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2024年09月09日

トーマス・マンとファジィ17

 先にも述べたように、イロニー的な距離とは、物事を正確に把握すると同時に批判的にも捉えることができる間隔のことである。Hans Castorp と Chauchat 婦人の距離(3.4 m) に関するメンバーシップ値を割り当てると、近いは0%、中ぐらいは60%、遠いは 40% になる。ここで、注意するべきことは、この値が単なる物理的な距離ではなく心理的な距離も表している点である。次に、ファジィ化で算出したメンバーシップ値に推論規則を適用する。推論規則は、日常の経験に基づいている。例えば、距離が近ければ離れ、中ぐらいならばそのままで、遠ければ近くなる。
 また、結合演算子も問題になる。問題を短時間で解決するために、和結合には最小値の演算子が、共通結合には最大値の演算子が適用される。そして、最後に、出力の部分集合のメンバーシップ値が計算される。これは、結論を導くためのメンバーシップ値に対する前提から引き継ぐことになる。個々のファジィ集合には、最低一つの推論規則が必要である。出力値のメンバーシップ値は、高い方できられる。これは、最大/最小の方法と呼ばれており、出力となるメンバーシップ関数の各ファジィ 集合に対して、その結果となるメンバーシップ値を移行する方法である。 この方法によるメンバーシップ値の推移は、恣意的な選択である。調節の必要があるイロニー的な距離の値は、脱ファジィ化において算出される。
 脱ファジィ化は、ファジィ的な事柄を具体的な数や値に変換する。 一般的に、重心に基づいた脱ファジィ化が経験に見合った結果をもたらしてくれる。ここでは、「遠近の混合器」においてどのくらいの距離が調節されなければならないのかを確定する。脱ファジイ化の方法として、 最大値の中間を取るものが採用される。これは、出力集合の最大値の中 間にあたる横座標の値を出力値として使用する方法である。物理的で心 理的な距離を測定する場合、置かれた状況によって数字の持つ意味が異 なることは、主観的な印象や個人の経験に基づいて理解できる。求められたイロニー的な距離は、4mになる。但し、部分的な平面のオーバーラップは、顧慮されていない。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ16

 Hans CastorpのChauchat婦人に対する距離(3.4 m) をファジィ化する。考察される特徴は、「近い」、「中ぐらい」そして「離れている」である。最初に個々のファジィ集合を確定し、次にメンバーシップ関数の推移を恣意的に選択する。ファジィ化では、所与の事柄に対してメンバ ーシップ値を割り当てることが重要になる。また、メンバーシップ関数の推移は、後で修正することができる。
 Hans Castorpは、Chauchat 婦人の脇に座り、謝肉祭を祝う療養所の住民たちの舞踏会を見物する。Chauchat 婦人は、Hans Castorp がかねてから興味を持っていた女性であるる。会場でChauchat 婦人を見っけたHans Castorpは、彼女が謝肉祭用に着飾っていることに気がつく。衣装のことをたずねたりダンスに誘ったりもするが、彼女からは、色よい返事が 返ってこない。気を引こうとして得意のフランス語を使って話しかけてみると(Hans Castorpの二次記憶)、従兄弟の方はもう退場したけどあなたはまだここにいるのという返事。Hans Castorp は、ドイツ人に対して融通のきかない小事にこだわるイメージがあるのかと聞き返す。
 こうしたやりとりをしながら、Chauchat 婦人の隣に座っていることが Hans Castorp には夢のようで、まるで深い永遠の眠りに陥るかのような気持ちであった。一方、Chauchat 婦人は、ドイツ人をブルジョワ、ヒューマニ ストそして詩人として特徴づける。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より


