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2019年05月05日

秩父の芝桜とわらじカツ丼@

秩父に行ってきました!!


その前に名物食べる!

ってことで
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焼肉レストラン 東大門へ

めっちゃ、並んでる

15組待ちでした

でも、回転は速かったです

順番来るまでぶらぶら散歩

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本当に自然多くて、癒される…

2019年04月30日

明日から令和

とうとう平成も残りわずかですね

平成が終わるなんて、まだまだ先の事…と考えていたので、不思議な気持ちです

2019年04月23日

過去絵1

過去の絵を時系列でアップします


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この頃は描く人間みんなお人形さんみたいでした
ベジタリアン姫の設定…
今は描く人間みんな肉厚になりました
お腹とかね…痩せてても多少ぽよんとしますよね…
そういうお肉の魅力というか、実際の人間ががちょっと見えてきました
発展途上中(成長したい)


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2019年04月21日

名探偵コナン映画観てきました(ネタバレなし)

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すごくおもしろかった…!

怪盗キッドファンなので、ものすごくドキドキ、ワクワクしました

ヒライバージョンのポスターを見つけたのでパチリ^ ^

今回は初の女性監督さんだけあって、女性のツボをばっちり捉えているな〜と思いました
相変わらず、蘭ちゃん強い!


また見に行きたいです

GWは混むんだろうなぁー…

行く時期が悩みどころです




2019年04月20日

陽だまりの丘 10

師長はなかなか動いていないように見えた。
金曜日に応援派遣について、再度確認を取ると他病棟の師長も自分も土日は休みのため、来週の月曜に調整すると言われた。
土日の人員に余裕がなく早急に対応が必要だと申し出ても、あなたは私の仕事に意見するのかと言われてしまった。
もちろん、橘師長にも考えがあったのだと思う。

あらゆる悪いタイミングが重なったのだと思うし、監督責任が欠如していたと言われれば頷くしかない。

土日と日勤だった私は師長代理として、病欠で頼りない人数の看護師と共に朝礼を済ませた。

経験3年目の看護師、あとは独り立ちしたばかりの一年目3人、午前中までのパート看護師一人と私で病棟の50名の患者を担当する。
7:1の看護基準に満たしてない看護師の数である。

看護師もAB二つのチームに分け、それぞれリーダーを立てる。
リーダーはそれぞれの看護師の業務の割り振りやチームメンバーが業務をまわせているか目を配る役割を担う。
Aチームのリーダーは経験3年目の看護師を立てたが、Bチームのリーダーがいない。
まさか常勤と言えど、一年目を立てるわけにいかない。
そのため、午前中はパート看護師にリーダーをしてもらい、午後はAチームのリーダーに兼任してもらうことにした。

午前中の病棟全員のオムツ交換、清潔のための介助、点滴の交換はなんとか終わった。

3年目の看護師の石井未来さんは、一年目のプリセプター(お姉さん役)も兼任していた。
彼女は一生懸命後輩を指導しようとする熱意が強く、かえってプリセプティの一年目の看護師、田無杏さんが恐縮し、過緊張からかミスをすることがあった。
午前中の業務がひと段落ついて私が看護日誌をつけていると、田無さんが泣きながらナースステーションに帰ってきた。

「田無さん、どうしたの?」
と聞くと、
「石井先輩が、厳しすぎです」
と泣く。
詳しく話を聞いてあげたかったが、患者の昼食が病棟に上がってきたので、スタッフ総出で配膳をしなければならない。

とりあえず同じAチームの二人の距離を取るため、石井さんをBチームのリーダーに専念してもらい、私がAチームのリーダーをすることにした。

石井さんは物言いたげであったが、今フォローの声かけをする暇はなかった。
今日終わったら、気分転換で飲みに行こうと誘うとうなずく。
田無さんは早めに休憩を取ってもらい、その間フォローしようと思っていた。

