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2019年12月09日

「レアジョブ」オンライン英会話の成果

メルハバ!


オリンピックに向けて最近英語を鋭意習得中な筆者です。


突然ですが、皆さん英語喋れるようになりたいですよね?

英会話.jpg



このブログを読んでる時点できっとそうだと思います。


僕はなんで喋れるようになりたいかと言うと、もっと世界中の人達や文化を学びたいからです。
今後更に外国との繋がりが強くなるであろうから、ビジネスでも必要になるし(ていう既になってる)、学ぶにあたってなんのデメリットも見当たらないからです。


そういう訳で半年以上前、どうしても英語が話せるようになりたい僕は、意を決してとあるオンライン英会話レッスンを受け始めました。



それは今話題の

レアジョブ英会話



過去のブログはこちら↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/74/0

現在も続けている理由を箇条書きすると以下のよう。


  • 講師が全員フィリピン人でフレンドリーな人ばかり
  • 同じアジア人だからか、そんなに緊張しない
  • フィリピンでは英語が第一言語なので、ネイティブと言っていい
  • 講師登録されている先生となれば、もう他のネイティブな国の人と全く大差ないくらい発音がキレイ
  • 聞き取れない場合でも、スカイプのチャットボックスに書いてくれるのでそこで理解できる
  • 自己紹介を兼ねたサンプルボイスがあるので、講師を選ぶ際に調べることができる
  • 授業料が安い



そんなこんなで初回のレッスンを受けてから早10ヵ月近く。結論から言うと。。。物凄い効果が表れました!


レッスンを受ける前と現在で一番の違いはというと、、、、メンタル面!


もちろん僕はまだまだ難しい表現もできないし、どもったりする場面や説明できなくて「あーー。。。」と止まってしまうことも多々ある。


しかし、今では外国人相手に「とりあえず話してみよう」という気構えができた。


これは実に凄い進歩だと思う。


レッスン受講前は話すことすらためらっていた自分が、今では進んで話しかけているんだからもう大大大進歩したと言っていいでしょう。


まぁでもそういうマインドになるまでには、約半年かかったと思う。


最初のころ僕は、まずは喋るのに慣れるためにレッスンを週3回程度は最低限受けるようにしていました。
ただ、僕はカウンセリング付きのプラン(授業の仕方に迷ったときの相談。その分少し月額も割り増しになる)ではなかったため、自分で手探りながら勉強していた。だから最初のころはモチベーションを保つのが大変だった。


なので「とりあえず話してれば慣れるだろ」と最初からいきなりフリーカンバーセーション(フリートーク)で授業を受けていて、自分の間違いを訂正してもらってそれをメモするという今思えばもの凄く効率の悪いやり方をしていた。



それである日、あまりにも喋れない日があってグダグダなレッスン(と呼べるかわからない)になってしまったことがあった。その時の講師に「君は何かテキストから始めた方がいい」と言われてしまう。あの時は汗がホントにだらだら出た。部屋の温度が5℃くらい上がった感覚だったのをよく覚えている。
そのアドバイスを受けたのを転機に、そこから考え直すようになりました。



講師曰く、「既に挨拶+α程度の英語は喋れるから、もっと実践的な会話のパターンを使う教材を基に進めた方がいいよ」と言われ「実用英会話」というレアジョブ内にある教材を勧められた。これがまぁ僕にピッタリの教材で、以来その教材を使って授業を受けている。


ただ僕は少々へそ曲がりなので、どうしてもレッスン中脱線して「会話」がしたくなってしまう。
僕はトルコ語を覚えるとき、レッスンを受けずに生きた会話の中で学んでいったこともあり、「会話ありき」の方法をどうしてもとりたいのである。「自分で喋ってみる」ということが、脳を何倍も使う、つまり「頭に残りやすい」ということを本能的に知っているので、25分のレッスン中10分はフリートークを設けるようにしている。
そんな僕のワガママにも講師の先生達は答えてくれるので、今でも楽しく授業をやれている。しかも僕の間違いを修正した文をチャットボックスに書いてくれるから、尚更ありがたい。


目標の「日常会話を難なくこなせるレベル」にはまだほど遠いけど、このまま続けていこうと思います。


さて、次はどんなビックリマインドが飛び出すか、、、何事も続ければ変わっていくものだということを念頭に置き、更に精進します!



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posted by エミル at 07:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語

僕が思う外国人との接し方

どうもメルハバ!


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オリンピックが迫って来てますね!そしてそれに伴って日本に訪れる外国人もとても増えてます。もうホント待ち遠しいし、できれば訪日した外国人と仲良くなって友達増やしたい!そしてこれからもっと近づくにつれて、お祭りモードになるんかね〜。もう楽しみでしょうがない!



