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2020年06月25日

JMU:最長の歴史を持つ新生児?

造船企業紹介、第4弾はついに大手企業に進出しますよ!


今回は、国内建造量ランキング第2位ジャパンマリンユナイテッドです。


合併に次ぐ合併を繰り返し、誕生したのは2013年のこと。


かつて世界の造船業を牛耳った造船王国の遺産を、この記事で発掘していきます。



なお、JMUは今治造船と提携を発表しております。別記事にて投稿しておりますので、良ければご覧ください。


https://kotoheihei.work/imabari-jmu/


https://kotoheihei.work/imabari-jmu-partnership/


※本の画像はアマゾンへリンクします。また、画像であれば出所元へ飛ぶか、拡大されます。また、JMUの写真集ともいえる書籍?が発売されてます。良ければお手にしてください。


JMUとは


JMUは日本鋼管(現、JFE)と日立造船の両社の造船部門が合併してできたユニバーサル造船と、IHIの造船部門と住友重機の艦船事業が合併してできたIHI-MUの2社が合併し設立した企業です。


旧大手企業3社の造船部門と1社の艦船事業がまとまったため、国内最大級の建造設備量と技術者を持ち、工場が各地に散らばるなど、合併を繰り返した歴史を見て取れます。


また、JMUはひゅうが型から始まるヘリ空母のような護衛艦の全てと、まや型イージス艦2隻を建造するなど、国防上大きな関係がある企業でもあります。


なお、株主構成はJFEとIHIが各49%ずつを有し、日立造船が1%を持ちます。先日発表された今治造船との提携により、「今後のJMUの株主構成は議決権ベースでJFEホールディングスとIHIが約32%、今治造船が30%、日立造船が約6%になるもよう」と見られます。


建造設備



出所:各種資料より著者作成。


※図中のその他は、あくまでも参考程度です。官公庁船と書かれている修繕ドックにも商船が入渠することもあります。


※鶴見の設備につきましては、かいこう館様に記載の数値を入れております。



JMUは設立の経緯から、設備は大型船に集中しております(詳しくは下部にて説明します)。


もちろん、官公庁船向けの中小型船設備も備えておりますが、商船建造の基本は中〜大型船に定めてます。


造船所は有明(熊本県)、呉(広島県)、津(三重県)、舞鶴(京都府)、横浜(神奈川県)、因島(広島県)と広く分散しており、新造船は有明、呉、津が主に担当しております。


また、舞鶴では商船建造から撤退し艦艇の修繕事業に移ると発表されてます。詳しくは別投稿記事をご覧ください。


https://kotoheihei.work/jmu%e8%88%9e%e9%b6%b4%e4%ba%8b%e6%a5%ad%e6%89%80%e3%81%ae%e6%96%b0%e9%80%a0%e4%ba%8b%e6%a5%ad%e6%92%a4%e9%80%80%e3%81%af%e6%ad%a3%e3%81%97%e3%81%84%ef%bc%9f/


そのほか、因島は商船や官公庁船の修繕事業を担当しております。STU48の客船を改造したことで有名ですね。



商船の新造船設備はドック5基程度で、全ての工場でVLCCの建造が可能な規模を有しております(ドックの全てではありません)。なお、舞鶴はドック2基を有しており、うち1基が中型船までの建造用で、もう1基は修繕用でした。


建造船種



出所:東洋経済オンラインより


設立時である2013年度の受注は、半数近くを艦艇が占めるなどアンバランスな構成でした。一方、ひゅうが型護衛艦といったいわゆるDDH型4隻やイージス搭載艦、掃海艇などを建造したように、その技術力は決して侮る事は出来ません。



もう半分を占める商船事業は、バルクキャリアからタンカー、LNG船など幅広い船種を建造可能な体制を整えております。特に、VLCCはかつての造船王国をけん引してきた歴史があり、高度な技術力を有しております。


他の造船専業企業と異なり、JMUは海洋構造物の建造も行っております。FPSOなどは世界的に限られた企業しか建造できません。日本での大型海洋構造物の建造はJMUと三井海洋開発程度しかありません。



国内最大の建造量を誇る今治造船は造船専業ですが、JMUは造船事業のほか海洋事業にも参入しているのが、両社の違いと言えますね。もっとも、JMUは旧大手企業群の合併ですので、資本力など何から何まで異なりますが……。


JMUの歴史



かつて造船王国と呼ばれた日本ですが、その主役は大手重工業企業によるものでした。大手重工業企業とは言わずもがな三菱重工、川崎重工、石川島播磨(現、IHI)、日立造船、住友重機械、日本鋼管(現、JFE)、三井造船(現、三井E&S)の7社に他なりません。


