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2020年07月07日

講談師 ナゾトキ×映画級


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講談師が俺にもっと輝けと囁いている



毎日大切に…だったけど
振り返るとスーパー高速スピードで過ぎ去った
2018年の夏。
“平成最期の夏!”と言われても
だからとてどう特別に過ごせばいいのかわからないまま、ただただ猛暑に翻弄されながら終わっていったような気が。


昨夜は夏の間、都会を離れて暮らしていた友達家族と久しぶりの持ち寄りご飯。
それぞれが話したい事ありすぎて、
会話の渋滞延々と。
(最期まで話しきれた内容あったかな)


先週水曜日、
東海テレビ「スイッチ!」生放送が終わってから
スタッフ数人と訪れた名店居酒屋“大甚”。
ここでも確認したい話や共有したい話がありすぎて
「これで最期!」と何度ぬる燗を追加したか…。
さらにこの後、いなかった“スイッチ”メンバーから続々とラインが届き、水曜メンバーの繋がりをヒシヒシ感じたり。
(飲んでるのを知ってたかのようでびっくり)


畑時間では豪快な汗を経験!
(今年はハラペーニョがなかなか出来なくて悲しい)


鹿児島では仲間おススメの温泉を満喫。


愛知県内海海岸、夫によるDJを聴きながらの花火大会は豪快で迫力あって最高だったなぁ。


地元の海はビキニになれる穴場スポット。


お素麺は三重の名産、大矢知の“金魚印”。

まだまだあんなこと、こんなことばかりを思い出してはニンマリ中で、
夏にやり残したことに気づけておりませんが
それでもそろそろ
秋に向かって進みたいと思います。


ありがとう、平成最期の夏。


さて、この後お昼0時15分からは
NHK-FM「」
ゲストに講談師、神田松之丞さん、
お笑い芸人・日本語学者、サンキュータツオさんをお迎えして、
「今こそ日本の話芸に親しむ」をテーマにお話を伺います。


お話上手なお三方を前に唸りっぱなしの時間となりました、ぜひお付き合いくださいませ!!





お悩み解決講談師の疑問は、ここで解決しよう!


現在、東西合わせて40余りある落語家の亭号を五十音順に辞書っぽく書いたものです。現在使われているもののみです。フリーの方の亭号については、「5団体に所属した経歴がある亭号のみ掲載」とします。あと、本文中の固有名詞はすべて新字体に統一してあります。竜じゃなくて龍だ!みたいな野暮なクレームは受け付けません←。

亭号(太字)、(【所属一門】、読み、人数)、行改めて代表的な名跡、説明の順番です。所属一門は先の記事に名古屋を加えた17分類としますが、上方は亭号が少ないため、まとめさせていただきます。

生:三遊亭円生一門、歌:三遊亭円歌一門、古:古今亭志ん生一門、彦:林家彦六一門、橘:橘家円蔵一門、柳:柳家小さん一門、小:桂小文治一門、春:春風亭柳橋一門、可:三笑亭可楽一門、立:立川談志一門、桂:桂文枝・米朝・春団治一門、笑:笑福亭松鶴・林家染丸・森乃福郎一門、名:名古屋の落語家。

 

明石家(【笑】あかしや、1名)

笑福亭松之助一門。

松之助の本姓・明石にちなむ。明石家を名乗る最も著名な人物は、松之助の弟子でテレビタレントのさんまであるが、落語家としては、2019年現在、のんき1人のみが名乗る。のんきは名前からよくさんまの弟子と勘違いされるようだが、松之助の弟子&実子である。すなわち、さんまにとっては弟弟子である。さらに、のんき当人は芸名・明石家、本名・明石ということにもなる。

よく、明石家は元々笑福亭を名乗っていたさんまがテレビ活動しやすいようにつけた亭号である、と紹介されがちだが、実際は、当時複数名いた落語家の弟子も明石家を名乗っていたという(のちに円都→米朝門下に転じた橘家円三もそのひとり)。


いなせ家(【彦】いなせや、1名)

いなせ家半七。

春風亭柳朝5→小朝門下。柳朝一門はほとんどの弟子が春風亭を名乗る中、春風亭でもそれ以外の既存の名跡でもないこの名前を名乗るようになった経緯は不明。通常、落語家は亭号で呼ばれることはないが、彼は亭号と名前を略した「いなはん」を自称することがある。


入舟(【柳】いりふね、1名)

入舟辰之助。

入船亭扇辰門下。一門の本来の亭号である入船亭から亭を削除し、漢字表記も若干改めている。このように亭を削除して名乗る場合も昔からなかったわけでもない。というよりも、漢字表記は違うが、「入船」を名乗る落語家は過去にも存在したという。


入船亭(【柳】いりふねてい、12名)

入船亭扇橋。

扇橋は元の亭号を船遊亭といい、初代三笑亭可楽の弟子を初代とし、一門は扇派と呼ばれた。6代目まではこの扇派で引き継がれていたが、7代目で柳派にうつり、8代目で亭号が入船亭に変わっている。亭号が改まって以降はもっぱら「入船亭」が用いられているが、例外として、三遊亭小円朝3が一時期、扇派の名跡だった志ん橋を「船勇亭志ん橋」として襲名していたことがある。漢字表記が違うのは戦時中だったため「遊」の字を避けたことによる一種の自粛という。ちなみに、志ん橋の名跡はその後古今亭に移っている。

現在は、小さん5門下・扇橋9一門のうち、入舟辰之助を除く12名が名乗る。


快楽亭(【立】かいらくてい、2名)

快楽亭ブラック。

初代は外国人落語家(のちに日本に帰化)が名乗った名前。談志門下の当代・2代目もハーフであったことにちなみ襲名したとみられる。初代は珍しい講談師の弟子だったが、のちに三遊派に迎え入れられたという。かなり特殊な事情を持つ落語家ゆえ、名前を継ぐ者もいなかったが、それに見合う事情を持つ落語家が現れたことから、一門を超えた襲名に至ったものとみられる。

