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2017年09月28日

レイテ沖海戦/ 最後の艦隊決戦
Battle of Leyte Gulf /The final fleet decisive battle

レイテ沖海戦/ 最後の艦隊決戦
Battle of Leyte Gulf /The final fleet decisive battle

https://youtu.be/cd1Q2t6DuPM


レイテ沖海戦/ 最後の艦隊決戦
Battle of Leyte Gulf /The final fleet decisive battle


https://youtu.be/cd1Q2t6DuPM




Published on Jul 15, 2017

轟沈された艦艇:武蔵 金剛 山城 扶桑 愛宕 摩耶 鳥海 鈴谷 筑摩 最上 能代 阿武隈 鬼怒 早霜 野分 山雲 朝雲
瑞鶴 千代田 千歳 瑞鳳 若葉 多摩 初月 秋月


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The Biggest Naval Battle Ever | Battle of Leyte Gulf

https://youtu.be/FncAd2qfiAE



Published on Jun 2, 2015


Largest Naval Battle Ever : Documentary on the World War 2 Battle of Leyte Gulf . 2013 2014 This documentary as well as all of the rest of these documentarie.

The Battle of Leyte Gulf, the largest naval battle of World War II.


Largest Naval Battle Ever Documentary on the World War 2 Battle of Leyte Gulf Largest Naval Battle Ever : Documentary on the World War 2 Battle of Leyte Gulf.


To restore American Prestige in the Pacific, President Franklin Roosevelt authorized an invasion of the Philippines, a former American Territory and the scene of.

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戦艦大和・その栄光と終焉 .日本海海軍の象徴としての?.....

https://youtu.be/uc9JHQJ0f3s



Published on Sep 10, 2012

「ペリリュー島の戦い・狂気の戦場」・映画とドキュメント
で描く。「限定公開」
https://www.youtube.com/watch?v=zvE1y...

大和・一口Memo
大和は大日本帝国の象徴としての価値はあったが、山本五十六・南雲中将・最後の艦長有賀幸作大尉まで、大和の実戦能力を知っていたのではないか?。初陣の頃の大和には対空機関銃は装備されていなかったし、自慢の主砲も目測では実線には役に立たない。
さらに、主砲の耐久性は300発限度。開発同時から指摘されていた戦艦同士の戦いを主な開発意図として建造された大和・武藏だが、その開発骨子は役に立たなくなっていたが、真実ではないか。

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【太平洋戦争】なぜ、負けた? Bレイテ・ルソンの戦い


https://youtu.be/nXZ0QZFa7IE




Published on Jun 16, 2017

 この戦いこそ、日本帝国陸海軍が総力を結集し、アメリカ軍と雌雄を決するために選んだ、最後の決戦だった。

 昭和19(1944)年に入ると、帝国陸軍は実に40万人という膨大な兵力をフィリピンに送り込み、又、マレーの虎こと山下奉文帝国陸軍大将を着任させ、防衛の強い意思を示した。

 おおざっぱに数えれば、ルソン島に25万人、レイテ島に10万人、その他の島には分散して5万人といった配備がなされた。

 首都の存在するルソン島が重要なことは解かるが、なぜ、この国では中くらいの面積しかないレイテ島に多くの兵力が送り込まれたのかは、軍事の素人の私には理由がはっきりしない。

(しかし、アメリカ軍の反攻も最初からレイテ島に対して行われ、両方の側が重要視していた事実がある。)
 そして、帝国海軍は当時の連合艦隊の保有する艦艇の8割(動かせる艦艇の全て)に相当する艦艇で迎え撃とうとしていた。

 その内訳は、戦艦は「大和」「武蔵」「長門」を含め9隻、空母4隻、重巡13隻、軽巡6隻、駆逐艦31隻、潜水艦12隻にものぼった。

 航空機は、陸海軍機計1200機以上がこの作戦のために準備された。
 しかしこれに対して、フィリピン島を奪回しようとするアメリカ軍の投入戦力は、軍艦だけで170隻、総兵力は125万人達していた。

 最初の上陸は昭和19(1944)年10月20日であったが、戦力に余裕のあるアメリカ軍は、レイテ島の戦いの決着が近いとなると、いよいよルソン島への侵攻を開始し、昭和20(1945)年1月9日に部隊を上陸させた。

 最終的にフィリピンでの死傷者数は、日本側はルソン島で20万人、レイテ島で8万人、その他の島々で5万人と言われている。アメリカ軍の戦死者は2万人であった。またフィリピン側では民間人、ゲリラ参加者合わせて18万人と言われている。

日本帝国海軍の戦い
 なぜ、砲撃精度は低かったのだろうか。戦前、日本帝国海軍の戦艦の主砲の命中率は、アメリカの戦艦に比べ3倍と言われていた。砲術の専門家として日本帝国海軍内では名の知られていた重巡利根の艦長・黛治夫大佐に至っては、利根の主砲の命中率はアメリカの5倍と豪語していた。

