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2015年07月08日

日本企業に課長は不要なのか?

邪魔にされがちな「課長」 ソニーでは管理職の半数が格下げ

日本企業の「課長」について多角的に取材し、議論している。「課長」は必要な存在なのだろうか。

 ソニーでは、年功要素ゼロの「ジョブグレード制」が新たに導入され、現在の役割のみに基づき社員を格付けし、給与をこれにリンクさせる。この制度変更で、社員の4割を超えていた管理職の半数が格下げされたという。平井一夫社長が報酬委員会の社外取締役たちに守られて(? )3億円を超える報酬を取る一方で、ソニーの課長級管理職たちにとっては厳しい措置だ。

 「AERA」の記事によるとソニーの新制度は「マネジメント等級群」と「インディビジュアルコントリビューター等級群」に分かれ、前者の最下級である「M6」は「統括課長」に対応しており、「今後は課長以上のポストに就く人は厳選される」とのことだ。課長が完全消滅するわけではなさそうだが、方向性は課長削減に向かっている。

 他方、ライバル企業であるパナソニックは、14年ぶりに部課長制を復活する。こちらは真逆の方向性だ。目的は「部下の育成」にあるといい、1人の管理職が見る部下の数は約7人だ。意思決定の迅速化のために組織をフラット化したが、人材育成力が弱まったことが反省点となって、制度改正につながったという。

 筆者がこれまでに勤めた13社には、課長がある会社もない会社もあったが、印象的だったのは、1980年代初頭の三菱商事が、「課」と「課長」を、「チーム」と「チームリーダー」に置き換えたケースだ。これは、「課長級」のポストに上げて処遇したい社員が増えたにもかかわらず、それだけの数の「課」を用意することができなくなったことに伴う苦肉の策だった。当時、課の呼称を「チーム」に変えて「チームリーダー」を作る一方で、社外向けに「課長」という肩書きは残った。

 筆者は為替のディーリングの部署にいたが、隣の銀行のチーフディーラーから電話がかかってきて、「おたくのチアリーダーはいらっしゃいますか」とからかわれ、何やら恥ずかしかったことを覚えている。




 ちなみに、部や課といった部署と、部長、課長といった肩書きは分離されることが、今の企業でもしばしばある。

 例えば部長の場合、部下を率いて部の責任者となっている「ライン部長」と、部に所属しているが部下を持たず本人の肩書きが部長級であるということにとどまる「部付き部長」とでは、大差で前者が偉く、ビジネス上は重要人物であるというのが、一般的なビジネス常識だ。すなわち、「財務部長」という肩書きの方が「財務部 部長」よりも、ずっと偉い。

 さて、会社の規模にもよるし、呼称も「チーム」、「グループ」など様々だが、数人から十数人程度の「課」は必要であろうか。

 大まかに整理すると、部の下に課があるような階層構成は、デメリットとして意思決定を遅くするが、仕事の質を管理してミスを減らすことと部下の育成を図ることの二点においてメリットがある。

 確かに、「意思決定は遅くてもいいが、ミスは減らしたい」という行動原理の組織である中央官庁には、しっかりと「課」がある。

 一方、変化の激しい業界と関わる人や、論理で考える職業の人が多いNewsPicksのコメンテーター陣は、概して「課長なんて要らない」という論調が多い。

課長の廃止は会社にとって 人件費圧縮の面で魅力的

 課長をやめて、仕事の役割で給与を決める「役割給」の導入は、外資系の人事コンサルティング会社のアドバイスなどを使って、広く行われているようだ。この制度変更の際には、年功で課長になって、課長になったら課長待遇の報酬(給料+ボーナス)をもらうという仕組みで膨れあがった人件費を圧縮する効果があるのが通例だ。

 業績が不振な会社にあって魅力的だし、今後は業績不振の会社ではなくともROE(自己資本利益率)を向上させることを強く求められる経営者にとって、人件費圧縮は高度なアイデアを要さない手軽な戦略だ。役割給はまだ流行るかもしれない。

 一つ一つのポストに会社から見た価値に見合った報酬を払い、加えて、目標の達成度合いに応じて報酬を加減するというスタイルは、会社の経営管理層(主に「経営企画部」といった名前の部署にいる社長の茶坊主のような人々)から見て合理的に映り、管理の手段としても好都合だ。人事コンサル会社は、こうした「顧客層」に上手く食い込んでいるように見える。