あ、何でこんなにテンション高いかと言うと僕は外国人が大好きだから。



理由はいくつかあるけど、特に未知の文化に興味があるということと、違う視点から見たアイデアをくれるから。ホント自分の視野が広がるから、一緒にいて楽しい。
それに聞いたことない言語とか聞いたら、脳汁がドバドバ出るくらい興奮する。

もともと外国に興味はあったんだけど、田舎育ちの僕には外国人に会う機会なんてそもそもほとんどなく、どうしたら接点が持てるかも分からないまま時間が過ぎていた。が、トルコ移住をキッカケに僕の好奇心はMAX発動(笑)

トルコ在住中の約6年半、トルコ人を初め様々な国の人達と共に生活していた影響で、最後帰国直前にはもう頭のネジがだいぶユルユルになってしまっていたあ、もちろんいい意味でね。

分かりやすく言うと、オープンマインドになったって感じかな。

固定観念に縛られず、いろんな国籍やバックボーン、宗教観をもった人達とつるんでいる内に、大袈裟かも知れないけど、世界と繋がった感じがしてとても嬉しかったのを覚えている。多分外国人に免疫ができたんだと思う。それからはもうメチャクチャ楽しくて、「あーオレ生きてるな〜」と実感したもの。



そしてそんな生活を送った後に、日本に帰ることを決意する。



最初は久しぶりに帰ってきたから慣れるのに時間がかかったけど、帰国後しばらく経って身の回りも落ち着き、余裕を持って辺りを見渡すとあることに気付いた。



あれ?オリンピックあるんじゃなかったっけこの国?



なんというか何も変わってないような感覚があって、最初はホッとしたけど段々と違和感を覚えるようになる。

そしてそれは「ホントに外国人をおもてなしする気あるの?」という疑問に変わる。

例えばテレビを見渡せば、外国にロケを行う番組や、外国人を取り扱った番組が沢山あるし、英語を初め語学番組も豊富にある。
色んな国のことをテレビを通して知るのはいいんだけど、僕は何故かそこまで日本が外国に対して敬意や興味を持って接しているような印象が持てない。
片寄った情報やステレオタイプのイメージを植え付けていて、特に多いのが外国人が全員「日本のことが好き」とか「日本は素晴らしい国で日本人は最高」みたいな印象を植え付ける番組ばかりのような気がする。

確かに日本はテクノロジーは発達してるだろうし、世界に誇る伝統文化や歴史もある。


ちょっと待った!


ここで一旦、「本当にそうなのか?」と考えてみて欲しい。

そんなに外国人は日本のこと好きな人ばかりなのか?

日本のこと褒めてるけど、日本というブランドが最高級なのか?


もし、こういう疑問が頭に浮かばないのであれば、きっとあなたは外国人と全く関わりのない人か、興味がない人だ。

とあるサイトでこんな記事を見た。英金融大手のHSBCが出した年次調査で、日本は33か国中32位の評価だった。これは日本の「生活の馴染みやすさ」や「ワークライフバランス」など、様々な項目から出した順位で、日本はビリから2番目である。ぶっちゃけ僕はこの順位を見た時驚かなかった。だって僕も実際感じている項目が多々あるから。

それを知った上で日本のこと褒めまくりの番組を見ていると、なんていうか危機感すら覚える。だってそんなのばっかり見ていて、自分たちが一番だと思って何も成長してないからこういう結果が出たんじゃ?と思う。
いつまでも自分たちが一番だと思っているとしたら、そこから進歩しないのは当たり前。ていうかそれすら考えていない人もいるんだろう。
海の向こうで起こっている出来事や文化に無関心ということは、違った考えを理解する土台ができていないだろうし、ひいては自分の国の文化がどんなものかをよく知る土台も失っているんじゃないかと思う。
だから日本の文化に疎い人も今では沢山いるんじゃないかな?


何が言いたいかというと、要は違った文化を受け入れないと「彼らはこうだからしょうがない」とか「ここは日本だから日本式にやらなければいけない」とぶん投げ思考のような考えで終わらせる。それで"おもてなし"なんてできるんかね?

これから外国人は更に増えていくのは明白で、外国人労働者もなくてはならない存在になっていくであろうこのご時世。その中でどうやって共存すればいいのか?

なぜ、「こういう文化もあるのか」とか「自分もやってみよう」と思わないのか?



