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2024年04月15日

文字おこし。無常の研究 慧解脱|B.E.2564「釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭」記念スライド動画|今年は自宅で ウェーサーカ祭 Stay Kind,Stay Mindful.

無常の研究 慧解脱|B.E.2564「釈尊祝祭日 ウェーサーカ祭」
記念スライド動画|今年は自宅で ウェーサーカ祭 Stay Kind,Stay Mindful.



心も色声香味法も波です
0:00
♪…
0:05
『無常の研究』〜慧解脱〜
0:12
心も色声香味法も波です
0:24
心の寿命は一刹那です
0:33
それはとても短い時間です
0:43
一刹那を経過すると心が消滅します
0:53
また新たな心が生まれます
1:04
前の心が消えたから次の心が生じます
1:14
一つの心が消えたことが 新たな心の生まれの条件になります
1:31
すべての心の寿命は同じです
1:41
こころの法則には「連続性」と「同時性」
1:51
という二つの側面があります
2:01
一つの物質の寿命は17刹那です
2:16
心が生まれると必ず
2:27
対応する心所が随起します
2:48
心所が生起しないと心も生じない
3:01
また心が生起しないと心所も生じません
3:15
心と心所は互いに助け合って依存しています
3:23
心は生まれては消える波だから
3:30
[生起・止住・生滅]があります
3:40
生れて消える過程を無常と言います
3:50
お釈迦さまは無常を美しい言葉で
4:00
「生・住・滅」と表現されました
4:14
見たり 聞いたり 感覚を感じたり 考えたりする
4:21
心の流れを心路と言います
4:32
そこに「無常」と「心の流れ」という
4:37
二つの真理が語られているのです
4:54
色声香味触法も波です
5:04
波が「生起する・止住する・生滅する」で 一つの波が終わる
5:14
それを一サイクルとします
5:29
いろんな心と それに付随した心所が隙間なく
5:36
現れては消える 現れては消える
5:44
ということを繰り返しています
6:02
私たちが見たり 聞いたり 考えたりする時は
6:16
必ず五門心路や意門心路で 心と心所が活動しています
6:29
一つの心の寿命は一刹那
6:37
色声香味触の寿命は17刹那です
6:49
心の「生・住・滅」の寿命は それぞれ 1/3 刹那で
6:59
合計一刹那となります
7:16
色声香味触の「生・住・滅」は 最初の一刹那が「生」で
7:22
最後の一刹那が「滅」で
7:28
それ以外の15刹那が「住」で
7:34
合計17刹那となります
私たちは、所縁が「住」のときしか感じていない
7:55
所縁が「住」の時しか感じていない
8:06
光は五門心路で認識します
8:16
光は眼にぶつかった瞬間に
8:22
見えると思いがちですが
8:27
そうではありません
8:33
心路が始まる前はいつでも 有分心が生起生滅しています
8:48
だからまだ眼識は 生起していないので見えません
9:05
17刹那寿命の光の波が眼にぶつかると
9:14
ぶつかったことを感知した有分心が停止します
9:26
そして五門引転心が生起して
9:38
光(所縁と)眼(Pasāda)と眼識(Cakkhu-Viññā)を 接続させる準備をして
9:46
眼識の生起を促します
10:05
次の瞬間眼識に随起した心所である 「触Phassa」に縁って
10:13
光と眼が接続され 眼識の「受Vedanā」が光を感じます
10:31
こうして眼識は「見た」情報を得るのです
10:44
その後 自動的に眼識の情報のコピーを使って
10:53
領受心 推度心で分析処理し
11:01
確定心で確定します
11:16
分析処理される過程で 情報は勝義諦の真理から
11:24
世俗諦の知識になります
11:32
私たちはこの結果に反応しているのです
12:00
光が眼に届いても
12:08
眼識が生起するまで
12:14
五刹那以上かかるので
12:27
所縁の生の段階は終わっています
12:44
また一つの五門心路のサイクルで 眼識が対象を見るのは一回だけです
12:57
だから光の滅の段階も見ることはありません
13:13
つまり眼識が光を知覚するのはいつでも
13:20
「住」の段階となるのです
13:28
こうやっていつでも
13:34
住のとき見る 住のとき見る 住のとき見る と つないでいきます
13:47
所縁が「生」と「滅」のときは
13:55
心は対象を見ていないのです
14:01
「住」のときでも一刹那だけです
14:10
普通 私たちは
14:18
色声香味触の生起・生滅の段階を 認識することは不可能です
14:27
他の五識も同じように作用します
14:35
これは重要なポイントです
14:57
例えば花を見ているとしましょう
15:07
花からの光が「現れて、止住して、消える」 「現れて、止住して、消える」
15:15
「生・住・滅」「生・住・滅」です
15:26
「住」のときは見えますが 「生」と「滅」の瞬間は見えません
15:32
つまり私たちは
15:38
所縁の消滅は知らないのです
15:46
だから連続して
15:53
「もの」が ずーっと「有る」と 思ってしまうのです
16:05
何故そうなるのでしょうか?