 しかし、蓋を開けてみると、昭和19(1944)年10月25日早朝、栗田艦隊旗艦の大和(戦艦武蔵は既に撃沈されていた)の見張員が敵を発見した。それはアメリカの第7艦隊の護衛空母群の内の3番隊であった。

 帝国海軍は戦艦大和、長門を中核とする栗田艦隊、戦艦4隻(戦艦武蔵は既に撃沈されていた)、重巡8隻、軽巡2隻、駆逐艦15隻の陣容だった。

 対するアメリカ艦隊は、護衛空母6隻、駆逐艦3隻、護衛駆逐艦4隻で編成されていた。

 アメリカ海軍の護衛空母とは戦時急造型の空母で、基準排水量6730d、搭載機は21機、武装は12.7サンチ高射砲2門で、また、護衛駆逐艦とは対潜水艦用に急造された艦で、もともと対水上艦用戦闘は考えられていなかった。

 まともな戦闘にならない戦力差であった。

 それが、2時間あまりの戦闘(ドタバタ騒動)により、アメリカ駆逐艦の12.7サンチ砲という豆鉄砲と、日本帝国海軍酸素魚雷に比べ射程で5分の1、炸薬量で半分の51.3サンチ魚雷とに、散々に叩かれ、護衛空母1隻、駆逐艦2隻をやっと沈めた代償が、重鳥海、筑摩を失い、熊野、鈴谷を大破されたのである。

 原因は、主砲命中率の低さにあった。

 モリソン博士の「各艦戦闘詳報」よると、この海戦での栗田艦隊の主砲・副砲の発射弾数は、5千発を超えていた。それで、与えた命中弾数は20発前後であった。

 砲術の大家である黛大佐の利根に限って見ても、初弾から100発以上撃ってわずか命中弾は1発という少なさだった。逆に、敵の駆逐艦から3発の命中弾を受けている。20サンチ主砲を持つ利根のほうが、12.7サンチ主砲のアメリカ駆逐艦より、正確かつ遠距離射撃が出来るはずなのに、実戦ではアメリカ海軍の3分の1の命中率であった。

 戦艦大和の46サンチ主砲に至っては、約100発発射して1発も命中していない。
命中率わずか0.3%というこの海戦を見直すと、戦艦同士の日米決戦が行われなかったことを、帝国海軍は感謝したほうがよさそうに感じられる。

 その後、午後零時30分、栗田艦隊はレイテ湾まで約80kmの地点に進出したが、ここで栗田艦長は反転命令を出し、戦線から離脱し、逃げ帰った。

 この海戦の勝敗がもたらす決定的な意義は、早くから日本帝国海軍首脳部によって認識されていた。フィリピンを失えば、連合艦隊を保全していても、意味がなくなると判断し、成算を無視した決死の殴り込み攻撃を立案した。しかし、栗田艦隊は与えられた稀有の機会を捨て、湾口を目の前にして、反転し逃げ帰った。この瞬間に日本帝国海軍の運命は定まり、日本帝国海軍は消滅した、と言っても良いであろう。

栗田健男という男の戦歴
 1942年2月15日のマレー沖海戦では、戦わずして戦場から逃げている。
 1942年2月27日のスラバヤ沖海戦には、無線が通じなかったとして、戦場には現れなかった。
 1942年3月1日のバタビア沖海戦には、2隻の艦船を支援に出したが、彼自身は戦場に現れなかった。
 
 ミッドウェー海戦では、島から遠く離れた位置でモタモタさせ、中止命令が出ると、あわてて避退しようとして、最上と三隅を衝突させてしまい、この男は両艦を置き去りにして、逃げ帰っている。

 以後3日間、この男は連合艦隊からの合同命令を無視し、安全な西へと全速で自艦を走らせている。
 
 ガタルカナル島砲撃のときも、逃げ足の速さは変わらなかった。

 これらの戦い方から考えると、彼にとって、このレイテ沖海戦ではよく粘ばったともいえる。

 しかし、なぜ、この男がここまで前線の指揮官を続けてこれたのか、不思議な気がするが、年功序列の官僚的人事が嫌悪すべき無責任さをもって、進められた結果だったのだろうと思える。

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付記:
栗田健男:幹部上層部トップが前線の部隊に特高精神を鼓舞しながら、自らは前線で、逃避行では、戦闘に勝てるわけがない。


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レイテ沖海戦(H18.10.16)

https://youtu.be/D_wG58TEnyM



Published on Dec 5, 2006

レイテ沖 敵前逃亡 栗田艦隊 帝国海軍 フィリピンの戦い
謎の反転 作戦参謀長 にせ電報
戦艦大和 副砲長 元海軍少佐 深井俊之助

Category News & Politics
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エンガノ岬沖海戦/もうひとつのレイテ/昭和19年10月25日
Battle of the cape of Engano / another Leyte / October 25, 1947


