2014年05月18日
藤原竜也の嫁の写真
藤原竜也の嫁、写真に関する記事↓
http://www.oricon.co.jp/news/2025116/full/
プロフィール
藤原 竜也
本名 藤原 竜也
生年月日 1982年5月15日(32歳)
出生地 日本の旗 日本 埼玉県秩父市
身長 178cm
血液型 A型
職業 俳優
ジャンル 舞台・映画・テレビドラマ
活動期間 1997年 -
配偶者 既婚
家族 父、母、兄、姉の5人家族
事務所 ホリプロ
公式サイト 藤原竜也オフィシャルファンクラブ ”DRAGON aRROWS”
主な作品
舞台
『身毒丸』
『大正四谷怪談』
『近代能楽集〜弱法師〜』
『ハムレット』
『ロミオとジュリエット』
『天保十二年のシェイクスピア』
『ムサシ』
映画
『バトル・ロワイアル』
『デスノート2部作』
『カイジ 人生逆転ゲーム』
『インシテミル 7日間のデス・ゲーム』
『カイジ2 人生奪回ゲーム』
テレビドラマ
『新選組!』
『古畑任三郎ファイナル』
『遺恨あり 明治十三年 最後の仇討』
[隠す] 受賞
日本アカデミー賞
新人俳優賞
2000年『バトル・ロワイアル』
優秀主演男優賞
2000年『バトル・ロワイアル』
2004年『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』
ブルーリボン賞
新人賞
2000年『バトル・ロワイアル』
私が藤原竜也を初めて知ったのはバトルロワイアルの映画である。
バトルロワイアルの内容自体はあまり好きではないが、友人の勧めで観たところ。かなりのイケメン俳優が主演していたことが印象的だった。しかも、若く迫力があった。
1997年 蜷川幸雄演出の舞台『身毒丸』主役オーディションでグランプリを獲得し、デビュー。バービカン・センター(ロンドン)での公演にて、「15歳で初舞台とは思えぬ存在感で天才新人現る」と大絶賛され、翌年の凱旋公演も行われた。
1997年3月、遊びに来ていた池袋の街角で、ホリプロ入社3年目の女性社員「児玉さん」に『身毒丸』主役オーディションのチラシを渡される。その時は名前を聞かれただけで連絡先も聞かれなかったため、オーディションに応募していなかったら現在の藤原竜也は誕生していなかった。
実はオーディションでは第1次書類選考の段階で落とされていたが、チラシを渡した女性社員が何度も合格書類に紛れ込ませ、第5次選考まで残る。
第1次審査で落とそうとした理由として当時、書類審査を担当した「津嶋氏」はズームイン!!SUPERで「A4のオーディション用紙に普通はバストアップと全身の写真を貼ってくるのに、竜也は履歴書に貼るような小さな写真を貼っていた、その時点でアウト」と語っている。
最終審査で蜷川幸雄の面接と演技テストを受け、そのダメ出しの反応のよさと、何の色にも染まっていない演技に選考委員9名の票が集まり、応募総数5537名の中から見事グランプリに選ばれる。
採用後の稽古では、蜷川の指導の厳しさに何度も泣いたことがあり、「辞めたい」と思ったこともあると語っている。
あの、迫真の演技は今までの努力の賜物であることが頷ける。
1997年の『身毒丸』ロンドン公演千秋楽前日に持病の腰痛が悪化し、急遽千秋楽昼公演は代役を立てて行われた。夜公演もそのまま代役で行う予定だったが、それを知った藤原は蜷川に「どうしても舞台に立ちたい」と懇願し、それに蜷川が折れ、代役を舞台袖に待機させたまま藤原が舞台に立った。
動くことすら出来なかった藤原は、それまでの公演を上回る鬼気迫る演技を見せ「あの千秋楽は一生忘れられない、それくらい凄かった」と、蜷川は後に語っている。
2004年の『ロミオとジュリエット』東京公演の際にも、再び腰痛が悪化。
特に12月11日の公演直後、全く足が上がらない状態になってしまった。
しかし著名な整体師にかかったことで、翌日にはなんとか回復し、2005年2月25日までの約3ヶ月に及ぶ公演を一度も穴をあけることなく、やり遂げる事ができた。
映画『カイジ 人生逆転ゲーム』では、役作りの為に10kgの減量をし、世界観を味わう為に自腹でパチンコ店に通った。
俳優としてのプロ意識が感じられる。
今年の夏には、映画るろうに剣心の悪役、志々雄真実を演じることになっている。
期待が高まる。
るろうに剣心のpvはこちら↓
http://www.youtube.com/watch?v=D-vy1JGodjQ
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