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2014年02月02日
これが越後守包貞(二代)だ!
売切御免
日本美術刀剣保存協会未鑑定 掘り出し物 日本刀
刃長:二尺一寸五分五厘) 反り:寸三分 穴2
白鞘入り
二代 越後守包貞の作
この越後守包貞(二代)は押川光俊殿(明治32年6月3日生)が所有していたもので、高知県にて、昭和21年11月22日に刀剣類所持許可證を受理されおり、その古い許可証も私が所有しております。その許可証の備考にはB級とみられる文字があります。(写真で閲覧できるようにしておきます。)
旧所有者の押川光俊殿は、押ノ川の大資産家で、泥谷俊壯をやとって経営した大病院が宿毛病院であります。押川光俊の母勢以が結核にかかって、病院がないため手おくれとなって死亡し、その時設備のととのった大病院の必要さを痛感した押川氏は、母の供養のためにもと、全財産をそそぎ宿毛の街の西はずれに大正14年、入院室52(ベッド250)内科、外科、小児科、産婦人科、面積五反歩余という大病院を建て泥谷俊壯や医学博士平井進をやとって、病院経営をはじめました。しかし、病院経営は思うようにいかず、ついに赤字となリ、昭和5年に押川氏は病院を手ばなし、泥谷氏が経営していたが戦時中に日本医療団宿毛病院となり、更に終戦後県立宿毛病院となりましたが、今日、はたけんみん病院として現在に至っています。
その他にはインターネットで(http://fujihara.cocolog−nifty.com/tanka/2012/03/post−aac4.html)
「(前略)内務省は義勇隊の編成を進め、5月末組織完了を目指した。そうして義勇隊は、敵が四国に上陸した時、小銃等の武器はなくても、竹槍、鎌等を持って戦う気概を養う為、海岸や河原において銃剣術と同じような竹槍訓練を行なった。宿毛町においては押ノ川出身の押川光俊中尉を隊長とし、軍隊経験者10名が指導者となり、100名位の男子が橋上小学校で合宿して竹槍訓練を受けていた。三八式歩兵銃は少しはあったがほとんど竹槍で、食糧はニノ宮地区の奉仕があり、終戦迄訓練が続いた。(宇須々木 松岡長吉氏談)=(ウエブサイト「宿毛市史【近代、現代編−軍事−宿毛湾の防備】)。」とあります。
また、押川家の参考資料として、(http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=EUiEJlf_naUJ&p=%E6%8A%BC%E5%B7%9D+%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E5%AE%88%E5%8C%85%E8%B2%9E&u=www.eonet.ne.jp%2F%7Ebusyo%2Fsengoku%2Fl_o.htm)
押川正重(おしのかわ まさしげ) ????〜????
○権左衛門
◇父:押川内蔵助
土佐・一条氏臣にて、代々押之川城主の家柄。しかし、土佐・長宗我部氏の侵攻に従い、1575年以降これに従う。1600年長宗我部氏没落後は藤堂高虎の下に身を寄せ、その臣藤堂玄蕃良重に仕える。大坂の陣にも出陣。夏の陣にて良重が重傷を負った際、これをかついで、戦場を離脱、高虎に賞される。同年1000石を賜るが、分知を願い出、親兄弟に分け与えた。
私が父から相続した御刀は、父が生前、私に次のように伝えました。
「これは、宿毛の病院経営者から購入したものだが、その方は城持ちの家柄で大変な金持ちだった。関ヶ原の合戦後は藤堂家の家臣で、藤堂家から譲り受けたといわれる銘刀だということだ。」
インターネットでそれらの歴史を調べることができました。父の伝えた話は、歴史的にも繋がり整合性のとれることでした。
その刀は、或は実践で使われた、または試し切りされたことは否めませんし、父が刀磨ぎに出したことは否めません。
ですから、B級とみられる備考は正直に言って、本当にB級という意味で、当時されていた評価だったのかもしれません。
しかし、父が刀磨ぎに出したのかもしれませんが、現在は刃に錆や刃こぼれはございません。
また、日本美術保存協会の鑑定は受けてないし、折角の重要刀剣としてのお墨付きも受けてはおりません。
ですが、私が銘や波紋や白鞘のつくりをみても、二代目、越後守包貞であることは明白ですし、これを見て下さる刀好きの方やプロの方は見間違うはずはないでしょう。ですから、鑑定の必要はありません。 素人に売るのではないのですから。
二代 越後守包貞 ヤフオク出品画像
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box−l−fwvdgax3il2xq3giqveshvc3zu−1001&uniqid=fc2e4b10−6772−41f2−86c4−7a6737594355
トラックバック(越後守包貞/出品物ではありません/鑑別の参考として閲覧して下さい)
http://samurai−nippon.net/V−1122/index.html
http://www.sanmei.com/contents/media/T60103_S2820_PUP.htm
