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2018年11月30日
Dチェレート・グイディ<輿と木彫、他>
Cに続いて、今日もフィレンツェ近郊チェレート・グイディにある
メディチ家の別荘のご紹介です。
今回は別荘内のコレクションの一部を画像にてご紹介します。
展示品について一部、個人の独断と偏見があるかもしれません。
そこのところご了承ください。<(_ _)>
麗人がのっていた輿でしょうか?
大きさはちょうど大人一人が入れるくらいです。
このメディチ家の別荘が作られた目的の一つが狩猟の滞在の為という事
と別荘が現在、狩と領土の博物館ということを考慮すると、
狩の時に身分の高い人間や、観覧する目的で女性や子供が
使っていたかもしれませんね。
こちらは主に扉や天井の木彫り飾りのピース。
フィレンツェをはじめとするイタリアの立派な宮殿の広間の
天井を見上げるとこういった木彫りの飾りですべて覆われた
立派な天井がしばしばあります。
この扉は実際に使われていたと思われ、実際に展示品であったかどうかも
定かではありませんが、どうやら折り畳み可能のようで
扉が二つに開くだけでなく、
更に各2か所が折れる扉のようです。
木のぬくもりを感じるやさしさと上品さが漂う美しさだけでなく、
実用性も兼ねていて当時のフィレンツェ人のセンスの良さを感じさせます。
Eに続きます。
メディチ家の別荘のご紹介です。
今回は別荘内のコレクションの一部を画像にてご紹介します。
展示品について一部、個人の独断と偏見があるかもしれません。
そこのところご了承ください。<(_ _)>
麗人がのっていた輿でしょうか?
大きさはちょうど大人一人が入れるくらいです。
このメディチ家の別荘が作られた目的の一つが狩猟の滞在の為という事
と別荘が現在、狩と領土の博物館ということを考慮すると、
狩の時に身分の高い人間や、観覧する目的で女性や子供が
使っていたかもしれませんね。
こちらは主に扉や天井の木彫り飾りのピース。
フィレンツェをはじめとするイタリアの立派な宮殿の広間の
天井を見上げるとこういった木彫りの飾りですべて覆われた
立派な天井がしばしばあります。
この扉は実際に使われていたと思われ、実際に展示品であったかどうかも
定かではありませんが、どうやら折り畳み可能のようで
扉が二つに開くだけでなく、
更に各2か所が折れる扉のようです。
木のぬくもりを感じるやさしさと上品さが漂う美しさだけでなく、
実用性も兼ねていて当時のフィレンツェ人のセンスの良さを感じさせます。
Eに続きます。
2018年11月28日
Cチェレート・グイディ<金の鳥かごとコッファー>
Bに続いて、今日もフィレンツェ近郊チェレート・グイディにある
メディチ家の別荘のご紹介です。
今回は別荘内のコレクションの一部をご紹介します。
別荘は狩の目的などで作られたことや今現在は狩猟と領地の歴史博物館として
一般に公開されている、という特徴の為か
下のような金箔づくりの鳥かごのようなオブジェがありました。
他にも狩に使用される銃や道具など他のメディチ家の別荘の博物館と比べて
比較的珍しい展示品、どちらかというと男性が興味をひくような
シブい展示が多いかもしれませんね。
他にも下の写真のような素晴らしい細工の施されたコッファ―もありました。
まるで神話のような登場人物たち、その周りを飾りを施したデザインで
これらを木の材質だけを使って、表現されています。
貴重な材質を使ってただ豪華に仕上げる成金趣味とは異なる、
フィレンツェの芸術の素晴らしさの特徴の一つで、
人間の作業により一つ一つが丁寧に時間をかけて作られた贅沢品です。
ちなみに少し余談になりますが、
このコッファ―に準ずるもの(ここまで細かくないけど、似ている細工)が
フィレンツェでは結構普通の家庭でもよく使われていてます。
もちろん、その家庭によってグレードやどれくらい古いかの年数は異なりますが、
先祖代々の数世紀前の家具をそのまま使っている、という家庭もまだまだいるのです。
こういったコッファ―は普段使わない大きいものをしまっておくいわゆる、
日本の茶箱と押入れを足したような用途で使われる家具の一種で、
倉庫にずーっと置かれていることもありますが
基本的に頑丈な作りでも中には見た目も美しいものもあり、
時には上に物をおいたり、人が一時的に腰掛けたりする等
室内での普段の生活で幅広く活用されていることも
現在のフィレンツェの家庭で使われていることも決して少なくありません。
とはいえ、
最近はフィレンツェでも若い世代にはIKEAなどの近代的家具がもてはやされている、
また、家のスペースが数十年前に比べて面積が狭くなってきていて、
昔のような立派で大きな家具を置く余裕がなくなったなどの理由が重なってか
フィレンツェでもやや減少しつつあるのも事実です。
上の画像の展示品については詳細不明、とりあえず画像だけですみません。<(_ _)>
ただ雰囲気からして、当時のメディチ家の古代遺物レクションの一つかな?
