2017年03月05日
おひさしぶりね
相変わらず元気よ。
それに、相変わらず優待は頂いてるわよ。でも総会は行ってないの。
実はパートをはじめたり辞めたり、癌(?)宣告されたりしてたのよ。
ちょっと気持ちの整理のために、メモ代わりにブログ再開よ。
先々月、2週間ばかり調子が悪くて、近所の婦人科に行ったのよ。
そしたら、エコーで変な影が見つかって、採血して、翌週MRIへ。
腫瘍マーカーの値は悪くなかったけど、MRIで悪性らしき腫瘍が見つかったの。
レーザーカズ似の先生が、検査専門クリニックで受けてきたMRIの結果をひらひらさせながら、
「悪性疑いのある腫瘍です。すぐ予約取りますので、〇〇病院に行ってください」
「は? 仕事があるんですけど(パートだけど)」
「仕事と体、どっちが大事なんですっ」
「そ、そんなに悪いんですか? 癌ではないですよね」
「……癌ではない場合もあります」
「癌ではないですよね」
「……癌ではない場合もあります」
って、癌宣告してるようなものじゃん。。。。。
2週間後に大病院での受診が決まったのだけれど、そのあいだ、癌のことを調べまくったわ。
アテクシ、元気だけが取り柄。出血以外の体調不良もなかったのよ。
これは、何かの間違いであって、絶対に癌じゃない、、と思ったわ。
だって親戚にも癌になったのは、高齢で発症した人しかいないもの。
でもね、ほとんどの人がそうなのよね、自分はまさか癌になると思わなかったって。
大した症状もなかったっていう人がほとんど。
そんなのを体験談ブログで読んでも、私は違うって思っていたわ。
だから、家族にも伝えなかったの。
ただの誤診だから、心配させる必要はないってね。
でも、さすがに職場は迷惑かけるから、って大人の思考が働いたのよね。
職場はとても働きやすくて恵まれてたけど、所詮はパート、死ぬような病気の時に無理して続けたくはないと思ったから、辞めると伝えたわ。
課長に、言ったのよ。
「仕事続けられません。悪性らしい腫瘍ができちゃって。。。」って、そのとき、初めて涙が出てきたわよ。
私、何か病人みたいじゃない、、、。
こんなこと伝えちゃうと病人に見られちゃうじゃん。
こうやって患者の入り口に進んで行っちゃうんだわ、って思ったわ。
その日は、忙しい日で、業後は、やり遂げたっていう達成感もあったのね。
もう仲間と生き生きと働ける日は来ないんだって思うと、急に悲しくなっちゃったわ。
ホント、大泣きしちゃったわよ。
課長さん、外見はともかく、とっても優しくて気も効く人で、周囲には漏らさないまま、休職の提案やら気遣いの言葉をかけてくれて、ホント、ありがたかったわ。
ありがたいけど、すっかり勤労意欲の萎えちゃった私は、辞めることしか頭になかったの。(所詮、パート)
その数日後、友達に飲みに誘われてはじめてプライベートで打ち明けたのよ。
「私、腫瘍でさ、悪性かもしれなくてさ、へへっ、ちょっと飲まないことにしてるんだ」
友達、そっとしておくなんてことはせず、ぐいぐい入り込んで無遠慮に聞いてきたリ、アドバイスを押し付けてきたリしたわ。
「ちょっとどういうことよ? どういう病気よ? これ飲みなさいよっ」
って、変な粉を押し付けてきたわ。もちろん飲み干したわよ。
それから、何かはじけたわね。
しっかりしよう、治そう、できるだけのことはしよう、って。
今の体調からして、そんなにステージは悪くないだろう、もしも、最悪の事態でも、あと1、2年は残されているだろう、、、。
事故や災害で、命を奪われるよりも、ぜっんぜん、いいじゃん!!
