながら、体を並べて200メートルほどいっしょに泳ぎ、親子を砂州の端まで案内し、つぎに、直角に方向をかえ、狭い水路を通り抜けて、母子を海へ連れ出しました。
「こんな話は後にも先にも聞いたことがありません。あれ以来、クジラの母子が戻ってきたという話はきいていません。1頭のイルカが、人間が救えなかったクジラの親子を座礁から救ったのは間違いないことです」とスミスさんは語っています。
現場で救助に立ちあった国立博物館の海洋生物専門家アントンバン・ヘルデンさんも、イルカのモコの救助は「すばらしいものだった」と絶賛。 救助を手伝ったフアニータ・シムズさんも、「すごい体験だった。人生で最良の日だった」と話しています。
いっぽう、クジラを救助した後、イルカのモコは海岸付近に戻って地元住民たちとの遊びに加わったそうです。
2016年03月21日
【イルカの小話】オポノニのオポ
ニュージーランドの北島の北方にあるホキアンガ・ハーバーの漁師たちが漁船に近づいてくるイルカに気づいたのは、1955年の初めごろのことでした。漁師が近づいてきたイルカの背をオールでなでてみると、イルカは嫌がらないで、おとなしくしていました。また、別の漁師がモップでそのイルカをなでると、イルカは逃げないで、されるままになっていました。
やがて、そのイルカは船のあとについてオポノニの波止場や砂浜に来るようになりました。人々はそのイルカを「オポノニ・ジャック」と呼ぶようになり、後に、短く「オポ」と呼ぶようになりました。オポは、ハンドウイルカのメスで、ほとんどおとなになりかかっていたと言われています。
浜辺にきたオポは、次第に人と遊ぶようになりました。オポは大人とも遊びましたが、特に子供が好きで、子供を背中に乗せて泳ぐこともありました。オポは当時13歳だったジル・ベーカーが特にお気に入りで、ジルの姿が見えると、すぐにそばへ行きました。
オポは人々とボール投げをしたり、ボールを沈めようとしたり、いつも自分で遊び方を工夫していました。また、犬と遊ぶことも、すごく好きでした。野生のイルカが人々との交流を求めて、浜にやってくるという話は、すぐに知られるようになり、多くの人々が小さなオポノニの町を訪れるようになりました。
やがて、オポが船の後ろに近づきすぎて、回転しているスクリューに接触してけがをすることが起こりました。また、イルカのことを知らない男がサメと間違えてイルカに発砲するという事件もありました。こうしたことから、人々は、早急にオポを法的に保護する必要があると考えました。
そして、ニュージーランド政府は、3日間という驚くべき早さで、オポの保護に関する法的手続きを完了して、ピロウラス・ジャックの時と同様に、総督名で、「オポだけでなくホキアンガ・ハーバーを訪れるすべてのイルカを殺したり、苦しめたりしてはならない」という法令を1956年3月8日に公表しました。
どころが、その翌日の3月9日、オポが岩の割れ目にはさまって死んでいるのがみつかりました。満潮時に魚を追ってきて、浅瀬に入り込んでしまって出られなくなったのだろうということになりましたが、オポに反感を持っていた人がオポを殺したのだという人もいました。また、当時、漁師が爆薬を使って魚をとっていたことから、爆死したのだという人もいました。
オポが死んだというニュースは、ニュージーランド国内と世界へ伝えられ、オポノニの町には
続々とお悔やみの電報がとどき、たくさんの人がオポの死を悲しみました。そして、オポノニの浜で、キリスト教によるオポのお葬式が行なわれました。
人間と交流したオポについては、「海からの使者 イルカのオポ」、「海からきた使いーイルカのオポ」に詳しく出ています。
やがて、そのイルカは船のあとについてオポノニの波止場や砂浜に来るようになりました。人々はそのイルカを「オポノニ・ジャック」と呼ぶようになり、後に、短く「オポ」と呼ぶようになりました。オポは、ハンドウイルカのメスで、ほとんどおとなになりかかっていたと言われています。
浜辺にきたオポは、次第に人と遊ぶようになりました。オポは大人とも遊びましたが、特に子供が好きで、子供を背中に乗せて泳ぐこともありました。オポは当時13歳だったジル・ベーカーが特にお気に入りで、ジルの姿が見えると、すぐにそばへ行きました。
