2014年05月05日
イギリスブランド プレタポルテパート4
イギリスブランドの老舗ですね。個人的にはトレンチコートのイメージが強いです。
服に関しては、新品では手に入らないかもです。
現在は別会社が受け継いでるんかなぁ?
定かではないです。
ブランド:Aquascutum
1851年、ジョン・エマリーが「アクアスキュータム」を開始。
アクアスキュータムについて
1851年、ジョン・エマリー(John Emary)がロンドンのリージェント・ストリート(Regent Street)に高級紳士服店「エマー&カンパニー」をオープン。
53年、防水加工を施したウール地を開発。この素材で仕立てたレインコートがビクトリア時代の紳士達の最先端ファッションとして普及。同時に、店の名前をアクアスキュータムと改称。これはラテン語で「水(Aqua)」と「楯(Scutam)」を組み合わせた造語で「防水」を意味する。
54年、極寒のロシアでのクリミア戦争で防水性のコートが将校達に支持された。軽騎兵に突撃の合図をする際、もっと腕を動かしやすいようにとの要請で、ラグラン袖を考案したのもアクアスキュータムの裁断師である。
着道楽で有名だったエドワード七世も、雨の日のセント・ジェームズ宮殿で側近達の着ていた水を弾くコートに魅せられ、ここからその名声がヨーロッパの王室に広まった。1897年、エドワード七世(当時はエドワード王子)から王室御用達の勅許状を賜り、名実ともに英国を代表するブランドとなる。
1890年代の終わり頃、古い店舗から、現在の住所でもあるリージェント・ストリートの角のビルに移転。 防水加工の施された婦人物のコートの生産も開始。
1927年、アクアスキュータムでそれまで主流だったウール地に加え、第1次世界大戦中の塹壕戦の時に着用され有名になったトレンチ・コートを男性・女性両用に改良して発表。
48年、ニューヨークに進出し、エンパイヤ・ステートビルにショールームを構えたが、間もなく東37番街に移転。その後、さらに広いスペースを持つ五番街に再度移転。カナダのモントリオールには、北アメリカ大陸中の何百という小売店に商品を供給するための工場を建設。 20年から36年にかけてエドワード七世の孫にあたる後のウィンザー公から、さらに52年には皇太后陛下からも王室御用達の勅許状を賜る。
53年、エドマンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイはエベレスト山を征服したが、その時着ていたフードつきのジャケットとズボンは「ウィンコル D.711」という木綿とナイロンを混紡した布地で作られていた。風洞実験で時速100マイルの風力に耐えたこの素材は、後にアクアスキュータムのレインコート地に使われた。
イギリスではバーバリーと並んで権威あるブランドに成長した。
2000年、イギリス人デザイナー、マイケル・ハーツ(Michael Herz)がレディース・チーフデザイナーに就任。2001年、グレアム・フィドラー(Graeme Fidler)がメンズのデザイナーに就任。同年の「リミテッド・コレクション」シリーズを発表。「リミテッド・コレクション」とは、アクアスキュータムが歴代の逸品を集めて保存しているコレクションである「アーカイブ・コレクション」から得たインスピレーションをもとに、現代風にアレンジしたコートのコレクション。
2010年、マイケル・ハーツとグレアム・フィドラーがデザイナーを辞任。彼らはバリーのデザイナーに就任した。
1990年、日本のレナウンの傘下に入るが、リストラの一環で2008年にアクアスキュータム展開する子会社を売却した。その後、イエーガーなどを経営するハロルド・ティルマンの企業グループの傘下として再建を目指したが、赤字続きのため2012年に経営破綻を発表した。
アパレル関係以外にも、眼鏡、筆記具、靴、寝具、ジュエリーなど様々なアイテムを展開。日本へは60年代に進出し、サブ・ライセンスは21社にものぼる。
https://fanblogs.jp/qoo0805/
http://max-store777.com
服に関しては、新品では手に入らないかもです。
現在は別会社が受け継いでるんかなぁ?
定かではないです。
ブランド:Aquascutum
1851年、ジョン・エマリーが「アクアスキュータム」を開始。
アクアスキュータムについて
1851年、ジョン・エマリー(John Emary)がロンドンのリージェント・ストリート(Regent Street)に高級紳士服店「エマー&カンパニー」をオープン。
53年、防水加工を施したウール地を開発。この素材で仕立てたレインコートがビクトリア時代の紳士達の最先端ファッションとして普及。同時に、店の名前をアクアスキュータムと改称。これはラテン語で「水(Aqua)」と「楯(Scutam)」を組み合わせた造語で「防水」を意味する。
54年、極寒のロシアでのクリミア戦争で防水性のコートが将校達に支持された。軽騎兵に突撃の合図をする際、もっと腕を動かしやすいようにとの要請で、ラグラン袖を考案したのもアクアスキュータムの裁断師である。
着道楽で有名だったエドワード七世も、雨の日のセント・ジェームズ宮殿で側近達の着ていた水を弾くコートに魅せられ、ここからその名声がヨーロッパの王室に広まった。1897年、エドワード七世(当時はエドワード王子)から王室御用達の勅許状を賜り、名実ともに英国を代表するブランドとなる。
1890年代の終わり頃、古い店舗から、現在の住所でもあるリージェント・ストリートの角のビルに移転。 防水加工の施された婦人物のコートの生産も開始。
1927年、アクアスキュータムでそれまで主流だったウール地に加え、第1次世界大戦中の塹壕戦の時に着用され有名になったトレンチ・コートを男性・女性両用に改良して発表。
48年、ニューヨークに進出し、エンパイヤ・ステートビルにショールームを構えたが、間もなく東37番街に移転。その後、さらに広いスペースを持つ五番街に再度移転。カナダのモントリオールには、北アメリカ大陸中の何百という小売店に商品を供給するための工場を建設。 20年から36年にかけてエドワード七世の孫にあたる後のウィンザー公から、さらに52年には皇太后陛下からも王室御用達の勅許状を賜る。
53年、エドマンド・ヒラリーとシェルパのテンジン・ノルゲイはエベレスト山を征服したが、その時着ていたフードつきのジャケットとズボンは「ウィンコル D.711」という木綿とナイロンを混紡した布地で作られていた。風洞実験で時速100マイルの風力に耐えたこの素材は、後にアクアスキュータムのレインコート地に使われた。
イギリスではバーバリーと並んで権威あるブランドに成長した。
2000年、イギリス人デザイナー、マイケル・ハーツ(Michael Herz)がレディース・チーフデザイナーに就任。2001年、グレアム・フィドラー(Graeme Fidler)がメンズのデザイナーに就任。同年の「リミテッド・コレクション」シリーズを発表。「リミテッド・コレクション」とは、アクアスキュータムが歴代の逸品を集めて保存しているコレクションである「アーカイブ・コレクション」から得たインスピレーションをもとに、現代風にアレンジしたコートのコレクション。
2010年、マイケル・ハーツとグレアム・フィドラーがデザイナーを辞任。彼らはバリーのデザイナーに就任した。
1990年、日本のレナウンの傘下に入るが、リストラの一環で2008年にアクアスキュータム展開する子会社を売却した。その後、イエーガーなどを経営するハロルド・ティルマンの企業グループの傘下として再建を目指したが、赤字続きのため2012年に経営破綻を発表した。
アパレル関係以外にも、眼鏡、筆記具、靴、寝具、ジュエリーなど様々なアイテムを展開。日本へは60年代に進出し、サブ・ライセンスは21社にものぼる。
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