16:12
それは認識システムがそうなっているからです
無常に気づけば渇愛は起こらない
16:30
無常に気づけば渇愛は起こらない
16:41
私たちは同時に
16:47
いくつかの作業ができると思っています
16:56
しかし本当は二つ三つのことを 同時に考えているのではなく 一つを考えてから
17:06
隙間なく次の思考に移るのです
17:14
心の変化はあまりにも速いから この発見は難しい
17:26
蛍光灯は実際には点滅しているが 点滅が早いので
17:39
私たちにはずーっと点灯しているように 見えてしまうのです
17:46
それと同じ現象が 認識過程でも起こっています
18:02
そのため存在しているモノが
18:08
「固定的な実体」として見えてしまうのです
18:18
無常が分からないのは 現象が猛烈な速さで変化するから
18:25
一本のひとつながりの様に見えてしまうのです
18:32
名Nānaと色Rūpaは非常な高速で 「生・住・滅」を繰り返しており
18:41
私たちの目には常住と映ります
19:08
音楽の例で説明します
19:17
ピアノの一つの鍵盤の音が鳴ったら
19:23
「音」が聞こえます
19:35
しかし美しい旋律で鍵盤を連続でたたきますと
19:42
次から次へと現れる「住の新しい音」が
19:49
一本のひとつながりの「音楽」になります
20:01
現象はただの住の つながった「音」に過ぎませんが
20:08
私たちは美しい「メロディー」だと 感動してしまうのです
20:22
これが五欲の対象となります
20:29
しかし五欲は
20:34
決して満足させることはできないので
20:44
渇愛・執着の因となる可能性があります
20:52
この時 何が起こっているのでしょう
21:03
新しい「生」の音 消えていく「滅」の音には 気づいていません
21:15
無明というのは
21:25
この生滅に気づかないことです
21:33
鍵盤を一回、一回 時間をおいてたたくと
21:40
私たちの脳は音楽ととらえないのです
21:46
瞬間瞬間の 生滅まで気づいてしまうので
21:52
音楽になりません
22:18
私たちは一本のひとつながりの メロディーになっても
22:24
時間経過で変化していることは 簡単に気づきます
22:38
しかしそれを「無常だな」と感動することは 無常の理解ではありません
22:59
仏教の無常は 世間の無常と次元が違います
23:07
メロディー全体の変化ではなく
23:13
鍵盤と鍵盤の間の 生滅の気づきのことを言っているのです
23:26
瞬間瞬間の変化を観察する人が
23:31
因果法則を正しく発見するのです
23:41
優れた観察能力がなければ不可能です
23:49
私たちが二日たって気づいたことを
23:55
「今の瞬間」 「今の瞬間」に気づくことなのです
24:09
それができれば 渇愛は起こりません
私たちには価値をつけたがる感情があります
24:33
私たちには価値を つけたがる感情があります
24:48
価値をつけたがる感情が 私たちの心にはあります
24:54
この感情に流されたら ゴミにでも高い鑑定結果がつきます
25:13
これは自分だけの価値だから 他人には分かりません
25:31
それでモノに人に自分に束縛されて
25:36
心の自由を失って 無価値なものに執着し 悩み苦しみ
25:45
心配に満ちた生き方をしなければならないのです
25:56
この世俗世界で 「何か一つでも価値あるものはないのか」と 不満に思うかもしれません 実は、無いのです
26:09
一つだけあげられます
26:15
それは「生命に対する慈しみの心」です
26:36
慈しみの人間になるために 仕事、知識などを使う場合は 当然、仕事、知識などに価値が生じます
26:46
それは悩み苦しみにはつながらないからです
26:55
しかしそれさえも二次的な価値であると 理解しなければならないのです
27:14
真理の世界で言うならば すべての現象は[無常・苦・無我]なので 価値が成り立たないのです
27:31
「捨てる」という意味も理解した方が良いと思います
27:40
「ゴミ=捨てる」であって 「ゴミ=感謝を込めていただく」 ということにはなりません
27:57
執着は苦しみの元だという理由で
28:06
「自分の赤ちゃんをゴミ箱へ捨てなさい」という理屈ではありません
28:11
赤ちゃんに対する執着は苦しみの元ですが
28:17
赤ちゃんは 大切に育ててあげなくてはならない生命です
28:31
仏教の
28:37
「無執着」「厭離」「離欲」「解脱」 などの意味も理解した方が良いのです
28:52
『無価値なもの(無常なるモノ)について 価値があると想い
28:59
価値あるものに対して無価値観を持つ
29:04
彼はこの邪見のために
29:11
真の価値ある境地(解脱)に達することはない』
