2018年01月10日
紀州街道 岸和田 ”吉田松陰逗留地”も情緒があっていい。
岸和田の紀州街道 少し南に歩くと
その上は大きな道路をへだてて 岸和田城ではあるが、吉田松陰とどういう関係が・・・?
■吉田松陰逗留地
■このような 風情があっていい。昔のホテル街って感じ?
どうも、吉田松陰は
相馬九方をたずね、塩屋平衛門宅(紀州街道、本町の久住家)に10日間滞在。
火鉢にあたり番茶をすすり、煎餅をかじりつつ、
日本の将来について夜を徹して語り明かしたそうだ。
長州を脱藩した松陰は、全国の藩校を渡り歩き、
今後の日本のあり方等について議論を交わしたそうだ。
結局、松陰は2回つかまって 2回目の老中暗殺計画である
間部要撃策を自ら進んで告白して
この安政の大獄は、松陰の弟子たちによるものだとは思うが、
松陰の起こした松下村塾の塾生たちは、
その後この
いまだに総理は山口県ですし・・・。
■各町に 岸和田祭りの
だんじりをしまうところなんでしょうか。
■この界隈のマップ これ便利です。
■持ち主の名前がある、結構女性が多い。
おかみさんなんでしょうか?
このころの話で興味深いのは、まっ 本当か嘘かはわからないが
伊藤博文が新政府の総理大臣になるが、この伊藤が明治天皇の
を仕組んだ話があるが、王政復古を機に新政府を作り
今後の日本を 新しい日本を作るためには、天皇までを動かす
必要があったそうで このころの各藩の勤皇の志士たちの
これは、松陰のおしえなのかな〜って考えてしまう。
要は大事をなすためには ルールを超えて動く必要があるみたいな。
結果を出すためには手段を選ばず的な発想で 一種、
発想があるみたいだ。いろいろ勉強しすぎると枠を超すことは
大したことではないと思うが、結構
とりあえず、松陰は岸和田藩校講習館の館長だったので
この岸和田界隈にも よく滞在したそうだ。
全国、飛び回って 自分の好きなことしてって
相当の放蕩ぶりですが どうでしょう・・・。
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