2019年03月29日
家族の木 THE FIRST STORY 真一と梨花
母性本能
スキャンダルはやがて忘れ去られ大阪の女子大の講師の口がまたつながった。僕は、田原の家には特に挨拶をせずビジネスホテルに泊まった。例の聡の相談のあと、なんとなく自己嫌悪や僻みっぽい気分が抜けなかった。勝手に幸せになれ!と思っていた。それに、梨花にどんな顔をすればいいのかわからなかった。
大阪のビジネスホテルの部屋に入ったところで梨花から電話がかかってきた。怒っていた。「何嫌味なことしてるのん?こっちに泊まったらいいやん。そんなに高給取り違うでしょ。めんどくさい人やなあ。迎えに行くから待っといて。ご飯の支度してるからキャンセルでけへんよ!」例のごとくオヤジ節がさく裂して、有無をも言わせなかった。
部屋に現れた梨花は僕とは目を合わせずに「荷物どこ?」と聞いた。イライラしていた。梨花のスーツ姿を初めて見た。品のいい薄化粧。端正な顔立ち、きびきびした物腰。こんなにきれいだったのだと驚いた。
「こないだの人キレイやね。真ちゃんにも彼女がいて当たり前よね。」と、やはり目を合わさずに言った。いかにも気にしてないと言いたげだったが、こだわっているのがよく分かった。ぎこちない硬い雰囲気になった。
「聡が、失礼な相談したらしいね。ごめんね。無神経で。」と謝られたが、「な〜に、こっちは、私生児歴36年のベテランだ。気にしないよ。」と虚勢を張った。自分の出生がコンプレックスで気分が落ち込んでいるとは言えなかった。
「何で、そんなひねくれたものの言い方するのん!もっと素直に嫌やったって言ったらええやんか。悲しいとか辛いとか言ったらええやんか。そしたら、慰めようもあるやんか。もっと母性本能刺激せな、モテへんよ!」と強い調子で突っかかってくる。びっくりした拍子に、だらしなく涙が出てきた。
梨花は僕の涙をみると一瞬黙った。そして、ゆっくり近づいてきて、母親がするように僕を抱いて背中を撫でた。「ごめん。なんかイライラして。八つ当たりしてしもて、ごめんね。私彼女じゃないのに、やきもち焼いてむしゃくしゃして。」といった。
「母性本能刺激されたか?」鼻をすすりながらいうと「黙って、おとなしくして。」背中を撫でる手に、だんだん力が入ってきて強く僕を抱きしめていた。
梨花の胸が僕の顔の前にあった。梨花の喉は真っ白でほのかな光を放っていた。梨花のおなかは僕に密着していた。僕も自然に力が入って梨花を強く抱きしめた。「真ちゃん、無理せんでもいいんよ。あかんたれで泣き虫の真ちゃんが大好きよ。」梨花の声が耳元で聞こえた。温かい吐息が耳にかかった。
「母は僕を捨てたんだ。僕を置いて結婚した。結婚先で亭主と心中してしまったんだ。」誰にも言えない、僕が最も恥だと思っていることを子供のように訴えた。僕が一番恥ずかしいと思っていること、それは自分が母に捨てられた子供だということだった。一番愛してくれるはずの人に愛してもらえなかった子供だと言うことだった。
梨花は、それを聞いて一緒に泣いてくれた。「大丈夫、大丈夫やから。大丈夫。」なぜか、しきりに大丈夫といって僕をなだめた。10分位だらしなく泣いていたかもしれない。梨花にされるがままになっていた。慰めるという言葉の本当の意味を、この日、知った。
僕は、母が亡くなった時涙を流さなかった。涙なんか出なかった。悲しいよりもっと感覚が痺れた様な感じがしていた。母の葬儀の時テレビドラマを見ているような錯覚をしていた。ただ、祭壇の前に座って葬儀という大人の行事をやり過ごしていた。
時々現実に引き戻された時には何度も吐き気がした。母は僕の知らないどこかで生きている。内心は僕のことを気にかけながら、事情があって我慢しているのだと思った。
誰かが母が亡くなったという現実を突き付けてきたときにはいつも吐き気がした。葬儀の後、四、五日寝込んだらしい。そのあたりの記憶がモヤモヤして何も覚えていない。それ以降、僕は泣くということができなくなっていた。
何年かぶりで年甲斐もなく大泣きしてしまった。恥ずかしいことに僕は目を泣きはらしていた。梨花は大きな目鏡をかけて目を隠して外へ出た。
続く