29:31
無常を嫌う心が常住論をつくる
無常を嫌う心が常住論をつくる
29:44
私たちは花を見たら 花があると思ってしまいます
29:58
花はずっと「変わっている」とは認識しません
30:08
川を見たら「川がある」と思ってしまいます
30:19
川はずっと「流れている」とは認識しません
30:29
残念なことに「有る」と認識するだけで
30:35
「流れ」と認識しません
30:47
人間の思考は「有る」と 固定化して「知識」にしてしまう
30:56
つまり「固定化=邪見」なのです
31:02
固定化した知識は 真理ではありません
31:17
ありのままの事実でもありません 錯覚です
31:24
勘違いです 間違いです
31:34
私たちは なんでもかんでも 存在すると思っています
31:45
物事を認識すると 「それが有る」
31:53
という気持ちが起こります
32:01
その気持ちを拡大させて
32:08
永遠に変化せず生じたり滅したり しないモノが存在する
32:15
という見解に陥ります
32:29
それは常見です 真理は
32:48
「存在=無常」であり「有る=無常」なのです
33:01
死ぬのを嫌がる人間が この不安感、恐怖感を紛らわすために
33:11
あれこれと概念を作ります
33:19
「無常は嫌だ」と思うから 無常の代わりに
33:24
「常にある」ものを 求めてしまうのです
33:44
それは「永遠にあって欲しい」という
33:52
存在欲から起こります
34:01
本当は名色 Nāmarūpa 五蘊しか 存在しません
34:11
無常が嫌だから 永遠を妄想して生きることは
34:23
ザルで水を汲むことと同じです
34:31
結局は希望は叶わず 苦で終わることになります
34:43
「痴」とは 生命の普通の認識です
34:54
無常を発見しない限り
35:02
心には「痴」があります
常見があると無我が分からない
35:23
常見があると無我が分からない
35:36
無間という 変化の有り様を知らない人は
35:43
「変わらない自分」がいると 錯覚を引き起こします
35:55
無間縁とは時間間隔がないという意味です
36:02
一つの心が一刹那で消えると 次の心が生じる
36:11
それも一刹那で消える
36:17
これが限りなく続くのです
36:27
この法則を無間縁といいます
36:36
無間縁は無常を理解する上で とても大事なものです
36:49
一つの心が消えると その瞬間に次の心が現れる
36:56
心とは止まることなく 変化し続ける流れです
37:08
瞬間瞬間 「(私が)感じる」 「(私が)考える」
37:14
「(私が)決める」という 心所の働きが絶えず生まれてくるから
37:25
一つだけ ずっと変わらない「自分」が いるのだと思ってしまうのです
37:36
「私がいる」という錯覚は 身体の感覚からも起こります
37:49
身体の感覚は無間に
37:55
生れては消えていく流れなのです
38:03
それでずっと小さい時から
38:10
「私がいた」のではないかと錯覚する
38:20
小さい時からいたのは「私」ですよと思い込む
38:30
それを不如理作意と言います
38:37
因果法則を無視している
38:46
因果法則を如実に見ていないということです
38:57
如理作為の如理とは「如実」に
39:04
作意は「考えること」ですから 「如実に考える」と「ありのまま考える」と
39:16
「我は成り立たないのだ」と見えてくる筈です
39:26
大雑把に考えていると事実が分からなくなります
39:35
そのために世の中の大半の人々は 事実が分からないのです
39:47
変化の過程を飛ばさないで
39:53
その瞬間のことをよく観察すると 事実が見えてきます
40:05
心は永遠不滅ではなく
40:11
どこまでも 変化してゆくものだと発見できます
40:22
無常は「当たり前の真理」として発見できるのです
40:30
無間という法則を理解すると
40:35
常住論は成り立たない、と発見します
現象の変化生滅を観察すると無常が体験できる
40:57
現象の変化生滅を観察すると 無常が体験できる
41:09
俗世間は「無常」を語るために
41:15
「常住」を捏造します
41:23
「変わる」を語るために 「変わらない絶対的な何か」を
41:34
捏造してそれと区別する
41:45
知識で無常をつかまえようとします
41:56
「比較して差異を見出す」という 知識のやり方そのままなのです
42:04
そうではなくて現象の 変化生滅をとらえるのです
42:21
ですから修行として決まっている速さで 身体を動かすのではなく わざと徹底的に
42:28
スローモーションにしてみて下さい
42:38
そうすると無常であることを体験する道に 心が育っていくのです
42:51
ヴィパッサナー瞑想するときに
42:56