僕は日本に帰ってきてからも、トルコ人をはじめ他の外国人の人達と話をする機会がけっこうある。そんな中で、残念ながら日本に幻滅している人が少なからずいる。
おまけにトルコ在住中、親日家と言われるトルコ人達の中には日本を夢のワンダーランドだとイメージしている人たちが多い。特に日本をよく知らない人ほどその傾向が強い。そんな彼らに僕はいつもこう言っている。

「旅行とか遊びに来るなら面白いとこいっぱいあるけど、住むなら覚悟した方がいいよ」と。

よく、「日本の常識は世界の非常識」なんて言うけど、正にそれを目の当たりにしてがっかりしている友達がいるのも事実。中でも考えさせられたのが、

「仕事上なら物凄く丁寧で礼儀正しいけど、それ以外の日常では真心が無いように見える。例えば電車でお年寄りに席譲らないのとか、ホームレスとかに凄く冷たいしね」

「日本人はなんでも自分たちのやりやすいようにしようとする、僕らの意見は反映されない」

「"おもてなし"って言うけど、義務でしかそうやってないと思う。本当に心からやってるようには見えない」

そう言われたときは、イチ日本人として結構ショックだった。外国人の文化を受け入れようとしないで、どうやってその人たちに働いてもらうんだろう?と。


一つ自分の経験からだけど、僕はトルコ在住中、仕事柄日本企業の駐在日本人とトルコ人の間の通訳を行うことがよくあった。
ただ、だいたいはトルコ人サイドに「日本人側に合わせてもらう」的な要求が多く、トルコ側の意見をくみ取ることは稀だった。
自分たちの意見は何が何でも通すけど、トルコ側からの要望は「自分たちには合わないからできない」と回答することが非常に多かった。

それで一度こんなことを言われてしまう。

「日本人ってホントは我が儘で自分勝手なんだね」

これにはぐうの音もでないし、ホントすまんと謝ることしかできなかった。


僕は在住中、外国に住んでいるイチ日本人として、可能な限り現地の人達に日本にいい印象を持ってもらおうと常日頃から考えていた。だって僕の目の前にいるトルコ人(あるいは別な外国人)にとって僕は初めて会う日本人かもしれない。そういうことを念頭に置いて生活していたわけなんだけど、特に滞在中するに辺り、意識してたのは以下の3つだ。



@トルコ語を話せるようになる。

現地の人達との時間を大切にする。

彼らと同じように生活する。

まず@に関しては、これは彼らの言語を学ばなければ完全に文化を理解できないと思ったから。
➁は、せっかく外国に来てるんだから濃い時間を過ごしたいという思いから。
➂については、彼らが行っていることを自分もやれば、本当の意味で理解できると思ったから。

とくに➂について僕の自慢は、イスラム教特有のイベントである「断食」と「犠牲祭」を自分でやってみたことだ。

断食はきちんと一か月やり抜き、犠牲祭にいたっては、羊を一頭買って実際に屠殺してもらった。そしてその肉を、妻の家族や貧しい人に分け与えてみた。


これを聞いた僕のトルコ人の友人達はもちろん仰天し、僕のことを更に好きになったし、何より彼らがどういう気持ちで行っているかを理解できた。



まぁここまでやらなくたって、外国人の心を掴むのは別に難しいことではない。本当にとってもシンプルで、「相手のことを理解しようとする」ことだけ。

「あなたの国の言葉で〇〇はなんていうの?」とか

「君の国の国の料理について教えて!」

なんていうホント他愛のない質問で十分。ていうか僕はいつもそう聞いて会話を始めている。

ちなみに僕の英語のレベルは初歩レベルくらい。現在も勉強してるけど、難しい表現はできない。簡単な言葉しか使えないけど、あとは雰囲気と意気込みでカバーしてる。一つ付け加えるなら、必要以上に礼儀正しくしようとしないことくらいかな。


多分、今度のオリンピックでは、たくさんの訪日外国人達をいろんな意味で驚かせると思う。

単純に独特の文化を見て驚くのもあるだろうし、意外と世界から遅れている様々な部分を見て驚く人、どっちが多くなるかは分からないけど、もし後者の方が多かったらそれをきちんと受け止めるべきだと思う。間違っても「臭い物には蓋をしておけ」的な感覚で、メンドクサがって目を逸らしてはダメだ。


そんなことを考えつつ、今日も道に迷ってそうな外国人に声をかけて助けた。
自分にできることは限られているけど、できることをやって願わくば日本を好きになってくれる外国人が一人でも増えればと思う今日この頃であった。


ワールドビジネスサテライトや産経新聞、雑誌プレジデントでも紹介


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posted by エミル at 00:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 外国人

2019年06月18日

トルコに里帰り!

