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2024年11月19日

f1149 神様だよ


この島に、年は58歳、東京からUターンしてきたY君夫婦がいる。
子供は無いが、島の誰もがうらやむくらい、どこへ行くにも二人、すこぶる仲の良い夫婦だ。
普段は無口で、酒もあまり飲まず、ひたすら仲の良い夫婦をやっている。
先日、家を手直しするので、手伝ってくれと言うと、「はいきた兄貴、まかせてくれ」と引き受けてくれた。
仕事も無事完了、ビールと泡盛を飲むと、ペラペラ喋りだした。
俺みたいな男の所へ、嫁に来てれた女房、神様だよ、ありがたいと思っている。
実は、それには訳がある、と喋りだした。
小学校5年生の時、担任は若い女のS先生だった。
この先生には、隣の西表島に、同じ教員で恋人、K先生がいたという。
そのK先生は週末になると、考えられない事だが、西表島に打ち上げられた、写真の飛行機の残骸、燃料補助タンク、それに乗って、一人で櫂をこぎ、8キロ近くもあり、海流もある荒海を渡って、この島のS先生に会いに来る。
島中の人がK先生の命知らず、と言うか、命がけの恋には、あきれ果て、大きな話題だったという。
島の子は、猫よりも身軽に石垣を乗り越え、猫よりも音をたてずに忍び寄り、S先生の戸の隙間から、大人の交わる姿、声などを観察したという。
素知らぬ顔で、教壇に立つS先生の顔を見、友達同士でつっつきあって面白がっていたという。
そのうち4月になり、島に新しい男の先生が赴任して来た。
こともあろうに、S先生は新しく赴任して来た若い先生にぞっこん、出来ちゃっている事は島中の人が知っている。
命がけで通って来たK先生は、泣く泣く、また命懸けで帰るしかない。
島の人達はK先生が自殺するのでは、と同情、あまりにも身勝手なS先生の変り身は、話題になったという。
そしてS先生は、新しい恋人とさっさと結婚してしまったのである。
「兄貴よ、俺は女が信じられなかった、俺など何んの取り得もない、女房はずーっとついて来てくれている、神様、仏様に思われる・・」だと。
世の男性共よ、女房を大事にしよう。
逃げられてからでは遅い、神様、仏様だぞ!!!
一番の物知り博士だと自認する、島じーが泡盛を片手にニコニコ入ってきた。
何をしているんだと言うので、ブログを書いていると言うと、グローブは知っているが、何だそれは!と言う。
島では、インターネットをやっている人はほとんどなく、島外から来た人でISDNでインターネットをやっている人がいるが、とても重くて使い物にならないという。
年寄りたちはインターネットと言ば、人を誹謗中傷する道具と解釈しているようだ。
まかり間違ってもそんなもの持ち歩くんじゃないぞ、と注意されるのである。
じーさん、インターネットって知ってるか、と聞くと、「バッハルン!」、(あったりまえ、しっているさー)と、方言で自信ありげに答えた。
昔は、女しかしなかったのに、最近は男までがやっとる、と言い出す。
観光客が、ヘッドセットをかけて歩くのを見、それがインターネットと、解釈しているようだ。
昔、女がヘアネットをしていたのを、最近では、男までがやる。それがインターネットと、解釈しているらしい。
ヘアネット、ヘッドセット、インターネット、頭の中で混乱しているようだ。
言われてみれば、インターネットは頭を使う。
頭に関係するヘアネット、ヘッドセット、インターネットのチャンプルだー
あれれ、この島じーの解釈、間違っているのかな・・・?
おい! おい! こっちまで脳内超伝道現象だ!!?
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f1148 画像


