2020年07月28日
ダンスについてCプロ編その2教師として
こんにちは
石水よ♡
最近筋トレ、ダイエットに励んでいますが
私はとうとう太りやすい人と、そうでない人の決定的な違いにきづきましたよ
それは
太る人はお腹一杯の満腹感に幸せを感じるんですっ
だからとにかくパンパンになるまで食べるっ
痩せてる人はお腹いっぱいになるのが苦しくて嫌なんです
だから腹7〜8分目でやめるんです
もう本当にこれだけです
カロリー計算とか必要ないと思います
でも・・・
それができないからこんなに苦労するんですよね
本題に入ります
今回も引き続き
「ダンスとは」についてですが
だんだんと私の自叙伝みたいになっていますな
私がダンス教師をスタートしたのは大阪の「鳥居ダンススクール」でした
元世界10ダンスチャンピオン(日本人で唯一の世界チャンピオン)の鳥居弘忠、瑤子先生が経営、指導する教室です
ここで私の社会人生活が始まりました
私の人生で、唯一社会勉強を教えてくれたのが瑤子先生でした。始めの頃は生徒さんもほとんどいなかったので教室の掃除やお茶出し、瑤子先生の運転手などいわゆる下積み生活でしたが、瑤子先生との会話などを通じて沢山のことを学びました(厳しかったですけどね)。
とにかく挨拶とお礼の言葉には気を付けるようにと言われました。どんな生徒さんでも自分の所に来てくれてる人は大切にすること。まー社会人としては当たり前のことですが、何しろ世間知らずの石水青年ですから瑤子先生も大分我慢をして指導してくださったと思います。
当時の鳥居ダンススクールは、豊中、梅田、塚口、新宿の4か所に教室がありスタッフは約15名ほどいました。私は学生時代には鳥居先生には教わってはいませんでしたが、鳥居先生からお誘いを受けて教室のスタッフとして勤務することになりました。
私は鳥居先生の居住している建物の1階にある豊中教室で週4回、梅田教室と塚口教室でそれぞれ週1回ずつの勤務となりました。
私はプロになるかどうかを決める時に先輩のプロの先生に相談した時に
「プロになって成績が出るかどうかは本人次第だけれど、ダンス教師として食べていくには苦労しない」
と言われました。
今から約20年前・・・
いい時代でしたな・・・
私は勤務して4カ月目で保証給料を超え半年くらいで大卒給料の2倍以上はいただけるようになったと記憶しております。
最初のパーティーでも5人くらいの独演を出さしていただきました。
毎月3〜4人は新規の生徒様が教室に来ていました。
それが当たり前だと思っていました。
当時豊中教室には4組のプロA級がスタッフとしていました。
みんなパンパンにレッスンが詰まっていました。
給料のほとんどが衣装代、自分のレッスン料に消えましたがお金は自然に稼ぐことができました。
こういう経験って今後の人生に良いのか悪いのかは紙一重です
20年前は先生の数は少なく(JBDFの選手は多かったですが)、生徒さんの数は多かったです
この時にどういう感覚でダンス教師として仕事をしていたかが大事ですよね
それについては次回に書きます・・・
当時の私は試合に出て結果を出すことだけに集中していました
これは今でも多くの現役選手がそうしていると思います
プロの選手としては当たり前の考えだと思います
ですので当時は生徒さんにダンスを教えるというよりも自分の練習みたいにレッスンしていました
もちろん手を抜くとかそういうことではなく自分本位でレッスンしてた感じです
もちろんそういうレッスンが好きな生徒さんもいますので良いか悪いかは別の話ではあります
なので当時の私にはダンス観というのはあまりなくとにかく必死でした
今のように仕事としてのダンスというよりかは競技だけのダンスになっていました
ただひとつ、私はレッスンの時は、できるだけボディを使って踊ることを心がけていました。これは私が今でも気を付けていることです。過度にシャドウをさせたり、足形を暗記させたりといったレッスンはしないように心がけています
これは私のポリシーでもあり、今後も体が動く限りは生徒さんとずっと踊りながらレッスンをしようと思っています
実際これが一番生徒さんがうまく踊れるようになる方法だと思っています
反論もあるでしょうがプロを指導しているわけではないです
ボディを使って綺麗に踊る、踊らせることが重要だと思っています
次回に続く
次回は香川に来てダンスを再開してから今日までのドキュメントです
お楽しみに(^^)/
PS
田植え機も買いましたっ
石水よ♡