ブラックは初代の本姓(帰化後は名前に)であったが、快楽亭の由来は不明。改名歴が多いことで知られる当代は、二つ目の一時期、快楽亭セックスを名乗っていた(当時は立川を名乗ることが多かった中での亭号変更。なお、放送禁止になる場合が多く、同時に立川マーガレットの変名も名乗った)が、そのような色事的につけられた亭号であることも確認されていない。


(【桂小古彦橘柳立】かつら、201名)

東京では桂文治(当代は11代目)、上方では桂文枝(当代は6代目)が留め名とされる。

上方の最大勢力であり、東京でもそこそこ大人数の落語家が名乗る、メジャーかつ特異な亭号。さらに言えば、実は落語家の亭号としては唯一、漢字1文字の亭号でもある。桂の亭号の由来は、初代文治が大阪にある佳木山太融寺の檀家であったことから、寺の山号から連想して名付けたという。

上方では現在3つの一門が名乗る亭号である。桂派と呼ばれ栄えたが、のちに、文都2や米団治1が脱退したことにより分派。ここで文治の名跡も離れたことにより、以後桂派の留め名は文枝となり、今日の文枝一門へとつながる。文都2(脱退とともに亭号が月亭に)・米団治1(脱退とともに桂亭米喬に改名)は笑福亭松鶴3とともに三友派を立ち上げた。米喬は文団治2を経て、一度は東京へ渡った文治の名跡を一代限定で大阪に戻し、7代目となる。この文治7の系譜にあたるのが今日の米朝一門、春団治一門、そして東京の小文治一門である。小文治は東京に移住し、芸術協会に初期から参加し、多くの弟子を持った。小文治は直弟子より他門からの預かり弟子のほうが多かった都合で、桂を名乗らない弟子も多かったが、直弟子の文治10(当代はここの門下)や、孫弟子の米丸4らが一門を形成したため、芸術協会は今日でも桂を名乗る落語家が多い。

さて、東京にも別の桂派が存在した。区別して江戸桂派と呼ばれることが多い。これは、一説には三笑亭可楽2の弟子が、文治2の妹と結婚した縁で、文治3を襲名したことに発するという。そのような経緯があったため、実態としては三笑派もしくは柳派の傍流という位置づけにある。江戸桂派の系譜にあたる落語家で、大きな一門を築いた落語家として文楽8がいるが、一番弟子が橘家円蔵7になるなど、ほとんどの弟子が改名してしまったので、今日の円蔵一門には当代文楽9を含め桂を名乗る落語家は3名しかいない。このほか、東京の習わしで、師匠の死により別の一門に移ったり、亡くなった落語家の子息が別の師匠に入門ののちに桂の名跡を襲名したりで、落語協会の「桂」は三遊亭以外の各一門に散らばる。逆に芸術協会に多くいる「桂」やそこから小さん門下に移った「桂」は、みな東京に移住した上方落語家・小文治2の系譜である。


雷門(【小】かみなりもん、3名)

雷門助六。

もとより三笑派・柳派の系譜にあり、その中でも2代目は三笑亭可楽4門下であった。5代目はのちに古今亭志ん生3となった。なお、古今亭はこの志ん生3や師匠の今輔2の頃には柳派に在籍した。そして、6代目が志ん生3の門下から生まれ、現在の一門はその弟子筋にあたる。当代・9代目は6代目の孫弟子にあたる。


川柳(【柳】かわやなぎ、2名)

川柳川柳。

1978年起きた落語協会分裂騒動において、三遊亭円生6門下のさん生、好生が、師に帯同せず落語協会に残留する意向であったことから、破門となり、他門への移籍を余儀なくされた。このうちさん生が柳家小さん一門に直った際に改めた名前。

この名そのものの由来は、のちの三遊亭円馬3である朝寝坊むらく7が、立花家橘之助1を破門された際に橋本川柳と名乗ったことによる。この川柳は本姓である橋本を重ねて高座名としたが、さん生は先代の「橋本」も自身の本姓の「加藤」もつけず、新たに亭号を創設する形で川柳川柳を名乗った。門下のつくしと2人のみが名乗る亭号となっている。

余談だが、後年、円生門下、川柳の元・弟弟子にあたる円丈が本騒動を「御乱心」として著した際に、「協会に残って破門される」ことを指して「川柳(カワヤナギ)になる」と表現している。

 

きり亭(【桂】きりてい、1名)

きり亭たん方。

月亭八方門下の八斗が2019年4月に改名。月亭一門はよしもと所属で、八斗も同様であったが、八斗が「住みます芸人」として秋田県在住になったことにより、八方により改名を命じられる。秋田ということで亭号と名前合わせて、きりたんぽに引っ掛けた上に八方から一字取ったものと思われる。

 

金原亭(【古】きんげんてい、17名)

金原亭馬生。

初代は三遊亭円生1門下であり、馬派と呼ばれる一門の祖である。金原亭馬生という名前は、現在の松戸市小金原が馬の名産地であったことにちなむ。当初は馬派の中で引き継がれていたが、のちの古今亭志ん生4が6代目として襲名して以降、8〜9代目を除き古今亭の名跡として扱われている。10代目は志ん生5の長男・志ん朝の兄として知られる。志ん生5の一門を合わせて現代の古今亭一門と扱うことが多いが、その半数弱が馬生10一門にあたる。

馬派の特徴として、伝統的に名前に馬の字を残し亭号を変えることが多く、10代目も「真打になることは独り立ちすること」として、弟子に亭号の変更を勧めていたという。したがって、馬生10一門のうち、金原亭を名乗るのはその半分程度である。当代・11代目は、10代目の弟子にあたる(厳密には、真打になる前に亡くなり、兄弟子・伯楽門下となったため孫弟子という扱いになる)。


