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2020年07月08日
20年以上ニートをしている父親の生態
初めましての方は初めまして。とある働くのが不得意な人です。
今回、タイトルが不穏だなと感じた方が多いと思います。いやまぁ人によっては違うかもしれませんが。
まぁ今回はタイトル通りのお話です。
私は生まれてからまだ20そこそこぐらいです。人は成長していくにつれて色んな人と関わることになりますよね。学校の友達だとかアルバイト先の人たち会社の先輩後輩同僚だったり。
その関わりの中で1回は出てくる話があると思うんですよ。家族の話が。
「何人家族なの〜?」とか「お父さんお母さんの仕事はなに?」とかとかとか。
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で、私は小学生のころからおかしいな、変だなと思っていたことがありました。
それは父親が毎日家にいること。
「え?そこに住んでるんなら普通じゃない?どこも変じゃないじゃん。」
って思った方が多いと思います。普通なら確かにそうですね。
でも朝も昼も夜も家にいるんですよ。毎日オンラインゲームしてタバコを吸って好きなもの飲んで食べて。
たまにいないなと思って母親に聞くと遊びに行ったと言われました。
私は姉がいるので姉に聞くとパチンコに行ったと言われました。
不思議でした。働いていないのに遊びに行けるお金があることが。
で、友達の両親の話を聞くと両親二人とも働いているのが普通でした。なかには専業主婦の家庭もありましたが、私のところとは反対なんだなと感じました。
そして成長し中学生に。ニートという言葉を知りました。
言葉を知り、意味を知りました。まさに私の父親のことでした。まぁ正確には年齢の部分(ニートとは15~34歳で未婚)は超えていますので当てはまらないのですが。
中学生に成長し、色々な知識を付けていく中、急に父親がニートであるということに恥ずかしくなったのです。
家族の話を振られても父親のことは言いたくないので誤魔化していました。
そして私が中学生のころにはパチンコに行くことも隠さなくなっていました。
私の目の前で母親に金を貸してくれと言い、ひどいときは日に何回も言って借りていきパチンコに行きました。借りると言っていましたがおそらく返したところを見たことは無かったと思います。
そして私が高校生になったころ、父親はさらに変化していました。態度も言葉も。
まず私に必要以上にアルバイトをしろと言ってきました。高校生だからアルバイトできるだろ、と。
しかもそれは父親が私のためを思ってではなく、母親のためにという名目で言ってきたのです。
私は思いました。「いや、それならお前がまず働けよ」と。
そしてその思いは中学生のころに父親に言ったことがありました。返ってきた言葉はこうでした。
「俺は昔の仕事の影響で足を怪我し腰も壊したから働けない」とのこと。
そのわりにはパチンコ行く元気あるじゃん。お酒も飲むじゃん。腰壊したとか言っておきながら長時間ゲームしてるじゃん。と言いかけたところで、昔それに近いことを言った時に殴られたことを思い出し、それ以上言わないことにしました。
つまりまぁこの頃よりも前から毒親だったのです。ニートで毒親。最悪ですね。
結局私はなんだかんだあり高校3年の冬にバイトを少しだけしました。コンビニバイトでしたね。今思うとものすごく良くしてくれたところでした。なぜその時期にアルバイトを始めたのかというと、私は大学に進まずに働くことにしたからでした。しかしアルバイト経験すらもない状態で仕事を始めるのもどうかと思い、3ヶ月間だけ学校帰りに17時~22時までアルバイトをすることにしたのです。
そして私は社会人になりました。介護の仕事に就くことになりました。
そしてここから毒親のスイッチを切ることをしなくなったみたいです。
最初に言われたのが、稼いだ金額から毎月6万円払え、でした。
最初はそれだけでした。ところが初任給が入ったときにその金で飯を奢れと言われました。
初任給はそうするものだと。私の初任給は12~3万円ほどでしたので毎月の分とその奢りで手元に残ったのは3万円ぐらいでした。