と思いました。
Dに続きます。
メディチ家の別荘のご紹介です。
今回は別荘内のコレクションの一部をご紹介します。
別荘は狩の目的などで作られたことや今現在は狩猟と領地の歴史博物館として
一般に公開されている、という特徴の為か
下のような金箔づくりの鳥かごのようなオブジェがありました。
他にも狩に使用される銃や道具など他のメディチ家の別荘の博物館と比べて
比較的珍しい展示品、どちらかというと男性が興味をひくような
シブい展示が多いかもしれませんね。
他にも下の写真のような素晴らしい細工の施されたコッファ―もありました。
まるで神話のような登場人物たち、その周りを飾りを施したデザインで
これらを木の材質だけを使って、表現されています。
貴重な材質を使ってただ豪華に仕上げる成金趣味とは異なる、
フィレンツェの芸術の素晴らしさの特徴の一つで、
人間の作業により一つ一つが丁寧に時間をかけて作られた贅沢品です。
ちなみに少し余談になりますが、
このコッファ―に準ずるもの(ここまで細かくないけど、似ている細工)が
フィレンツェでは結構普通の家庭でもよく使われていてます。
もちろん、その家庭によってグレードやどれくらい古いかの年数は異なりますが、
先祖代々の数世紀前の家具をそのまま使っている、という家庭もまだまだいるのです。
こういったコッファ―は普段使わない大きいものをしまっておくいわゆる、
日本の茶箱と押入れを足したような用途で使われる家具の一種で、
倉庫にずーっと置かれていることもありますが
基本的に頑丈な作りでも中には見た目も美しいものもあり、
時には上に物をおいたり、人が一時的に腰掛けたりする等
室内での普段の生活で幅広く活用されていることも
現在のフィレンツェの家庭で使われていることも決して少なくありません。
とはいえ、
最近はフィレンツェでも若い世代にはIKEAなどの近代的家具がもてはやされている、
また、家のスペースが数十年前に比べて面積が狭くなってきていて、
昔のような立派で大きな家具を置く余裕がなくなったなどの理由が重なってか
フィレンツェでもやや減少しつつあるのも事実です。
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上の画像の展示品については詳細不明、とりあえず画像だけですみません。<(_ _)>
ただ雰囲気からして、当時のメディチ家の古代遺物レクションの一つかな?
と思いました。
Dに続きます。
2018年11月26日
Bチェレート・グイディ<内装>
Aチェレート・グイディ からの続きです。
チェレートグイディにあるメディチ家の別荘は2002年から
「狩猟と領地の歴史博物館」として一般に公開されていて、見学が可能です。
今回は内装を写真で大まかに紹介しつつ
別荘に関する概要にふれます。
( Villa Medicea di Cerreto Guidi WIKI 、館内資料参照 )
イル・ムゼオ・ストーリコ・デッラ・カッチャ・エ・デル・テッリトリオ
il Museo storico della caccia e del territorio
大広間
*グイディ伯とは中世に中央イタリアの広域にわたって支配していた家族で
トスカーナとロマーニャとエミリア(現在はエミリア・ロマーニャと呼ばれている)
地方のの大部分を支配、
その為、至る所でコンティ・グイディという名前が登場します。
実際にグイディ伯の城といえば、過去に私のブログでも紹介している、
カステッロ ディ ロメーナ
この城もコンティ・グイディの残した足跡のうちの1つです。
ちなみに、カステッロ ディ ロメーナの城は
紀元前のエトゥルリア遺跡のあとを利用して城が建てられた、という事でした。
エトゥルリア人はその昔高台に集落をつくる傾向にあったようですので、
このチェレート・グイディのグイディ伯が城を建てたところにも高台ということもあり、
元はエトゥルリア(もしくはエトゥルリアより後の古代ローマ)の遺跡があったりして…
なんて思いました。まあ、こういう話はイタリアではよくある話です。
大広間の天井
いくつかの広間に装飾されたフレスコ画は新古典主義の時代
( Neoclassico 18〜19世紀頃 )に描かれたものが多く、
また、このムゼオが所有するいるコレクションは多種多様であり
その起源はいろんな場所から集まったものだそうで
現在の館内の装飾ついては史実の財産目録に基づき、
出来る限り当時の内装に近づけるような配慮がされているとのことでした。
暖炉