JMUはこの内3社の造船事業と1社の艦船事業が合わさった企業であり、実質日本の大手造船企業の集合体、つまり日本造船連合(ジャパンマリンユナイテッド)と言えるでしょう。


※なお、三菱は今治や名村、大島と言った中手企業と提携し、川重と三井は一時合併が出たもののクーデターにより中止となり、両社とも個別に中国での建造にシフトしてます。


以下ではJMUの前身であるユニバーサル造船とIHI-MUを俯瞰し、JMUの歴史を見ていきましょう。


ユニバーサル造船


ユニバーサル造船は日本鋼管と日立造船の2社の造船事業が合併して誕生した企業です。


現在のJMUにおける舞鶴、横浜(鶴見)、因島、有明、津がかつてのユニバーサル造船の事業所です。



日本鋼管ー浅野造船


https://www.jfe-eng.co.jp/information/history.html


日本鋼管における造船事業は祖業ではありません。1940年の日本鋼管と鶴見製鉄造船の合併によります。日本鋼管としての造船所建設は1944年の清水造船所、1969年の津造船所となります。


ちなみに、世界初の空母である”鳳翔”の船体を建造したのは、この鶴見製鉄造船です。


※鶴見製鉄造船は1916年に設立された浅野財閥の浅野造船所(建設時は横浜造船所)にさかのぼります。なお、山内ふ頭には浅野ドックがありましたが、現在はコットンハーバー地区として再開発されてます。



日本鋼管としての設備処理は、次のようになります。


現在、清水は閉鎖され、太陽光発電の施設(三保ソーラーパワー)となっております。鶴見も同じく閉鎖されており、コットンハーバーという施設に再開発されたそうです。かつてこの地に浅野ドックが存在したことを、たまにでもいいので思い出してあげてください。


なので、造船所として現役なのは残念ながら津のみですね。



※図中の数値は建造可能な最大船の規模を示します。GTとは総トン数、CGRTとは建造能力を指します。つまり、数値が高いほど大きな船を建造できると言うことです。なお、VLCC出光丸(初代)は総トン数107,957トン、重量トン209,302トンです。総トン数=重量トン数ではありませんので注意しましょう。


※また、設備処理は総トン数5,000トン以上の船舶建造が可能な設備を処理することが目的ですので、処理=工場閉鎖ではありません。また、修繕ドックは対象ではありませんので、図中以外にも設備を有している企業もあります。


※国策としての設備処理は1980年(第1次)と1988年(第2次)の2回行われました。詳しくは造船研究をご覧ください。


日立造船


https://www.hitachizosen.co.jp/130/history.html


一方、日立造船は祖業が造船事業です。大阪鉄工所として1881年に創業しました。新造第1船は1882年建造と、かなりの歴史があります。特に、日本初の鋼船は1890年に大阪鉄工所により建造されました。



社名に「日立」が入っておりますが、これは1936年に日立製作所に参加した為です。大阪鉄工所の全株式を取得し、43年に日立造船と社名が変更されました。なお、戦後の財閥解体により、46年に日立製作所グループから脱退させられます。


その後も造船事業を主体に経営を進め、63年には舞鶴海軍工廠を継ぐ飯野重工業を傘下におさめました。


日立造船にとって最大の決断は、間違いなく2002年の事です。祖業であり、かつ中心事業であった造船事業を完全に本体から切り離したのです。なので、造船企業に就職したいなら、日立造船を受けてはいけませんよ(笑)



日立造船としての設備処理は次のようになります。



5つの工場を有しておりましたが、処理後は舞鶴と有明の2つにまで減少しました。例外として、因島工場は後日、子会社の内海造船に統合され、内海造船因島工場となります。


また、堺工場は後日、有明工場に移転しました(数値上の移転で、ドック自体が引っ越したわけではありません)。


このような都合で、現在のJMU因島工場は内海造船因島工場と旧日立造船因島工場の修繕ドックが横並びになってます。



アイエイチアイマリンユナイテッド(IHI-MU)


IHI-MUはIHIの造船・海洋事業と住友重機械工業の艦艇事業が合併して誕生した企業です。なので、IHIに造船事業はありませんが、住友には商船建造事業が存在します(住友重機械工業マリンエンジニアリング)。