五街道(【古】ごかいどう、1名)

五街道雲助。

金原亭馬生10門下。五街道雲助というのは名跡であることだけは確からしいが、歴代の雲助は詳細が明らかない者も多く、どうやら馬派の名前らしい、ということぐらいしか言えない状態にある。五明楼玉輔3(馬生3の弟子)門下の国輔がかつて名乗った名前であり、その後も五明楼の一門で用いられていたらしい。実は、歴代何人の雲助がいたかすらも不明であり、当代は6代目であるが、これも師匠・馬生10が適当につけた数字だという。

当代雲助は3人の弟子を育て上げたが、自分が珍しい名跡だからか、その3人にもそれぞれ桃月庵白酒、隅田川馬石、蜃気楼竜玉というこれまた珍しい名跡を継がせている。


古今亭(【古小】ここんてい、32名)

古今亭志ん生。

大河ドラマいだてんでも有名な5代目まで、ほぼ直系で引き継がれている。ほぼ、というのは、実は5代目は、4代目から柳家三語楼1門下に転じたからである。というのも、4代目が早死にしたため、他の一門に移籍せざるを得なくなってしまったのだ。志ん生は早死にの人が続いたらしく、4代目が「この名前は俺で最後にしてくれ」と言い残し、それゆえ5代目は周囲から反対されたようだが、「どうせ人は死ぬ」と襲名を行い、結果長寿を誇り、金原亭他も含め現在50余名を数える古今亭一門を築き上げた。

初代は三遊亭円生1の門下であり、兄弟子と円生の襲名争いをし、結果敗れている。失意の中、新たな円生を意味する志ん生を名乗るようになったとされる。また、古今亭は古典も新作も手掛けるという意味であるという。

現在では基本的に古今亭の名は志ん生一門で名乗られているが、それ以外に、芸術協会にも若干名いる。これは今輔4の門下から小文治の門下に転じた人物が芸協で今輔5を襲名したからである。現在は孫弟子が6代目を名乗っている。


五明楼(【彦】ごめいろう、1名)

歴史的には五明楼玉輔。

玉輔は5代目までおり、4代目まではおおよそ馬派か古今亭の門下にいたという。5代目は蜃気楼竜玉2門下(竜玉自身は三遊派の系譜にあたるらしい)で、4代目から譲られたという。その5代目もほどなく柳亭市馬2を襲名したため、以後半世紀にわたり五明楼は途絶えたという。

平成に入り、春風亭小朝門下のあさ市が五明楼玉の輔の名で襲名し、以後彼1人のみが名乗っている状態にある(玉輔一門にちなむ別亭号の名前を含めると五街道雲助、八光亭春輔も存在する)。「のを取って6代目を名乗ってほしい」というファンもいるとかいないとか。


三笑亭(【可】さんしょうてい、9名)

三笑亭可楽。

初代は最古の職業落語家のひとりである。柳派の祖である麗々亭柳橋1よりも先祖にあたり、可楽一門を指して「三笑派」ともいう。5代目までは三笑派で受け継がれたが、7代目で、名跡が大正・昭和前期の実力者・柳亭左楽5に渡り、2代続けて門下から襲名した。8代目が現在の三笑亭一門の祖であり、9代目はその弟子(厳密には、真打になる前に亡くなり、兄弟子・夢楽門下となったため孫弟子という扱いになる)。現在は8代目の弟子である夢楽一門のうち、預かり弟子である柳亭楽輔一門と、門下の夢丸1の同じく預かり弟子である東生亭世楽をのぞく全員が三笑亭を名乗る。

三笑亭可楽はことわざ「山椒は小粒でもぴりりと辛い」に由来する。


三遊亭(【生歌小】さんゆうてい、山遊亭を含め144名)

三遊亭円生。

円生1は東京で柳派と二大流派を築いた三遊派の祖。三遊亭は飲む打つ買うの三道楽に由来する。

現代の三遊亭は落語協会の円生(一部は脱退し円楽党)、円歌、芸術協会の3派に分かれるという。このうち落語協会(および円楽党)の2派は、全員が三遊亭を名乗るのが特徴である。古くは橘家が三遊亭のセカンド亭号として用いられたが、現在では、別の一門が使用している。

芸術協会は全員が小文治一門に属するが、その中でも細かく3派にわかれ、円馬一門、円遊一門、今輔一門に分かれる。円馬4は上方で活躍したのちに東京に渡っているが、上方時代に師事した2代目・3代目がいずれも東京の三遊亭にゆかりのある人物であるため、円生、円歌一門と並ぶ、三遊亭の一門として数えられる。なお、円馬2が大阪に渡ったように(3代目は元々大阪の人である)、かつて何人か上方に移住した三遊亭の落語家がおり、その折に上方で三遊亭と橘家を名乗る落語家が存在した。現在でも橘家を名乗る上方落語家が存在する。

古今亭今輔5がかつて円右1の門下だった縁から、弟子に円右3を襲名させており、その弟子数名が現在でも三遊亭を名乗る。円遊4は元々は雷門助六6門下であり、本来の三遊亭の系譜にはない。円遊3は橘家円蔵4門下、すなわち円生6の弟弟子であった(ちなみに、林家彦六の師匠でもあった)が、三遊派の本流に近い名跡が芸協の、それも古今亭の系譜で襲名された経緯は不明。

表記違いの「山遊亭」を名乗る落語家もいる。金太郎3と弟子のくま八の2名。山遊亭金太郎は、師匠の桂小南2を2代目、その兄弟子が初代であり、代々受け継がれている。金馬3が名付けた名前とされるため、「三遊亭」とは関係が深い。


