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幼なじみとの修羅場

幼なじみという存在に対して、私たちは何か妄想を抱いてはいないですか。
恐らく、幼なじみとの恋愛が描かれたフィクションを見慣れているからでしょうね。
つまり、幼なじみはどんなときでもそばにいて、自分を支えてくれる存在であると。
さらには、幼なじみは、自分がほかの女の子を追いかけていても、ずっと自分を待ってくれていると。
無償の愛を与えてくれるのが、幼なじみの存在する理由でもあるのだと、思っていませんか。
だいだい、幼なじみには同性もいる以上、恋愛関係が当たり前ということはないでしょう。
それに、もし幼なじみと恋愛関係になったとしても、現実には修羅場というものがあり得ます。

幼なじみとの、恋愛関係のもつれによる修羅場なんて、どれほどフィクションの作り手の妄想をかきたてることか。
いや、実際にも幼なじみとの恋愛関係がもつれて修羅場になることはあるでしょう。
しかし、フィクションでは幼なじみとの修羅場なんて、いかにも絵になる場面ではありませんか。
ずっと一緒に育ってきた幼なじみが、思春期を迎え、ただのお友達じゃいられなくなる。
そして、幼なじみが他に好きな人がいると知って、ショックを受け、修羅場となる。
なかなかいいです、幼なじみの修羅場を使って、ドラマが作れそうな気分になってきました(笑)
こう考えてみると、幼なじみという設定が恋愛もののフィクションに使われる理由がわかる気がします。
修羅場を迎える幼なじみ同士の恋なんて、なんというか、甘酸っぱくも切ないです。

幼なじみとの修羅場なんて、現実にはいったいどれだけの人が経験するのでしょうか。
修羅場とは、恋愛関係のもつれだけとは限らず、激しく戦うのも修羅場と呼ばれます。
たとえば、幼なじみ同士が会社で奮闘し、仕事上の危機を乗り越えるのも修羅場でしょう。
または、戦争に行った幼なじみ同士が過酷な戦場で生き抜くというのも、修羅場です。
この場合、幼なじみ同士は敵として出会ってしまったというのが、ドラマとしてはいいですね。
恋愛以外でもいろいろな修羅場を考えさせてくれる幼なじみは、フィクションにとっては、ありがたい存在なのですね。
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