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2024年08月31日

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について12

◆ 飢饉が激しくエジプトから携えた穀物を食い尽くしたため、父イスラエルはユダに言った。この国の名産を器に入れ、その人に贈りなさい。乳香、蜜、香料など。(創世記43章)
◆ ヨセフとユダと兄弟たち。父に対して永久に罪を負う。忍びないから。(創世記44章)
◆ ヨセフは、皆に出て行くように言った。エジプトの主としてヨセフは、弟ベニヤミンの首を抱いて泣いた。全ての兄弟たちに口づけをして泣いた。(創世記45章)
◆ イスラエルは、持ち物を携えてペシルバへ行き、父イサクの神に犠牲を捧げた。(創世記46章)
◆ バロと羊飼いのやり取り、カナンは、飢饉が激しくゴセンに住みたいと。ヨセフも賛成する。ヨセフは、エジプトの地をバロに与えた。イスラエルもエジプトのゴセンに住み、財産と子を増やした。ヤコブのよわいの日は、百四十七年。(創世記47章)
◆ ヤコブとヨセフの子孫の区切り。(創世記48章)
◆ ヤコブは、子らを呼んで後に彼らの上に起こることを告げた。イスラエルの十二の部族。(創世記49章)
◆ ヨセフの父イスラエルの死に際し、父に薬を塗った。四十日を要した。ヨセフは、父の家族と共に四十日エジプトに住んだ。そして百十年生きながらえた。ヨセフも死に際して薬を塗られ棺に埋葬されエジプトに安置された。(創世記50章)

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について11

【付録】旧約聖書 創世記の内容

◆ エサウは狩猟者、野人となり、ヤコブは穏やかで天幕に住んでいた。イサクは鹿肉が好物のためエサウを愛し、リベカはヤコブを愛した。ある日エサウが疲れ果てて帰宅し、赤いものをヤコブに求めた。ヤコブはエサウの長子権と引き換えにパンと豆を与えた。(旧約聖書 創世記25章)
◆ ラケルの子ヨセフは、17歳のとき、兄弟たちと羊の群れを飼っていた。しかし、兄弟たちの悪い噂を父ヤコブに告げた。父イスラエルはヨセフに言った。兄弟たちがシケムで羊を飼っている。ヨセフもそこへ行ってともに働けと。しかし、兄弟たちはシケムを出てドタンに移り、ドタンに来たヨセフを殺そうと計画する。兄弟はヨセフを穴に入れた後、ヨセフをイシマエル人に売り、エジプトへ連れて行かせた。小説でシケムに行くのは、ヤコブであり、ヨセフではない。(創世記37章) 
◆ ユダの姦淫。ユダはイエス・キリストの下僕またヤコブの兄弟である。(ユダの手紙を参照すること。)(創世記38章) 
◆ ヨセフは獄屋に主とともにいて、慈しみを垂れ、ヨセフのなすことを栄えさせた。ヨセフは主人のエジプト人の妻と関係を持たなかった。(創世記39章) 
◆ ヨセフが給仕役と料理長の夢を解き明かす。(創世記40章) 
◆ バロがヨセフに夢を明かすと、エジプトの国が滅びることがないように神が告げる。ヨセフはエジプトの国を巡る。ヨセフがエジプト王バロの前に立ったのは三十歳のとき。豊作後の飢饉でも食物がヨセフの穀蔵に残っていた。(創世記41章)
◆ ヤコブは、エジプトに穀物があるので買いにいくようにと息子たちに言った。ヨセフと十人の兄弟(本当は十二人)はエジプトへ行き、穀物を買い、カナンに帰って来た。(創世記42章)

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について10

4 ファジィ測度の分析

 エサウの家族とヤコブの家族について、同じ場所で生活できない理由に財産が多いからとある。(旧約聖書 創世記三十六章)それぞれの家族の最大の作業量を10とし、μ(A)とμ(B)が互いに干渉しなければ加法性が成り立つが、やはり干渉するため加法性は成り立たず、等式は成立しない。
 エサウの家族とヤコブの家族が協力すれば(9)となり、別々に活動すれば抵抗反発により作業効率は下がり(10)になる。

(9)μ(A∪B)>μ(A)+μ(B)
(10)μ(A∪B)<μ(A)+μ(B)

 そのため、「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」に見るアンビグイティは成立する。「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーは、ファジィ集合とファジィ測度という二つの特徴を持ち合わせた作家の執筆脳の分析へと展開している。