そこからやる気がみなぎったわ。
やることリスト作って、入院用の素敵なパジャマを選んだり、民間療法も調べまくったわ。
友達が教えてくれた、食事療法、温灸治療院にも駆け込んだわ。
毛糸のパンツをはき始めたり、癌は糖分を餌に増殖すると聞いて、断食や糖質制限したり、、、、。
死を感じると、人間ってパワーを発揮するのね、
絶対に不可能と思われていた断酒もダイエットも出来ちゃって、
体重が5キロ減って6〇キロを切ったときには、体も軽いわ、酒も抜けて体調も良いわで、
毎朝毎朝、すっきりと快適に目が覚めるようになって、大病院での受診日のころには、、、、、、、
超健康体になっちゃってんのよ!(体感)
友達が教えてくれた言葉、
「病を治す」のではなく、「病で(体や心を)治す」ってこと
心にしみたわ。
診察の日まで、恐怖でたまらなかったけど、「明るく楽しく人生を全うしよう」なんて健気で殊勝な心根で、どうにか心落ち着かせてきたわ。
そして、診察
腫瘍が小さくなってたの、、、。
小さくなるってことは悪性ではない、よって手術はいそがないってことで、経過観察になっちゃった。。。。
帰宅後、怒涛の勢いで「私、癌だったけど癌じゃなかった〜っ」って家族にも言いまくり、
糖質制限などどこ吹く風で、食いまくりの飲みまくり、
「腹水あり、っていわれたけど、ただの中年太りだったじゃん〜」って笑い話になったわ。
いろいろと無知だった。抗がん剤の恐ろしさも、癌患者がそこかしこにいて、同じように暮らしてることすら知らなかった。
けど、今も、必死で癌と戦っている人がいるのよね。
30代、40代で癌で死ぬ人なんか珍しくもない。。。
命を懸けて大金もかけて、つらい食事制限をしてみたり、遠方の治療先に通ったり、精神的に肉体的に瀬戸際のところで戦っているわ。
わらにもすがる思いで一喜一憂して、本当に残酷な病気。
癌だけじゃないわ、自分が車椅子になったり、自力歩行も出来なくなるかもと思って初めて、不自由な人やその家族のつらさに思いをはせることができたわ。
どれだけの社会的なフォローがあっても、そんなものでは補えない苦しみがあるわ。
それなりに苦労を知っているつもりだった。
でも、何もわかっていなかった、何も想像もせず、自分の不平不満だけで生きてた。
今でも、同情するだけで、同じ立場にならず、そして、同じ立場になりたくもない、と切に思ってる。
今、こうやって日常を取り戻して、
常に死を覚悟して研ぎ澄まされていた精神にも
節制して超健康体だった肉体にも
再び無駄なものがつきはじめているわ。
人間、少しは変わるかと思ったら、変わんないもので、取り戻した日常を無為に過ごしているの。
ただ、もしも病気の人がいれば、友達みたいにぐいぐい入り込んで支えてあげようと思ったわ。
急には成長できないものだけど、今後も自分のために生きてくわよ。
それに、相変わらず優待は頂いてるわよ。でも総会は行ってないの。
実はパートをはじめたり辞めたり、癌(?)宣告されたりしてたのよ。
ちょっと気持ちの整理のために、メモ代わりにブログ再開よ。
先々月、2週間ばかり調子が悪くて、近所の婦人科に行ったのよ。
そしたら、エコーで変な影が見つかって、採血して、翌週MRIへ。
腫瘍マーカーの値は悪くなかったけど、MRIで悪性らしき腫瘍が見つかったの。
レーザーカズ似の先生が、検査専門クリニックで受けてきたMRIの結果をひらひらさせながら、
「悪性疑いのある腫瘍です。すぐ予約取りますので、〇〇病院に行ってください」
「は? 仕事があるんですけど(パートだけど)」
「仕事と体、どっちが大事なんですっ」
「そ、そんなに悪いんですか? 癌ではないですよね」
「……癌ではない場合もあります」
「癌ではないですよね」
「……癌ではない場合もあります」
って、癌宣告してるようなものじゃん。。。。。
2週間後に大病院での受診が決まったのだけれど、そのあいだ、癌のことを調べまくったわ。
アテクシ、元気だけが取り柄。出血以外の体調不良もなかったのよ。
これは、何かの間違いであって、絶対に癌じゃない、、と思ったわ。
だって親戚にも癌になったのは、高齢で発症した人しかいないもの。
でもね、ほとんどの人がそうなのよね、自分はまさか癌になると思わなかったって。
大した症状もなかったっていう人がほとんど。
そんなのを体験談ブログで読んでも、私は違うって思っていたわ。
だから、家族にも伝えなかったの。
ただの誤診だから、心配させる必要はないってね。
でも、さすがに職場は迷惑かけるから、って大人の思考が働いたのよね。