どうもメルハバ!
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今回は嬉しいお知らせ(僕にとって)です!

今年の8月中旬にトルコに2週間半ほど滞在します!

帰国してからちょうど2年目、ようやくまたトルコに行く準備ができました。

実を言うと、当初僕は行くつもりはありませんでした。
最初は妻と息子だけ里帰りさせようかと思って計画していました。そろそろ妻は故郷が恋しいだろうということで、一年前から計画はしていたのですが、金銭面でもまだまだ購入した家具のローンなどがあるし、今回は自分は遠慮しておこうと思っていました。そんなことを考えていた矢先、それを変える出来事がありました。

一つ目は、現地の友人達からのラブコールです。ありがたいことに、日本に帰国後も僕を気にかけてくれていて、ことあるごとにいつトルコに帰ってくるのか聞いてくる友人達がいます。そして何より感激したのが、滞在時に同じテレビ番組に出ていたメンバーからのラブコールです。
その中で韓国人の友人が、メンバーを集めて飲んでいるときに撮った動画の中で、みんなが僕にメッセージを送っているのを見たら物凄く恋しくなりました。彼らがいたから僕のトルコ滞在が面白くなったこともあるので、これは行かないといかんという気持ちが昂りました。

二つ目は、ご存知香川選手のトルコサッカークラブへの移籍です。
昨シーズン、トルコ3大ビッグクラブである「ベシクタシュ」に期限付きで加入し、デビュー戦での活躍からトルコに日本旋風を巻き起こしました。僕はこのベシクタシュの大ファンで、この移籍をとても喜んでいたと同時に、この興奮を現地で味わうことができないというもどかしさにも苛まれていました。そんな中、それでも自称日本一のベシクタシュファンとして、インスタグラム等でベシクタシュや香川選手への応援メッセージを発信していたところ、知り合いのニュースキャスターからメッセージが届きます。
その人は、滞在時にベシクタシュ専属のTV局で看板キャスターをやっていた友人で、僕も同局の番組に呼ばれて以来、何かと気にかけてもらっていました。

そんな彼女からこんなメッセージが届きます。

「トルコに来たら、ベシクタシュの公開練習場に連れて行ってあげるわ。選手に会わせてあげるから是非来てね!」

!!!!!!衝撃でした!!!!!!

もちろん行くまではどうなるか分かりませんが、この彼女のおかげで僕の応援メッセージビデオが香川選手の元に届くなど、ありえないことを実現してくれたのでメチャクチャ期待が高まります。
仮に香川選手がベシクタシュを離れてしまっても(このブログを書いている時点では、離れる可能性が大とのこと)僕のサッカーに対する概念を変えたベシクタシュの選手に会えるなら。これほど嬉しいことはありません。実現したら一生の思い出になること間違いなしです!

三つ目は、、、勘というか、どうも「トルコが僕を呼んでいる」気がするからです。身の回りで起きることが、全てトルコ行きを後押しするような気がするんです。現にそう決めた矢先、臨時収入などで、自分の分のチケットを買う余裕ができたりと、これはもうアッラーの神が呼んでいるに違いない。。。なんてのは冗談ですが、何かの導きを感じます。

と言うわけで、今回家族でトルコに行きます。
もう楽しみで仕方がない!約二年ぶりのトルコで、旧友に会ったり、どこか旅行に行ったりと忙しくなりそうです。

まだ2か月ほどありますが、有意義に時間を過ごすため今から準備します!

では皆さん、ホシュチャカルン!

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posted by エミル at 13:12| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2019年04月03日

新しい時計 "Lobor"!

どうもメルハバ!

最近新しい腕時計を手に入れました。
これです。

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"LOBOR"というブランドの腕時計で、まずデザインが凄くカッコよく、それでいて値段がそれほど高くないというところがポイント高いです。

LOBORには数種類のモデルがありますが、今回手に入れたのは”CELLINI S BAYARD(BROWN)"で、値段は税込み24,840円です。

IMG_20190424_105221.jpg

ちょうど2〜3万円ほどでスーツにも合う腕時計を探していたので、この時計を見た時とても気に入りました。大きさも40oと十分で、ちょっとしたパーティーや、食事に招待されたときににも違和感なく付けています。

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そのまた逆に、私服で出かけるときにちょっとワンポイント「リッチさ」を加えたいときにつけてもバッチリです。どちらかというと色合い的に、春から夏にかけての明るい色をよく使う時期にピッタリです。
僕がこれを私服に合わせるときは、水色のシャツに白いハーフパンツ、そしてこの時計のベルトの色と同じベルトと革靴です。