春風亭(【春彦】しゅんぷうてい、52名)

歴史的には春風亭柳枝。現代では春風亭柳橋。

現在は、長きにわたり芸協のトップとして君臨した柳橋6の一門と、落語協会・彦六一門の一部の大きく2つに分かれる。

柳派の本流にあたるのが柳橋一門であり、現在、その多くが春風亭を名乗るが、実は、柳派は、名前の方に「柳」を入れ、亭号を変える習わしがあった。春風亭の亭号は、代々の春風亭柳枝一門で用いられており、柳橋も本来の亭号は春風亭ではない。柳派の祖は柳橋1とされるが、その亭号は麗々亭であり、柳橋5までは麗々亭を名乗った。なお、初めて春風亭を名乗ったと思われる柳枝1は柳橋1の弟子である。

さて、柳枝から派生し、柳枝への出世名として小柳枝の名跡も生まれた。そして、華柳1(柳枝4)門下の小柳枝4が柳橋6を襲名し、その際に、華柳1の意向で、柳橋6の亭号を、華柳1と同じ春風亭と改める。以後、芸術協会では、後述のとおり柳枝の名跡が落語協会に移ったことにより、柳橋が春風亭の留め名として扱っている。現在は6代目の孫弟子が8代目を名乗っている。なお、小柳枝も柳橋6の孫弟子が9代目を名乗っている。

柳枝は華柳1(柳枝4)門下の人物が8代目を襲名しており、すなわち柳橋6の弟弟子にあたるのだが、睦会解散時に、一門の大半が柳橋6がいた芸術協会に入ったのに対し、柳枝8は、小柳枝襲名を巡りトラブルになったことから落語協会に入った。この時に、本来の春風亭であった柳枝の名跡が柳派の本流から失われた。柳枝8はその後、何人か弟子を抱えたが、いずれも真打まで育て上げることができず他界している。ただし、林家正蔵8(彦六)門下に移籍した枝二が、その後、柳枝にゆかりのある栄枝7を襲名している。栄枝一門は当人も含め現在3名いるが、現時点で柳枝襲名の動きはない。ところで、栄枝7が新たな師匠に選んだ彦六であるが、正蔵7の遺族(三平1の一家)から名跡を借りた都合で、古い弟子は真打昇進の折に亭号を変えさせていたことで有名であるが、その中に春風亭柳朝5がいた。柳朝も元々柳枝一門に関係する名前だったが、柳朝4は三升家小勝5門下として、柳枝8や栄枝7とは異なった経緯で「落語協会の春風亭」となっている(柳枝3門下に柳朝3、かつてその弟子であった人物が柳朝4)。柳朝4は戦後すぐ柳家つばめ4を襲名したため、そこから空き名跡となっていたのを5代目が襲名したのである。なお、柳朝は確かに落語協会の名跡であったのだが、柳枝8の死後、落語協会は春風亭の名跡を封印していたために、柳朝5襲名の際に柳橋6に挨拶に出向いた、とのことである(栄枝7襲名はそれよりも後の話)。現在、柳朝一門は、20名以上を数え、大半が現在も春風亭を名乗る。


笑福亭(【笑】しょうふくてい、70名)

笑福亭松鶴(元祖は松竹)。

桂につぐ上方落語の一派。初代松富久亭松竹(この松竹1のみ亭号の表記が違う)を祖とし、その3代後(曽孫弟子)が松鶴1であり、以来松鶴が笑福亭の留め名となっている。その後、森乃福郎一門、林家染丸一門を分け、現代の松鶴6一門へとつながる。現在、笑福亭を名乗るのはこの松鶴6一門と、松鶴6の弟弟子・松之助である。大半が上方落語協会員だが(なお、松之助はフリー)、鶴光の一門は、惣領の学光を除き、全員が東京の芸術協会に所属する。これは、東京に移住した鶴光が東京で一門を形成したことによる(鶴光当人は二重加盟)。

なお、東西合わせて4番目に名乗る者が多い亭号であるが、笑福亭の由来については明らかでない。


蜃気楼(【古】しんきろう、1名)

蜃気楼竜玉。

当代・3代目は、五街道雲助門下。名跡自体は、珍しい名前であり、あまり資料がないが、三遊派の名前と思われる。初代は立川金馬2門下だった(割愛するが、三遊派の系譜にあたる)。2代目は小円朝2門下で、円朝の孫弟子にあたる。


隅田川(【古】すみだがわ、1名)

隅田川馬石。

当代・4代目は、五街道雲助門下(すなわち金原亭馬生10の孫弟子)。初代は馬生1門下で、馬派らしく名前に馬を入れている。馬生1が隅田川の川辺を散歩していた際に思いついた名前とされる。2代目は柳枝4門下の人物が名乗っていたが、現在は金原亭に名前が戻ってきている。ちなみに、3代目は、落語界の改名歴レコード保持者・古今亭志ん生5(すなわち当代は曽孫弟子にあたる)が20日間のみ名乗った名前であるという。


昔々亭(【古】せきせきてい、6名)

昔々亭桃太郎。

現在は昔昔亭との表記ゆれが見られるが、初代が(当代も当初は)昔々亭だったこと、「々」がそもそも重ね字を置き換える記号に過ぎないことから、本記事では、昔々亭と昔昔亭を区別せずこのように表記する。

明らかに「昔々亭」を名乗った桃太郎は、当代含め5名と言われており、初代は柳派の麗々亭柳橋の一家に生まれ、3代目を父、4・5代目を兄弟に持ち、桃太郎を名乗ったものの、落語家としては早々と廃業し、講談に転じた。2代目は三遊派の人物が名乗り、3代目も三遊派にいた立花家千橘1が名乗った。その後桃太郎を襲名した後に、4代目に譲っている。