職場はとても働きやすくて恵まれてたけど、所詮はパート、死ぬような病気の時に無理して続けたくはないと思ったから、辞めると伝えたわ。
課長に、言ったのよ。
「仕事続けられません。悪性らしい腫瘍ができちゃって。。。」って、そのとき、初めて涙が出てきたわよ。
私、何か病人みたいじゃない、、、。
こんなこと伝えちゃうと病人に見られちゃうじゃん。
こうやって患者の入り口に進んで行っちゃうんだわ、って思ったわ。
その日は、忙しい日で、業後は、やり遂げたっていう達成感もあったのね。
もう仲間と生き生きと働ける日は来ないんだって思うと、急に悲しくなっちゃったわ。
ホント、大泣きしちゃったわよ。
課長さん、外見はともかく、とっても優しくて気も効く人で、周囲には漏らさないまま、休職の提案やら気遣いの言葉をかけてくれて、ホント、ありがたかったわ。
ありがたいけど、すっかり勤労意欲の萎えちゃった私は、辞めることしか頭になかったの。(所詮、パート)
その数日後、友達に飲みに誘われてはじめてプライベートで打ち明けたのよ。
「私、腫瘍でさ、悪性かもしれなくてさ、へへっ、ちょっと飲まないことにしてるんだ」
友達、そっとしておくなんてことはせず、ぐいぐい入り込んで無遠慮に聞いてきたリ、アドバイスを押し付けてきたリしたわ。
「ちょっとどういうことよ? どういう病気よ? これ飲みなさいよっ」
って、変な粉を押し付けてきたわ。もちろん飲み干したわよ。
それから、何かはじけたわね。
しっかりしよう、治そう、できるだけのことはしよう、って。
今の体調からして、そんなにステージは悪くないだろう、もしも、最悪の事態でも、あと1、2年は残されているだろう、、、。
事故や災害で、命を奪われるよりも、ぜっんぜん、いいじゃん!!
そこからやる気がみなぎったわ。
やることリスト作って、入院用の素敵なパジャマを選んだり、民間療法も調べまくったわ。
友達が教えてくれた、食事療法、温灸治療院にも駆け込んだわ。
毛糸のパンツをはき始めたり、癌は糖分を餌に増殖すると聞いて、断食や糖質制限したり、、、、。
死を感じると、人間ってパワーを発揮するのね、
絶対に不可能と思われていた断酒もダイエットも出来ちゃって、
体重が5キロ減って6〇キロを切ったときには、体も軽いわ、酒も抜けて体調も良いわで、
毎朝毎朝、すっきりと快適に目が覚めるようになって、大病院での受診日のころには、、、、、、、
超健康体になっちゃってんのよ!(体感)
友達が教えてくれた言葉、
「病を治す」のではなく、「病で(体や心を)治す」ってこと
心にしみたわ。
診察の日まで、恐怖でたまらなかったけど、「明るく楽しく人生を全うしよう」なんて健気で殊勝な心根で、どうにか心落ち着かせてきたわ。
そして、診察
腫瘍が小さくなってたの、、、。
小さくなるってことは悪性ではない、よって手術はいそがないってことで、経過観察になっちゃった。。。。
帰宅後、怒涛の勢いで「私、癌だったけど癌じゃなかった〜っ」って家族にも言いまくり、
糖質制限などどこ吹く風で、食いまくりの飲みまくり、
「腹水あり、っていわれたけど、ただの中年太りだったじゃん〜」って笑い話になったわ。
いろいろと無知だった。抗がん剤の恐ろしさも、癌患者がそこかしこにいて、同じように暮らしてることすら知らなかった。
けど、今も、必死で癌と戦っている人がいるのよね。
30代、40代で癌で死ぬ人なんか珍しくもない。。。
命を懸けて大金もかけて、つらい食事制限をしてみたり、遠方の治療先に通ったり、精神的に肉体的に瀬戸際のところで戦っているわ。
わらにもすがる思いで一喜一憂して、本当に残酷な病気。
癌だけじゃないわ、自分が車椅子になったり、自力歩行も出来なくなるかもと思って初めて、不自由な人やその家族のつらさに思いをはせることができたわ。
どれだけの社会的なフォローがあっても、そんなものでは補えない苦しみがあるわ。
それなりに苦労を知っているつもりだった。
でも、何もわかっていなかった、何も想像もせず、自分の不平不満だけで生きてた。
今でも、同情するだけで、同じ立場にならず、そして、同じ立場になりたくもない、と切に思ってる。
今、こうやって日常を取り戻して、
常に死を覚悟して研ぎ澄まされていた精神にも
節制して超健康体だった肉体にも
再び無駄なものがつきはじめているわ。
人間、少しは変わるかと思ったら、変わんないもので、取り戻した日常を無為に過ごしているの。
ただ、もしも病気の人がいれば、友達みたいにぐいぐい入り込んで支えてあげようと思ったわ。
急には成長できないものだけど、今後も自分のために生きてくわよ。
posted by kantantan♪ at 10:04| 健康