IHI


https://www.ihi.co.jp/ihi/company/history/


IHIはかつて石川島播磨重工業という名前でした。1960年に石川島重工(石川島造船所とも)と播磨船渠(後、播磨造船)が合併したため、そのような社名になりました。なので、両社とも祖業が造船業だったといえますね。


https://hrd.php.co.jp/keieikanri/ketsudan/post-49.php


実は、このIHIと呉海軍工廠には深い関係があります。恐らく、戦後の日本造船業の技術が発展できた最大の理由とも言えるでしょう。


呉海軍工廠は戦後播磨造船が引き継ぎます。これか呉港の海軍艦艇の解体のためでした。その後1952年にアメリカのNBC社(ナショナルバルクキャリア)に譲渡しました。


http://www.suzukishoten-museum.com/footstep/history/cat3/cat1/post-206.php


このNBC呉の話は、戦艦大和の遺産(旧名、世界制覇)に詳細に書かれております。私は何度も読み返しました。むしろこれを読まない研究者はいないと言えるでしょう。是非手に取って頂きたい1冊です。完読後はシントーイズムを読むと理解が深まります。



NBC呉では、アメリカの先進的な溶接技術などを導入・指導しました。さらに日本政府との契約に従い、それら技術の公開を国内造船業に行いました。


戦時中から国内でも溶接のブロック建造方式がありましたが、NBC呉によりさらに高度化されていきます。なお、両社の合併後の1968年、NBCは契約に従い呉から手を引きます。



IHIの設備処理はかなり思い切ったものでした。大多数の大手企業は中小規模の船台やドックを廃棄し大型ドックを残したのですが、IHIは大型船の建造拠点であった横浜と知多を処理します。さらに呉の能力を減少させるなど、当初から陸上がりを進めておりました。


実は、合併前の石川島は造船事業の売り上げがかなり低く、逆に播磨造船は造船一筋とも言えるものでした。合併はこのバランスを整えたため、当初より多角化を進めていたのです。そのため、造船業に見切りをつけやすかったのでしょう。


それでも、1973年に開所したばかりの知多工場をわずか7年で閉じる決断は、少なくとも私にはできません。経営陣の戦略眼はすごいですね。


さて、1995年に住友重機と共同でマリンユナイテッドを設立します。これはIHIの船舶部門と住友の艦艇部門の共同出資によるものでした。2002年にIHIの船舶海洋部門が分社化し統合され、IHI-MUに社名変更されました。


JMUに統合



2012年付の組織図では、商船事業部と艦船事業部の事業所が大きく分けられておりました。今はどうなったかはわかりませんが、艦船事業一つをとっても事業所が複数散らばっていることが、合併で誕生した企業であることを理解させますね。


2013年、ユニバーサル造船とIHI-MUが経営統合し、JMUが誕生いたしました。現在の商船建造ドックは旧3社から1基ずつというのは面白いですね。


さて、なぜJMUのドックが大型船用のものが多いのか、わかりましたでしょうか?答えは、設備処理時に大型船ドック(IHI-呉、日立-有明、鋼管-津)を生き残らせたから、でしたね。


設備処理はあくまでも総トン数5,000トン以上の船舶建造が可能な設備を対象にしてましたから、鶴見の小型船船台などは処理の対象が居でした。現在の掃海艇はこの船台等で建造されてます。


一方、この統合までに設備はかなり処理されました。事実、JMUに統合された工場は、日立は有明のみで鋼管は津のみ、そしてIHIは横浜と呉しかありません。


成長と衰退の歴史を引き継ぐJMUはどちらに進むのか、将来に期待を持つしかありません。



終わりに


中韓の造船業が強い原因には、1社当たりの建造規模の大きさがあります。日本のような建造能力の少ない企業が乱立している事は、競争劣位を生み出していることに違いありません。


https://kotoheihei.work/qatar-petroleum-lngship-japan-shipbuinding/


日本の造船業が輝いていた時代、1社1船台1ドックという弱小規模ではありませんでした。日立造船は総トン数5,000トン以上建造可能な船台とドックを合わせて9基有してましたが、設備処理後は4基に減少し、本体から事業が切り離されました。


中韓などと比べると、このようにJMUに統合されたとしても、その数は未だ少ないと言えるでしょう。なので、今治造船との提携は規模の競争に参加できる最低条件を満たしたとも言えるのかもしれません。


もっとも、韓国は建造量1位の現代重工と3位大宇造船が統合し、中国では1位2位の国営2社が合併する予定です。これらの動きと比べると日本の再編はまだ規模が弱く、遅いですね。


四面を海に囲まれた日本にとって、船は必要不可欠なものです。それは、先の大戦で我々が得た教訓です。


再び日本の造船業が復活する日を夢見ております。


それでは!


 


 


  



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