さて、この4代目が昭和期に活躍した著名な桃太郎であるが、彼はなぜか「24代目」を自称していた(前述のとおり4代目ぐらいで、昔々亭以外の者をかきあつめてもせいぜい6代目ぐらいのはず)。彼自身は柳家小さん4門下なので、ここで初代以来柳派に名前が戻ったといえる。一応芸協に属したこともあったが、基本的には不遇の人で、フリーでの活動時期が長かった。

当代は先代よりも柳派の本流にあたる、春風亭柳昇5門下である。前述のとおり、歴代の桃太郎としては5代目ぐらいにあたるとも考えられるが、一般的には先代を初代にした2代目として世間には認識されている。さらに当人は、昔話の桃太郎にちなみ、「初代は鬼が島に行った」として3代目を自称している。落語家の代数のアバウトさを煮詰めたような名跡ともいえる。

当代には弟子が7人いるが、現在、直弟子のみが昔々亭を名乗っており、柳昇5からの預かり弟子2名は、引き取った当初は昔々亭を名乗ったものの、真打昇進で別の亭号に変更している。


全亭(【柳】ぜんてい、1名)

全亭武生。

全体無精の当て字。とはいえ、全亭武生(正)以外にも古今亭や金原亭の武生も存在し、それらを含めると6代目、全亭のみを数えると4代目と推測される。ただし、当代は代数を名乗っていない。本項はすべての武生を通した代数で表す。

初代は三笑亭可楽3の隠居名であり、2代目は初代の息子、3代目は三遊亭円生4門下、4代目「金原亭」はのちの志ん生5、5代目「古今亭」はのちの鈴々舎馬風4である。馬風4は古今亭(志ん生4→今輔3)から柳家小さん4門下に移っている。

恐らくはこのときに小さん一門に馬風関連の名跡として引き継がれたと推測され、当代は馬風5門下からの襲名となっている。


台所(【柳】だいどころ、1名)
台所おさん(二つ目の頃は鬼〆)。

柳家花緑門下で、小さん5の孫弟子。おさん、鬼〆は、小さん5が何故か気に入っていた名前とされ、一門の若手に決まって襲名を勧めるものの、断られ続けたという。一説には振られ続け50名とも。そういう意味で小さん一門では有名な名前だったという。

しかし、小さん5の最晩年になり、今のおさんが、鬼〆襲名を自ら志願し、当時でも80名はいたであろう小さん一門が揺れたという。これに対し花緑も、もう一度よく考えるように言い渡したとも。その後真打昇進でも同じく台所のおさんを襲名し、現在に至る。台所に立つ女性をおさんどんということにちなんだ名前であるが、出どころは不明。小さん5亡き今、真相が明かされる可能性は極めて0に近い。 

 

滝川(【春】たきがわ、11名)

歴史的には滝川鯉かん。現代滝川一門は滝川鯉昇。

歴史的には音曲師の滝川鯉かんが最初に名乗ったという。名前は作家の滝亭鯉丈から拝借したという。鯉かんは音曲師ながら落語家の弟子を持ち、その中に麗々亭柳橋3もいたことから、当初から柳派の名前だったと推測される。その後、鯉かんや、他の滝川の名跡もしばらく引き継がれたが、昭和初期には途絶えたという。 

その後、21世紀に入り、春風亭鯉昇一門が滝川に亭号を変えている。昇進でも名跡襲名でもなく亭号を変えるのは、少なくとも平成に入ってからはかなり珍しいケースである。当時、弟子が5人いたが、師匠・柳昇5からの預かり弟子の昇輔と、春風亭のままでいることを望んだ鯉枝を除く3人が二つ目昇進の折に先に滝川に改め、鯉昇はその後こっそりと改めたという。なお、昇輔は真打昇進の折に滝川鯉朝と改名している。鯉昇一門は現在15名であるが、前述の鯉枝を含め、春風亭を名乗る者が4名いるため、滝川を名乗るのは11名となっている。 

 

橘ノ(【小】たちばなの、2名)

橘ノ円。

初代は三遊亭円朝門下。兄で同じく円朝門下の円馬2とともに大阪に移住し、その先で円に改名している。即ち、三遊亭に関係する名前ながら大阪生まれの亭号ということになる。2代目はその大阪の桂三木助2門下にいた人物が襲名している。2代目は元々東京の人で、のちに東京に帰り三木助3を襲名している。即ち三木助3が三木助と円を東京に持ち帰ったのである。

そして、3代目は円馬4門下の遊三3門下で襲名された。初代が円馬の弟であることを考えると、あるべき所に戻ったという見方もできる。現在の円一門は6名だが、一番弟子が円馬5を襲名したため、半数が三遊亭を名乗る。 

 

橘家(【橘彦桂】たちばなや、立花家も含め14名)

橘家円蔵。

三遊亭のセカンド亭号として知られた。2代目までは立花家と書いた。その後は名前の方に橘の字を含む場合に立花家を名乗る法則になっているようである。円生の定紋である三つ組橘にちなむと推測される。

円蔵1はのちの円生2であり、以来代々円生への出世名とされてきた。円生6も自身がかつて円蔵6であった。その後、桂文楽8と、互いが所有する円蔵と桂小南の名跡を交換する約束をし、文楽8の弟子が円蔵7となる。現在、橘家を名乗る落語家の半数強がこの一門である。ちなみに、円生6はのちに小南を文楽8に返却し、文楽8から三遊亭金馬3門下の金太郎1に2代目として譲っている。

