2018年08月21日
『人』の 言葉と行動の 力
わっしょ〜い! 福島いがちゃんネルです!!
お盆も終わり日常の生活に戻りました!
お盆中は実家に、 うちの家族と兄弟の家族が全員集合で大賑わいでした! 実家にはエアコンがないので 夏の暑さと 子供たちの熱気で、 熱気ムンムン地獄でした! それでもやっぱりみんなで過ごすのは楽しいし癒されますね!
それでは
『立ち直って前向きになった理由』を話させてください!
結論から言うと『人』です!
私は、人からもらった 思いやりの言葉、思いやりの行動で、 どん底から立ち直り前を向くことができました!
すごく単純で当たり前のことだと思われた方もたくさんいると思いますが、そんな単純で当たり前のことが、命と心を救う大切なものなんだと私は思います!
少し話を戻しますが、私は白血病になる前には、私と奥さんと子供1人 の3人家族でした! 子供も 2人目が欲しかったのですが なかなか授からず、 排卵日に合わせて子作りをし、 生理が来てしまい 奥さんと2人で ショックを受けたり不安に思ったりとを繰り返していました。
そんな中で私は突然 白血病になり、ドクターからは 抗がん剤治療と骨髄移植をすると 子供を授かることはもう二度とないと告げられました。
白血病になっただけでも絶望だったのに、もし私が病気を乗り越えて生きたとしても、 もう二度と子供を授かることができないと聞かされた時は 涙も出ないくらいに頭が真っ白になりました。
ところが
奇跡が起こったんです!
治療を始めてから1ヶ月後ぐらいのことです! 奥さんが面会に来て「妊娠したかもしれない!」と嬉しそうに話してくれました!
なんと 白血病と診断される 1週間くらい前にした子作りで、 奇跡的に 2人目の子を授かっていたんです!
1年近く子供が出来ずに悩んでいた私たちにとっては、まさに奇跡でした!!
ただ、その奇跡も 一概に喜ぶこともできない状況でした。私も余命ありきの治療で、もし 生きれるとしても長生きはできないと告げられていたし、 経済的にも私が働いて家計をやりくりしていたので 収入もゼロになったうえに高額な医療費を払わなくてはいけない、さらに 購入したばかりの家のローン、、、 普通に考えれば 2人目を産んで家族4人で暮らしている状況ではありませんでした。
私は悩んだすえ「 俺もこの先どうなるか分からないし、俺らには○○がいるんだから(○○は1人目の子供の名前です) 無理に産まなくていいよ。」と奥さんに伝えました。
そしたら奥さんが「あなたは絶対大丈夫!絶対に治る! 絶対にあなたは生きる! あなたが治って帰ってきた時に この子 (お腹の中に授かった子)が いなかったらあなたは絶対に後悔する!だから私は絶対に産むから!」と言い、そのあと自分の実家に戻り、親と兄弟に土下座をし「 この子を産ませてください!産むことも育てることも 私ひとりじゃできません! 力を貸してください!」と 泣きながら頼んでくれたそうです。
私は奥さんの、そのような言葉と行動に心が救われました!
そのことがあってから、 それまで抗がん剤治療で 余命を告げられるほどボロボロになっていた体と心が、 少しずつ良い方向に向かっていったのです!
だいぶ長くなってしまいましたが、私は奥さんの愛情と思いやりのある 言葉と行動に救われました!
当然 奥さんだけではなく、 たくさんの人に心を救われました!
子供が「お父ちゃん痛い痛いの早く治して早く帰ってきてね!」と 動画でメッセージをくれたり 病院の外から手を振って会いに来てくれたり!(無菌室なので 子供に会うことはできず 面会できるのは 奥さんと両親と兄弟だけでした)
母は足腰も痛くて大変なのに毎日仕事終わりに面会に来てくれました! そして苦しむ私の背中を面会時間の間ずっと さすってくれてました。
兄弟は遠く離れた県外に住んでいるのに、私が治療で辛かったり 糖尿病になり 目が見えなくなったりして泣きながら電話をした時に、 心配してすぐに駆けつけて 手を握ってそばにいてくれました !