ジュラルミン製、飛行機の残骸。

2024年11月18日

1155 北海道のおばちゃん


島の民宿では夕食後、泡盛がただで振舞われる。
中庭の大きなテーブルで、星空を眺めながら、お互い自己紹介をし観光客は談笑。
ふらりとその輪の中へ入っていくと、島の人だという事で話を聞きたく、周りに集まってくる。
北海道から来たという、60歳過ぎのおばちゃんが、早速、隣へ割り込んできた。
きれいな星空、空気がおいしい、生まれて初めての体験だと、かなりハイになっている。
こんな素晴らしい島で生活出来たらいい。なんとか移住したいので、土地を譲ってくれる人はいないか、との相談だ。
出来ない事はないと言うと積極的に色々な質問をしてきた。
話の内容から、かなり融通の利かない教員か公務員上がりのガチガチな堅物の類、箱入りババーだ。
こんな人に土地を分ければ、住民と間違いなく争いを起こす。
島の人達はテーゲーグワーで、いい加減と言うかあまり小さな事にはこだわらず、のんびり生活をしている。
島人と争いをお越し、後々嫌な思いをするので、この人の相談にだけは乗らないようにしようと心に決めていた。
その内、ひょんな質問をしてきた。
この島に、蜘蛛はいるのですか?・・
はぁー? と思わず聞き返す。
蜘蛛はいっぱいいるし、毒は持ってないが森へ行くと大きなやつもいるよ、と言うと、ギヤアーと血相変えた。
蜘蛛は嫌いどころか糸が体に触れただけで蕁麻疹が出来ると言う。
民宿のベランダでも糸を張っているし、島を散策すると間違いなく糸に触れるよ、と言うと顔面蒼白、わざと嫌がる事を言って脅かしているのではないかと、毛嫌いするというか嫌悪感あらわに出し、睨み付けている。
芯から蜘蛛が嫌いで、アレルギーのようだ。
隣にいるのも嫌になっただろうか、席を移していった。
その話を聞いていた他の観光客が、そのおばちゃんを説得。
日本全国蜘蛛のいない所はない。あなたは、まかり間違っても田舎暮しなど、考えないほうがいいと言われ、渋々納得したようだ。
このおばちゃん、島で連泊するつもりだったらしいが、翌日、早々に引き払ったと言う。
次は西表島観光だと言っていた。あの島は、毒はないが、大きな蜘蛛がもっといっぱいいる。
デッカイ蜘蛛が首に貼り付き、アワを吹き吹き、失神する姿、目に目えるわ・・
その人は北海道だと言う。
おーい北海道〜  蜘蛛いないか??

 1154 風葬





亀甲墓は子宮の形だと言われ、命は子宮で育まれ、完うしたら、またそこへ戻ると言われ、入り口は80センチ程の四角い、入り口になっており、勿論、蓋は分厚い四角の石で覆われ、空気が外へ漏れないようになっている。
風葬と呼ばれる方式で、遺体は決して焼かない。また、西洋のように埋めるような事もしない。
棺のまま墓へ入れ、肉体が風化したころ、きれいに洗骨し墓の中で保存。ピラミットや日本の前方後円墳同様焼却はしません。
遺体を棺のまま墓の中へ入れる為、異臭が漏れないよう、入り口が密閉出来るようになっているのである。
勿論、百日での洗骨は強烈な異臭等、赤の他人ではなかなか出来ないものである。
写真はひかる家の墓で祖父母の代まで償却しなかったので遺骨が入ったまま、DNA鑑定すれば数百年前まで調べられるかな・・
ひかるも両親が亡くなった時、初めて小さな入り口から腹ばって中へ入ったが、暗闇の周りは、こうべと骨だらけ、足の踏み場も無い。
しかし、先祖であり、血の繋がったこうべだと思えば、なんとか佇んでいられた。
赤の他人だと、どうしても恐怖心で、その空間には、いられないだろう。
もしかして入り口が、何らかのかたちで塞がってしまへば、もう2度とそこからは出れない。声を出しても絶対に届かない。
そういう意味で、全く他人はそこへ入れないという事だ。
墓の中のスペースは、先祖代々のお骨が保存出来るスペース、そして、棺を入れ、入れた人が入り口から出るスペースも必要だ。
よって、かなりの空間が必要で、先祖代々の血族が一つ屋根の下で祀られるのである。
大きな亀甲墓を作る事は大きなエネルギーが必要で、罪を犯せば墓に入れてもらえない。
という事は最大の屈辱であり、悪事に対する抑止力は墓だったという。
ちなみに墓の入り口を開けるのは、遺体を入れる時以外は決して開けてはいけない。
どうしても分骨したり、墓の中のお骨を取り出す場合は、鶏など生贄にて代わりの儀式を行い、開ける必要がある。
日本に風葬をする人種がいたという事である。
ひかるの両親が他界の際、火葬場で焼却する際、猛烈な反対、泥棒や犯罪殺人等極悪人しか焼却しない、極悪超親不孝者に成るのかと言われた。
しかし島には火葬場は無いが石垣島には有り行政や保健所も伝染病などの件も考慮し火葬を進めていると長老の皆さんに了解してもらった。
以後は他の島も含め遺体は石垣島へ輸送し火葬が行われている。
島では50年前まで洗骨が行われていたのである。

2024年11月17日

f1145 馬鹿野郎!!