エンガノ岬沖海戦/もうひとつのレイテ/昭和19年10月25日
Battle of the cape of Engano / another Leyte
/ October 25, 1947


https://youtu.be/cXH_fDIVR6Q



Published on Jul 21, 2017

武勲艦空母瑞鶴 14時14分轟沈



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大日本帝國海軍史/帝國海軍の終焉

https://youtu.be/rW-fy61wlJE



Published on Jun 29, 2017

マリアナ沖海戦・レイテ沖海戦 ・神風特攻隊 ・終戦
端折られてる部分もありますが、当時の映像でまとめられてます。



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☆NOTE☆

1. " 栗田健男 " :Wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%97%E7%94%B0%E5%81%A5%E7%94%B7

栗田健男(くりた たけお、1889年4月28日 - 1977年12月19日)は日本の海軍軍人。最終階級は海軍中将。海軍兵学校38期卒業。レイテ沖海戦で行った「謎の反転」を巡り様々な議論がある。

2. " Battle of Leyte Gulf " :Wikipedia

https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Leyte_Gulf

The Battle of Leyte Gulf is generally considered to be the largest naval battle of World War II and, by some criteria, possibly the largest naval battle in history.[4][5]

It was fought in waters near the Philippine islands of Leyte, Samar and Luzon, from 23–26 October 1944, between combined American and Australian forces and the Imperial Japanese Navy. On 20 October, United States troops invaded the island of Leyte as part of a strategy aimed at isolating Japan from the countries it had occupied in Southeast Asia, and in particular depriving Japanese forces and industry of vital oil supplies. The Imperial Japanese Navy (IJN) mobilized nearly all of its remaining major naval vessels in an attempt to defeat the Allied invasion but was repulsed by the U.S. Navy's Third and Seventh Fleets. The IJN failed to achieve its objective, suffered heavy losses, and never sailed to battle in comparable force thereafter. The majority of its surviving heavy ships, deprived of fuel, remained in their bases for the rest of the Pacific War and suffered under heavy sustained aerial attack.[6][1]

The battle consisted of several separate engagements between the opposing forces: the Battle of the Sibuyan Sea, the Battle of Surigao Strait, the Battle of Cape Engaño and the Battle off Samar, as well as other actions.[7]
This was the first battle in which Japanese aircraft carried out organized kamikaze attacks.[6][1] By the time of the battle, Japan had fewer naval ships than the Allied forces had aircraft carriers, underscoring the disparity in force strength at this point in the war.[8]



3. " レイテ沖海戦 " :Wikipedia


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%86%E6%B2%96%E6%B5%B7%E6%88%A6

レイテ沖海戦(レイテおきかいせん、英語: Battle of Leyte Gulf、日本語: レイテ沖海戦、フィリピン沖海戦【当時の呼称】[注釈 1])は、第二次世界大戦中の1944年10月23日から同25日にかけてフィリピン及びフィリピン周辺海域で発生した、日本海軍とアメリカ海軍・オーストラリア海軍からなる連合国軍との間で交わされた一連の海戦の総称。


4. " Battle of Leyte " :Wikipedia


https://en.wikipedia.org/wiki/Battle_of_Leyte


5. " Battle of Leyte Gulf - WORLD WAR II " :

https://www.britannica.com/event/Battle-of-Leyte-Gulf




☆ Reference Link ☆


1. 【証言シリーズ】元海軍少佐
戦艦大和副砲長 深井俊之助氏に聞く
 大東亜戦争 聞き手:井上和彦

https://youtu.be/anDKD9uuj3k



2. Battlefield I: Battle of Leyte Gulf Part 1
https://youtu.be/Yj5HxdXS7_Y



3. Battlefield I: Battle of Leyte Gulf Part 2
https://youtu.be/X6kYmpcHFcc



4. Battle of Leyte Philippines 1944
https://youtu.be/i1beikbZYmI



5. Battle For Leyte Gulf - Greatest Naval Battle
in History


https://youtu.be/VIFmIY0HNIo



6. Battlefield: Leyte Gulf - Old PBS Educational Film

https://youtu.be/n7aXt_lLNYI





☆ Reference Documents ☆

1.
United States Strategic Bombing Survey
[PACIFIC]
NAVAL ANALYSIS DIVISION
Interrogations of Japanese Officials

https://www.ibiblio.org/hyperwar/AAF/USSBS/IJO/index.html

2.
United States Strategic Bombing Survey : [Reports] (Pacific War)
A Finding Aid to the Collection in the Library of Congress

[finding aid]. Library of Congress.
[PDF rendered Sat Jun 24 12:07:17 EDT 2017]

http://rs5.loc.gov/service/gdc/eadxmlgdc/eadpdfgdc/2013/gc013001.pdf











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