オポは人々とボール投げをしたり、ボールを沈めようとしたり、いつも自分で遊び方を工夫していました。また、犬と遊ぶことも、すごく好きでした。野生のイルカが人々との交流を求めて、浜にやってくるという話は、すぐに知られるようになり、多くの人々が小さなオポノニの町を訪れるようになりました。
やがて、オポが船の後ろに近づきすぎて、回転しているスクリューに接触してけがをすることが起こりました。また、イルカのことを知らない男がサメと間違えてイルカに発砲するという事件もありました。こうしたことから、人々は、早急にオポを法的に保護する必要があると考えました。
そして、ニュージーランド政府は、3日間という驚くべき早さで、オポの保護に関する法的手続きを完了して、ピロウラス・ジャックの時と同様に、総督名で、「オポだけでなくホキアンガ・ハーバーを訪れるすべてのイルカを殺したり、苦しめたりしてはならない」という法令を1956年3月8日に公表しました。
どころが、その翌日の3月9日、オポが岩の割れ目にはさまって死んでいるのがみつかりました。満潮時に魚を追ってきて、浅瀬に入り込んでしまって出られなくなったのだろうということになりましたが、オポに反感を持っていた人がオポを殺したのだという人もいました。また、当時、漁師が爆薬を使って魚をとっていたことから、爆死したのだという人もいました。
オポが死んだというニュースは、ニュージーランド国内と世界へ伝えられ、オポノニの町には
続々とお悔やみの電報がとどき、たくさんの人がオポの死を悲しみました。そして、オポノニの浜で、キリスト教によるオポのお葬式が行なわれました。
人間と交流したオポについては、「海からの使者 イルカのオポ」、「海からきた使いーイルカのオポ」に詳しく出ています。
2016年03月16日
【イルカ類の小話】ケイコ〜水族館から生まれ故郷の海に戻されたオルカ
ケイコという名のオルカは長い間、水族館で飼われていましたが、世界で初めて生まれ故郷の海へ戻され、世界で一番有名なオルカになりました。名前はケイコですが、実は、オスのオルカです。
ケイコは1977年または1978年にアイスランド近くの大西洋で生まれました。1979年に人間に捕獲され、家族と引き離されて、地元の水族館に送られ、その後、カナダの水族館に売られて、そこで芸を教えられ、次にメキシコの水族館に送られて、オルカショーに使われました。しかし、メキシコの狭くて水温の高いプールで体調をくずし、皮膚病がひどくなりました。
1993年、アメリカの映画会社が制作した「フリー・ウィリー」という映画が、世界的に大ヒットしました。この映画は、親に捨てられた少年が水族館からウィリーという名前のオルカを救って海へ逃がす話でした。この映画でケイコはウィリー役を演じました。ケイコがメキシコの水族館で病気に苦しんでいるのを知ると、世界中の子供たちが何とかケイコを救って、ウィリーのように自然の海へ帰してやりたいと考え、さまざまな活動を始めました。これを知って、環境保護団体と映画会社が、ケイコをメキシコの水族館からアイスランドの海に戻す活動を始めました。
しかし、水族館に長い間飼われていた病気のオルカをすぐに野生に戻すことはできません。ここから、世界中の子供たちと環境保護団体や学者たち、それに一部の水族館が協力して、史上初のオルカを野生に戻す活動が始まりました。さらに、アメリカ、アイスランド、ノルウェーの政府もケイコを野生のオルカにするために協力しました。
ケイコが水族館やアイスランドでどのような生活を送ったのかについては、イルカのおすすめ本のページに挙げた「ケイコを海へ帰したい」、「ケイコ 海へ帰ったオルカ」などを参照してください。
結局、ケイコは健康を取り戻し、皮膚病もすっかり治ってアイスランドの海を泳ぎまわれるようになり、野生のオルカとも交流するようになりました。2002年夏には、何日も野生のオルカとすごした後、ついに北大西洋を横切って1500キロを超える旅を続け、自力でアイスランドからノルウェーに移りました。ケイコは、まったく人間の助けなしで60日近くを、外洋で過ごしたのです。
