2022年08月14日
一般常識4解答
次の文章を読んで、あとの問いに答えよ。
本を読むとき、あるいは本を読むことを必要とするとき、ひとはそこに生きられた同時代の経験を、じぶんの経験を読もうとしている。たとえどんなに古い本であっても、本を読むとき、ひとがそこに読もうとするのは、いま、ここの経験を共にするものとしての言葉であり、読書はいわば(A)という織物を(B)という糸で織ることです。
本というのは、どうしてもaテマヒマがかかります。音楽ならば、聴いていなくても終わってくれる。映画も、時間が過ぎれば終わってくれる。絵は、見ても見なくてもそこにある。けれども本は、自分でページをめくってゆかないかぎり終わってくれないのです。テマがかかって、時間がかかる。逆にいうと、本を読みたいという気もちがはたらくときは、ゆっくりしたいという気もちがはたらく。
読書はなにより速さを価値とする情報を波乗りすることとはちがって、(C)せわしさをしりぞける力をもっています。スピードアップが万事となった今、本のありようにも全体をばらして、部分化部品化がすすめられ、そうすることで時間の切り売り、時間の細片化がしきりにもとめられるというふうになってきていますけれども、しかし、@本は時間を遅くすることはできても、時間を早めることはできないのです。
ゆっくりとした時間をとりもどす、それが読書の原点です。(D)、再読の楽しみ。効率から言えば、それこそ時間のむだにすぎない。しかし、ちがうのです。再読はもう一度時間をいま、ここにとりかえす楽しみです。(E)、ずっと読まずじまいだった『ドン・キホーテ』のような古い大長篇を、または『指輪物語』のような新しい大長篇を、bユウユウと読む。そうそう読みきれる本ではありませんから、腰をすえて、じぶんの時間のもち方を考えなければいけなくなる。
ともあれ一冊の本を、ちゃんとじぶんの生活のなかに置いてみる。すると、日常の時間というのがどこかしらきっとちがってきます。つまり、本と付きあるというのは、A日常の時間を持ちかえるということです。じぶんと本との付きあい方を発見してゆくしかない、そういう楽しみです。
本のcミリョクは、つねに新しいということ。今日でた本というのでなく、どんなに古い時代の本であれ、じぶんがその本を読むとき、それがじぶんにとって古い時代の本であれ、じぶんがその本を読むとき、それがじぶんにとってもっとも新しい本であるように、その本を読むことによって、じぶんが思いがけず新しくされる。じぶんのもつ時間というのが、読む本によって新しくされる。そうした新しい本を手にすることによって、結局、じぶんのなかで本と付きあうということが、じぶんの生活の発見に、また、再発見にかならずなってゆくところが、本のdミョウミです。
(長田 弘『本という不思議』より)
(1)太字部a〜dの片仮名を漢字に直せ。
aテマヒマ:手間暇(隙) bユウユウ:悠々 cミリョク:魅力 dミョウミ:妙味
(2)文中の(A)(B)にあてはまる語を、それぞれ文中から抜き出せ。
(A)経験 (B)言葉
(3)文中の(C)〜(E)にあてはまる語を次のア〜エから一つ選べ。
ア.たとえば イ.あるいは ウ.だから エ.むしろ オ.そして
(C)エ (D)ア (E)イ
(4)下線部@において筆者がいいたいのはどういうことか。最も適当なものを次のア〜エかた1つ選べ。
ア.本は時間を超えて読者を過去の世界に誘ってくれるものだということ。
イ.本は読み方を工夫すれば短時間で効率よく読めるものだということ。
ウ.本は時間をかけて主体的に読み取っていくほかないものだということ。
エ.本はゆっくり読めば読むほど内容を正しく理解できるものだということ。
解答:ウ
(5)下線部Aはどういうことか、40字以内で分かりやすく説明せよ。(句読点も字数に含む)
解答例:読書には、日常のあわただしい時間をゆとりの時間に切り替えることが必要だということ。