最近筋トレ、ダイエットに励んでいますが
私はとうとう太りやすい人と、そうでない人の決定的な違いにきづきましたよ
それは
太る人はお腹一杯の満腹感に幸せを感じるんですっ
だからとにかくパンパンになるまで食べるっ
痩せてる人はお腹いっぱいになるのが苦しくて嫌なんです
だから腹7〜8分目でやめるんです
もう本当にこれだけです
カロリー計算とか必要ないと思います
でも・・・
それができないからこんなに苦労するんですよね
本題に入ります
今回も引き続き
「ダンスとは」についてですが
だんだんと私の自叙伝みたいになっていますな
私がダンス教師をスタートしたのは大阪の「鳥居ダンススクール」でした
元世界10ダンスチャンピオン(日本人で唯一の世界チャンピオン)の鳥居弘忠、瑤子先生が経営、指導する教室です
ここで私の社会人生活が始まりました
私の人生で、唯一社会勉強を教えてくれたのが瑤子先生でした。始めの頃は生徒さんもほとんどいなかったので教室の掃除やお茶出し、瑤子先生の運転手などいわゆる下積み生活でしたが、瑤子先生との会話などを通じて沢山のことを学びました(厳しかったですけどね)。
とにかく挨拶とお礼の言葉には気を付けるようにと言われました。どんな生徒さんでも自分の所に来てくれてる人は大切にすること。まー社会人としては当たり前のことですが、何しろ世間知らずの石水青年ですから瑤子先生も大分我慢をして指導してくださったと思います。
当時の鳥居ダンススクールは、豊中、梅田、塚口、新宿の4か所に教室がありスタッフは約15名ほどいました。私は学生時代には鳥居先生には教わってはいませんでしたが、鳥居先生からお誘いを受けて教室のスタッフとして勤務することになりました。
私は鳥居先生の居住している建物の1階にある豊中教室で週4回、梅田教室と塚口教室でそれぞれ週1回ずつの勤務となりました。
私はプロになるかどうかを決める時に先輩のプロの先生に相談した時に
「プロになって成績が出るかどうかは本人次第だけれど、ダンス教師として食べていくには苦労しない」
と言われました。
今から約20年前・・・
いい時代でしたな・・・
私は勤務して4カ月目で保証給料を超え半年くらいで大卒給料の2倍以上はいただけるようになったと記憶しております。
最初のパーティーでも5人くらいの独演を出さしていただきました。
毎月3〜4人は新規の生徒様が教室に来ていました。
それが当たり前だと思っていました。
当時豊中教室には4組のプロA級がスタッフとしていました。
みんなパンパンにレッスンが詰まっていました。
給料のほとんどが衣装代、自分のレッスン料に消えましたがお金は自然に稼ぐことができました。
こういう経験って今後の人生に良いのか悪いのかは紙一重です
20年前は先生の数は少なく(JBDFの選手は多かったですが)、生徒さんの数は多かったです
この時にどういう感覚でダンス教師として仕事をしていたかが大事ですよね
それについては次回に書きます・・・
当時の私は試合に出て結果を出すことだけに集中していました
これは今でも多くの現役選手がそうしていると思います
プロの選手としては当たり前の考えだと思います
ですので当時は生徒さんにダンスを教えるというよりも自分の練習みたいにレッスンしていました
もちろん手を抜くとかそういうことではなく自分本位でレッスンしてた感じです
もちろんそういうレッスンが好きな生徒さんもいますので良いか悪いかは別の話ではあります
なので当時の私にはダンス観というのはあまりなくとにかく必死でした
今のように仕事としてのダンスというよりかは競技だけのダンスになっていました
ただひとつ、私はレッスンの時は、できるだけボディを使って踊ることを心がけていました。これは私が今でも気を付けていることです。過度にシャドウをさせたり、足形を暗記させたりといったレッスンはしないように心がけています
これは私のポリシーでもあり、今後も体が動く限りは生徒さんとずっと踊りながらレッスンをしようと思っています
実際これが一番生徒さんがうまく踊れるようになる方法だと思っています
反論もあるでしょうがプロを指導しているわけではないです
ボディを使って綺麗に踊る、踊らせることが重要だと思っています
次回に続く
次回は香川に来てダンスを再開してから今日までのドキュメントです
お楽しみに(^^)/
PS
田植え機も買いましたっ
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