漁船の後についてノルウェーのハルサに姿を現したケイコは、子供たちを背中にのせたり、いっしょに泳いだりして、たちまちハルサの人々やヨーロッパ中からケイコに会いに来た観光客の人気者になりました。ケイコは、もともと人間が大好きで、それは、野生の海をひとりで旅しても、まったく変わりませんでした。
しかし、ケイコが人々と交流し続けることを許せば、ケイコを野生に戻すことはできません。そこで、ケイコを世話している環境保護団体のトレーナーたちは、ケイコが人々と交流できないように、ケイコを人里離れたタクネス湾に船で誘導し、そこで、ケイコの面倒をみました。湾内に閉じ込めることはしませんでしたから、ケイコは自由に湾から出入りして、ノルウェーの海を泳ぎ回っていました。
そして、もう1、2カ月すれば、野生のオルカの群れがタクネス湾の近くに泳いでくるはずでした。もし野生のオルカの群れがケイコを仲間として受け入れてくれれば、ケイコは、野生のオルカとして、一生を過ごせるだろうと、多くの人が期待していました。
しかし、2003年12月12日、ケイコは突然、急性肺炎にかかり、命を落としました。ケイコの遺骸は海岸に引き上げられて埋められ、ノルウェーの子供たちが石を積み上げて、墓を作りました。ケイコの死んだ姿は一般に公開されませんでした。
ケイコは、死ぬ直前に、親しかったトレーナーに近づきませんでした。しかし、自分から海岸に近付き、人間の前から姿を消すこともしませんでした。ケイコは人間に育てられ、死ぬまで人間が大好きなオルカでした。しかし、野生のオルカになるために人間との交流を断たれ、結局、オルカの仲間になる機会を失ったまま死にました。いっぽう、ケイコは、自分から進んで、自分の意志で大海に乗り出し、大西洋を自由に泳ぎ、野生のオルカとして死にました。水族館に飼われたオスのオルカとしては、2番目に長く生きたオルカでした。
ケイコは、水族館で飼われたオルカを野生に戻すことがいかに難しいかを示しています。ケイコの悲劇は、人間が幼いケイコを家族から引き離して捕えたことから始まったと言えます。
ケイコは1977年または1978年にアイスランド近くの大西洋で生まれました。1979年に人間に捕獲され、家族と引き離されて、地元の水族館に送られ、その後、カナダの水族館に売られて、そこで芸を教えられ、次にメキシコの水族館に送られて、オルカショーに使われました。しかし、メキシコの狭くて水温の高いプールで体調をくずし、皮膚病がひどくなりました。
1993年、アメリカの映画会社が制作した「フリー・ウィリー」という映画が、世界的に大ヒットしました。この映画は、親に捨てられた少年が水族館からウィリーという名前のオルカを救って海へ逃がす話でした。この映画でケイコはウィリー役を演じました。ケイコがメキシコの水族館で病気に苦しんでいるのを知ると、世界中の子供たちが何とかケイコを救って、ウィリーのように自然の海へ帰してやりたいと考え、さまざまな活動を始めました。これを知って、環境保護団体と映画会社が、ケイコをメキシコの水族館からアイスランドの海に戻す活動を始めました。
しかし、水族館に長い間飼われていた病気のオルカをすぐに野生に戻すことはできません。ここから、世界中の子供たちと環境保護団体や学者たち、それに一部の水族館が協力して、史上初のオルカを野生に戻す活動が始まりました。さらに、アメリカ、アイスランド、ノルウェーの政府もケイコを野生のオルカにするために協力しました。
ケイコが水族館やアイスランドでどのような生活を送ったのかについては、イルカのおすすめ本のページに挙げた「ケイコを海へ帰したい」、「ケイコ 海へ帰ったオルカ」などを参照してください。
結局、ケイコは健康を取り戻し、皮膚病もすっかり治ってアイスランドの海を泳ぎまわれるようになり、野生のオルカとも交流するようになりました。2002年夏には、何日も野生のオルカとすごした後、ついに北大西洋を横切って1500キロを超える旅を続け、自力でアイスランドからノルウェーに移りました。ケイコは、まったく人間の助けなしで60日近くを、外洋で過ごしたのです。
漁船の後についてノルウェーのハルサに姿を現したケイコは、子供たちを背中にのせたり、いっしょに泳いだりして、たちまちハルサの人々やヨーロッパ中からケイコに会いに来た観光客の人気者になりました。ケイコは、もともと人間が大好きで、それは、野生の海をひとりで旅しても、まったく変わりませんでした。