この他、弟子に亭号を変えさせていたことで知られる林家彦六一門にも何人か橘家がいる。

さて、上方にも橘家、立花家を名乗る落語家が1名ずつ、合わせて2名いる。一人は橘家円三。橘ノ円都門下であり、円1の孫弟子にあたる。なぜ師匠の橘ノではなく橘家を与えられたかについての経緯は不明。なお、円三は円都の死後、桂米朝3に預けられている。もうひとりの立花家千橘4は露の五郎兵衛2門下。襲名に際して、円蔵8の許可を得ており、現在では橘家の分家という扱いを受けているという。千橘1は三遊派の系譜にあたる人物である(のちの昔々亭桃太郎1)が、その後名跡は大阪にわたったという。


立川(【立】たてかわ、63名)

歴史的には立川焉馬。現代の立川流は立川談志。

元は、落語中興の祖・烏亭焉馬の別名だった。本所の立川に住んでいたことによる。2代目以降は正式に立川焉馬として襲名している。ちなみに、焉馬2は家元を自称したため、のちの時代に談志7が家元を自称したのはこれにヒントを得ている可能性がある。

その後、金馬、善馬、談志などの名跡が引き継がれていった。1957年に談志6、1960年にぜん馬5が亡くなったことにより立川を名乗る落語家が一旦消滅したが、数年後の1963年に小さん5の門下から談志7を襲名している。現在60名あまりいる立川はこの談志が一人で大きくしている。なお、ぜん馬や談笑など、他の立川の名跡を襲名した弟子も存在する。

1983年、談志一門は落語協会を抜け、落語立川流を旗揚げし、談志7は家元を自称した。当時の時点で立川の亭号は談志一門にしか存在しなかったため、寄席から立川が消えたということになる。しかし、談志の死後、門下の談幸が一門ごと芸術協会に加盟したこともあり、近年再び、寄席で立川を目にする機会が増えている。

ちなみに、大阪にもかつて立川の名跡があったようだが、関係はないようである。

この項で言及しておくが、立川流はほとんどが立川の亭号で占められており、現構成員で他の亭号を名乗るのは会長の土橋亭里う馬10のみであるが、ほかに、師匠志らくの懲罰により「亭号なし」で活動しているらく兵がいる。

 

玉屋(【柳】たまや、1名)

玉屋柳勢。

柳派の亭号と考えられる。現代の落語界において「家」ではなく「屋」と書く亭号は唯一。

端唄「えんかいな」の一節「あがる流星ほしくだり 玉屋が取持つ縁かいな」からとられた名前とされる。

2020年3月より、柳亭市楽が真打昇進に伴い6代目として襲名。

 

月亭(【桂】つきてい、14名)

歴史的には月亭生瀬もしくは月亭文都。現代月亭一門は月亭可朝もしくは月亭八方。

初めて月亭を名乗ったのは、桂文治1門下の生瀬。月亭は「月には桂の木が生えている」という中国神話にちなみ、まさしく桂の亭号のバリエーションと言える。生瀬以後月亭を名乗った人物として、文都2、可朝の各一門がいる。文都2は文枝1門下で、兄弟弟子と文枝2襲名を争い敗れ、結果亭号を月亭と改め、桂派を去ったという。なお、その後、文都は大阪では4代目まで襲名されたが、亭号は桂であった。6代目を談志門下が立川の亭号で襲名したほか紆余曲折を経て、7代目を八方門下が襲名したため、文都の名跡が2代目以来月亭となった。

可朝は米朝3門下であり、生瀬や文都2とは関係がないが、所属していた吉本興業の社長から改名を促され、文都2にちなみ月亭を名乗ったという。なお、名前そのものは三笑亭可楽と米朝にちなんでつけられた名前で、名跡ではない。

その後、米朝3とはやや距離を置いていたり、所属事務所が異なることもあり、資料によっては米朝一門とは別の一門として扱われることもある。さらには、米朝と、一門の大半を占める一番弟子の八方もやや距離を置いており、さらには弟弟子たちが事実上の休業に近い状態にあることから、八方一門を指して「月亭一門」とみなす向きも多い。


月の家(【橘】つきのや、2名)

月の家円鏡。

当代は6代目(4代目とも)という名跡だが、3代目以前はつまびらかでない者が多い。さらにはこの6名のほかにあと2名ほど名乗ったという説もあるが当然ながら詳細不明。円の字から三遊派の名前であることは想像に難くないが、月の家の亭号の由来は不明。

初代は三遊派でのちの朝寝坊むらく5。2代目も三遊派だったが、3代目は柳派だったという。4代目は、のちの橘家円蔵7。何度か一門を離れた末に、最終的に桂文楽8門下に戻った後に真打昇進し名乗った。その後、6代目まで円蔵7の弟子、孫弟子と受け継がれている。橘家が本来三遊派の名前であることを考慮すれば、名前があるべき一の戻ったとも考えられる。なお、当代・6代目の門下に小円鏡2がいる。


露の(【桂】つゆの、13名)

露の五郎兵衛。

初代は17世紀、京落語の祖とされる人物である。2代目は桂春団治2門下で、地元である京都で修業を積んだ。初代にちなむ露の五郎をへて、2代目を襲名する。弟子衆は現在も五郎兵衛一門と呼ばれ、立花家千橘4を除く全員が露のを名乗る。


桃月庵(【古】とうげつあん、4名)

桃月庵白酒。

初代は三遊亭円生1の兄で、2代目は円生3門下。三遊派の名跡であったが、当代・3代目は古今亭一門の五街道雲助門下。

名前はひな祭りにちなむとされ、当代は弟子の前座名にひなまつりにちなんだ「はまぐり(現・こはく)」「ひしもち」「あられ」の名前を与えている。


東生亭(【可】とうしょうてい、1名)

東生亭世楽。

当代は桂枝助門下から三笑亭夢丸1門下に移り、真打昇進の折に3代目を襲名するが、当初は三笑亭を名乗り、1年ほど後に東生亭に改めたという(代数は改めず)。初代(三笑亭)は可楽1門下で、2代目(東生亭)は円生1が一時期名乗ったとされる。当代は約200年ぶりの名跡復活とされ、名前の由来などはよくわかっておらず、そもそも世楽が本来「せらく」と発するのかどうかすら厳密にはわかっていないという。

