2024年10月12日
f1105 花の予備校
夜学時代はともかく、入社後も仕事に付き合いに、睡眠時間4時間の連続でしたが、今だに風邪ひとつ引いた事がありません。
3番目は、自然の中で育ち、色々な事に疑問を感じながらヒントを得、知恵を使う訓練が出来ていた点です。
どんな難問だとしても、どこかに解決策があるはずで、知恵を使う大事さは言うまでもありません。
4番目は、小さな貧しい島での生活から生まれた、周りの親戚や村人同士が助け合い、思いやる心です。
部下を持った時、100人いれば、100人に思いやる心が大事で、自分さえよければ、他人はどうでも良い、という自分本意では、部下は従いて来ません。
上京当時、田舎者という劣等感やプレッシャーはありましたが、その中でもひかるは、このような環境に育ったのだから、決して都会育ちの人達には負けるはずがないと、自分に言い聞かせ、前向きに考えていた。
今でも間違いではない、との考えだ。
都会育ちの小学生が、北海道の農家へホームステイとして体験学習し、先生や友達と仲良く遊ぶ中から学ぶシーンが、放映されていましたが、素晴らしい制度ではないでしょうか。
屋根の雪下ろしや、2キロの雪道通学、厳しい自然と直接触れ、初めは恐れた牛とも仲良くなり、乳しぼりをしたり、父にジャレるが如く、牛の背中に乗る。
牛の体温や肌触りの感触、目で交わす言葉など、脳裏に収められ、人生の良きアルバムになった事でしょう。
過疎化の中、廃校にならないよう取り組んでいるとの事ですが、可愛い子には旅をさせ、他人の飯を食わせる。
何事も百聞に勝る体験!
これぞ生きた教育!
子供たちの将来を考え、行政面からも制度化、促進する必要があるのではないだろうか。
体験は、花の予備校、人生の・・・
f1104 部族を維持
本土の人には、なかなか理解出来ない事が、しばしば南の島では起こる。
陸続きでない為、また、その昔はエンジンなるものがなかった為、往来が難しく、方言や風習等、目と鼻の近い島でも違いがあるのだ。
黒島にも数十の部落名が残っており、其々の集落が自分達の子孫、部族を維持、守るため、他部落との交流や結婚などを嫌ったと言う事が実際にあった。
島の古老達の方言を聞いていると、色々な発見、考えさせられるものがある。
方言で「痩せる」は「ヤギ」と言う。
動物の山羊から来ているのかと思うと、動物の山羊は「ピシダ」と言う方言があり、まったく別ものだ。
逆の「太る」は「パンタル」と言う。
あれれ?丸丸に太った動物、中国に、パンダがいるな?パンタルは、パンダと関係あるのかな??
ところで、テレビでは痩せる、ダイエットが流行っているようだが、そのうち日本全国、豚ではなくヤギだらけになるのかな?
あなたの周りに、ヤギ君いる?
パンタル君いない?あなたは、ヤギになりたいの?
我輩は、ヤギである!
ひかるは小さな過疎の島で生まれ育ち、都会育ちの子供達に比べ、恵まれていたのではないか、と考え、自負する点が、多々あった。
一番目は、先祖代々台風と戦い、作物が薙ぎ倒されようとも、忍耐強く生き抜いて行く。根性なるものが、生まれながら宿っていたのではないかと思う点。
今の若い人達には、古くさい言葉に聞えるかも知れませんが、長い人生を歩む上では、コツコツと目標に向かって努力する、という事は、大事な要素では無いだろうか。
2番目は、子供の頃から裸で育ち、灼熱の太陽エネルギーを目一杯体で吸収、人一倍健康な体が育まれたのではないかと思う点です。
f1102 東京スカイツリー
この地区の島は、サンゴ礁で出来ているため、耕作地が少なく、重税感は過酷を極めたとの事。
島々には石を高く積み上げた、見晴らし台があり、税金取締役人の船を発見すると、各島へ狼煙で連絡され、村長は、税金対象物を隠させ、島一番の美女を引き連れ、少しでも納税額を軽くするよう、役人を饗応し、村人を守ったと言う。
島人達が、汗にまみれ積み上げた見晴らし台、ささやかな税金逃れをし、生き延びる、歴史と知恵の結晶でした。
国民の生活を守るのが、政治家。
税金逃れや天下りが、取りざたされる毎日。
都会にひしめくサラリーマン。
どうあがいても、逃れられないのが税金。
マイホームは遥か彼方。
やっとの思いで確保して、月々支払うローンと税金。
ガツーン、カツーン、心はコブだらけ。
どうしたらよいのでしょうか?