しかし、ケイコが人々と交流し続けることを許せば、ケイコを野生に戻すことはできません。そこで、ケイコを世話している環境保護団体のトレーナーたちは、ケイコが人々と交流できないように、ケイコを人里離れたタクネス湾に船で誘導し、そこで、ケイコの面倒をみました。湾内に閉じ込めることはしませんでしたから、ケイコは自由に湾から出入りして、ノルウェーの海を泳ぎ回っていました。
そして、もう1、2カ月すれば、野生のオルカの群れがタクネス湾の近くに泳いでくるはずでした。もし野生のオルカの群れがケイコを仲間として受け入れてくれれば、ケイコは、野生のオルカとして、一生を過ごせるだろうと、多くの人が期待していました。
しかし、2003年12月12日、ケイコは突然、急性肺炎にかかり、命を落としました。ケイコの遺骸は海岸に引き上げられて埋められ、ノルウェーの子供たちが石を積み上げて、墓を作りました。ケイコの死んだ姿は一般に公開されませんでした。
ケイコは、死ぬ直前に、親しかったトレーナーに近づきませんでした。しかし、自分から海岸に近付き、人間の前から姿を消すこともしませんでした。ケイコは人間に育てられ、死ぬまで人間が大好きなオルカでした。しかし、野生のオルカになるために人間との交流を断たれ、結局、オルカの仲間になる機会を失ったまま死にました。いっぽう、ケイコは、自分から進んで、自分の意志で大海に乗り出し、大西洋を自由に泳ぎ、野生のオルカとして死にました。水族館に飼われたオスのオルカとしては、2番目に長く生きたオルカでした。
ケイコは、水族館で飼われたオルカを野生に戻すことがいかに難しいかを示しています。ケイコの悲劇は、人間が幼いケイコを家族から引き離して捕えたことから始まったと言えます。
2016年03月11日
イルカに囲まれて癒されながらの水中出産がブーム 専門家が健康被害に警鐘
世界にはイルカに手伝ってもらって出産する方法があり、専門の会社があるほどブームになっていることをご存じでしょうか。
専門家はブームに警鐘を鳴らしている
ハワイにあるその会社の説明によると、たくさんのイルカに囲まれながら水中で出産する「dolphin-assisted birth」は、赤ちゃんの成長速度が通常よりも6か月程早く、脳も重くなる上、両手利きの子になるとのこと。海やロハスが好きな女性の中ではブームになっていて、実践する人は増えているそうです。
しかし産婦人科の専門家は、この「dolphin-assisted births」ブームに対して批判と警鐘を鳴らしているとのこと。海で行う水中出産は、有害な細菌や病原体にさらされる可能性を拭うことはできず、ブームになっている一方で、赤ちゃんや母体への健康被害について把握していない状態で行うことは危険と見なされています。
イルカと泳ぐことで自身のリラックス効果を求めた妊婦さん
一方、ハワイ在住のドリーナさんは、出産の準備のために海でイルカと泳ぐ自身の映像をYoutubeにアップしました。出産自体は水中ではなく普通に行いましたが、彼女は慣れ親しんだイルカと泳ぐことによって自分自身が美しい癒しのエネルギーを得ようと思っていたそうです。
また南米では、イルカの出す超音波は誕生前のお腹の赤ちゃんの脳を刺激し、知覚や感覚を成長させる力があるということで胎教として勧める産婦人科も増えているとか。一緒に泳ぐのはハードルが高いですが、日本でも水族館に行ったりCDを聴かせたりしてお腹の赤ちゃんにイルカの声を聴かせるといったことをしたことのある人もいるかもしれません。
徐々に進むイルカ研究とブームの危険性
日本では歴史が浅いですが、イルカの持つヒーリング効果を享受しようという「イルカセラピー」は、アメリカでは1970年代後半から研究が始まったと言われています。イルカと直接コミュニケーションを取ることで、自閉症やうつ病の治療法として期待されており、今後もますますイルカと人間の研究は進むと言われています。