トーマス・マンとファジィ15

 経験や体験に基づいた記憶や学習から得た知識は、推論の土台になる。 ダホスの療養所に着いて間もないHans Castorpは、Joachim Ziemßenから 平地と異なる山の上の慣習について話を聞かされる。そして、ホールから出てくる二人が、主治医のBehrensと危うくぶつかりそうになる。 Behrensは、「おい、気をつけてくれ」と二人に言い、「お互いにとって 事が多少悪く運ぶ場合もあったぞ」と強いNiedersachsen (オランダと接 するドイツ北部)地方の方言で、くどくどした何かを嚙むような口調である。Hans Castorpは、Hamburg (北欧への玄関口)の出身で、発音などに特徴が出る方言による言葉の違いは理解できた。これは、記憶から呼び出す際に似ている音声を誤って取 り違えてしまう一次記憶の特徴であろう。
 また、二次記憶は、似通った単語の意味を取り違えることを問題にする。Hans Castorpは、通常ダボスのメインストリートにある床屋で散発する。突然、好奇心の強い喜びが混ざった一種の驚きを伴う眩暈に襲われる。よろめきと欺瞞からなる言葉の揺れ動く二重の意味を持つ眩暈。「まだ」と「再び」が渦まいてもはや区別できなくなる。これは、眩暈により、時間の概念が識別できなくなるほどHans Castorpの二次記憶が支障をきたしている例である。
 三次記憶は、体にしみこんだ記憶痕跡が問題になる。Hans Castorpは、 3週間の予定で夏季休暇を過ごすため、ダボスに療養中のJoachim Ziemßenを訪問する。ダボス駅における再開の場面で、列車がまもなくダボス駅に到着する際に、「ハンブルクの声」を耳にする。Thomas Mannは、確かにJoachim Ziemßenの声によって方言の色合いを出したかったのであろう。実際に、Hans Castorpは、 Joachim Ziemßenを固有名詞として記憶にとどめており、これは、言葉の問題を越えた一種のエングラムの例と見なすことができる。Hans Castorpは、Joachim Ziemßenを二次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えていて、極めて短い時間でそのデータを処理している。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ14

 「計算文学入門」では、記憶とは、予め蓄えられた情報を必要に応じて呼び出すことができる能力としている。簡単に言うと、記憶には、 短期記憶と長期記憶がある。前者は、数秒から数分間蓄えられる情報であり、後者は、一生の間保存することができる情報である。
 短期記憶には、感覚知覚的なものと一次的なものがある。感覚知覚的な刺激は、数百ミリセカンドもない間にコード化され、重要な特徴を引き出せるように自動的に感覚記憶に蓄えられる。しかし、経験からもわかるように、たちまちにして忘れてしまう。短期間の感覚知覚的な記憶から継続的なものへ情報を移動させる場合、通常、感覚的なデータを言葉によりコード化する方法が採用される。一次記憶は、言葉によりコード化されたデータを一時的に取り出す際に役に立つ。この容量は、 感覚知覚的な記憶に比べて小さくなる。また、非言語的にコード化されたデータは、訓練によって一次記憶から継続的な二次記憶へと緩和される。(例えば、注意深く繰り返すこと。)
 長期記憶には、二次記憶と三次記憶がある。二次記憶は、継続的な大きい記憶システムである。一次記憶との組織上の違いは、記憶からデー 夕を呼び出す際に生じる間違え方によって明らかになる。一次記憶の場合、pとbのような音声的に似ている音の取り違えが問題になるが、二次記憶の場合は、類似した意味による単語の取り違えが問題になる。その 他の弁別特徴として、データ処理の時間を考えることができる。例えば、一次記憶は速く、二次記憶は遅くなる。二次記憶における忘却は、事前に学習されたことを通して学ぶべき題材に干渉することが原因となっている。つまり、こうした忘却は、物事が起こる前に反応する先走りによる障害から起こっている。先見的な障害は、学習したことに関す る多くの蓄えを自由に処理することができるため、重要な要素となる。 こう考えると、大部分の忘却は、予め学習したことに責任があるようだ。
 三次記憶において問題となるのは、記憶痕跡(エングラム)である。例えば、これは、固有名詞、読み書きの能力、医学的な理由で他のすべての記憶が失われたとしても、もはや忘れることのない手先の器用さなどのことである。三次記憶という特別な記憶形式の中に蓄えられているこうした記憶痕跡は、極めて短い時間のデータ処理により際立ってくるようである。但し、二次記憶の中で著しく固まってしまった記憶痕跡も同じように扱うことができる。それ故、長期記憶のモデルは、二次記憶と三次記憶に相応する。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ13