仕方ありません、見晴らしのいい、東京スカイツリーへ上り、叫びましょう。
沖縄県3番目に大きな石垣島は人口4万5千人。
川平(カビラ)湾は世界で唯一黒真珠が採れる、鮮やかなエメラルドの湾。
波間にキラリと光る真珠の輝きあり、入江に浮かぶ島々は真っ白い砂浜に取り囲まれ、砂浜から深みへの微妙な色の変調は、絵の具を流し込み、風の筆で描かれたのではないかと思われる眺めです。
この色は、どうして砂に染まらないのだろうか?
例え、どのような名文をもってしても、表現は不可能でしょう。
決して、日本三景に見劣りのしない絶景。
一見に値するのでは無いだろうか。
・・風筆や 描き尽くさん 八重の島・・
・・海の色 湧き出る元か 川平湾・・
近年川平湾には異常に外国人が多い。それも中国や台湾 近くの東南アジア諸国の人ではなくヨーロッパ系の人でフランス人が大半。
ボンジュールが連発される石垣島だ。
訳を聞くとフランスの著名な旅行雑誌、価値ある観光地ベストテンに川平湾が入っているとの事。皆さんも一度は行ったら・・
f1101 西表島
そして、この残された自然を観察すると、動物たちは、月の引力による旧暦での行動。
黒島では、旧暦の決まった日の満潮時、島中のカニが、一斉に海へ向かい産卵をします。
道路や砂浜までが、足の踏み場もないくらい、カニで埋め尽くされ、これ程のカニが生息していたのかと思わせる数。
海は、卵で赤く染められ、殆んど魚の餌食になる中、わずかながら、生き残って行くのです。
甲羅が5センチ以下のカニ、どうやって産卵日を計算しているのだろうか?
年に一度、間違いなく日時を計算し、一斉に産卵する自然の営み、一度は都会の子供達に見せたいものです。
また、日本では、唯一亜熱帯気候に属するこの地区は、2月に入ると、気温が二十二、三度にも上昇し、どっと春風が押し寄せ、百花繚乱の季節。
もし桜があれば、間違いなく正月には咲くでしょう。
3月には日本一早い海開きが行われ、暖かい春風が、沖縄本島へ九州へと北上、日本の春は、八重山の元旦から出発していくのです。
南国の山々は、一年中緑を湛え、春夏秋冬というはっきりした変化もなく、季節は北風の吹く季節とか、うりずんの季節、という呼び方で表現され、春夏秋冬という方言も見あたりません。
ひかるが上京して一番驚いたのは、山一面が紅葉し、落葉する事でした。
初めての冬、木々が落葉し、裸山の姿を見た時、間違いなく枯れた、木々が新しく地面より芽ぶき大木になる迄、これから何年かかるのだろうか。
化学兵器が使われたのか?