衛生面や危険性を多くの専門家が指摘する「dolphin-assisted birth」は、多くの海外メディアで議論の是非を読んでいます。イルカに限らず、出産前の緊張状態を解きほぐすために自分の好きな環境でリラクゼーションを得ようとすることは多くの妊婦さんが行うことですが、ドリーナさんが妊娠中にイルカと泳いでいる動画に対しても批判は少なくありません。イルカ研究は徐々に進んではいますが、まだまだ解明されていないことが多いので「ブームだから」と、様々なことに無知な状態で取り組むのはまだ危険と言えるのかもしれません。
専門家はブームに警鐘を鳴らしている
ハワイにあるその会社の説明によると、たくさんのイルカに囲まれながら水中で出産する「dolphin-assisted birth」は、赤ちゃんの成長速度が通常よりも6か月程早く、脳も重くなる上、両手利きの子になるとのこと。海やロハスが好きな女性の中ではブームになっていて、実践する人は増えているそうです。
しかし産婦人科の専門家は、この「dolphin-assisted births」ブームに対して批判と警鐘を鳴らしているとのこと。海で行う水中出産は、有害な細菌や病原体にさらされる可能性を拭うことはできず、ブームになっている一方で、赤ちゃんや母体への健康被害について把握していない状態で行うことは危険と見なされています。
イルカと泳ぐことで自身のリラックス効果を求めた妊婦さん
一方、ハワイ在住のドリーナさんは、出産の準備のために海でイルカと泳ぐ自身の映像をYoutubeにアップしました。出産自体は水中ではなく普通に行いましたが、彼女は慣れ親しんだイルカと泳ぐことによって自分自身が美しい癒しのエネルギーを得ようと思っていたそうです。
また南米では、イルカの出す超音波は誕生前のお腹の赤ちゃんの脳を刺激し、知覚や感覚を成長させる力があるということで胎教として勧める産婦人科も増えているとか。一緒に泳ぐのはハードルが高いですが、日本でも水族館に行ったりCDを聴かせたりしてお腹の赤ちゃんにイルカの声を聴かせるといったことをしたことのある人もいるかもしれません。
徐々に進むイルカ研究とブームの危険性
日本では歴史が浅いですが、イルカの持つヒーリング効果を享受しようという「イルカセラピー」は、アメリカでは1970年代後半から研究が始まったと言われています。イルカと直接コミュニケーションを取ることで、自閉症やうつ病の治療法として期待されており、今後もますますイルカと人間の研究は進むと言われています。
衛生面や危険性を多くの専門家が指摘する「dolphin-assisted birth」は、多くの海外メディアで議論の是非を読んでいます。イルカに限らず、出産前の緊張状態を解きほぐすために自分の好きな環境でリラクゼーションを得ようとすることは多くの妊婦さんが行うことですが、ドリーナさんが妊娠中にイルカと泳いでいる動画に対しても批判は少なくありません。イルカ研究は徐々に進んではいますが、まだまだ解明されていないことが多いので「ブームだから」と、様々なことに無知な状態で取り組むのはまだ危険と言えるのかもしれません。
2016年03月09日
【イルカの小話】マン島に現れ、イギリス各地で人間と交流したドナルド
イギリスの中西部の港町リバプールの沖130キロほど北西にマン島があります。1972年3月に、マン島のセント・メリー港にオスのハンドウイルカが姿を現わし、港に出入りするボートにつき添って泳いだり、自分から人々に近づいていっしょに遊んだりして、たちまち人気者になりました。このイルカはドナルドという名で呼ばれました。
しかし、その半年後に、ドナルドが銃撃される事件が起こりました。ドナルドは体に3発の散弾による傷を負い、2発はドナルドの頭に当たりました。しかし、ドナルドは生き延びました。
一度は人間から遠ざかったドナルドは、やがて人間への信頼を取り戻し、とくにモーラ・ミッチェルという女性と親しくなります。また、作家でありイルカの保護団体 「インターナショナル・ドルフィン・ウォッチ」 を立ち上げたホーラス・ドブス博士は、モーラと共にドナルドと交流し続け、「イルカを追って–野生イルカとの交流記」という大変興味深い本を書きました。この本の中で、ドブス博士は、ドナルドが、海中からいきなり浮上して、当時13歳だった息子のアシュレイを背中にのせてセント・メリー港を一周したと書いています。まるで神話のようなこの出来事は1974年10月6日に起き、ドブス博士に深い感銘を与えました。