そして今まで言われたことのなかった父の日や母の日なんかのイベント日の数日前にまるで催促するかのように言ってくるようになりました。
そしてあるときこう言ってきました。
「金いくらか貸してくれ」
もうもはや隠すこともしなくなりました。自分の遊びのために身内から息子から娘から金を奪うことをするようになりました。実は以前にも似たようなことをされたことがありました。それは私が中学生のころに学校から帰ってくるといつも遊んでいるゲームソフトとゲーム機をパチンコの金に換えていた、なんてことがありました。
貸して返ってくる保証がないのでいつ返してくれるのか聞きました。
すると耳を疑うことを言ってきました。
「来月にもらえる小遣いから返すから」と言われたのです。
つまり数十年も父親は働かずに母親から小遣いをもらっていたということが分かったのです。
私はそのころから私が働いた金も父親の遊ぶ金にされてるんだと思うと、一気に働く気力がなくなりました。
介護の仕事のストレスと家にいるときのストレスが重なり、私は介護の仕事を辞めることにしました。
貯金はあったので、しばらく身体と心を休めてから別の仕事を始めようと思っていました。
ですが、父親は私が仕事を辞めたと知ったときものすごい勢いで責めてきました。
私は父親が1ヶ月で仕事を辞めたとき何も言わなかったのに、私が2年近く働き辞めたときにものすごく責めてきました。更にストレスが加速しました。
そして私がアルバイトをすることになったときに次は辞めるなよみたいな圧をかけてくることが増えました。
顔を合わせれば「次のバイトはいつだ」とか「介護の仕事に戻った方が金が入るだろ」とかを言ってくるようになりました。
結局バイトも続けれなくなり辞めることになりました。
そしてニートの父親にニートと呼ばれるようになりました。
そして最近ですが、私は家を出ていけと言われました。いまもニートの父親に。
私が甘いからというのもありますが、さすがにもう疲れてしまいました。
私と同じ環境の人は少ないかと思いますが、その方たちはすぐに原因から離れるのをおすすめします。
失敗した成れの果てが私という結果です。皆さんにはそうなってほしくないと思います。
今回、タイトルが不穏だなと感じた方が多いと思います。いやまぁ人によっては違うかもしれませんが。
まぁ今回はタイトル通りのお話です。
私は生まれてからまだ20そこそこぐらいです。人は成長していくにつれて色んな人と関わることになりますよね。学校の友達だとかアルバイト先の人たち会社の先輩後輩同僚だったり。
その関わりの中で1回は出てくる話があると思うんですよ。家族の話が。
「何人家族なの〜?」とか「お父さんお母さんの仕事はなに?」とかとかとか。
クラウドソーシング・在宅ワークなら【Craudia(クラウディア)】
で、私は小学生のころからおかしいな、変だなと思っていたことがありました。
それは父親が毎日家にいること。
「え?そこに住んでるんなら普通じゃない?どこも変じゃないじゃん。」
って思った方が多いと思います。普通なら確かにそうですね。
でも朝も昼も夜も家にいるんですよ。毎日オンラインゲームしてタバコを吸って好きなもの飲んで食べて。
たまにいないなと思って母親に聞くと遊びに行ったと言われました。
私は姉がいるので姉に聞くとパチンコに行ったと言われました。
不思議でした。働いていないのに遊びに行けるお金があることが。
で、友達の両親の話を聞くと両親二人とも働いているのが普通でした。なかには専業主婦の家庭もありましたが、私のところとは反対なんだなと感じました。
そして成長し中学生に。ニートという言葉を知りました。
言葉を知り、意味を知りました。まさに私の父親のことでした。まぁ正確には年齢の部分(ニートとは15~34歳で未婚)は超えていますので当てはまらないのですが。
中学生に成長し、色々な知識を付けていく中、急に父親がニートであるということに恥ずかしくなったのです。
家族の話を振られても父親のことは言いたくないので誤魔化していました。
そして私が中学生のころにはパチンコに行くことも隠さなくなっていました。