本を読むとき、あるいは本を読むことを必要とするとき、ひとはそこに生きられた同時代の経験を、じぶんの経験を読もうとしている。たとえどんなに古い本であっても、本を読むとき、ひとがそこに読もうとするのは、いま、ここの経験を共にするものとしての言葉であり、読書はいわば(A)という織物を(B)という糸で織ることです。
本というのは、どうしてもaテマヒマがかかります。音楽ならば、聴いていなくても終わってくれる。映画も、時間が過ぎれば終わってくれる。絵は、見ても見なくてもそこにある。けれども本は、自分でページをめくってゆかないかぎり終わってくれないのです。テマがかかって、時間がかかる。逆にいうと、本を読みたいという気もちがはたらくときは、ゆっくりしたいという気もちがはたらく。
読書はなにより速さを価値とする情報を波乗りすることとはちがって、(C)せわしさをしりぞける力をもっています。スピードアップが万事となった今、本のありようにも全体をばらして、部分化部品化がすすめられ、そうすることで時間の切り売り、時間の細片化がしきりにもとめられるというふうになってきていますけれども、しかし、@本は時間を遅くすることはできても、時間を早めることはできないのです。
ゆっくりとした時間をとりもどす、それが読書の原点です。(D)、再読の楽しみ。効率から言えば、それこそ時間のむだにすぎない。しかし、ちがうのです。再読はもう一度時間をいま、ここにとりかえす楽しみです。(E)、ずっと読まずじまいだった『ドン・キホーテ』のような古い大長篇を、または『指輪物語』のような新しい大長篇を、bユウユウと読む。そうそう読みきれる本ではありませんから、腰をすえて、じぶんの時間のもち方を考えなければいけなくなる。
ともあれ一冊の本を、ちゃんとじぶんの生活のなかに置いてみる。すると、日常の時間というのがどこかしらきっとちがってきます。つまり、本と付きあるというのは、A日常の時間を持ちかえるということです。じぶんと本との付きあい方を発見してゆくしかない、そういう楽しみです。
本のcミリョクは、つねに新しいということ。今日でた本というのでなく、どんなに古い時代の本であれ、じぶんがその本を読むとき、それがじぶんにとって古い時代の本であれ、じぶんがその本を読むとき、それがじぶんにとってもっとも新しい本であるように、その本を読むことによって、じぶんが思いがけず新しくされる。じぶんのもつ時間というのが、読む本によって新しくされる。そうした新しい本を手にすることによって、結局、じぶんのなかで本と付きあうということが、じぶんの生活の発見に、また、再発見にかならずなってゆくところが、本のdミョウミです。
(長田 弘『本という不思議』より)
(1)太字部a〜dの片仮名を漢字に直せ。
aテマヒマ:手間暇(隙) bユウユウ:悠々 cミリョク:魅力 dミョウミ:妙味
(2)文中の(A)(B)にあてはまる語を、それぞれ文中から抜き出せ。
(A)経験 (B)言葉
(3)文中の(C)〜(E)にあてはまる語を次のア〜エから一つ選べ。
ア.たとえば イ.あるいは ウ.だから エ.むしろ オ.そして
(C)エ (D)ア (E)イ
(4)下線部@において筆者がいいたいのはどういうことか。最も適当なものを次のア〜エかた1つ選べ。
ア.本は時間を超えて読者を過去の世界に誘ってくれるものだということ。
イ.本は読み方を工夫すれば短時間で効率よく読めるものだということ。
ウ.本は時間をかけて主体的に読み取っていくほかないものだということ。
エ.本はゆっくり読めば読むほど内容を正しく理解できるものだということ。
解答:ウ
(5)下線部Aはどういうことか、40字以内で分かりやすく説明せよ。(句読点も字数に含む)
解答例:読書には、日常のあわただしい時間をゆとりの時間に切り替えることが必要だということ。
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