しかし、その5カ月ほど後の1975年3月にドナルドはセント・メリー港から姿を消しました。湾内の爆破工事がその原因だったと言われています。
ドナルドが移動した海域の地図 次にドブス博士がドナルドに出会ったのは同年8月、ウェールズ南西端のマーティンズ・ヘヴンでした。やがてドナルドは、ウェールズを離れ、さらに南下して、1977年の春にはコーンワル半島のファルマス港で、人々と交流し、船から落ちた人の命を救ったと伝えられました。そして、その1年後にコーンウォールからも姿を消したそうです。
ドブス博士は、ドナルドという1頭の野生のイルカを追って親しく交流することで、多くのことを学び、人生が変わったと述べています。以下に、博士が、本の中で述べていることを一部紹介します。
「わたしにとって、ドナルドは自由の象徴のようなものだ。ドナルドと知り合ったことがきっかけで、わたしは自分の人生を考えなおし、自分にとって何が大切なのかを問いなおした。自分にとって自由が何よりも大切だと悟らせてくれたのはドナルドだった。……聖書に出てくるソロモン王と野のユリのたとえのように、ドナルドは播きもせず刈りもせずに、自由に人と交わり、自由に海原に生きている。このドナルドの自由は神聖で、絶対に冒してはならないものだ」
「ドナルドを水族館に入れることは、その体だけでなく心も閉じ込めることだ。自由に泳ぎ回っている陽気なイルカをコンクリートの独房に監禁することなど、わたしには考えられないことだ。……イルカをとらえ、道化役者として使うことは、イルカの自発的な人間に対する友情を冒涜するものだと、わたしは考えている」
しかし、その半年後に、ドナルドが銃撃される事件が起こりました。ドナルドは体に3発の散弾による傷を負い、2発はドナルドの頭に当たりました。しかし、ドナルドは生き延びました。
一度は人間から遠ざかったドナルドは、やがて人間への信頼を取り戻し、とくにモーラ・ミッチェルという女性と親しくなります。また、作家でありイルカの保護団体 「インターナショナル・ドルフィン・ウォッチ」 を立ち上げたホーラス・ドブス博士は、モーラと共にドナルドと交流し続け、「イルカを追って–野生イルカとの交流記」という大変興味深い本を書きました。この本の中で、ドブス博士は、ドナルドが、海中からいきなり浮上して、当時13歳だった息子のアシュレイを背中にのせてセント・メリー港を一周したと書いています。まるで神話のようなこの出来事は1974年10月6日に起き、ドブス博士に深い感銘を与えました。
しかし、その5カ月ほど後の1975年3月にドナルドはセント・メリー港から姿を消しました。湾内の爆破工事がその原因だったと言われています。
ドナルドが移動した海域の地図 次にドブス博士がドナルドに出会ったのは同年8月、ウェールズ南西端のマーティンズ・ヘヴンでした。やがてドナルドは、ウェールズを離れ、さらに南下して、1977年の春にはコーンワル半島のファルマス港で、人々と交流し、船から落ちた人の命を救ったと伝えられました。そして、その1年後にコーンウォールからも姿を消したそうです。
ドブス博士は、ドナルドという1頭の野生のイルカを追って親しく交流することで、多くのことを学び、人生が変わったと述べています。以下に、博士が、本の中で述べていることを一部紹介します。
「わたしにとって、ドナルドは自由の象徴のようなものだ。ドナルドと知り合ったことがきっかけで、わたしは自分の人生を考えなおし、自分にとって何が大切なのかを問いなおした。自分にとって自由が何よりも大切だと悟らせてくれたのはドナルドだった。……聖書に出てくるソロモン王と野のユリのたとえのように、ドナルドは播きもせず刈りもせずに、自由に人と交わり、自由に海原に生きている。このドナルドの自由は神聖で、絶対に冒してはならないものだ」
「ドナルドを水族館に入れることは、その体だけでなく心も閉じ込めることだ。自由に泳ぎ回っている陽気なイルカをコンクリートの独房に監禁することなど、わたしには考えられないことだ。……イルカをとらえ、道化役者として使うことは、イルカの自発的な人間に対する友情を冒涜するものだと、わたしは考えている」
2016年03月06日
【クジラの小話】救われたザトウクジラが「すりすりして」お礼の気持ちを表した?
