2014年10月23日
「国産ジェット開発」はなぜこんなに遅れたのか?
先週、新開発のリージョナルジェット機である「ミツビシ・リージョナルジェット(MRJ)」のロールアウト式典が、三菱重工・三菱飛行機の小牧南工場(愛知県)で開催されました。国産初のジェット旅客機のお披露目です。この後、初飛行は来年4〜6月の実施を目指しているそうです。
このMRJですが、文字通り、いわゆる「リージョナルジェット」のカテゴリに入ります。つまり、航続距離は2000キロ前後、全体に小型の設計で特に機体の外径が小さく、したがって機内でも背の高い人は天井に頭がついてしまうくらいです。
MRJはこのカテゴリの中では、70〜90席クラスということで比較的大きい方、また2−2のコンフィギュレーション(座席配置)で真ん中に通路がある仕様が特徴になります(一般的には1−2)。また、空力設計や低騒音設計などに優れていること、そして現在の航空界で求められている燃費低減と騒音・排ガスの削減を実現していることなどが「ウリ」です。実際にマーケットの反応は上々だそうですし、ANAとJALは短距離線の多くに導入する計画を表明しています。
もちろんこのプロジェクトは是非成功してもらいたいし、今後も応援していきたいと思っています。
ですが、ものづくりに優れた文化を持つはずの日本で、そして戦後の貧しい時代にYS‐11という傑作機を開発する能力も持っていた日本で、どうして国産ジェットの開発にこんなに時間がかかったのでしょうか? YS‐11の生産打ち切りが1973年ですから、航空機生産ということでは40年の空白ができています。
技術がなかったのではありません。軍用機ということでは、航空自衛隊の練習機として、T‐1(1958年初飛行)とT‐2(1971年初飛行)という2世代にわたるジェット機が開発されています。ちなみに、T‐2は石川島播磨重工業とロールスロイスの共同開発エンジンですが、T‐1のエンジンは富士重工などによる独自開発です。
では、アメリカなどから「技術大国日本」が航空機技術を持てば「軍国日本の復活」になるという「圧力」があったのでしょうか? そんなことはありません。
航空機開発には天才的な技術者が必要で、そうしたエリート教育はしていなかったので日本は遅れを取ったのでしょうか? それも違うと思います。例えば、現在でも、中型以上の民生用の旅客機を製造している国としては、アメリカ、欧州連合(エアバス参加国の英仏独西)、ロシア、中国といった国々が挙げられます。こうした国々は、リージョナルジェットではなく、中型ジェット機以上を製造しているのです。日本が人材難でできなかったのではないと思います。
そもそも日本は、YS‐11以降、まったく何もしていなかったわけではありません。YS‐11を開発・製造していた「日本航空機製造(日航製)」は「YX」というプロジェクト名で、今でいうワイドボディの中型ジェット旅客機を開発していました。
ですが、このプロジェクトは挫折します。そして1982年にこの日航製という国策会社は解散に追い込まれてしまうのです。そして、このYXプロジェクトで培った技術は、紆余曲折の結果ボーイング社に売却され、最終的にはボーイング767として実現します。ですが、その際の日本側の「持分」は15%以下となり、以降の日本の各航空機技術関連企業はボーイングとの関係で言えば「下請けの部品納入業者」の地位に甘んじていくことになります。
では、どうして70年代初頭の日本の民間企業連合は、YXを立ち上げられなかったのでしょうか?
問題は資金調達だった、そう考えるのが一番説明として適切だと思います。それも普通の資金ではなく、長期でしかもリスクを引き受けるような資金を引っ張ってくることができなかった、この点に尽きると思います。
当時すでに世界第二の経済大国だった日本で資金を集められなかったのには、2つの理由があると思います。
1つは、現在もそうですが、日本の個人金融資産や、株の持ち合いなどによる法人の金融資産においては、「リスク分散」という発想が薄いことが挙げられます。リスクの高いものと、低いものをミックスしてトータルでリターンを取るという発想法が普及しておらず、リスクのある長期資金がなかなか回らなかったのだと思います。
もう1つは、国際的な市場で厳格な契約に基づいて資金調達をするノウハウに欠けていたのだと思います。例えば最近の話題ですと、日本のスカイマークがエアバスのA380を15機発注しておきながら、キャンセル条項の適用を受けてしまいました。キャンセルの理由は、エアバス側から見て、スカイマークの財務内容が劣化して契約条件に抵触したからです。その際のスカイマーク側の違約金も高額となりました。
これはエアバスが「がめつい」からではありません。A380という一機300億円(ただし価格は契約により変動)のモノを大量に受注、製造するには、エアバスはリスクを分散しながら資金調達をしなくてはならず、その際の融資のシンジケート団との契約や、出資者との契約に厳密な条件が書いてあるのだと思います。
航空機の開発や製造には、そうした長期や短期の資金をグローバルな世界から調達しなくてはなりません。航空機を作る技術と同じような緻密さで、相手と丁々発止の交渉をしながら分厚い契約書案を詰めていく、資金調達とはそういう作業の積み重ねです。日本の企業も70年代から80年代以降は、必死に国際化を模索していますが、特に国際的なファイナンスという面では遅れを取っています。