私の目の前で母親に金を貸してくれと言い、ひどいときは日に何回も言って借りていきパチンコに行きました。借りると言っていましたがおそらく返したところを見たことは無かったと思います。
そして私が高校生になったころ、父親はさらに変化していました。態度も言葉も。
まず私に必要以上にアルバイトをしろと言ってきました。高校生だからアルバイトできるだろ、と。
しかもそれは父親が私のためを思ってではなく、母親のためにという名目で言ってきたのです。
私は思いました。「いや、それならお前がまず働けよ」と。
そしてその思いは中学生のころに父親に言ったことがありました。返ってきた言葉はこうでした。
「俺は昔の仕事の影響で足を怪我し腰も壊したから働けない」とのこと。
そのわりにはパチンコ行く元気あるじゃん。お酒も飲むじゃん。腰壊したとか言っておきながら長時間ゲームしてるじゃん。と言いかけたところで、昔それに近いことを言った時に殴られたことを思い出し、それ以上言わないことにしました。
つまりまぁこの頃よりも前から毒親だったのです。ニートで毒親。最悪ですね。
結局私はなんだかんだあり高校3年の冬にバイトを少しだけしました。コンビニバイトでしたね。今思うとものすごく良くしてくれたところでした。なぜその時期にアルバイトを始めたのかというと、私は大学に進まずに働くことにしたからでした。しかしアルバイト経験すらもない状態で仕事を始めるのもどうかと思い、3ヶ月間だけ学校帰りに17時~22時までアルバイトをすることにしたのです。
そして私は社会人になりました。介護の仕事に就くことになりました。
そしてここから毒親のスイッチを切ることをしなくなったみたいです。
最初に言われたのが、稼いだ金額から毎月6万円払え、でした。
最初はそれだけでした。ところが初任給が入ったときにその金で飯を奢れと言われました。
初任給はそうするものだと。私の初任給は12~3万円ほどでしたので毎月の分とその奢りで手元に残ったのは3万円ぐらいでした。
そして今まで言われたことのなかった父の日や母の日なんかのイベント日の数日前にまるで催促するかのように言ってくるようになりました。
そしてあるときこう言ってきました。
「金いくらか貸してくれ」
もうもはや隠すこともしなくなりました。自分の遊びのために身内から息子から娘から金を奪うことをするようになりました。実は以前にも似たようなことをされたことがありました。それは私が中学生のころに学校から帰ってくるといつも遊んでいるゲームソフトとゲーム機をパチンコの金に換えていた、なんてことがありました。
貸して返ってくる保証がないのでいつ返してくれるのか聞きました。
すると耳を疑うことを言ってきました。
「来月にもらえる小遣いから返すから」と言われたのです。
つまり数十年も父親は働かずに母親から小遣いをもらっていたということが分かったのです。
私はそのころから私が働いた金も父親の遊ぶ金にされてるんだと思うと、一気に働く気力がなくなりました。
介護の仕事のストレスと家にいるときのストレスが重なり、私は介護の仕事を辞めることにしました。
貯金はあったので、しばらく身体と心を休めてから別の仕事を始めようと思っていました。
ですが、父親は私が仕事を辞めたと知ったときものすごい勢いで責めてきました。
私は父親が1ヶ月で仕事を辞めたとき何も言わなかったのに、私が2年近く働き辞めたときにものすごく責めてきました。更にストレスが加速しました。
そして私がアルバイトをすることになったときに次は辞めるなよみたいな圧をかけてくることが増えました。
顔を合わせれば「次のバイトはいつだ」とか「介護の仕事に戻った方が金が入るだろ」とかを言ってくるようになりました。
結局バイトも続けれなくなり辞めることになりました。
そしてニートの父親にニートと呼ばれるようになりました。
そして最近ですが、私は家を出ていけと言われました。いまもニートの父親に。
私が甘いからというのもありますが、さすがにもう疲れてしまいました。
私と同じ環境の人は少ないかと思いますが、その方たちはすぐに原因から離れるのをおすすめします。
失敗した成れの果てが私という結果です。皆さんにはそうなってほしくないと思います。