私の前を通り過ぎる時の思いつめたような横顔からして、只ごとではないな・・
取り急ぎ、島の消防団を呼ぶ必要があるな、と腰を浮かせ携帯電話を取り出すと、その子は胸元まである深さへ行くと、ピタリと止まった。
そして両手を口もとへ持っていき、腹の底から、あらん限りの声で、夕陽へ向かって叫び出したのである。
OOの馬鹿野郎!
OOなんか死んじまえ! 
OO! あんたなんか動物以下だ!
失恋した男の名前だろうか、悔しさを夕陽にぶつけている。
そうしていると気がつかなかったが、砂浜の岩陰にでも居たのだろうか、今度は左側からもう一人、女の子がズブズブと海へ入って行き、同じ態勢で叫び出したのである。
XXの馬鹿野郎!
XX! 今に見ていろ!
若い女の子が、真っ赤に沈む夕日を真ん中に、ステレオで叫ぶ様は、心打れ、物悲しい。
涙を洗い流しているのだろうか。
両手で、ざぶざぶ顔を洗った後、女の子は砂浜を上がって来た。
私の存在に気がつくと、ばつ悪そうな、気恥ずかしい顔をした。
「塩水のまま、民宿へ帰るとまずいので、そこのシャワー浴びたほうがいいぞ」と言うと、真っ直ぐシャワーの方へ行った。
シャワーの場所を聞き返さないところをみると、この島は初めてではなさそうだ。
もう一人の子も私の声が聞こえたのか、前の子の後を追ってシャワーへ行った。
自分達の、見せては恥ずかしいシーンを見られてしまった、しかし相手は、どう見ても島の人らしい。
シャワーの間に安堵感があったのか、二人はシャワー後、真っ直ぐ帰るかと思うと、私の前の腰掛け代わりの流木に腰をおろし、一緒に夕日を眺めた。

f1143 ミステリー島


古老の話によると、昔、東南アジアや中国と直接交易し、アンナ村跡はベトナムのアンナンからの移住者村で、方言はベトナムとリンクしている、との事だが、本当かな?
島に人口が溢れ、繁栄していたと言う事は、マルコポーロの東方見聞録、黄金島、ジバングはこの島の事かな?
ロマン溢れる、ミステリー島だ!
縄算***前回紹介した住民登録台帳、これと同じような形をした、そろばんとは違う、この島独特の計算機が、あったという。
島の人はそれを、縄算と呼んでいたそうだ。
古老に聞いても、現物があったことは知っているが、なかなか原理まで覚えてる人はいない。
旧暦9月、暦上は10月であるが、それぞれの御嶽に集まり、願い事をする。
50数年ぶりではあったが、顔を出すと、年寄り達がびっくりしていた。
その時、出された食べ物であるが、横長のクッキーの形をした物に見覚えがあり、聞いてみると、島の人でこれを知らない人はいない。やはりお前は島ナイチャーかと言われる。
よく見ると、細い横長の中ほどに2本ほど線が入り、すだれのように、縦に筋が入っている。
このクッキー状の物、それが縄算の計算機を形どっているという。
それを食べ、より頭が良くなり、健康であって欲しい。
必ず9月の神事には、各家庭で、妙なクッキーを作るという。
その日も、いっぱい食べれば頭が良くなるさー、いっぱいいっぱい食べれ!、と。
これがまた、都会では味わえない珍味中の珍味で、桁違いに頭が良くなったように感じるから不思議だ。
子供の頃、母親に手伝わされ、作った記憶が蘇ってきた。
それにしても、縄算なる、計算機と原理、解明したいものである。
この頭の良くなるクッキー、メーカーが見ると製品化、飛ぶように売れる事、間違いなし!!
バレンタイン商品をはるかに凌ぐ商品開発になるだろう。
受験シーズン、入学祝など、殺到する事、間違いなし。
ひかるが菓子業界に居れば、間違いなくとんでもない商品開発をするだろう。
いつものように、海辺の休憩所の横で、一服しながら真っ赤な夕陽を眺めていた。
潮時は満潮で、砂浜にも珍しく観光客の姿は無かった。
すると、二十代後半と思われる女の子が、自転車で来るなり、私の存在も気ずかず、そのまま砂浜へ降りて行った。
波打ち際で止まるかと思ったのだが、その子はそのまま海の中へ、ブスブスと直っしぐらに歩き出した。
途中で止まるかと思うと、その子はさらに深い所へ、止まる事を知らない。
ありゃありゃ、入水自殺か?