【参考文献】
花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか? 新風舎 2005
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む 華東理工大学出版社 2015
花村嘉英 日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用  日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで 南京東南大学出版社 2017
花村嘉英 从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默 ナディン・ゴーディマと意欲 華東理工大学出版社 2018
花村嘉英 計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る V2ソリューション 2022
Thomas Mann Joseph und Seine Brüder, Frankfurt a. M., Fischer 1986(高橋義孝訳 ヨセフとその兄弟 現代世界文学全集34 新潮社)
日本成人病予防協会監修 健康管理士一般指導員通信講座テキスト 2014
菅野道夫編 講座ファジィ3 ファジィ測度 日本工業新聞社 1993
日本聖書協会 聖書 三省堂 1974

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について9

◆ エサウは、妻子と家の人全員、家畜と全ての獣、カナンで得た財産を手にしてヤコブから離れてセイル山地に住む。彼らは財産が多かったためである。一方、ヤコブは父の寄留地カナンに住んだ。(旧約聖書 創世記三十六章)
◇ 小説ではエサウとヤコブは不仲である。二人が55歳になり、25年の歳月を経て再開した後、エサウが好きなセイルの山岳人の笛の響きがヤコブは大嫌い。Das erste, was Jaakob von Esau vernahm, war dessen Flötenspiel, das ihm von früh her bekannte,… (S. 147) エサウのセイルで共に暮らそうという誘いも乗らず、穏やかに断り、別々の路を進んでいく。Das war eine Absage in geschmeidiger Form, und Esau, etwas glotzend, verstand sie auch gleich so ziemlich als solche. (S. 151)(第二章ヤコブとエサウ エサウ)

表1 聖書による双子の比較

特徴      兄エサウ         弟ヤコブ
出生  母リベカから先に生まれる  兄の踵を掴んで生まれる
肌      赤くて全身毛だらけ  肌は滑らか
性格       狩猟者、野人    穏やかな人
間柄      弟を憎み殺意を抱く  長子の特権と祝福の特権を奪う
勝利     カナンで財産を獲得   神と人との力比べに勝つ。神からイスラエルという名を給わる。
家族  妻 アダ、アホリバマ、バスマテ  妻 レア、ラケル、ビルハ、ジルパ
   子供 エリバス、リウレル、エウシ、子供 ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、
     ヤラム、コラ         ゼブルン、ヨセフ、ベニヤミン、ダン、
                    ナ二タリ、ガド、アセル
居住地     セイル山地     カナン
家族の営み   良好な生活     良好な生活

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について8

◆ 年老えたイサクは、武器や弓矢を持って野に出かけ鹿狩りに行き、好物を作ってくれとエサウに頼む。それを聞いていたリベカがヤコブと企み、エサウの祝福を奪う。そのためエサウはヤコブを殺そうとする。リベカがそれを察知しヤコブをエサウから引き離す。(旧約聖書 創世記二十七章)
◇ 小説では、この場面の下りが異なる。確かにイサクの妻リベカが悪巧みをする。“Jekew, mein Kind”, sagte sie (Rebekka) leise und tief und zog seine erhobenen Hände an ihre Brust. “Es ist an dem. Derr Herr will dich segnen.” … “Dich in ihm (Esau)”, sagte sie ungeduldig. (S.205) 目の見えないイサクを欺いてエサウの祝福を奪うために、赤毛の皮膚を模したいで立ちでエサウよりも先にイサクに好物の肉料理とワインを届ける。“Ich bin Esau, der Rauhe, dein größerer Sohn, und habe getan, wie du geheißen. Sitz auf, mein Vater, und stärke deine Seele; hier ist das Essen.” (S. 208) 聴覚や触覚頼りの人物評価のため、まんまとごまかされたイサクは、偽エサウのヤコブを祝福してしまう。Ihr Fett gab er ihm (Jaakob) und ihre Weibesüppigkeit und dazu den Tau und das Manneswasser des Himmels, gab ihm die Fülle von Acker, Baum und Rebe und wuchernde Fruchtbarkeit der Herden und doppelte Schur jedes Jahr. (S. 211) 狩りから戻ったエサウが食事を供しても人々は嘲り笑う始末。全くおなかが痛くなるほどの茶番劇となる。 Und dann er sich hin zu Boden und heulte mit lang heraushängendernZunge und ließ tränen rollen, so dick wie Haselnüsse, während die Leute im Kreis um ihn standen und sich die Nieren hielten, so schmerzte sie der große Jokus, wie Esau, der Rote, geprellt ward um seines Vaters Segen. (S.214) (第四章 大いなる茶番劇)

