2021年03月19日
「まれなる存在」
富山県の砺波なぜか気になっている
もともと古くは真宗がさかえた土地であり妙好人も多くいたときく
たしか赤尾の道宗さんもこのあたりのご出身ではなかったか
いつかいく旅のリストに加えておく
本日は 「まれなる存在」
「わたしがいまここにいる」そのことを当然のことだあたり前だと人は思っているが
本当にそうだろうか
わたしは思うのだが本来、わたしの存在自体があることが難しいのだと
そもそも存在自体が偶然に生まれてきたと
そうなるとうまくことばに表現ができないが「まれなる存在」であろうか
なぜこの時代のこの場所にここにいまわたしがいるのだろうか
偶然、たまたまである
いること自体が「まれ」なのである
日本語の感謝のことば「ありがとう」は「有難う」という漢字で置き換えられる
「ありがとう」は何か人からの行為に対して「ありがとう」を口にするが
「有難う」であれば相手が「まれなる存在」であることを認識していますよとその行為よりも
さらに根源のところを示しているのである
ただいつもこのことを忘却してしまうのだ
毎日、河原にさんぽしにいくときに寄るコンビニで
店員さんに「ありがとう」というときにあなたがここにいるのは「まれなる存在」であってそれに対して
ありがとうと言おうと毎朝出かけるのだがなぜだがレジの前では忘れてしまう
それぐらい「まれなる存在」の意識がないのだ
「まれなる存在」どうしがこの世界にいるのになぜ「まれなる存在」だと意識しないのであろうか
存在は当たり前でなく「まれ」なのであるが
まとめ
・「まれなる存在」を意識し続けるのは難しい
もともと古くは真宗がさかえた土地であり妙好人も多くいたときく
たしか赤尾の道宗さんもこのあたりのご出身ではなかったか
いつかいく旅のリストに加えておく
本日は 「まれなる存在」
「わたしがいまここにいる」そのことを当然のことだあたり前だと人は思っているが
本当にそうだろうか
わたしは思うのだが本来、わたしの存在自体があることが難しいのだと
そもそも存在自体が偶然に生まれてきたと
そうなるとうまくことばに表現ができないが「まれなる存在」であろうか
なぜこの時代のこの場所にここにいまわたしがいるのだろうか
偶然、たまたまである
いること自体が「まれ」なのである
日本語の感謝のことば「ありがとう」は「有難う」という漢字で置き換えられる
「ありがとう」は何か人からの行為に対して「ありがとう」を口にするが
「有難う」であれば相手が「まれなる存在」であることを認識していますよとその行為よりも
さらに根源のところを示しているのである
ただいつもこのことを忘却してしまうのだ
毎日、河原にさんぽしにいくときに寄るコンビニで
店員さんに「ありがとう」というときにあなたがここにいるのは「まれなる存在」であってそれに対して
ありがとうと言おうと毎朝出かけるのだがなぜだがレジの前では忘れてしまう
それぐらい「まれなる存在」の意識がないのだ
「まれなる存在」どうしがこの世界にいるのになぜ「まれなる存在」だと意識しないのであろうか
存在は当たり前でなく「まれ」なのであるが
まとめ
・「まれなる存在」を意識し続けるのは難しい
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