Aチームの食事介助が必要な患者の中で、206号室には高齢の患者が特に多かった。
その中で、広澤さんは私が新人の時から関わらせてもらった患者さんだ。





陽だまりの丘 9

「わかんない。だけど、前の職場の夢はよく見る」

疲れることが少なくなって、眠りも浅くなった。それと同時に夢も見る。

「夢占いだとねー、それは現状に満足してないんだって。戻るより新しい所で居場所作った方がいいよ」

私は夢占いはよく知らないが、亜希子は占い好きでよく引き合いに出してくる。
私は占いの言葉より、大学病院に戻っておいでという言葉をどこかで期待していた。

「それに、キャパオーバーして休みたくて辞めたんじゃないの?」

「そうだけど…。亜希子は容赦ないなぁ」

私の寂しい気持ちを察したのか、亜希子は話し始めた。

「ゆかりんとまた、一緒に働けたら嬉しいなとは思うよ。でも、私もいつまでここで働くかはわからないし。病棟の人間関係とか問題点とかは残念ながらあんまり変わらないよ。橘師長も変わらないよ?今は有紀子が主任になったよ。有紀子は気が強いから言いたいことは言うけど、それでもはたから見たらキャパオーバーになってる感じがする。上が変わらないとなかなか変わらないもんだよ。」

私が主任をしていた時は、上司の要求にイエスマンにも革命派にもなれず、ただ一人でなんとか業務を回そうと空回りしていたと思う。

そんな中起きた、あの事件は私をやるせなくさせる。
大学病院の内科病棟の主任看護師をしていた私は、橘師長の元で働いていた。
橘師長は他人には厳しいのだが、自身の役職の責任からは逃れるが上手い人という印象が拭えない。
大学病院の急性期の内科病棟とは名ばかりの、要は他の病棟の慢性期だが転院先の見つからない患者の一時的な受け入れ先といった病棟になっていた。認知症やせん妄傾向のある、介護の必要な高齢者や、糖尿病で極度の低血糖になったが、病気の自覚がなく食事の管理を本人が行うには不十分な人、精神疾患があり不安定な行動を繰り返す人など、他科に移る必要のある人もいた。

特にその傾向は橘師長が上に立つようになってから、顕著になっていったように思う。
入院患者の最終的な受け入れの決定はその病棟の師長がくだす。

ベットの稼働率を上げることで、病院全体の収支を上げることができるため、師長は病棟の患者受け入れを積極的に行っていた。
しかし、それは病棟の看護師の負担を上げることにも繋がる。
主任の私の元にも、人手不足を嘆く相談は数多く寄せられていた。
師長にその旨を相談したが、他のもともと人員の足りない病棟に優先的に人材がいっているため、今はいる人数で効率的に業務を回すよう、言われるだけだった。
年末になって、ノロウィルスやインフルエンザが流行る時期になると、抵抗力が弱っている患者はもともと持っている病気に加えて、発症する人もいる。
他患者にうつらないよう、部屋を分けるのだが、その移動に一人二人と取られる。
4人部屋で、一人ノロウィルスと思わしき患者が嘔吐した時、運悪く隣の患者に吐瀉物がかかり、感染は一気に広がっていった。
感染予防のマニュアルはあったし、それに沿って対応もしていたが、吐瀉物が直接隣の患者にかかったことは防ぎようもなかったことだったと思う。
職員も感染する者も出て、病棟の看護師の人数も激減していた。
病棟看護師の一人当たりの業務は膨大なものとなり、悲鳴が上がっていた。
私は土日来ない師長に、火曜の時点で他の病棟からの看護師の応援派遣を要請した。
病棟看護師の業務の調整は主任である私が行っていたが、人員の調整は師長の承諾がないと動かせなかった。

