2016年10月20日
命が安らぐ純正律音楽の響きに・・・ついウトウトする。
音の自然食 純正律音楽
ウィーン少年合唱団、グレゴリオ聖歌、声明(お経)・・・これらに共通するのは、美しい、濁りのない響きです。この美しいハーモニーをもとにしたのが純正律音楽と呼ばれるものです。現代日本の多くの音楽は「平均律」という1オクターブを機械的に12音階に分けた音からなっています。
これは音楽をより多くの人に広める為には便利で良いのですが、ハーモニーには濁りが生じてしまいます。これに対して「純正律」は、うねりのない美しいハーモニーとなる自然な音程をとるもので、透き通った心地よい響きが生み出されます。
命がひびきあう純正律
完全無欠の美しいドミソは長い間、ヨーロッパだけの発見だと思われていたが、最近にわかに脚光を浴びているのが、モンゴル及びその北のトゥバに昔から伝えられているホーメイ唱法である。
これは独特の1人2重唱だが、この唱法の基礎になっているのが、「純正律」である。うたい方は男性の低い声(これは豊富に自然倍音を含んでいる)の延ばしのなかで、高倍音を選んで強調することによって、口笛に似た高音の美しい音が演奏され、この世のものとは思えない不思議な世界が現われる。
モンゴルやトゥバのけわしい地形や峡谷の中でうずまく風の発する自然倍音を模倣したのではないかと考えられている。
純正律とは音の響き方が自然現象そのもので、音響物理学上での音程関係そのものが純正律なのであり、どこをさがしても自然界には平均律などという人工的な音程は存在しない。極論すれば、自然界の「波動」「振動」すべて純正律であり、「星の運行」や「波の潮汐」や「DNA」の音階等の興味深いCDは数多くあるが、表現手段が平均律であるのは大変残念なことといわざるを得ない。
自然界にある音、例えば海岸の風洞にあたる波音や風が生みだす神秘的なハーモニーは純正律そのものであり、時に送電線と風のかもし出す得もいわれぬ天国的な音、これも純正律である。
最近アメリカのシアトル近くの洞窟、45秒のエコーのある場所で10人のトロンボーン奏者が録音したCDがあるが、その純正な響きの渦は聞いているだけで音のシャワーに浄められ、忘我の域に達するまでの魔力がある。
続く・・・
タグ:癒しの音楽
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