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について7

◆ アブラハムの子イサクは、40歳でリベカを娶る。その子は、エサウとヤコブという双子である。先に出てきた兄エサウは赤くて全身毛だらけ、後から出てきた弟ヤコブは手でエサウの踵を掴んでいた。イサクが60歳のとき。主は母リベカに兄が弟に仕えるという。(旧約聖書 創世記二十五章)
◇ Durch des Vaters Segen war Jaakob endgültig zum Mann des vollen und schönen Mondesgeworden, Esau aber zum Dunkelmond, also zum Mann der Unterwelt – und in der Unterwelt weinte man, obgleich man dort möglicherweise sehr reich an Schätzen wurde. (S. 134) トーマス・マンは、上記の記事に少し書き加え、ヤコブを満月の美しい月の男とし、兄エサウは、陰月の男、冥府の男とした。(第二章ヤコブとエサウ エリバス)

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について6

3 「ヨセフとその兄弟」に見る旧約聖書との違い

 この小論では、「ヤコブ物語」と旧約聖書の創世記の記事を照合しながら、外枠は旧約聖書の創世記であって、その中の要素が異なるケースをいくつか拾ってみる。それがファジィ測度でいう作業効率の考え方に適応するためである。

◆ ヨセフの父ヤコブは、神からイスラエルという名をつけられる。ヤコブが兄エサウのもとへ行く際、妻と子供を連れてヤボクの渡しを渡る。そこである人と組打ちして、祝福を求める。その人が名前を尋ねるとヤコブと答えた。その人は神と戦い給うイスラエルと名乗るようにいう。もものつがいが外れ、神と人との力の争いに勝ったからである。(旧約聖書 創世記三十二章) 
◇ 小説は少し違う。ヤコブが戦い取ったこの名は、その男が生み出したものではなく、好戦的な砂漠の一種族ベドワン人のものであった。“Der Name aber, den Jahu’s beduinische Krieger sich zugelegt, sollte, zum unterscheidenden Merkmal reineren und höheren Ebräertums, zur Kennzeichnung von Abrahams geistigem Samen werden, ebendadurch, daß Jaakob in schwerer Nacht am Jabbok ihn sich hatte zugestehen lassen…” (S. 132) イスラエルという称号は、ヤコブがヤボクの戦いで自分の方へ奪い取ったことにより、高級なヘブライ精神を表す標識、アブラハムの精神的な末裔の印を帯びることになった。(第二章ヤコブとエサウ ヤコブの素性)

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について5

 また、μは加法性を持つとは限らない。AとBをXの互いに素な任意の部分集合とし、グループAとグループBが一緒に働く場合を考えてみよう。もしAとBが互いに何の影響も及ぼさず、全く独立して作業するなら、等式μ(A∪B)=μ(A)+μ(B)が成り立つ。しかし、一般にはAとBは互いに干渉し合うため、この等式は成立しない。両グループのメンバーが効果的に協力しあえば、

(7)μ(A∪B)>μ(A)+μ(B)

となるだろうし、逆に人数が多くなりすぎて、作業がかち合い、効率が悪くなれば、

(8)μ(A∪B)<μ(A)+μ(B)

となるであろう。
 作業のかち合いは、例えば、設備や作業スペースが十分でないときに起こる。これらが十分であれば、AとBは別々にかち合わないで作業ができる。実際には、効果的な協力と作業のかち合いの両方が起こることが考えられる。そのため、協力の度合いがかち合いの度合いより大きければ、不等式(7)となり、その逆になれば、反対向きの不等式(8)になる。この例は、作業員間の作業効率に関する相互作用があるため、ファジィ測度が部分集合間の相互作用を表しているといえる。(菅野 1993)

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について4

2.2 ファジィ測度の具体例

 1種類の製品のみを作っている工場がある。 そこで働く従業員全員からなる集合をXとする。作業員の任意のグループA(⊂ X)をとり、Aのメンバーだけで作業するような状況を考える。Aのメンバーは、色々なやり方で作業ができる。例えば、分業や共同作業等。ここでは、最も効率のよいやり方で働くものと仮定する。その最も効率のよい方法でグループAが単時間(1時間)に作る製品の個数をμ(A)で表す。このμは、2x上の集合になる。 
 μはファジィ測度である。作業員がいないと製品ができないため、μ(∅)=0。そして、最も効率のよい方法で働くと仮定すれば、人数が増えると生産性が上がる(少なくとも下がらない)。即ち、A⊂B ⇒μ(A)≦ μ(B)である。