続き



陽だまりの丘 8

「わかんない。だけど、前の職場の夢はよく見る」

疲れることが少なくなって、眠りも浅くなった。それと同時に夢も見る。

「夢占いだとねー、それは現状に満足してないんだって。戻るより新しい所で居場所作った方がいいよ」

私は夢占いはよく知らないが、亜希子は占い好きでよく引き合いに出してくる。
私は占いの言葉より、大学病院に戻っておいでという言葉をどこかで期待していた。

「それに、キャパオーバーして休みたくて辞めたんじゃないの?」

「そうだけど…。亜希子は容赦ないなぁ」

私の寂しい気持ちを察したのか、亜希子は話し始めた。

「ゆかりんとまた、一緒に働けたら嬉しいなとは思うよ。でも、私もいつまでここで働くかはわからないし。病棟の人間関係とか問題点とかは残念ながらあんまり変わらないよ。橘師長も変わらないよ?今は有紀子が主任になったよ。有紀子は気が強いから言いたいことは言うけど、それでもはたから見たらキャパオーバーになってる感じがする。上が変わらないとなかなか変わらないもんだよ。」

私が主任をしていた時は、上司の要求にイエスマンにも革命派にもなれず、ただ一人でなんとか業務を回そうと空回りしていたと思う。

そんな中起きた、あの事件は私をやるせなくさせる。
大学病院の内科病棟の主任看護師をしていた私は、橘師長の元で働いていた。
橘師長は他人には厳しいのだが、自身の役職の責任からは逃れるが上手い人という印象が拭えない。
大学病院の急性期の内科病棟とは名ばかりの、要は他の病棟の慢性期だが転院先の見つからない患者の一時的な受け入れ先といった病棟になっていた。認知症やせん妄傾向のある、介護の必要な高齢者や、糖尿病で極度の低血糖になったが、病気の自覚がなく食事の管理を本人が行うには不十分な人、精神疾患があり不安定な行動を繰り返す人など、他科に移る必要のある人もいた。

特にその傾向は橘師長が上に立つようになってから、顕著になっていったように思う。
入院患者の最終的な受け入れの決定はその病棟の師長がくだす。

ベットの稼働率を上げることで、病院全体の収支を上げることができるため、師長は病棟の患者受け入れを積極的に行っていた。
しかし、それは病棟の看護師の負担を上げることにも繋がる。
主任の私の元にも、人手不足を嘆く相談は数多く寄せられていた。
師長にその旨を相談したが、他のもともと人員の足りない病棟に優先的に人材がいっているため、今はいる人数で効率的に業務を回すよう、言われるだけだった。
年末になって、ノロウィルスやインフルエンザが流行る時期になると、抵抗力が弱っている患者はもともと持っている病気に加えて、発症する人もいる。
他患者にうつらないよう、部屋を分けるのだが、その移動に一人二人と取られる。
4人部屋で、一人ノロウィルスと思わしき患者が嘔吐した時、運悪く隣の患者に吐瀉物がかかり、感染は一気に広がっていった。
感染予防のマニュアルはあったし、それに沿って対応もしていたが、吐瀉物が直接隣の患者にかかったことは防ぎようもなかったことだったと思う。
職員も感染する者も出て、病棟の看護師の人数も激減していた。
病棟看護師の一人当たりの業務は膨大なものとなり、悲鳴が上がっていた。
私は土日来ない師長に、火曜の時点で他の病棟からの看護師の応援派遣を要請した。
病棟看護師の業務の調整は主任である私が行っていたが、人員の調整は師長の承諾がないと動かせなかった。


続き


陽だまりの丘 7

「本当はさ、違う民間病院で看護師復帰しようかと思ったんだよね。ま、産休まで取ってるから、今は同じ所に勤めてるけど。大学病院って、研修医の仕事だから点滴とかの技術磨けないでしょ?役職つくと余計に現場で動く機会減るし。民間病院だとバンバン注射とかもやるじゃん?あぁいうの、ずっとやってないと感覚忘れるじゃん。あと、30代で師長とか、あたし無理だもん。もうちょっと現場で働きたい。」

目をキラキラさせて話す亜希子が眩しい。

「亜希子はすごいなぁ。私なんか家庭も子供もないのに、パートだよ。照子先生に甘えてる。」

「紫は、今は休んでいいと思うよ。あれは…カンペキ、バーンアウトってやつだよ。頑張ったよ、充分。」

亜希子が優しく言ってくれる。
亜希子は大学病院時代、一番の理解者だった。
私と後輩とのあの事件の事も知っている。
当時の師長は、主任の私に病棟内の人間関係の調整を丸投げだった。