全部スローモーションで やってくださいと言っているのは
43:02
スローモーションこそが鍵だからです
43:11
音をスローモーションで聞くと そのまま、音として聞こえます
43:24
それで音を音楽としているのは
43:30
自分なのだと気づきます
43:37
変化生滅がみえてくると
43:44
無常が観えてきます
43:53
それで「ああ、無常だ、無我だ」と体験できます
44:02
現象はいつでも「無常で流れる」と その場で気づきを育てるのです
44:15
一瞬一瞬 生起生滅する心は 「つかの間の現象」に過ぎません
44:30
「生・住・滅」の流れである現象の消滅の有り様を
44:36
直接認識できなくても客観的に観察すると
44:43
前の「住」の現象と 後ろの「住」の現象と 違っているのだと発見できます
44:57
仏道の修行者は客観的な観察によって
45:03
「一個一個の現象が泡のようなもので
45:12
それが弾けて次の現象が表れているのだ」と 発見します
45:21
そして「住のときだけ見ていたのではないか」と
45:29
しっかり分析すれば 「住でないときは見ていない」と気づくはずです
45:38
錯覚をしないで ありのままに観察すると
45:44
有るでもなく 無いでもなく
45:50
一切の現象は無常だと発見するのです
46:00
それで初めて煩悩が消えるのです
46:07
「無常を体験しない限り
46:13
煩悩は消えません
46:21
煩悩が消えない限り
46:29
解脱はないのだ」と仏教では断言しています
無常でなければ楽しみは成り立たない
46:51
無常でなければ 楽しみは成り立たない
47:03
生きることは 苦しい空しい
47:11
いつまでも若くはいられない いくら頑張っても
47:18
最後は全てを捨てて死にます 突然、地震で家が壊れた
47:28
突然 脳梗塞で倒れた
47:34
などの天災、病気もあります
47:46
それも無常の現象です 暗い話です
47:55
しかし本当に無常とは嫌な話でしょうか?
48:05
もし身体の変化が止まったら 聞こえなくなります
48:13
変化するから聞こえるのです
48:21
もし感覚が止まったら
48:31
身体は機能しなくなります
48:46
無常でなければ 日常の楽しみ、喜び、幸福などは 何一つも成り立ちません
48:52
お腹が空くのも無常のおかげです
49:01
お腹が空くからご飯が美味しいのです
49:11
無常だから瞬間瞬間に 味や歯ごたえの感覚があって
49:17
食べる楽しみも食べたあとの満足も成り立ちます
49:25
食べても食べても感覚が変わらなかったら 食事は楽しくも何ともありません
49:39
人間が楽しいのは本当は
49:44
無常だから変化するからなのです
49:54
だから無常に納得がいくと
50:00
とても楽しく生きられます
50:07
ワクワクします
50:16
無常を知っておけば 頑固者にはなりません
50:24
頭も良くなります
50:32
本当のところ真理について
50:39
好きか嫌いかは関係ないのです
50:48
「地球が丸い」という事実に 人の好みは関係ないのです
50:57
無間という法則によって
51:02
心と世界を観察してみると
51:11
無常は当たり前の真理として発見できるのです
超越した人の心境
51:32
超越した人の心境
51:43
無常を発見していない人にとっては ものごとが存在しているのです
51:56
美しい花も気持ち悪いゴミも存在します
52:07
美しい花を見て喜びを感じ 生ごみを見て嫌な気持ちを感じます
52:15
要するに眼耳鼻舌身意に
52:20
色声香味触法が触れるたびに 心が汚れるのです
52:29
渇愛がある人に憂い悲しみが起きます
52:35
命は脆いものです
52:43
そのまま守ることは決してできません
52:52
無常を発見した人にとっては
52:57
眼耳鼻舌身意にどんな対象が触れても 心が汚れることはありません
53:10
心から渇愛・執着の因が消えたら この現象の世界で
53:18
何が起きても その人に憂い悲しみはありません
53:39
以上、長老の法話から編集しました 監修 アルボムッレ・スマナサーラ長老 編集/イラスト 三幡正美
53:44
/音楽 Imee Ooi Bodhicitta 日本テーラワーダ仏教協会
53:59
お釈迦さまは 私たちが
54:08
誰にも束縛されることなく
54:22
自分自身の力で 完全なる自由を
54:31
実現できる方法を 説かれました
55:02
ウェーサーカ祭は
55:09
お釈迦様の生誕・成道・般涅槃を お祝いする祭りです
55:45
人類に初めて智慧の眼があらわれた月です
56:32
三宝のご加護がありますように
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