2014年05月01日
☆薩摩藩財政改革の立役者
調所広郷は、まさに薩摩藩財政改革の立役者です。
鹿児島市天保山(てんぽざん)の松林の中に、その銅像が建てられています。
なぜ、天保山に建てられたのかと疑問に思っていましたが、調所広郷が天保山を造成したということで納得出来ました。
以下、その碑文の内容を紹介します。
(碑文)…………………………………………………………………
調所広郷の像
(通称 笑左衛門)
幕末に近い文政十年(1817年)薩摩藩の借金は、五百万両の巨額に達していた。
当時の藩の年収総額十数万両は、借金金利に遠く及ばず、正に破産の危うきにあった。
時の島津重豪公は、究極の策として一介の茶坊主上がりの調所広郷を家老に抜擢、藩財政改革を厳命した。
広郷はその期待に応え巨額の負債を解決し、あまつさえ五十万両の蓄えさえ残した。
更に藩政の興隆を図り、数々の土木工事を行った。平成五年八・六災害で惜しくも決潰あるいは撤去されたが、広く県民に親しまれた西田橋等五石橋も、天保山の造成も全てずの発案である。
改革は藩内に留まらず、広く海外交易にも力を注ぎ、琉球を通した中国貿易の拡大や、北海道に至る国内各地との物流の交易をはかって、藩財政の改革の実を挙げたのは、この調所広郷である。
だが歴史は時の為政者によって作られる。調所広郷は幕府に呼ばれ密貿易の罪を負い自害に追込まれ、今も汚名のままである。
しかし、斉彬公の行った集成館事業をはじめとする殖産興業、富国強兵策、軍備の改革の資金も、明治維新の檜舞台での西郷大久保の活躍も全て調所の命を賭け、心血を注いだ財政改革の成功があったからだと思う。
此処に調所の銅像を建立し、偉業を後世に遺ることを願う。
…………………………………………………………………
本当に調所広郷がいなかったら、薩摩からは明治維新を起こすことは出来なかったのでしょう。たいへんなピンチにウルトラCを演じてくれた功労者だと思います。歴史的な意義は計り知れないでしょう。
でも、借金を250年での延べ払いにするとかかなり強引な策を講じたり、奄美群島ではさとうきびだけのモノカルチャーを強いられ、貨幣流通を禁じられ、たいへんな犠牲もあったことも事実ですね。
また、調所広郷を題材にした「薩摩燃ゆ」を執筆された直木賞作家の安部龍太郎氏は、この本を上梓するまでは調所広郷のご子孫には知らせなかったそうです。
そして出版後、子孫の方にお知らせしたところ、一族以外には知るはずも無いことが書かれていたとたいへん驚かれたそうです。
昨年8月、鹿児島県立図書館で講演をされた時に言っておられました。
作家は、執筆する際には霊感やインスピレーションを得ることがあるのだろうと感銘しました。
鹿児島市天保山(てんぽざん)の松林の中に、その銅像が建てられています。
なぜ、天保山に建てられたのかと疑問に思っていましたが、調所広郷が天保山を造成したということで納得出来ました。
以下、その碑文の内容を紹介します。
(碑文)…………………………………………………………………
調所広郷の像
(通称 笑左衛門)
幕末に近い文政十年(1817年)薩摩藩の借金は、五百万両の巨額に達していた。
当時の藩の年収総額十数万両は、借金金利に遠く及ばず、正に破産の危うきにあった。
時の島津重豪公は、究極の策として一介の茶坊主上がりの調所広郷を家老に抜擢、藩財政改革を厳命した。
広郷はその期待に応え巨額の負債を解決し、あまつさえ五十万両の蓄えさえ残した。
更に藩政の興隆を図り、数々の土木工事を行った。平成五年八・六災害で惜しくも決潰あるいは撤去されたが、広く県民に親しまれた西田橋等五石橋も、天保山の造成も全てずの発案である。
改革は藩内に留まらず、広く海外交易にも力を注ぎ、琉球を通した中国貿易の拡大や、北海道に至る国内各地との物流の交易をはかって、藩財政の改革の実を挙げたのは、この調所広郷である。
だが歴史は時の為政者によって作られる。調所広郷は幕府に呼ばれ密貿易の罪を負い自害に追込まれ、今も汚名のままである。
しかし、斉彬公の行った集成館事業をはじめとする殖産興業、富国強兵策、軍備の改革の資金も、明治維新の檜舞台での西郷大久保の活躍も全て調所の命を賭け、心血を注いだ財政改革の成功があったからだと思う。
此処に調所の銅像を建立し、偉業を後世に遺ることを願う。
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本当に調所広郷がいなかったら、薩摩からは明治維新を起こすことは出来なかったのでしょう。たいへんなピンチにウルトラCを演じてくれた功労者だと思います。歴史的な意義は計り知れないでしょう。
でも、借金を250年での延べ払いにするとかかなり強引な策を講じたり、奄美群島ではさとうきびだけのモノカルチャーを強いられ、貨幣流通を禁じられ、たいへんな犠牲もあったことも事実ですね。
また、調所広郷を題材にした「薩摩燃ゆ」を執筆された直木賞作家の安部龍太郎氏は、この本を上梓するまでは調所広郷のご子孫には知らせなかったそうです。
そして出版後、子孫の方にお知らせしたところ、一族以外には知るはずも無いことが書かれていたとたいへん驚かれたそうです。
昨年8月、鹿児島県立図書館で講演をされた時に言っておられました。
作家は、執筆する際には霊感やインスピレーションを得ることがあるのだろうと感銘しました。