a) ファジィ化
 曖昧でない値をファジィ集合へ割り当てることが問題になる。その値のファジィ集合に対するメンバーシップ値は、メンバーシップ関数が決定する。実際、メンバーシップ関数は、一つ一つ線的な流れによって証明される。例えは、Hans Castorpのある症状(めまい)との触れ合いを期待する度合を7とする。(ここでは簡単のために、期待を指数で表すことにします。)メンバーシップ関数が与えられると、結果として彼のイロニーは、ファジィ集合 「中ぐらい」の中で0.2、ファジィ集合「高い」の中で0.8になる。
b) 推論
 推論は、変数の結合規則により実行され、加工規則または生産規則としても表記される。例として、Hans Castorpの幼年時代を考えてみよう。両親が亡くなってから、祖父がなくなるまでの1年半、Hans Castorpは、祖父の下で生活した。Hans Castorpが祖父を見ている場面がある。「特別で半分夢を見ているようなそし て半分不安な感情、それが交互にやってきてしばらく留まり再び元に戻っていく。一種のめまいである。幼いHans Castorpは、以前から知っている こうした感情に触れることを期待し、そしてまた希望しました」。Hans Castorp の期待が高まり、突然その願望が姿を現すと、彼のイロニーは強くなる。
 ここで、和結合には最小値の演算子が、また共通結合には最大値の演算子が割り当てられる。そして、これまで記述したすべての規則を利用することにより、出力変数のメンバーシップ関数の都度の値が算出される。最大/最小の方法は、出力変数のメンバーシップ関数の面が、その都度算出されたメンバーシップ値によって部分的に灰色で区切られている。最大/積の方法は、出力変数のメンバーシップ関数の面が、 その都度算出されたメンバーシップ値によって算出される。
c) 脱ファジィ化
 脱ファジイ化は、様々なファジイ集合に割り当てられる出力変数の正確な値を算出する。つまり、曖昧な事柄を具体的な数字や値に変換していく。最大/最小または最大/積の方法によって数字が統合され、重心が算出される。

花村嘉英 計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?(2005)より 

トーマス・マンとファジィ12

 ファジィ論理の主要領域は、ファジィコントロールである。ファジィの値に基づきプロセスを素早く簡単に規則化できれば、ファジィ論理の適用が意義のあるものになるからである。ファジイコントロールとは、 数学的なプロセスモデルではなく、「温度が高くて圧力も高ければ、弁は完全に開く」といった言語を形式化した単純な規則である。それ故に、 部分的に近づくことができないプロセスパラメータを伴って規則化されることもある。ファジィコントロールは、ファジィ化、推論そして脱ファジィ化により構成される。それでは一つ一つ見ていくことにしよう。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ11

 体温計は、「魔の山」の中でしばしば話題になる。それは、療養所ゆえに検温が義務付けられているためである。Joachim Ziemßenが検温の際にぼやく場面がある。Joachimは、カタルを患っているため、時々発熱する。昨晚38°Cあった熱が37.5℃に下がった時、体温計に付いている目盛りを見ながら、この目盛りのおかげで軍務につけないとHans Castorpに心境を語っている。
 また、Hans Castorpが発熱する場面もある。ある日の朝食後、体温計の水銀柱が37.7℃に上昇し、晚方は37.5°Cでしたが、翌日の早朝は37°Cに下がり、昼時にまた37.7℃に上がる様子が描かれている。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ10

 要素自体がファジィの場合を考えてみよう。例えば、10ではなく、だ いたい10または10 ±10%などの扱い方が問題になる。すべての測定値は、 通常、絶対的な量や値ではなく、多かれ少なかれ許容範囲を伴う大きさである。つまり、測定器または測量器が示す値は、無条件で受け入れら れるべきではなく、常に測定器などの公差を伴うものとする。こうしたことは、測定技術において自明なことである。上記の数字は、インター バルとして考察され、数字自体(例えば、測定値)は、その中央に存在 し、その幅は、公差によって規定される。例えば、体温計が、36℃の体温を示しているとする。その公差を±1%とすると、メンバーシップ関 数による表記は、三角形になる。
 測定値(36℃)とインターバルの制限を確認する。精度の低い測定器は、公差が大きく、大きなインターバルになる。一方、精度が高い測定器は、限りなく公差が小さく唯一の明白な値となる。また、垂直の線は、公差による値が問題となることを示している。
 では、曖昧な数字のメンバーシップ値は、どのように算出できるのであろうか。最善の方法は、双方のメンバーシップ関数の交点において最大値を選択することであろう。例えば、体温計による測定値 36.0℃ ±0.4℃と健康の目安といえる曲線の流れが与えられる。それらを重ねると、その結果としてが出てくる。ファジィ集合「病気」に対する36.0°C 士 0.4℃のメンバーシップ値は、0.3から0.6 の範囲だが、最大値を使用することが実践的である。さらに、 多くのファジィ集合が問題になる場合もある。平温には個人差があり、低い人もいれば、高い人もいる。但し、ここで紹介した方法とは異なるものが、よりうまくこうした問題を解決できるならば、無論それをやさしい曖昧な数学に取り入れることに異論はないであろう。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ9