スキャンダルはやがて忘れ去られ大阪の女子大の講師の口がまたつながった。僕は、田原の家には特に挨拶をせずビジネスホテルに泊まった。例の聡の相談のあと、なんとなく自己嫌悪や僻みっぽい気分が抜けなかった。勝手に幸せになれ!と思っていた。それに、梨花にどんな顔をすればいいのかわからなかった。
大阪のビジネスホテルの部屋に入ったところで梨花から電話がかかってきた。怒っていた。「何嫌味なことしてるのん?こっちに泊まったらいいやん。そんなに高給取り違うでしょ。めんどくさい人やなあ。迎えに行くから待っといて。ご飯の支度してるからキャンセルでけへんよ!」例のごとくオヤジ節がさく裂して、有無をも言わせなかった。
部屋に現れた梨花は僕とは目を合わせずに「荷物どこ?」と聞いた。イライラしていた。梨花のスーツ姿を初めて見た。品のいい薄化粧。端正な顔立ち、きびきびした物腰。こんなにきれいだったのだと驚いた。
「こないだの人キレイやね。真ちゃんにも彼女がいて当たり前よね。」と、やはり目を合わさずに言った。いかにも気にしてないと言いたげだったが、こだわっているのがよく分かった。ぎこちない硬い雰囲気になった。
「聡が、失礼な相談したらしいね。ごめんね。無神経で。」と謝られたが、「な〜に、こっちは、私生児歴36年のベテランだ。気にしないよ。」と虚勢を張った。自分の出生がコンプレックスで気分が落ち込んでいるとは言えなかった。
「何で、そんなひねくれたものの言い方するのん!もっと素直に嫌やったって言ったらええやんか。悲しいとか辛いとか言ったらええやんか。そしたら、慰めようもあるやんか。もっと母性本能刺激せな、モテへんよ!」と強い調子で突っかかってくる。びっくりした拍子に、だらしなく涙が出てきた。
梨花は僕の涙をみると一瞬黙った。そして、ゆっくり近づいてきて、母親がするように僕を抱いて背中を撫でた。「ごめん。なんかイライラして。八つ当たりしてしもて、ごめんね。私彼女じゃないのに、やきもち焼いてむしゃくしゃして。」といった。
「母性本能刺激されたか?」鼻をすすりながらいうと「黙って、おとなしくして。」背中を撫でる手に、だんだん力が入ってきて強く僕を抱きしめていた。
梨花の胸が僕の顔の前にあった。梨花の喉は真っ白でほのかな光を放っていた。梨花のおなかは僕に密着していた。僕も自然に力が入って梨花を強く抱きしめた。「真ちゃん、無理せんでもいいんよ。あかんたれで泣き虫の真ちゃんが大好きよ。」梨花の声が耳元で聞こえた。温かい吐息が耳にかかった。
「母は僕を捨てたんだ。僕を置いて結婚した。結婚先で亭主と心中してしまったんだ。」誰にも言えない、僕が最も恥だと思っていることを子供のように訴えた。僕が一番恥ずかしいと思っていること、それは自分が母に捨てられた子供だということだった。一番愛してくれるはずの人に愛してもらえなかった子供だと言うことだった。
梨花は、それを聞いて一緒に泣いてくれた。「大丈夫、大丈夫やから。大丈夫。」なぜか、しきりに大丈夫といって僕をなだめた。10分位だらしなく泣いていたかもしれない。梨花にされるがままになっていた。慰めるという言葉の本当の意味を、この日、知った。
僕は、母が亡くなった時涙を流さなかった。涙なんか出なかった。悲しいよりもっと感覚が痺れた様な感じがしていた。母の葬儀の時テレビドラマを見ているような錯覚をしていた。ただ、祭壇の前に座って葬儀という大人の行事をやり過ごしていた。
時々現実に引き戻された時には何度も吐き気がした。母は僕の知らないどこかで生きている。内心は僕のことを気にかけながら、事情があって我慢しているのだと思った。
誰かが母が亡くなったという現実を突き付けてきたときにはいつも吐き気がした。葬儀の後、四、五日寝込んだらしい。そのあたりの記憶がモヤモヤして何も覚えていない。それ以降、僕は泣くということができなくなっていた。
何年かぶりで年甲斐もなく大泣きしてしまった。恥ずかしいことに僕は目を泣きはらしていた。梨花は大きな目鏡をかけて目を隠して外へ出た。
続く
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