うそ嘘のような本当の話です。今から5年ほど前のことです。サンフランシスコの沖合いで、ザトウクジラがカニ漁のためにしかけたロープにからまってしまいました。発見されたとき、 20本あまりのロープがザトウクジラの体にぐるぐるに巻きついていました。ロープの長さは73メートルほどで、約18メートルごとにおもり錘がついていました。
クジラを助けようとしたダイバーたちは、何とかクジラをロープから解き放そうと考えました。しかし、それはひどく難しく、また、大変な危険を伴う作業でした。何しろ、ロープがザトウクジラの尾や左側の胸びれに少なくとも4重に巻きついていたのです。もしザトウクジラが巨大な尾を打ちつけたら、ダイバーの命はないと思わなければなりません。いつザトウクジラが尾びれを打ちつけてくるか、誰にも分かりません。
しかしダイバーたちは、カーブのついた特殊なナイフを使って、およそ1時間ロープを切り続けました。いっぽう、そのザトウクジラは不思議な振動音を発しながらダイバーの作業に身を任せ、じっと海に浮かんでいました。
「わたしが口の中に巻きついているロープを切っているとき、そのザトウクジラの目が、私に向かってウインクしたんだ。わたしの人生の中でも、画期的なすばらしい経験だった」と、クジラを助けるために一番始めにクジラに近づいたジェイムズ・モスキトは、そのときの様子を語っています。
クジラは、ロープから解き放たれて自由に動けるようになると、長い胸びれを優雅に動かしながらダイバーたちの周りを円を描いて泳ぎ回りました。そして、自分を救ってくれたダイバー一人一人に泳ぎよって、自分の体をすりつけたそうです。「クジラは、私たちが助けたのが分かったんだ。そして、ありがとうといったのだと思う」とモスキトは語っています。
以上は2005年12月14日に「サンフランシスコ・クロニクル」に掲載された記事の要約です。ザトウクジラはハワイ、オーストラリア、ニュージーランドだけでなく、日本でも、ホエールウオッチングの人気ものです。しかし、日本政府は、南極海の調査捕鯨でザトウクジラ50頭を捕殺する計画を取り消していません。ニュージーランドやオーストラリアなどの強い反対に、捕獲を見合わせているところです。日本政府がつかまえて殺したザトウクジラの肉は、食用に回されます。大海原でザトウクジラの豪快なジャンプを見て感動した人たちは、はたしてザトウクジラの肉を食べたいと思うでしょうか?
コマッコウクジラの親子もイルカの「モコ」にすりすりしてお礼をいったのでしょうか? 「ありがとう」と声をかけたのでしょうか? ちょっと気になりますね。でも、これは、だれにもわかりません。
クジラを助けようとしたダイバーたちは、何とかクジラをロープから解き放そうと考えました。しかし、それはひどく難しく、また、大変な危険を伴う作業でした。何しろ、ロープがザトウクジラの尾や左側の胸びれに少なくとも4重に巻きついていたのです。もしザトウクジラが巨大な尾を打ちつけたら、ダイバーの命はないと思わなければなりません。いつザトウクジラが尾びれを打ちつけてくるか、誰にも分かりません。
しかしダイバーたちは、カーブのついた特殊なナイフを使って、およそ1時間ロープを切り続けました。いっぽう、そのザトウクジラは不思議な振動音を発しながらダイバーの作業に身を任せ、じっと海に浮かんでいました。
「わたしが口の中に巻きついているロープを切っているとき、そのザトウクジラの目が、私に向かってウインクしたんだ。わたしの人生の中でも、画期的なすばらしい経験だった」と、クジラを助けるために一番始めにクジラに近づいたジェイムズ・モスキトは、そのときの様子を語っています。
クジラは、ロープから解き放たれて自由に動けるようになると、長い胸びれを優雅に動かしながらダイバーたちの周りを円を描いて泳ぎ回りました。そして、自分を救ってくれたダイバー一人一人に泳ぎよって、自分の体をすりつけたそうです。「クジラは、私たちが助けたのが分かったんだ。そして、ありがとうといったのだと思う」とモスキトは語っています。
以上は2005年12月14日に「サンフランシスコ・クロニクル」に掲載された記事の要約です。ザトウクジラはハワイ、オーストラリア、ニュージーランドだけでなく、日本でも、ホエールウオッチングの人気ものです。しかし、日本政府は、南極海の調査捕鯨でザトウクジラ50頭を捕殺する計画を取り消していません。ニュージーランドやオーストラリアなどの強い反対に、捕獲を見合わせているところです。日本政府がつかまえて殺したザトウクジラの肉は、食用に回されます。大海原でザトウクジラの豪快なジャンプを見て感動した人たちは、はたしてザトウクジラの肉を食べたいと思うでしょうか?
コマッコウクジラの親子もイルカの「モコ」にすりすりしてお礼をいったのでしょうか? 「ありがとう」と声をかけたのでしょうか? ちょっと気になりますね。でも、これは、だれにもわかりません。