別荘は狩猟や、フィレンツェからリヴォルノやピサにへ移動する時の
中継地点として四季にわたりたびたび利用されたということです。
天蓋付ベッド
別荘の計画を一任されたのは、ベルナルド・ブォンタレンティではないかと
言われていて @チェレート・グイディ の中の2番目の画像にあるような
正面のジグザグと対照的に交差する階段が
彼の行った他のプロジェクトに同様の特徴がみられる、
などといった理由ですが、これは確かではないようです。
他にも実際に現場監督していた建築家ダヴィデ・フォルティーニと
建築を最後まで終わらせたアルフォンソ・パリ―ジ・イルヴェッキオという
建築家の存在もあり1575年にはお披露目の祝いが行われました。
Cに続きます。
チェレートグイディにあるメディチ家の別荘は2002年から
「狩猟と領地の歴史博物館」として一般に公開されていて、見学が可能です。
今回は内装を写真で大まかに紹介しつつ
別荘に関する概要にふれます。
( Villa Medicea di Cerreto Guidi WIKI 、館内資料参照 )
イル・ムゼオ・ストーリコ・デッラ・カッチャ・エ・デル・テッリトリオ
il Museo storico della caccia e del territorio
大広間
*グイディ伯とは中世に中央イタリアの広域にわたって支配していた家族で
トスカーナとロマーニャとエミリア(現在はエミリア・ロマーニャと呼ばれている)
地方のの大部分を支配、
その為、至る所でコンティ・グイディという名前が登場します。
実際にグイディ伯の城といえば、過去に私のブログでも紹介している、
カステッロ ディ ロメーナ
この城もコンティ・グイディの残した足跡のうちの1つです。
ちなみに、カステッロ ディ ロメーナの城は
紀元前のエトゥルリア遺跡のあとを利用して城が建てられた、という事でした。
エトゥルリア人はその昔高台に集落をつくる傾向にあったようですので、
このチェレート・グイディのグイディ伯が城を建てたところにも高台ということもあり、
元はエトゥルリア(もしくはエトゥルリアより後の古代ローマ)の遺跡があったりして…
なんて思いました。まあ、こういう話はイタリアではよくある話です。
大広間の天井
いくつかの広間に装飾されたフレスコ画は新古典主義の時代
( Neoclassico 18〜19世紀頃 )に描かれたものが多く、
また、このムゼオが所有するいるコレクションは多種多様であり
その起源はいろんな場所から集まったものだそうで
現在の館内の装飾ついては史実の財産目録に基づき、
出来る限り当時の内装に近づけるような配慮がされているとのことでした。
暖炉
別荘は狩猟や、フィレンツェからリヴォルノやピサにへ移動する時の
中継地点として四季にわたりたびたび利用されたということです。
天蓋付ベッド
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別荘の計画を一任されたのは、ベルナルド・ブォンタレンティではないかと
言われていて @チェレート・グイディ の中の2番目の画像にあるような
正面のジグザグと対照的に交差する階段が
彼の行った他のプロジェクトに同様の特徴がみられる、
などといった理由ですが、これは確かではないようです。
他にも実際に現場監督していた建築家ダヴィデ・フォルティーニと
建築を最後まで終わらせたアルフォンソ・パリ―ジ・イルヴェッキオという
建築家の存在もあり1575年にはお披露目の祝いが行われました。
Cに続きます。
2018年11月24日
Aチェレート・グイディ<メディチ家別荘正面から眺める景色>
@チェレート・グイディ<外観>の続きです。
今回は別荘正面から眺める景色のご紹介です。
チェレートグイディの別荘は高台にある為、周りの景色がよく見えます。
トスカーナらしい緩やかな丘の上に建つ赤レンガの建物が
青い空と手入れの行き届いた緑に囲まれる美しい風景は
見ている者の気分を和ませてくれます。
日が暮れはじめの柔らかい温かみのある光に包まれた景色も
なかなかのものです。
奥の景色にはうっすらと白い雪山らしき山脈がありました。
この場所の方向と距離から考えて、ピストイア PISTOIA という
近くの県にあるアベトーネ ABETONE かもしれません。
アベトーネといえば、フィレンツェ近郊ではスキーが出来る山(地域)
がある事で良く知られている場所です。
最後に余談になりますが、この小さな町チェレートグイディのすぐの場所に