天変地異が起きたのか? と考え、この世も終わりではないかと思ったものです。
子供の頃不思議に思った、落ち葉焚きが後に理解出来るようになったのだ。
また考えられない事かもしれませんが、ひかるの家の前には、自然のサボテン林がありました。
トゲがあるため、人間や牛馬、他の動物は一歩も入れず、トカゲやヘビなど、爬虫類の格好の棲家。
サボテンと言うと、誰しもメキシコを連想するかと思いますが、日本にも自然のサボテンが群生する気候があったのです。
そして、誰しも、沖縄の自然は素晴らしい、と絶賛しますが、この八重山地区は離島のため、未だにあまり知られていません。
この地域は珊瑚群が、海底いたるところに見られ、この海域に眠る、世界屈指の珊瑚群は、復帰に伴う、日本最大の財産ではないでしょうか。
台風が作り上げた地形や山並みの変化に富み、西表島は、全体が絶景のいたりで、沖縄本島に次ぐ大きな島にもかかわらず、人口は1700人程度。
いかにこの島が人を寄せ付けなかった島なのか分かるかと思います。
そして地球上の動物が絶滅していく中、20世紀最大と言われる、西表ヤマネコが、古代の生態系を残したまま、この島で発見されたのです。
遥か昔、西表島が中国大陸と陸続きだった時より生き続け、動物学上、貴重な猫だとの説。
外国からは、経済アニマルと呼ばれ、自然破壊が激しい国に見られていると思いますが、世界に類なき動物が生息する日本、おおいに誇るべき発見ではないだろうか。
今日も日本のどこか、息を潜め、獲物を狙う、百万年来生き続けた、古代の目が光っているのかと思うと、大きなロマンを駆り立たせてくれます。
古老の話によると、その昔、この西表島は山国のため、収入が少なく、税金を滞納。
島ごと、税金のカタに取り上げられ、国有化し、開発されなかったと言っていましたが、真意の程は、定かではありません。
f1099 魔法の箱物語
普段は、15、6頭の牛を庭先の牧場で放牧し、牛には家族の名前をつけ、子や孫と話すように、牛と対話しながらの生活。
いち早く血統書に注目、島根県産の血統書付母牛を導入。
初めの内は、訝かられたそうですが、今では血統書が重宝されるようになりました。
牛は、子を産む事に、角に一輪ずつ節目がついて行きますが、父の牛は、血統書の生年月日と、節目の数がぴったり合う、いわゆる、毎年子供を産む安産型、骨太で肉付のいい優良牛だったのです。
その牛を競売に出したところ、今までにない最高値が付き、大きなトロフィーが贈られ、位牌の横に、誇らしげに据えられました。
父は小さな島で一生を終え、息子と一つ屋根の下で生活する事が、叶わなかったにも関わらず、幸せだったと思います。
きっと、ひかるがテレビを運んで来る、と信じ、自慢していた父。
親にとって、息子が信頼出来、自慢出来る事は、最高の幸せではないだろうか。
そして貧しいながらも、住み慣れた土地で、生涯が送れたのです。
家で映画が見られる、魔法の箱物語。父は最初から賛成していましたが、晩年の父の姿に、その訳が分かりました。
映画が好きで、特に洋画の世界は、我をも忘れる大好き人間。
過疎の村で、朝1番に、お茶ではなく、コーヒーを点てて飲み、洋画の世界に浸る父は、本格的なロマンチストだったのでしょう。
少年の夢、父の理解が大きな役目を果たし、5コマ漫画のロマンは、親子2代のロマンでした。
我々日本人は、大自然に浴し過ぎ、恩恵を過小評価しているものではないだろうか。
北海道から、南は台北よりも南に位置する、八重山地区までの海岸線の総延長。
暖流や寒流が交差し、北が氷に閉ざされている時期とて、南の島では水泳が出来、四季折々の花や食べ物など、季節感が楽しめる。
これ程、自然に恵まれた国は無いでしょう。
特に最南端の八重山は、商業放送のテレビが最近開通したばかり。
観光事業や他の事業等も経済的な面で、採算がとれず、孤立した地区として、乱開発されず、豊富な自然が残されて来たかと思います。