父は 人の苦しむ姿を見ることが辛い人なので自分の兄弟や親戚が 入院して闘病生活をしていても絶対にお見舞いにいかないような人でした。 そんな父が 定期的に私のお見舞いに来て 一切何も喋ることなく面会時間ずっと手を握ってそばにいてくれました。
親友たちも千羽鶴をおってくれたり 病院の外に 会いに来てくれたり!
奥さんの方の両親や兄弟も 様々なサポートや支援をしてくれました! 奥さんは 私よりも兄弟が多く、しかもみんな近くにいるので とてもうちの家族をいろんな面でサポートしてくれました!
もっともっとたくさんの言葉や行動で私の心は救われましたが、 これ以上事細かく話をしたら 一冊の本が出来上がってしまうくらい 長くなってしまうので ここでこの話は一旦終わります!笑
長々とたくさん話してきましたが私が伝えたいのは、私の心を救ってくれた愛情、言葉、行動は、 全部『 人』がくれたものということです!
奥さんも、うちの両親も、うちの兄弟も、奥さん方の両親と兄弟も、私の親友達も、 私が退院してから、会いに来てくれて、 言った言葉で 共通してるのは『 一番辛い時に何もしてあげられなくてごめんね』 でした!
たぶん、 みんな気づいていないだけで、 一人一人が私を想って起こした行動や、発した言葉が、 医療では救えない 心を救って くれて 余命ありきの治療から 生きるための治療へと変わっていきました!そして 余命宣告も取り消されました!それでも今も 体調を崩し入退院を繰り返すということを繰り返していますが、自宅で 薬を飲みなが治療を続けられるくらい元気になりました!それもこれも みんなの思いやりの言葉、行動が あったからこそです!!
決して医療だけでは人の命は救えないと実感しました!
私は『人』が大好きです!!
ほんじゃ今日はこごいらで終わりにさせでもらいます!
次回は『こんな状況でブログを始めた理由』と、そのブログを通じて『何をしていきたいか』を明確に書いていきたいと思います!
ほんじゃ、またない!
お盆も終わり日常の生活に戻りました!
お盆中は実家に、 うちの家族と兄弟の家族が全員集合で大賑わいでした! 実家にはエアコンがないので 夏の暑さと 子供たちの熱気で、 熱気ムンムン地獄でした! それでもやっぱりみんなで過ごすのは楽しいし癒されますね!
それでは
『立ち直って前向きになった理由』を話させてください!
結論から言うと『人』です!
私は、人からもらった 思いやりの言葉、思いやりの行動で、 どん底から立ち直り前を向くことができました!
すごく単純で当たり前のことだと思われた方もたくさんいると思いますが、そんな単純で当たり前のことが、命と心を救う大切なものなんだと私は思います!
少し話を戻しますが、私は白血病になる前には、私と奥さんと子供1人 の3人家族でした! 子供も 2人目が欲しかったのですが なかなか授からず、 排卵日に合わせて子作りをし、 生理が来てしまい 奥さんと2人で ショックを受けたり不安に思ったりとを繰り返していました。
そんな中で私は突然 白血病になり、ドクターからは 抗がん剤治療と骨髄移植をすると 子供を授かることはもう二度とないと告げられました。
白血病になっただけでも絶望だったのに、もし私が病気を乗り越えて生きたとしても、 もう二度と子供を授かることができないと聞かされた時は 涙も出ないくらいに頭が真っ白になりました。
ところが
奇跡が起こったんです!
治療を始めてから1ヶ月後ぐらいのことです! 奥さんが面会に来て「妊娠したかもしれない!」と嬉しそうに話してくれました!
なんと 白血病と診断される 1週間くらい前にした子作りで、 奇跡的に 2人目の子を授かっていたんです!
1年近く子供が出来ずに悩んでいた私たちにとっては、まさに奇跡でした!!
