2015年04月25日
石川県の百年企業 第6弾 「浅田屋」
金沢を代表する飲食店・旅館といえば第一に浅田屋を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
浅田屋は老舗であり、初代浅田屋伊兵衛から16代の浅田久太まで家業は脈々と受け継がれています。
その歴史はなんと350年にも及びます。
初代浅田屋伊兵衛が「加賀藩中荷物御用」を拝命を受け、加賀〜江戸間145里(570km)を
月に三度往復する江戸三度と呼ばれる飛脚として活躍していたそうです。
飛脚制度は日本郵便の前進とも言われていますが、伊兵衛はこの栄誉ある職を返上し、
旅人宿「諸国御宿浅田」を開業しました。
なぜこのような職の大転換を行ったかは定かではありませんが、
久太社長は、「飛脚というのは単に手紙や荷物を運ぶだけでなく、重要な書簡や命を救う薬、
大勢の生活を一変するような契約書なども扱い、信頼なくしては成り立たない職業だった思う。
その信頼を運ぶ仕事だったからこそ知り得る世の流れがあったのでは」と語っています。
今では金沢と東京に浅田屋の拠点があり、初代浅田屋伊兵衛が飛脚として
金沢〜江戸間を往復していたこと、この2つが偶然であるとは思えません。
なにか血のつながりを感じてしまいますね。
(石川の百年企業:記事参照)
http://www.asadayaihei.co.jp/akasaka/img/mainimage1.jpg
企業概要
会社名 株式会社 浅田屋
本社住所 〒920-0906 金沢市十間町23番地
創業 萬治2年(1659年)
代表者 代表取締役社長 浅田久太
資本金 4,500万円
売上高 20億円(関連会社を含む)
社員数 200名(男80名、女120名)
事業所 金沢市内11事業所
事業内容 旅舘、料亭、レストラン
関連会社 株式会社アサダヤコーポレーション
(食品製造・販売)
(浅田屋HPより引用)
浅田屋は老舗であり、初代浅田屋伊兵衛から16代の浅田久太まで家業は脈々と受け継がれています。
その歴史はなんと350年にも及びます。
初代浅田屋伊兵衛が「加賀藩中荷物御用」を拝命を受け、加賀〜江戸間145里(570km)を
月に三度往復する江戸三度と呼ばれる飛脚として活躍していたそうです。
飛脚制度は日本郵便の前進とも言われていますが、伊兵衛はこの栄誉ある職を返上し、
旅人宿「諸国御宿浅田」を開業しました。
なぜこのような職の大転換を行ったかは定かではありませんが、
久太社長は、「飛脚というのは単に手紙や荷物を運ぶだけでなく、重要な書簡や命を救う薬、
大勢の生活を一変するような契約書なども扱い、信頼なくしては成り立たない職業だった思う。
その信頼を運ぶ仕事だったからこそ知り得る世の流れがあったのでは」と語っています。
今では金沢と東京に浅田屋の拠点があり、初代浅田屋伊兵衛が飛脚として
金沢〜江戸間を往復していたこと、この2つが偶然であるとは思えません。
なにか血のつながりを感じてしまいますね。
(石川の百年企業:記事参照)
http://www.asadayaihei.co.jp/akasaka/img/mainimage1.jpg
企業概要
会社名 株式会社 浅田屋
本社住所 〒920-0906 金沢市十間町23番地
創業 萬治2年(1659年)
代表者 代表取締役社長 浅田久太
資本金 4,500万円
売上高 20億円(関連会社を含む)
社員数 200名(男80名、女120名)
事業所 金沢市内11事業所
事業内容 旅舘、料亭、レストラン
関連会社 株式会社アサダヤコーポレーション
(食品製造・販売)
(浅田屋HPより引用)
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