1098 テルビ
親に隠れ、おじいちゃんの位牌に線香をあげる、中学1年生の息子を感じた時、一人旅は、無駄ではなかった。
学校では学べない、大事な事を南の小さな島で、学んで来たな、と。
おじいちゃんも、孫と1カ月間、同居出来、天国へのなによりのお土産だった事でしょう。
ひかるの父は、島で生まれ育ち、島から出た事がありません。
勿論、テレビなんて物は見た事もなく、何度言い聞かせても、テレビの発音が出来なく、テルビ、テルビと、言っていました。
役場や農協の窓口の事務員を捕まえ、息子が東京で、テルビをやっている、といつもの自慢話。
遠い田舎の事です。テレビの組立配線工として働いているのだろうとしか、思わなかった事でしょう。
帰郷の際、早速農協や色々な所へ連れて行かれ、東京でテレビの番組を作り、全国へ放送しているんだ、と話したら、驚かれたのも当然。
更に、自慢話にハクが付きました。
子供達との同居をかたくなに拒み続けた父も、孫から要望され、上京を決意。
島を引き上げる前、夏休みに、家族全員で会う事を約束。
4月に他界した時、通帳に孫二人分、10万円ずつの飛行機代が用意されていました。
島のこの家で、家族そろって過ごす日、指折り数え待っていたのです。
夏休み迄には、まだ間があるのに・・
孫達には、お金に変えられない、おじいちゃんの気持ちが伝わったのは言うまでもありません。
父が必死で守り続けたこの家で、家族全員泊まる日、小さな夢、小さな幸せを、叶えさせてやりたかった。
1097 恐怖の体験
ひかるの息子、光一が、小学校6年生の夏休み。自然との触れ合いや冒険を体験させる、良いチャンスと、島のおじいちゃんの所へ、一カ月間、一人旅をさせました。
12歳で飛行機や船を乗り継ぎ、2000キロも離れた島への一人旅、不安だった事だろう。
島へ着いた夜9時頃、息子からの電話。
「おじいちゃんが、寄り合に行き、一人でいるけど、オバケが出るよ! 怖いよー、今すぐ帰りたいよー」と、泣きべそ。
無理もありません。周りは家もなく、静寂そのもの。
時期的に、コウモリの大好物な、防風林の福木の実が熟し、暗闇の上空を奇妙な声で行き交っており、遠くに聞こえる、フクロウの泣き声も、都会で育った子供には、恐怖の体験でしょう。
その家は、お父さんの育った家だし、オバケなんか出ない、男の子が、1カ月間の約束を破るな、と諭しました。
息子は畑仕事や牧場を手伝い、漁へも同行。
腰痛で、50メートルごとに立ち止まるおじいちゃんが、海へ入ると、もの凄いスピードで泳ぎ、素潜りで魚を取って来る姿に、驚いたとの事。
おじいちゃんの腰痛を見かね、初めての料理、目玉焼きを作ると、事のほか喜ばれ、失敗しながら何度か作るうち、うまく作れるようになったとの事でした。
無事、1ヶ月が過ぎ、黒々と日焼けして帰って来ると、早速お風呂へ入ろうとの誘い。
ひかるの足を点検、傷跡を見つけると、あったあったとはしゃぎ、ひかるが怪我した時の様子をおじいちゃんに聞かされ、確認したかったとの事。
おじいちゃん、本当の事を教えてくれたんだね・・と。
この際、ほかの傷跡も、一つ一つ教えてやりました。
この傷は、漂流した飛行機の残骸を解体中につけた傷だ。
この傷は、自転車の発電機で、風力発電をしようと、木の上へ取り付ける時、おっこってつけた傷だ。
この爪は、水中鉄砲を作る時、留め金が外れ、潰したんだ。
など、教えると、興味深げに、目を白黒。
小さな手で、傷跡をさすり、「痛かった?」 と見上げる瞳は、輝いておりました。
そして夕食時、お父さんに意見がある、島のおじいちゃん、一人で生活するのは無理だよ、家に引き取ってくれ、と言われた時は、一人旅をさせてよかった、逞しく育ったなあ、と感心させられました。
翌年、同居の段取りを進めている最中、おじいちゃんは亡くなったのです。
孫の見る目は正しかった。