ただ、その奇跡も 一概に喜ぶこともできない状況でした。私も余命ありきの治療で、もし 生きれるとしても長生きはできないと告げられていたし、 経済的にも私が働いて家計をやりくりしていたので 収入もゼロになったうえに高額な医療費を払わなくてはいけない、さらに 購入したばかりの家のローン、、、 普通に考えれば 2人目を産んで家族4人で暮らしている状況ではありませんでした。
私は悩んだすえ「 俺もこの先どうなるか分からないし、俺らには○○がいるんだから(○○は1人目の子供の名前です) 無理に産まなくていいよ。」と奥さんに伝えました。
そしたら奥さんが「あなたは絶対大丈夫!絶対に治る! 絶対にあなたは生きる! あなたが治って帰ってきた時に この子 (お腹の中に授かった子)が いなかったらあなたは絶対に後悔する!だから私は絶対に産むから!」と言い、そのあと自分の実家に戻り、親と兄弟に土下座をし「 この子を産ませてください!産むことも育てることも 私ひとりじゃできません! 力を貸してください!」と 泣きながら頼んでくれたそうです。
私は奥さんの、そのような言葉と行動に心が救われました!
そのことがあってから、 それまで抗がん剤治療で 余命を告げられるほどボロボロになっていた体と心が、 少しずつ良い方向に向かっていったのです!
だいぶ長くなってしまいましたが、私は奥さんの愛情と思いやりのある 言葉と行動に救われました!
当然 奥さんだけではなく、 たくさんの人に心を救われました!
子供が「お父ちゃん痛い痛いの早く治して早く帰ってきてね!」と 動画でメッセージをくれたり 病院の外から手を振って会いに来てくれたり!(無菌室なので 子供に会うことはできず 面会できるのは 奥さんと両親と兄弟だけでした)
母は足腰も痛くて大変なのに毎日仕事終わりに面会に来てくれました! そして苦しむ私の背中を面会時間の間ずっと さすってくれてました。
兄弟は遠く離れた県外に住んでいるのに、私が治療で辛かったり 糖尿病になり 目が見えなくなったりして泣きながら電話をした時に、 心配してすぐに駆けつけて 手を握ってそばにいてくれました !
父は 人の苦しむ姿を見ることが辛い人なので自分の兄弟や親戚が 入院して闘病生活をしていても絶対にお見舞いにいかないような人でした。 そんな父が 定期的に私のお見舞いに来て 一切何も喋ることなく面会時間ずっと手を握ってそばにいてくれました。
親友たちも千羽鶴をおってくれたり 病院の外に 会いに来てくれたり!
奥さんの方の両親や兄弟も 様々なサポートや支援をしてくれました! 奥さんは 私よりも兄弟が多く、しかもみんな近くにいるので とてもうちの家族をいろんな面でサポートしてくれました!
もっともっとたくさんの言葉や行動で私の心は救われましたが、 これ以上事細かく話をしたら 一冊の本が出来上がってしまうくらい 長くなってしまうので ここでこの話は一旦終わります!笑
長々とたくさん話してきましたが私が伝えたいのは、私の心を救ってくれた愛情、言葉、行動は、 全部『 人』がくれたものということです!
奥さんも、うちの両親も、うちの兄弟も、奥さん方の両親と兄弟も、私の親友達も、 私が退院してから、会いに来てくれて、 言った言葉で 共通してるのは『 一番辛い時に何もしてあげられなくてごめんね』 でした!
たぶん、 みんな気づいていないだけで、 一人一人が私を想って起こした行動や、発した言葉が、 医療では救えない 心を救って くれて 余命ありきの治療から 生きるための治療へと変わっていきました!そして 余命宣告も取り消されました!それでも今も 体調を崩し入退院を繰り返すということを繰り返していますが、自宅で 薬を飲みなが治療を続けられるくらい元気になりました!それもこれも みんなの思いやりの言葉、行動が あったからこそです!!
決して医療だけでは人の命は救えないと実感しました!
私は『人』が大好きです!!
ほんじゃ今日はこごいらで終わりにさせでもらいます!
次回は『こんな状況でブログを始めた理由』と、そのブログを通じて『何をしていきたいか』を明確に書いていきたいと思います!
ほんじゃ、またない!
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