 

登竜亭(【名】とうりゅうてい、4名)

歴史的には登竜亭鱗蝶。現代は登竜亭獅篭以下、旧なごや雷門一門。

雷門助六6の流れを汲み、名古屋在住のまま活動した雷門小福の一門は、東京の雷門助六一門に対し、なごや雷門を名乗っていた。しかし、2020年4月より、亭号を変え、登竜亭一門として名前の上でも独立。現在は獅篭ら小福門下の3名と獅篭の弟子1名の計4名で活動している。

登竜亭鱗蝶は司馬派の亭号とされるが、なごや登竜亭は直接はその系譜には当たらない。令和元年現在使われていない亭号の中から、名古屋を拠点とする中日ドラゴンズのイメージから竜の字が入った本亭号を選択。現在司馬派の亭号を名乗る土橋亭里う馬10の承認を得たうえで改名している(ちなみに、里う馬10は獅篭や弟弟子・幸福にとって、立川流時代の元兄弟子にあたる)。

 

土橋亭(【立】どきょうてい、1名)

土橋亭里う馬。

初代は司馬竜生1門下。司馬派は三遊亭円生1門下の竜生1が起こした一門で、一時は隆盛を極めたが、現在は滅びている。竜生の名跡はその後三遊派の名跡になったようだが、9代目が戦後すぐ他界して以来途絶えており、司馬派の名跡全体でも2019年現在、里う馬しか名乗る者がいないという。

里う馬は2代目以降、名跡が司馬派→三遊派と柳派を行ったり来たりしたという。竜生7(前述のとおり三遊派におり円生4門下だった)が7代目を襲名したのを最後に、8代目以降は柳派に名跡が移った。当代・10代目は談志門下である(襲名当時は立川流創設前で、小さん一門に在籍した時期である)。


八光亭(【彦】はっこうてい、1名)

八光亭春輔。

彦六門下の当代は3代目とのことだが、これは八光亭・八光堂のみを数えた数であり、五明楼を含めると9代目にあたるという。

初代「八光堂」は五明楼玉輔1門下。亭号の由来については不明。玉輔にちなんで春輔となったように見えるが、実際は初代の本名そのものだという。2代目で八光亭になり、3代目以降、先代まで五明楼が続いた。3代目までは玉輔一門だったが、その後は柳派の名跡として扱われたという。


初音家(【古】はつねや、1名)

初音家左橋。

金原亭馬生10→伯楽門下。馬派の習わしで真打昇進により亭号を改めたうちの一人で、左橋が新たに興した亭号。新橋にあったという駕篭屋の屋号にちなむ。


林家(【橘彦笑】はやしや、60名)

林家正蔵。

林家は噺家のもじりらしい。4代目までは林屋と書き、5代目で現在の表記に改まっている。

現在は三平一門、彦六一門、上方・染丸一門の東西合わせて3つの一門に分かれる。師弟関係の上ではいずれも関連のない別の一門であるが、名跡をたどると正蔵にいきつくことだけは共通している。三平1は7代目の息子。彦六は当人が8代目だった。染丸4は笑福亭の系譜だが、染丸1は正蔵1の系譜にあたる。

初代は三笑亭可楽1の弟子であり、5代目までは初代の一門で引き継がれた。その後直系が途絶え、6代目で柳派の名跡となり、7代目は小三治7を名乗れなくなった際に柳家の遠縁だった6代目遺族から譲り受け、8代目は小さん5襲名騒動に敗れた蝶花楼馬楽5が7代目遺族(三平1)から借り受けた。借り物という扱いに不満だったようだが、結局は三平1死後に正蔵を返上し彦六に改名した。当代・9代目は前名こぶ平としてテレビタレントとして知られた三平1の息子が襲名している。

正蔵8(彦六)は当初、7代目の一族に遠慮し、門下が真打に襲名した際に春風亭柳朝5や橘家文蔵2など、亭号を変えさせていたことで知られるが、70年代以降はあまりしなくなり、林家で通すことが増えたため、落語協会に林家の一門が2門存在するに至ったのである。

上方の林家は、正蔵1門下の正三1が大阪にわたったことに端を発している。この時に江戸の本家との区別で林家と改めたが、前述のとおりのちに東京も林家に改めている。正三1の一門から染丸1が生まれたが、その後いったん上方林家は滅びた。その後、笑福亭松喬5が弟弟子と松鶴4襲名争いに敗れたあとに染丸2を襲名している。これが現在の染丸4一門へとつながったため、現代の上方林家は笑福亭の傍流ということになる。


春風(【彦】はるかぜ、1名)

春風一刀。

春風亭一朝門下で、二つ目昇進とともに亭号から「亭」の字を削除した。このことは落語界ではままある話で、直近では入船亭扇辰門下が入舟辰之助になっている。

一朝は、二つ目昇進時に大師匠・林家彦六が尊敬していた三遊一朝の名をつけられたものである。これも亭を削除した事例の一つで、当初はそれにちなみ春風一朝となる構想もあったものの未遂に終わり、長い時間を経て、かつて実現しなかった亭号を弟子の一刀が名乗ることにしたという。

なお、歴史的には春風の亭号は、春風やなぎという前例があり、初代は柳枝3門下、2代目は柳枝4門下だったという。なお、初代は表記違いの春か是や、春風亭を名乗ることもあったという。


春雨や(【雷】はるさめや、3名)

春雨や雷蔵。ただし先代までは春雨家。

当代は4代目、雷門助六8門下。初代・2代目はいずれも雷門とも称し、助六同様、古今亭の名跡の一つとして扱われた。雷門雷蔵から雷にちなみ雨の字をつけたものと考えられる。当代の門下も天気に関する名前を付けられている。