 だが、こうした「陰気な成果主義」とでも呼ぶべき人事管理は、一つには変化する環境に対して動きが遅くなりがちだし、もう一つには成果に対する報酬システムとして硬直的であるために、外資系の投資銀行などでよくあるような「陽気な成果主義」と比較した場合に、大きな成果を上げたプレーヤーにとって納得性の乏しいものになりがちだ。すなわち、最も重要な人物に対する、モチベーション喚起において弱い。

 一般に、「課長級」の人材の報酬は、基本的に市場価値に応じて形成されるべきものだろう。

 また、成果に応じて払う、能力に応じて払う、市場価値に応じて払う、のいずれの考え方を採るとしても、中堅以上の社員への報酬は、「等級」に応じて決めるのではなく、それぞれのマネージャーと個別交渉して決めるべきものではなかろうか。

 等級別の人事管理システムは、人の管理方法として雑でもあるし、報酬の決定(できれば採用や解雇も)に関与しない上司が真に権限を発揮できないことから、「現場の弱さ」を生んでいるように思う。

 いずれの企業にあっても、「課長」と呼ぶかどうかはともかく、「課長級」の人材の報酬は柔軟に決めるべきものだろう。

 「課長」という肩書きは 便利なモチベーション喚起装置

 前述のように、「課長」という存在は、おおむねNewsPicksのコメンテーター陣から人気がない。彼らには「つまらなく」見えるのだろう。

 だが、一方で、世間は「課長」という肩書きにまだまだ一定のイメージを持っている。また、少々見方を変えると、「課長」という肩書きは、中堅社員のやる気を多額の金銭を掛けずに安上がりに買うことができる便利なモチベーション喚起装置ではないだろうか(管理職にすると残業代を払わなくていいといったブラックでセコい話はここではやめておくが)。

 一人ひとりのプレーヤーが勝手に育とうとするのと同時に、常に外部人材との入れ替えを含む競争に晒されて、主たるモチベーション喚起の手段はお金であった全盛期の外資系投資銀行のような組織だと、「パートナー」(=偉い人)、「VP(「ヴァイス・プレジデント」=ヒラでない人)、「アソシエイト」(=ヒラ社員)というくらいの区別で十分だった。だが、こうした組織でも、最近は、パートナーとVPの間に「ディレクター」を挟んだり、「MD(マネージング・ディレクター)といった中二階的なポストを作ったりして、モチベーションを喚起しようとしている。彼らのような超金銭合理主義的な集団でも、「稼いだら、ボーナス! 」という基本原理だけでなく、肩書きの効果を併用している。




 まして、日本人は、多くの物事を「兵隊の位」に喩えて理解した故・山下清画伯と同様に、地位には大変敏感なのだから、「課長」はもっと大切に扱うべき資産ではなかろうか。日本のサラリーマン文化が培ってきた文化遺産であり、有効に使いたい。

 この際、「○○ビジネス・ユニット・××グループリーダー」のような日本語の会話で発音するにも名刺に刷るにも冗長で、具体的役割(と「偉さ! 」)がイメージしづらい肩書きはやめて、「○○部××課長」を大規模に復活させてはどうだろうか。

 ただし、「長」と付く以上、部下ないし、指導する対象が必要だ。「課長」には、最低限、後進(年上でも構わない)の育成の役割を持たせたい。

人材の指導・育成には有効 報酬は個別交渉で決めるべき

まとめ

 意思決定のスピードを重視する場合、「課」は余計な管理単位になることがある。一方、業務の正確性の確保やノウハウの継承・人材育成などには、「課」という単位が有効な場合が多い。

 スピードを重視する場合の折衷案は、管理の単位として部を置いて部長に責任を持たせ、主に部下の指導・育成の責任者として「課長」を置くことだろう。実態として、このようになっている日本の会社は多いのではないだろうか。

 指導・育成が主な役割なら、「課長」という肩書きは、長期間剥奪せずに高齢の社員にも与えておくことができる。

 他方、課長も部長も、中堅層以上の社員の報酬は、個別化して交渉で決めるべきだろう。転職がこれだけ一般化し容易になった世の中で、市場価値を意識しない人材マネジメントが上手くいくはずがない。

 なお、ビジネス上の意思決定のスピードをアップするためには、「トップ」(実質的には社長の取り巻き層)と「現場」の間の距離を縮めるよりも、おそらくは「部長」くらいになるだろうが、現場に近いマネージャーの権限を強化することの方が効率的な場合が多いのではないかと考える。
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