 修飾語(sehr とても)、mehr oder weniger(多かれ少なかれ)も一種 の演算子(オペレーター)と見なされる。但し、多少の影響は出るが、概ね真理値に変更は出ない。つまり、考察される要素の特徴を強めたり弱めたりする程度である。例えば、sehrは、ファジィ理論の中でメンバーシップ関数の2 乗によって表記される。mehr oder wenigerは、メンバーシップ関数の平方根によって表記される。こうし た修飾語を使用することにより、ファジィ集合の様々な組み合わせが表記できようになる。
 ファジイ集合と修飾語の組み合わせの代わりに、独自の論理を定義することも可能である。これは、個々の集合の制限をそれぞれ決めることができるといった利点がある。

花村嘉英(2005)計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?より

トーマス・マンとファジィ8

 集合論の演算と論理学の演算の違いを確認しよう。集合論の演算では、 2つのファジィ集合が完全に結合し、最後に再び集合が成り立つ。例えば、 我慢強い子供の集合は、月並みな子供の集合と結合し、最後に我慢強くて月並みな子供の集合が成立します。論理学の演算では、考察される要素の特徴が結び付けられ、最後に何れかの特徴を持った要素が立つ。ある子供の我慢強い特徴は、その子供の月並みという特徴と結びついて、我慢強くて月並みな特徴を持った要素(Hans Castorp) になる。
 面白いことに、人間は、論理思考において、和結合または共通結合を純粋に使用することはごくまれである。たいていは、双方の中間に存在する結合を使用している。「魔の山」の中で、Hans Castorp は主人公であり、Joachim Ziehmßenは一人の登場人物である。Hans Castorpは、孤児で我慢強く背丈は中ぐらい。Joachim Ziehmßenは、体の幅があり背丈も大きくて几帳面な男である。ここで、我慢強くて強い男が求められているとしよう。簡単のため、双方の特徴は、選択時に同じように重要であることが前提となっている。Hans Castorpは、我慢強いが、強いというほどではない。いわば、我慢強さに対しては、メンバー シップ値が0.9となるが、強さに対しては、0.5ぐらいです。 Joachim Ziehmßenについても、同様にメンバーシップ値を当てることができる。我慢強くて強い男の集合に対する双方のメンバーシップ値を求めるために、最小値を求める演算が適用される。
 古典論理では、この点が説明できない。我慢強くて強い男の集合は、 どちらも我慢強くて強い特徴を同時にそして完全に満たしていないため、空の集合になってしまう。一方、ファジィ論理は、こうした点を補 うことがでる。和結合と共通結合の間に相補演算子ラムダとガンマを置くからである。ラムダ演算子は、パラメータが純粋な和結合と純粋な共通結合の間のどこに位置しているのかを示してくれる。そして、λ = 0 の場合、共通結合の演算子となり、λ = 1の場合に、和結合の演算子になる。ガンマ演算子は、相補的な和結合の演算子ゆえに人間の感情をうまく再現してくれる。つまり、2つの集合のうちの一つを優先させるに際に効果がある。Gamma = 0の場合、和結合の演算子となり、Gamma =1の場合、共通結合の演算子となる。

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花村嘉英
花村嘉英(はなむら よしひさ) 1961年生まれ、立教大学大学院文学研究科博士後期課程(ドイツ語学専攻)在学中に渡独。 1989年からドイツ・チュービンゲン大学に留学し、同大大学院新文献学部博士課程でドイツ語学・言語学(意味論)を専攻。帰国後、技術文(ドイツ語、英語)の機械翻訳に従事する。 2009年より中国の大学で日本語を教える傍ら、比較言語学(ドイツ語、英語、中国語、日本語)、文体論、シナジー論、翻訳学の研究を進める。テーマは、データベースを作成するテキスト共生に基づいたマクロの文学分析である。 著書に「計算文学入門−Thomas Mannのイロニーはファジィ推論といえるのか?」(新風舎:出版証明書付)、「从认知语言学的角度浅析鲁迅作品−魯迅をシナジーで読む」(華東理工大学出版社)、「日本語教育のためのプログラム−中国語話者向けの教授法から森鴎外のデータベースまで(日语教育计划书−面向中国人的日语教学法与森鸥外小说的数据库应用)」南京東南大学出版社、「从认知语言学的角度浅析纳丁・戈迪默-ナディン・ゴーディマと意欲」華東理工大学出版社、「計算文学入門(改訂版)−シナジーのメタファーの原点を探る」(V2ソリューション)、「小説をシナジーで読む 魯迅から莫言へーシナジーのメタファーのために」(V2ソリューション)がある。 論文には「論理文法の基礎−主要部駆動句構造文法のドイツ語への適用」、「人文科学から見た技術文の翻訳技法」、「サピアの『言語』と魯迅の『阿Q正伝』−魯迅とカオス」などがある。 学術関連表彰 栄誉証書 文献学 南京農業大学(2017年)、大連外国語大学(2017年)
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