三升家(【橘】みますや、1名)

三升家小勝。

初代は三遊亭円生の弟分だったという。元は三升亭といい、歌舞伎役者の市川団十郎7と親交があり、団十郎の三升紋にちなんだ名前という。3代目までは初代の一門であったが、2代目の娘婿(春風亭柳枝3門下)が4代目を襲名したことにより、以後、柳派の名前となる。5代目が途中で現在の三升家に改めている。

6代目は桂文楽8門下で、弟子を何人か持ったが、いずれも真打まで育てられず、勝弥は三遊亭円歌3門下に移りその後7代目に、7代目の死後は甥弟子(兄弟子の弟子だが、当然先輩にあたる)の林家三平1門下に移った勝二が8代目を襲名し現在に至る。当代にも弟子が1人いるが、真打昇進により小勝への出世名として知られる桂右女助4を襲名しているため、三升家は現在小勝8のみとなっている。

 

むかし家(【古】むかしや、1名)

むかし家今松。

当代・7代目は金原亭馬生10門下。元来、古今亭の二つ目が名乗る名前とされるが、当代は真打昇進後、現在に至るまで数十年名乗り続ける。亭号と名前と合わせて、本来の亭号である古今亭にひっかけているものと思われる。

 

夢月亭(【柳】むげつてい、1名)

夢月亭清麿。

柳家つばめ5門下だったが、前座の間に他界したため、大師匠の小さん5門下へ。二つ目で夢月亭歌麿となり、真打昇進で清麿となった。夢月亭歌麿はつばめ5の前名。二つ目の途中で柳家小山三より改名。解明に至る経緯は不明。それ以前に夢月亭を名乗る落語家は確認されていない。


森乃(【笑】もりの、3名)

森乃福郎。

当代は2代目。笑福亭の傍流にあたり、本流の松鶴一門から見て、林家染丸一門よりもさらに遠縁であるが、初代は戦後しばらくまで、当代は2000年まで笑福亭を名乗っていた。

代々京都の落語家の一門である。初代は福松3門下で、入門から笑福亭福郎を名乗ったが、喜劇役者・藤山寛美に森乃福郎を命名され、以後この亭号で通した。恐らくはフクロウが森にいることにかけていると思われる。

初代の弟子が当代なのだが、2代目を襲名するまでは、笑福亭福三3を名乗った。初代があえて笑福亭を名乗らせた理由は不明。当代には弟子が2人いるが、彼らは森乃を名乗る。


柳家(【柳小】やなぎや、72名)

柳家小さん。

当代は6代目で、父で師匠だった5代目は落語協会会長・人間国宝として知られた現在の柳家一門の祖として知られる。柳派は様々な亭号を名乗り、名前の方に柳を入れるのが通例だったが、この柳家は亭号に柳を入れている。現在は大人数が名乗る亭号ではあるが、元は柳派の数ある亭号のバリエーションの一つだったことだろう。

初代は春風亭柳枝1門下(のちの朝寝坊むらく4)で、亭号も春風亭だった。2代目は談洲楼燕枝門下から襲名され、ここで初めて柳家となったが、のちに親交のあった医師から禽語楼の号を頂戴したため、以後は禽語楼小さんを名乗った。ちなみに、門下の3代目に名前を譲ったのちに柳家禽語楼となっている。なお、柳家小さん以前にも柳家を名乗った落語家として初代門下の柳家小まんがいたらしい。

その後は現在まで禽語楼の一門から代々襲名されている。

なお、柳家の亭号を名乗るのは、小さん5一門がほとんどだが、小文治一門でも数名名乗る者がいる。これは、小文治2門下の古今亭今輔5がかつて小さん3門下だったことから、いくつか名跡を所有していることによると思われる。

 

吉原(【古】よしわら、1名)

吉原朝馬。

当代は4代目とされているが、実際は初代・2代目の存在は明らかになっていない。その片方は古今亭志ん生5が一時期名乗ったという説がある。3代目は志ん生5門下で、当代は金原亭馬生10門下、すなわち志ん生5の孫弟子である。

恐らくは遊郭街の吉原にちなむものと思われるが詳細不明。

 

柳亭(【柳橘春可】りゅうてい、22名)

柳亭左楽(当代は6代目)。

現在は柳家のセカンド亭号として扱われることが多い。

左楽2(初代は三笑亭可楽門下の三笑亭佐楽とされるらしい)は春風亭柳枝1門下で、柳枝門下からは他にも柳亭を名乗る落語家が生まれた。左楽2が初めて柳亭を名乗ったとされ、実はその歴史は柳家よりも古い。

本家本元の春風亭、現在の柳橋一門では柳亭を名乗る落語家は1人しかいない。このほか、落語界で強大な権力を誇った左楽5の系譜には円蔵一門に左楽6、痴楽一門(厳密には三笑亭夢楽門下・楽輔一門)が5人。残る15人が現落語協会会長・市馬4を含む、小さん5一門である、その中には春風亭由来の名跡を名乗る者もいるが、小さん一門から新たに起こった名前もいる。

 

鈴々舎(【柳】れいれいしゃ、6名)

鈴々舎馬風。元は馬派の名前。先代・4代目(自称9代目)が志ん生4一門から小さん4一門に移ったことにより、名跡ごと古今亭から柳家に移った。当代・5代目も小さん5門下から襲名している。馬風一門は13人いるが、一部は柳家など別の名前を名乗っているため、鈴々舎を名乗る者の方が少なくなっている。

 

以上です。

最後に、一門と亭号の分布を表であらわしたものを投げておきます。(※2019年10月時点)

 

タグ:講談師
posted by hanagatumaru at 07:45| 日記
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