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2019年02月18日
美の嬢王楊貴妃
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こんにちは。
今日は世界の三大美人楊貴妃を紹介したいと思います。
世界の美人といって思い起こすのは楊貴妃ですよね。
719年6月22日(開元7年6月1日) - 756年7月15日
若くして亡くなってるんですね。
中国唐代の皇妃として美人だけではなく才知があり琵琶を初めとした音楽や舞踊に多大な才能を有していたようです。
世界の三大美人であり,中国四大美人の一人でもある楊貴妃。
貴妃は皇妃としての順位を表す称号であり、本命は玉環。
楊貴妃がレイシ(ライチ、茘枝)を好み食べたのは有名ですよね.
ウィキペディアより引用
6月1日に生まれたと伝えられる。四川省には、「落妃池」という楊貴妃が幼い頃に落ち込んだと伝えられる池があり幼いころに両親を失い、叔父の楊玄璬の家で育てられた。
幼いころに両親を亡くしておられるんですね。
『定命録』によると、蜀に住んでいた時、張という姓の山野に住む隱士が彼女の人相を見て、「この娘は、将来、大富大貴になるであろう。
皇后と同等の尊貴にあるだろう」と予言し、さらに、またいとこの楊国忠の人相を見て、「将来、何年も朝廷の大権を握るであろう」と告げたという説話が残っている。
生まれながら玉環を持っていたのでその名がつけられたというものや、また、広西省の庶民の出身であり、生まれた時に室内に芳香が充満しあまりに美しかったので楊玄琰に売られたという後世の俗説もある
740年(開元28年)、玄宗に見初められ、長安の東にある温泉宮にて、一時的に女冠となった(このときの道号を太真という)。
これは息子から妻を奪う形になるのを避けるためであり、実質は内縁関係にあったと言われる。その後、宮中の太真宮に移り住み、玄宗の後宮に入って皇后と同じ扱いをうけた。
楊玉環は容貌が美しく、唐代で理想とされた豊満な姿態を持ち、音楽・楽曲、歌舞に優れて利発であったため、玄宗の意にかない、後宮の人間からは「娘子」と呼ばれた。
『長恨歌伝』によれば、髪はつややか、肌はきめ細やかで、体型はほどよく、物腰が柔らかであったと伝えられる。
昔の時代ではだもつやつや、髪の毛をつやつやにする秘訣はどこにあったんでしょうね?^^肌もつやつや??
琵琶を弾いておられたんですね。
芸は身を助くといいますけど。。。
美人であり学才にも優れたなんて見習いたいものですね。