f1142 大量出土


この島で、妙な貝が、大量に出土した。巻貝ではあるが、大きさがサザエの数倍あり、ホラガイとはまた違う、形そのものは、サザエオバケみたいな貝だ。
ところがその貝には、どうしても人工的としか思えない、穴が一つ空いている。
この貝はひかるが子供の頃、60年前には一度も見たことがない。
古老に聞くと、自分もその貝を見たことも、食した事もないという。
しかし、大量に出土したということは、100年、いや200年前、この貝はこの島の周りに、大量にいたと思われる。
シャコ貝と同じぐらいの出土量があるから、かなり生息していたと思われる。
シャコ貝は60年前、足の踏み場もないくらいリーフやリーフの上にはおり、この貝だけは誰も見たことがない。
疑問は、人工的に開けられたと思われる穴だ。
穴のことを古老に聞くと、話には聞いたことがある。
貝に穴を開け、石にゆわえ付け、海中に放牧?していたという。
目の前は太平洋、魚介類はいくらでも採れるのに、恐るべし、いにしえのこの島人は養殖方式を採用していたのだ。小さな貝はなくほとんど大きさが統一されている。
昔は、電気や冷蔵庫もなかったので、祝い事や大事なお客をもてなすとき、放牧?していた、貝をとって来、目の前で、新鮮な料理でもてなしたという。
なるほど、と感心した。
いにしえの島の人たちは、海で貝を放牧?し、必要な時に必要な量、新鮮な料理をし、心豊かに味わっていたのだな。
私も閃いた。
今度は、シャコ貝に、ドリルで穴を開け、テグスで石にゆわえ、必要な時だけ、新鮮なシャコ貝を食べよう。
南の島、夕陽を眺め、新鮮なシャコ貝、貝柱、泡盛を片手に、至福の時間だ !
調べたら、この貝は学名、夜光貝で、太古の昔、中国王朝の漆器などに使われ、とんでもない高価で取引されていたと言う。

f1140 不思議島


沖縄本島から、南へ450キロ、日本の最南端は波照間島であるが、その手前に、ものの見事なハートの形をした、黒島がある。
この島は、1771年、明和の大津波以前、あふれんばかりの人がおり、一大文化を謳歌していた。
本島ー島間は東京大阪間、船にエンジンが無い時代の往来はほとんどなかった。
山も川も無い、周囲12キロの小さな島だが、島を取り巻くように、南半分、8キロにわたる、グレートバリアリーフに匹敵する、見事なサンゴ礁がある。
そこからは、素潜りで大量の魚がつかみ取り出来、それで島の人たちは、豊かな生活をしていたようだ。
しかし、この島には、紙と文字という文化はなかった為、今では歴史に跡を残す事なく、殆んど知られない存在となってしまった。
写真の、しめ縄を小さくしたようなものだが、これは何かというと、この島で使われていた、住民台帳だとの事だ。
縄から、ひげの如く出ているもの、それによって、家族の人数や大人、子供などの情報が、全て入っているとの事だ。
また、同じしめ縄のような形で、島の1軒1軒の地図が、表現されていたという。
さらに驚くのは、この縄から飛び出している髭の長短、太さ、小さな縄状物によって、計算の繰上げ、繰り下げが出来、今で言うと、超ハイテクコンピューター並があったという。
日本や中国ではそろばんがあったかもしれない。この島の人達はそろばんではなく、とんでもないものを使っていたようだ。
現在のコンピューターは、パルスの有るか無しかで基本原理が出来ているが、パルスの長短、太さ、色分けをしていくと、超、超コンピューターが出来るであろう。
遥か昔に、日本の南の島で、高度な文化を誇った人達がいたのだ。
この島の文化が、何んで日本の歴史にないのか、非常に不思議であるが、いうなれば、日本のインカ帝国と言ってもいいのではないだろうか。
沖縄の民謡に興味がある人なら、黒島口説、チンダラ節、アブジャーマ等、聞いたことがあるかと思うが、この島の民謡で、紙では残せない音楽、昔の人が残した痕跡だ。
黒島口説は、マイクのない昔、祭りで大勢を前に、曲の半分を大きな声で歌いながら踊るという、今のカラオケの原点が百年以上も昔に誕生していたのだ。
こんな民謡、どこにも無いであろう。
120もの島からなる沖縄県、たった周囲12キロ、現在の人口二百数十人の島から県を代表する音楽が出ている、という事は、とんでもない音楽のDNAを持った人種である事は間違いない。
島見聞録、これから島の古老たちの話を交え、立ち上げていきたいと思います。
お楽しみに・・・・
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