2020年05月15日
パソコン苦手からの出来るまでの道のり
以前にもお伝えしましたが、
私、機械全般本当に苦手です。
現に、パソコンもやっと人並みに操作は出来る様
になりましたが、それも長い道のりがありました。
そのきっかけが長い道のりです。
きっかけは高校(2002年)の時に情報処理
の授業で赤点をとった事がきっかけです。
そこから父親の厳しい教えの元でパソコンを習いました。
◆お父さん、本当にまずこの様な記載する事
をお詫びいたします。書くのは悪いのも
承知です。でも当時は本当に本当に怖くて、
もう逃げたい気持ちもあったのも事実です。
ですが今ではその教えがあったから
パソコン操作が苦手、怖いという方の気持ちを理解して
接して、そして教える事が出来る様になった事を心から感謝しております
しかし、とても厳しいかったです。
「そこのボタンを押すんだ」
「なんで出来ない。キチンと人の話を聞けよ。」
でも本当に理解も出来ず、分かりませんでした。
とにかくパニック状態でした。終わった後に
大泣きしました。
なぜなら当時の私はパソコンを操作した事で
コンピュータウイルスの感染や再起動といった不具合が
何度も起きてしまい、大事なデータを消してしまった
事があり、周囲の方々にご迷惑をかけました。
それ以来、パソコン恐怖症とでもいいますか
その様な事がありました。いじれば怒られる、トラブルが
起きる、だったら触らんほうがよいという図式が頭の中で出来ました。
でも赤点からだっきゃくする為には
勉強しなければならなかったです。
その当時、ゲームセンターでSEGAの「タイピングオブザデット」
というゲームがあり、このゲームで100円玉を沢山入れて
何度もtyping練習しました。当然お金をかけるものですから
料金がかかります。その後は、オフラインで出来るタイピングソフト
が内臓されている事が分かり、それを使って併用の練習もしました。
そしてMicrosoftWordでの練習。
これは父親がサラリーマンだった事も
ありつきっきりで作成方法を教えてくれました。
罫線の引き方、段落の開け方、文字装飾
厳しい教えでしたが、習ったことはノートに
かきました。そして忘れない様に繰り返し練習しました。
(当時の私はコンピュータ本を読んでも読解出来る
だけの能力がなかったです。もともと本全般そうです。
今では、普通に読んでも分かる位に
なりました。でも当時がそれが精いっぱいで、繰り返しが一番と思いました。)
やがては、クラスでも10位中、最下位だったタイピングが
第3位まで登り詰める様になりました。
さらには、学校の課題であった資格試験
「日商ワープロ検定3級」も一発合格。
その後Excel、PowerPointも学校課題として
ありましたので同様に父親が教えてくれました。
これも相当厳しい教えでした。
Wordと似ている面があっても、違うソフトだけに
初めてのものと認識した為、まったく分からずでした。
でも教えてくれました。
Excel関数の使い方、グラフ作成、
そしてPowerPointのやり方、スライドの使い方
その中でお父さんがこれまでのサラリーマンとして経験を感じさせてくれました。
中でもPowerPointで発表する時は、原稿用紙は見るものではなく
お客様を目を見て、明るく発表する事、これは今の
生活でも役立ってます。
そして逆転劇をする事が出来ました。
赤点からやがては成績ランクは
4という5の最高の次に良い成績をとりました。
私にとっては、「どうだ。赤点とった俺でもやれるんだ。」
と挑戦的といいますか、力を身に着けたぞという感じでした。
しかしです。
やっぱりパソコンはとても怖かったです。
触れば壊れるんではないか、その思いは取れなかったです。
完全に。ではどうやってとれたかは、次回述べます。
私、機械全般本当に苦手です。
現に、パソコンもやっと人並みに操作は出来る様
になりましたが、それも長い道のりがありました。
そのきっかけが長い道のりです。
きっかけは高校(2002年)の時に情報処理
の授業で赤点をとった事がきっかけです。
そこから父親の厳しい教えの元でパソコンを習いました。
◆お父さん、本当にまずこの様な記載する事
をお詫びいたします。書くのは悪いのも
承知です。でも当時は本当に本当に怖くて、
もう逃げたい気持ちもあったのも事実です。
ですが今ではその教えがあったから
パソコン操作が苦手、怖いという方の気持ちを理解して
接して、そして教える事が出来る様になった事を心から感謝しております
しかし、とても厳しいかったです。
「そこのボタンを押すんだ」
「なんで出来ない。キチンと人の話を聞けよ。」
でも本当に理解も出来ず、分かりませんでした。
とにかくパニック状態でした。終わった後に
大泣きしました。
なぜなら当時の私はパソコンを操作した事で
コンピュータウイルスの感染や再起動といった不具合が
何度も起きてしまい、大事なデータを消してしまった
事があり、周囲の方々にご迷惑をかけました。
それ以来、パソコン恐怖症とでもいいますか
その様な事がありました。いじれば怒られる、トラブルが
起きる、だったら触らんほうがよいという図式が頭の中で出来ました。
でも赤点からだっきゃくする為には
勉強しなければならなかったです。
その当時、ゲームセンターでSEGAの「タイピングオブザデット」
というゲームがあり、このゲームで100円玉を沢山入れて
何度もtyping練習しました。当然お金をかけるものですから
料金がかかります。その後は、オフラインで出来るタイピングソフト
が内臓されている事が分かり、それを使って併用の練習もしました。
そしてMicrosoftWordでの練習。
これは父親がサラリーマンだった事も
ありつきっきりで作成方法を教えてくれました。
罫線の引き方、段落の開け方、文字装飾
厳しい教えでしたが、習ったことはノートに
かきました。そして忘れない様に繰り返し練習しました。
(当時の私はコンピュータ本を読んでも読解出来る
だけの能力がなかったです。もともと本全般そうです。
今では、普通に読んでも分かる位に
なりました。でも当時がそれが精いっぱいで、繰り返しが一番と思いました。)
やがては、クラスでも10位中、最下位だったタイピングが
第3位まで登り詰める様になりました。
さらには、学校の課題であった資格試験
「日商ワープロ検定3級」も一発合格。
その後Excel、PowerPointも学校課題として
ありましたので同様に父親が教えてくれました。
これも相当厳しい教えでした。
Wordと似ている面があっても、違うソフトだけに
初めてのものと認識した為、まったく分からずでした。
でも教えてくれました。
Excel関数の使い方、グラフ作成、
そしてPowerPointのやり方、スライドの使い方
その中でお父さんがこれまでのサラリーマンとして経験を感じさせてくれました。
中でもPowerPointで発表する時は、原稿用紙は見るものではなく
お客様を目を見て、明るく発表する事、これは今の
生活でも役立ってます。
そして逆転劇をする事が出来ました。
赤点からやがては成績ランクは
4という5の最高の次に良い成績をとりました。
私にとっては、「どうだ。赤点とった俺でもやれるんだ。」
と挑戦的といいますか、力を身に着けたぞという感じでした。
しかしです。
やっぱりパソコンはとても怖かったです。
触れば壊れるんではないか、その思いは取れなかったです。
完全に。ではどうやってとれたかは、次回述べます。
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