亜希子は険しい顔をした私をみて、ふっと表情を和らげてみせた。


「そっかぁ。照子先生懐かしいなぁ。照子先生はゆかりんのことずっと気にかけてたんだよ。」


照子先生が、夫とともにクリニックを立ち上げるから、戸田さんこない?と誘ってくれたときにそれはなんとなくわかっていた。

その気遣いをありがたく思ったし、ただ気遣いではなく、私の仕事ぶりをかってくれたからこそ言ってくれたのだと思いたい。

「だけど、私全然照子先生に恩返しできないな。パートだとどうしても患者さんにしっかり関われないし、病棟みたいなやりがいがないの」

「大学病院に戻りたい?」


続き


陽だまりの丘 6

「千晴(ちはる)、おいで」

後部座席のチャイルドシートから降りてきたのは、亜希子の子供のはずだ。

「あれ?千晴ちゃん?」

記憶に残る千晴ちゃんは、確か亜希子の腕に収まる赤ちゃんだったはずである。

「そうだよー。大きくなったでしょ?千晴、紫お姉ちゃんにこんにちはは?」

いやいや、お姉さんだなんて。

「こにちは」

小さいけど、二本足で立っている生物が挨拶する。

可愛い。
否応無く、心をくすぐってくれる。

「こんにちは、千晴ちゃん」
挨拶を返すと、亜希子のもとに駆け寄る千晴ちゃんを見てやっぱり懐かれるほうじゃないなと思う。

「人見知りだからねー。でも、すぐ慣れるよ」
と、亜希子が笑う。

カフェのケーキは美味しかった。





「それじゃ、亜希子はもう育休明けて働いてるんだ。」

「うん、まぁでもパートにしたよ。常勤の枠いつまでも占領してたら、若い子入ってこないし。」

「えっ、もったいなくない?亜希子なら師長も狙えたんじゃないの?師長なら日勤オンリーで働けたじゃない。」

亜希子は同じ大学病院の違う病棟で看護主任をしていた。

私の働いていた大学病院では、看護主任の次の出世コースは看護師長で、主任までは夜勤をするが、師長になれば基本的に日勤のみの勤務になる。

「まぁね。うちの病院は新卒か、パートの古参ばっかりで中間がいないもんね。うちら常勤の中間層は役職は取りやすかったけどさ。この歳でまさかの妊娠だもん。親はそろそろ介護が必要だから、頼りようもなかったしさ。産休、育休に溜まった有給消化しちゃったら、戻る居場所ないよー?大学病院は人の流れ早いしさ。新人は大量に入れ替わってるし。だれ、この人?だよね」

亜希子は、違う病棟でパート勤務として復帰したらしい。


続き



陽だまりの丘 5

日曜日の朝、久しぶりの友人から連絡が来た。
亜希子は、大学病院時代の元同期の看護師である。

「ごめん、子供預けきれなくて。コブ付きだけどいい?」


「いいよー」

と笑顔で返すものの、正直子供は苦手だ。
嫌いというわけではない。
どのように接すればいいのかわからないのだ。
クリニックも、産婦人科という特性上小さな子供も来ることが多い。
母親である患者さんが内診台で診察を受けているときには、子供を見ていることも多いがその数分間すらどのようにあやせばいいかわからないのだ。
乳児の抱き方が不安定で、他の看護師に代わるように言われたこともある。
可愛いとは思うのだけど、愛苦しいに近い感覚で触れ方がわからない。

亜希子は子供を遊ばせるスペースのあるカフェを指定した。
駅から近いので、私も二つ返事で了承した。

「ゆかりん、こっちこっち」

少しふっくらしたように見える亜希子が、カフェの駐車場で手を振る。

「亜希子、久しぶり!」

太ったねーとは言えないし、言わない。
体重に敏感な津田さんのことが頭に浮かぶ。
あぁ、亜希子に津田さんのこと愚痴りたいなと思うけど、今、亜希子は相手として適任じゃあない。


続き




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