http://kendonews.at.webry.info/201304/article_154.html
http://www.samurai-nippon.net/V-695/
日本美術刀剣保存協会未鑑定 掘り出し物 日本刀
刃長:二尺一寸五分五厘) 反り:寸三分 穴2
白鞘入り
二代 越後守包貞の作
この越後守包貞(二代)は押川光俊殿(明治32年6月3日生)が所有していたもので、高知県にて、昭和21年11月22日に刀剣類所持許可證を受理されおり、その古い許可証も私が所有しております。その許可証の備考にはB級とみられる文字があります。(写真で閲覧できるようにしておきます。)
旧所有者の押川光俊殿は、押ノ川の大資産家で、泥谷俊壯をやとって経営した大病院が宿毛病院であります。押川光俊の母勢以が結核にかかって、病院がないため手おくれとなって死亡し、その時設備のととのった大病院の必要さを痛感した押川氏は、母の供養のためにもと、全財産をそそぎ宿毛の街の西はずれに大正14年、入院室52(ベッド250)内科、外科、小児科、産婦人科、面積五反歩余という大病院を建て泥谷俊壯や医学博士平井進をやとって、病院経営をはじめました。しかし、病院経営は思うようにいかず、ついに赤字となリ、昭和5年に押川氏は病院を手ばなし、泥谷氏が経営していたが戦時中に日本医療団宿毛病院となり、更に終戦後県立宿毛病院となりましたが、今日、はたけんみん病院として現在に至っています。
その他にはインターネットで(http://fujihara.cocolog−nifty.com/tanka/2012/03/post−aac4.html)
「(前略)内務省は義勇隊の編成を進め、5月末組織完了を目指した。そうして義勇隊は、敵が四国に上陸した時、小銃等の武器はなくても、竹槍、鎌等を持って戦う気概を養う為、海岸や河原において銃剣術と同じような竹槍訓練を行なった。宿毛町においては押ノ川出身の押川光俊中尉を隊長とし、軍隊経験者10名が指導者となり、100名位の男子が橋上小学校で合宿して竹槍訓練を受けていた。三八式歩兵銃は少しはあったがほとんど竹槍で、食糧はニノ宮地区の奉仕があり、終戦迄訓練が続いた。(宇須々木 松岡長吉氏談)=(ウエブサイト「宿毛市史【近代、現代編−軍事−宿毛湾の防備】)。」とあります。
また、押川家の参考資料として、(http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=EUiEJlf_naUJ&p=%E6%8A%BC%E5%B7%9D+%E8%B6%8A%E5%BE%8C%E5%AE%88%E5%8C%85%E8%B2%9E&u=www.eonet.ne.jp%2F%7Ebusyo%2Fsengoku%2Fl_o.htm)
押川正重(おしのかわ まさしげ) ????〜????
○権左衛門
◇父:押川内蔵助
土佐・一条氏臣にて、代々押之川城主の家柄。しかし、土佐・長宗我部氏の侵攻に従い、1575年以降これに従う。1600年長宗我部氏没落後は藤堂高虎の下に身を寄せ、その臣藤堂玄蕃良重に仕える。大坂の陣にも出陣。夏の陣にて良重が重傷を負った際、これをかついで、戦場を離脱、高虎に賞される。同年1000石を賜るが、分知を願い出、親兄弟に分け与えた。
私が父から相続した御刀は、父が生前、私に次のように伝えました。
「これは、宿毛の病院経営者から購入したものだが、その方は城持ちの家柄で大変な金持ちだった。関ヶ原の合戦後は藤堂家の家臣で、藤堂家から譲り受けたといわれる銘刀だということだ。」
インターネットでそれらの歴史を調べることができました。父の伝えた話は、歴史的にも繋がり整合性のとれることでした。
その刀は、或は実践で使われた、または試し切りされたことは否めませんし、父が刀磨ぎに出したことは否めません。
ですから、B級とみられる備考は正直に言って、本当にB級という意味で、当時されていた評価だったのかもしれません。
しかし、父が刀磨ぎに出したのかもしれませんが、現在は刃に錆や刃こぼれはございません。
また、日本美術保存協会の鑑定は受けてないし、折角の重要刀剣としてのお墨付きも受けてはおりません。
ですが、私が銘や波紋や白鞘のつくりをみても、二代目、越後守包貞であることは明白ですし、これを見て下さる刀好きの方やプロの方は見間違うはずはないでしょう。ですから、鑑定の必要はありません。 素人に売るのではないのですから。
二代 越後守包貞 ヤフオク出品画像
https://box.yahoo.co.jp/guest/viewer?sid=box−l−fwvdgax3il2xq3giqveshvc3zu−1001&uniqid=fc2e4b10−6772−41f2−86c4−7a6737594355
トラックバック(越後守包貞/出品物ではありません/鑑別の参考として閲覧して下さい)
http://samurai−nippon.net/V−1122/index.html
http://www.sanmei.com/contents/media/T60103_S2820_PUP.htm
http://kendonews.at.webry.info/201304/article_154.html
http://www.samurai-nippon.net/V-695/