(今回ご紹介した3枚の画像とは全く違う方向側ですが)
あの世界的に有名なルネッサンス時代の天才画家
レオナルド・ダ・ビンチが生れたヴィンチ村があります。
Bへ続きます。
今回は別荘正面から眺める景色のご紹介です。
チェレートグイディの別荘は高台にある為、周りの景色がよく見えます。
トスカーナらしい緩やかな丘の上に建つ赤レンガの建物が
青い空と手入れの行き届いた緑に囲まれる美しい風景は
見ている者の気分を和ませてくれます。
日が暮れはじめの柔らかい温かみのある光に包まれた景色も
なかなかのものです。
奥の景色にはうっすらと白い雪山らしき山脈がありました。
この場所の方向と距離から考えて、ピストイア PISTOIA という
近くの県にあるアベトーネ ABETONE かもしれません。
アベトーネといえば、フィレンツェ近郊ではスキーが出来る山(地域)
がある事で良く知られている場所です。
最後に余談になりますが、この小さな町チェレートグイディのすぐの場所に
(今回ご紹介した3枚の画像とは全く違う方向側ですが)
あの世界的に有名なルネッサンス時代の天才画家
レオナルド・ダ・ビンチが生れたヴィンチ村があります。
Bへ続きます。
2018年11月22日
@チェレート・グイディ<外観> フィレンツェ近郊の町〜CERRETO GUIDI
皆さん、こんにちは。今日は久しぶりに観光の話題です。
フィレンツェから車を西側へ走らせておよそ40分位でつく場所に
チェレート・グイディ CERRETO GUIDIという小さな町があります。
チェッレートグイディのメディチ家の別荘 La Villa Medicea di Cerreto Guidi
ここにはフィレンツェのメディチ家の別荘の一つがあり、
一番の高台に位置するこのメディチ家の別荘を中心に、
他の建物らがまるで囲むかのように集落が形成された
一見、街全体が砦のような役割を果たしているのかと思わせる造りに
なっています。
(興味のある方はグーグルマップの航空写真やストリート・ビュウで
超リアルなヴァーチャル体験をお楽しみください (^^♪)
高台にある為、一枚目の写真にあるような別荘の正面入り口にたどり着くには
この階段を登るか、もしくはすぐ横にあるわき道から迂回して
少し遠回りをする必要があります。
ちなみにこの階段の役目をはたしている建物の部分には窓や大きな扉もあるので、
恐らく馬車などを収納したり、収納倉庫など、
別荘の一部として機能していたのではないか?と思いました。
別荘の屋根には、複数の煙突とみられる長細いものがあり、
更にその奥、中央には見張り台のようなものが見えます。
Pieve Di San Leonardo
別荘正面の隣にはピエヴェ・ディ・サン・レオナルドという
カトリックの教会があり
先ほど書いたわき道を通って迂回するとこちらの教会前にたどり着きます。
そして教会の横隣にメディチ家の別荘の正面入り口前があります。
Aに続きます。
フィレンツェから車を西側へ走らせておよそ40分位でつく場所に
チェレート・グイディ CERRETO GUIDIという小さな町があります。
チェッレートグイディのメディチ家の別荘 La Villa Medicea di Cerreto Guidi
ここにはフィレンツェのメディチ家の別荘の一つがあり、
一番の高台に位置するこのメディチ家の別荘を中心に、
他の建物らがまるで囲むかのように集落が形成された
一見、街全体が砦のような役割を果たしているのかと思わせる造りに
なっています。
(興味のある方はグーグルマップの航空写真やストリート・ビュウで
超リアルなヴァーチャル体験をお楽しみください (^^♪)
高台にある為、一枚目の写真にあるような別荘の正面入り口にたどり着くには
この階段を登るか、もしくはすぐ横にあるわき道から迂回して
少し遠回りをする必要があります。
ちなみにこの階段の役目をはたしている建物の部分には窓や大きな扉もあるので、
恐らく馬車などを収納したり、収納倉庫など、
別荘の一部として機能していたのではないか?と思いました。
別荘の屋根には、複数の煙突とみられる長細いものがあり、
更にその奥、中央には見張り台のようなものが見えます。
Pieve Di San Leonardo
別荘正面の隣にはピエヴェ・ディ・サン・レオナルドという
カトリックの教会があり
先ほど書いたわき道を通って迂回するとこちらの教会前にたどり着きます。
そして教会の横隣にメディチ家の別荘の正面入り口前があります。
Aに続きます。