2017年05月25日
刺激と蛹の関係性
刺激は必ず必要です。
通常の生活をしていると、些細なことも良い刺激になることがあります。
逆に、非日常の生活になると、通常の刺激では満足できずに、
さらに上の刺激が欲しくなってしまいます。
刺激を求めるということは、向上するためのエネルギーにもなるのですが、
実はこれには大きな落とし穴があります。
刺激には終わりがないということです。
終わりがないということは、
現在可能な刺激の最終地点まで行ってしまう可能性があるんですよ。
これはあまりいい事ではありません。
何故かというと、
人間の刺激満足度の限界は無いのに、
世界の物理的な限界はあるということです。
この欠点を克服しない限り、
刺激求めの暴走は必ず終焉を迎えます。
ですが、克服する方法を見つけることによって、
刺激の限界突破を可能にすることができます。
方法はただ一つです。
なにかの創造主になること。
創造主とかいうと、キリスト教のような気がしますけど、
ちょっと違いますからね。
私はそういうのはまったく無縁です。笑
わかりやすく言うと
「与える側」にまわれということなんです。
つまり、
与えられる側には限界があり、
与える方には限界は無いということです。
刺激を求める人生を歩みたいのなら、
与える方にまわらないと、
最後は限界を感じてしまいます。
私が現在そうなんですよ。
与えられる側の限界地点にいると思っています。
これからは与える側に大きく軌道修正です。
「与えられる側の途中は楽しいけど、ゴールはつまらない。」
そんな感じです。
なにかをチャレンジする時は必ず準備というのがあります。
私にとってのチャレンジとは、「与える側にまわる」ということです。
今まので経験すべては与えられる側の経験だと思っています。
与えられる側というのは、必要な経験だったのかもしれませんが、
限界を感じました。言い換えると、刺激がない。
だったら行動するのみですよ。
刺激を得られる環境は自分で作らないとダメですよ。
環境作りはとても地味なことの繰り返しな気がします。
だけど、とてつもない期待感があれば、耐えることができます。
中途半端な刺激はいらない。
だれも体験のしたことのない刺激がほしい。
しかもそれを与える側にまわりたい。
そんなような気持ちです。
まわりからの見た目は変わらない。
けど動かない。
そう見えるかもしれません。
私は現在、蛹なのかな?と思いました。笑
投機家 j
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