日本国内にリスクを取った長期のカネがなく、世界からカネを引っ張ってくる技術も足りなかった−−。航空機製造に40年の空白を作り、今もリージョナル機「しか」手がけることができない背景には、そうした事情があると思います。
このMRJですが、文字通り、いわゆる「リージョナルジェット」のカテゴリに入ります。つまり、航続距離は2000キロ前後、全体に小型の設計で特に機体の外径が小さく、したがって機内でも背の高い人は天井に頭がついてしまうくらいです。
MRJはこのカテゴリの中では、70〜90席クラスということで比較的大きい方、また2−2のコンフィギュレーション(座席配置)で真ん中に通路がある仕様が特徴になります(一般的には1−2)。また、空力設計や低騒音設計などに優れていること、そして現在の航空界で求められている燃費低減と騒音・排ガスの削減を実現していることなどが「ウリ」です。実際にマーケットの反応は上々だそうですし、ANAとJALは短距離線の多くに導入する計画を表明しています。
もちろんこのプロジェクトは是非成功してもらいたいし、今後も応援していきたいと思っています。
ですが、ものづくりに優れた文化を持つはずの日本で、そして戦後の貧しい時代にYS‐11という傑作機を開発する能力も持っていた日本で、どうして国産ジェットの開発にこんなに時間がかかったのでしょうか? YS‐11の生産打ち切りが1973年ですから、航空機生産ということでは40年の空白ができています。
技術がなかったのではありません。軍用機ということでは、航空自衛隊の練習機として、T‐1(1958年初飛行)とT‐2(1971年初飛行)という2世代にわたるジェット機が開発されています。ちなみに、T‐2は石川島播磨重工業とロールスロイスの共同開発エンジンですが、T‐1のエンジンは富士重工などによる独自開発です。
では、アメリカなどから「技術大国日本」が航空機技術を持てば「軍国日本の復活」になるという「圧力」があったのでしょうか? そんなことはありません。
航空機開発には天才的な技術者が必要で、そうしたエリート教育はしていなかったので日本は遅れを取ったのでしょうか? それも違うと思います。例えば、現在でも、中型以上の民生用の旅客機を製造している国としては、アメリカ、欧州連合(エアバス参加国の英仏独西)、ロシア、中国といった国々が挙げられます。こうした国々は、リージョナルジェットではなく、中型ジェット機以上を製造しているのです。日本が人材難でできなかったのではないと思います。
そもそも日本は、YS‐11以降、まったく何もしていなかったわけではありません。YS‐11を開発・製造していた「日本航空機製造(日航製)」は「YX」というプロジェクト名で、今でいうワイドボディの中型ジェット旅客機を開発していました。
ですが、このプロジェクトは挫折します。そして1982年にこの日航製という国策会社は解散に追い込まれてしまうのです。そして、このYXプロジェクトで培った技術は、紆余曲折の結果ボーイング社に売却され、最終的にはボーイング767として実現します。ですが、その際の日本側の「持分」は15%以下となり、以降の日本の各航空機技術関連企業はボーイングとの関係で言えば「下請けの部品納入業者」の地位に甘んじていくことになります。
では、どうして70年代初頭の日本の民間企業連合は、YXを立ち上げられなかったのでしょうか?
問題は資金調達だった、そう考えるのが一番説明として適切だと思います。それも普通の資金ではなく、長期でしかもリスクを引き受けるような資金を引っ張ってくることができなかった、この点に尽きると思います。
当時すでに世界第二の経済大国だった日本で資金を集められなかったのには、2つの理由があると思います。
1つは、現在もそうですが、日本の個人金融資産や、株の持ち合いなどによる法人の金融資産においては、「リスク分散」という発想が薄いことが挙げられます。リスクの高いものと、低いものをミックスしてトータルでリターンを取るという発想法が普及しておらず、リスクのある長期資金がなかなか回らなかったのだと思います。
もう1つは、国際的な市場で厳格な契約に基づいて資金調達をするノウハウに欠けていたのだと思います。例えば最近の話題ですと、日本のスカイマークがエアバスのA380を15機発注しておきながら、キャンセル条項の適用を受けてしまいました。キャンセルの理由は、エアバス側から見て、スカイマークの財務内容が劣化して契約条件に抵触したからです。その際のスカイマーク側の違約金も高額となりました。
これはエアバスが「がめつい」からではありません。A380という一機300億円(ただし価格は契約により変動)のモノを大量に受注、製造するには、エアバスはリスクを分散しながら資金調達をしなくてはならず、その際の融資のシンジケート団との契約や、出資者との契約に厳密な条件が書いてあるのだと思います。
航空機の開発や製造には、そうした長期や短期の資金をグローバルな世界から調達しなくてはなりません。航空機を作る技術と同じような緻密さで、相手と丁々発止の交渉をしながら分厚い契約書案を詰めていく、資金調達とはそういう作業の積み重ねです。日本の企業も70年代から80年代以降は、必死に国際化を模索していますが、特に国際的なファイナンスという面では遅れを取っています。
日本国内にリスクを取った長期のカネがなく、世界からカネを引っ張ってくる技術も足りなかった−−。航空機製造に40年の空白を作り、今もリージョナル機「しか」手がけることができない背景には、そうした事情があると思います。
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