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について3

 しかし、ファジィ測度は加法性が仮定されていないため、A∩B = ∅ のときのμ(A∪B)とμ(A)+μ(B)の間の大小関係については、一意に定まらず、以下のような場合が想定される。

(3) μ(A∪B)⋛ (A∪B)
 (3)については、3通リの解釈(4) 、(5) 、(6)が可能である。

(4) μ(A∪B)>(A∪B)
 解釈AとBの間に相互(相乗)作用がある。

(5) μ(A∪B)<(A∪B)
 解釈AとBは、μで測っている属性において重複を持つ(同じ特徴を持つ)。または、AとBの間に相殺作用がある。

(6) μ(A∪B)=μ(A)+μ(B)
 解釈AとBは側率で相互作用はない。相乗作用と相殺作用が互いに打ち消し合っている。

 一般的に測度は、加法性が重要な特徴である。菅野(1993)によると、ファジィ測度は、非加法性による部分集合間の相互作用(要素の組み合わせによる効果)を表している。

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について2

2 ファジィ測度

2.1 一般の測度とファジィ測度の違い

 一般的にファジィ集合は、境界がぼやけた概念の曖昧さのことであり、ファジィ測度は、鮮明な境界内にある要素についてその可能性が特定できない曖昧さのことをいう。前者はベイグネス、後者はアンビグイティと呼ばれている。
 例えば、聖書の枠組みは変わらずとも、「ヤコブ物語」に登場するエサウやヤコブが聖書に登場するエサウやヤコブとどの程度近いのか、なかなか特定できない。こうしたファジィ測度を平易な論理計算を用いて説明していく。
 あるいは、聖書の中のエサウやヤコブと異なる記事もあるであろう。しかし、ファジィ測度を用いれば、そういう内容もやさしい論理計算に基づいて説明することできる。
 一般的に測度とは、長さ、面積、体積、質量などの外延量(広がりに規定される量)の数学的な表現である。一方、速度、濃度、密度などの量は、内包量と呼ばれる。例えば、AとBがそれぞれ1の仕事しかできないとしても、一緒に働くと2.5の仕事ができるような相乗効果がでる場合、

(1) μ({a})= μ({b})= 1,
(2) μ({a,b})= 2.5

とファジィ測度で表現される。

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より

「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について1

1 背景

 1924年に「魔の山」を出版し、1929年にノーベル賞を受賞したトーマス・マンは、1933年、ナチスドイツから亡命し、最初にフランス、スイス、1938年からはアメリカに移住した。戦時中は、祖国ドイツと対峙しつつ、15年余りの歳月をかけて、旧約聖書の創世記を題材にした物語「ヨセフとその兄弟」を執筆した。亡命作家としてドイツを外から見ていた時期で、その間トーマス・マンなりに幾度もドイツ国民に向けて警告を発している。勿論、当局から言動を追跡されていたため、ファジズムに対する警告の仕方として旧約聖書に基づいた創作という手法を取った。小説を読めばヨセフのような人物とその兄弟たちで新生ドイツを作っていこうというメッセージに取れる。
 この小論では、「ヤコブ物語」(1933)を題材にして、トーマス・マンとファジィ測度との整合性を考える。集合の枠組みが決まっていて、その中の要素が曖昧というファジィ測度の考え方は、枠組みが旧約聖書で、登場人物が聖書と些か異なる特徴を持つ「ヨセフとその兄弟」の登場人物についても、「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーで説明することができる。
 この小論は、ファジィ集合の観点から考察した「計算文学入門−トーマス・マンのイロニーはファジィ集合といえるのか」(2005)および「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(2022)の中の「トーマス・マンとファジィ」というシナジーのメタファーの組み合わせを展開させ、かつ論理計算と統計からなる計算文学の手法を安定させる役割を担っている。シナジーのメタファーは、あくまで「トーマス・マンとファジィ」である。しかし、「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」執筆時の脳の活動としてファジィを使う場合、「魔の山」のファジィ集合とは異なり、ファジィ測度が考察の対象になる。 

花村嘉英(2019)「「ヨセフとその兄弟」の「ヤコブ物語」から見えてくるファジィ測度について」より
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花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
プロフィール