この時計の特徴としてあげたいのが、自動巻き時計だということです。僕は自動巻きの時計はこれが初めてで、使ってみて感じたメリットとデメリットがいくつかあります。
まず、定期的に巻かないと止まるということです。さすがに毎日つけているわけではないので、だいたいの場合次につけるときは止まっている場合が多く、毎回8〜10回リューズを巻き直さないといけないのです。
それに伴い、時間も調整しないといけません。そしてこの時計には、曜日や日中か夜かの表示もあるので、こだわるならそれもいちいち直さないといけないという煩わしさもあります。まぁボタンを押せばすぐに直せるんですが。

ただ、僕に言わせればこれは大したデメリットではありません。

僕にとって一番のメリットは、電池交換の必要がないということです。
時計に関して言うならば、僕は電池交換をしに行くのが物凄く億劫です。理由は近くに手ごろな時計修理や無いということもありますが、単純に面倒だからです。それに行ったとしても、5分程度の作業のために1000円以上支払うのも、どうも割に合わないような気がしてならないからです。なので別な時計の電池が切れた際には、多分3か月は放置していたと思います。

この点は人によって意見が変わるかもしれませんが、電池交換から解放されただけでも僕にとってはありがたいのです。

もう一つ、このブランドは男女ペアのセットでも販売しており、好きな人とおそろいの時計をプレゼントするにもピッタリです。値段もそれほど高くないので、何か特別な記念日に、何を買うか迷ったら考えてみてもいいと思いますよ。

最近は芸能人も身に着け始めているようなので、これからますます目にする機会が増えること間違いなしのLobor。皆さんも一つ購入してはいかがですか?

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posted by エミル at 16:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 時計

2019年03月28日

第6章:トルコで初CM出演!

どうもメルハバ!

今回は僕がトルコでスターになったストーリーの始まりの部分です。
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トルコ生活も気が付くと1年近く時間が過ぎ、少し慣れてきたところでした。トルコ語も多少話せるようになり、これからもっと楽しくなるだろうと思っていた矢先、友達から一通のメッセージを受け取ります。

「とあるCMの為に、刀を扱える日本人をさがしている」

なんでも友人の友人がCM制作会社に勤めているらしく、その彼に聞かれちょうど僕が居合道をやっているのを知っていたので、メッセージを送ったんだそう。

「CMぅ?」

と最初は疑いました。多分友人からのメッセージじゃなかったらスルーしてたと思います。まだそんなにトルコ語に自信があったわけじゃないし、そんな外国人を騙そうと企んでんのか?とか考えました。

とりあえず、友人にもうちょい詳細を聞いて欲しい旨を伝え、後日また返事が帰ってきました。

「日本のシャープのテレビのCMらしい。どうやらガチだぞ」

しかもギャラもちゃんと出るとかで、金額を提示されると当時の一般的なトルコの一か月分の給料並みだったし、もし何かあっても、これも経験だ!と腹をくくり友人にOKの返事をしてもらうように言いました。そして後日制作会社に行くことになりました。。。結局は金に目がくらんだと言われてもしょうがない(笑)

2日後、僕は友人に言い渡された住所を頼りに、CM制作会社に赴きました。
そこはイスタンブールの高級住宅街であるエティレル地区で、初めて来た僕はメチャクチャ場違い感を覚えました。入ってみると、連絡を受けていた受付嬢の美女が僕を中まで案内してくれます。お決まりのチャイをいただき、そわそわしながら座っていました。会社内は静かですが洋楽のBGMが流れていて、なんと庭にはプールまで付いているなど、「高級住宅街にあるぜ」と思わせる場所です。だってトルコ人見栄張るの好きだからね。
そしてしばらく待っていると一人の男性がやってきました。

その男は小柄でしたがいかにもテレビ業界にいそうなプロデューサー的な風貌で、名前は「トルガ」というそう。挨拶を交わすと早速CMの内容を説明されますが、いきなり

「テレビを切ってほしい」

「は?冗談ですよね?」

「サムライだから切れるだろ?」

「ちょっとアニメとかの見すぎじゃないですか?」

ホントこんな会話しました。まぁちょっと話していると「冗談だよ(笑)」と笑われ、「デスヨネー(笑)」と返すと面白い奴と思われたのか、これで採用されました。で、更に詳しく内容を聞いてみると、CGでテレビを切っているように見せるから、実際には切っているように動いてほしいとのこと。トルガ曰く、トルコ人とかがやると全然「キリッ」としたサムライっぽい動きができないから、そういう動きができる経験者が必要だったから来てもらったんだそう。

「それじゃ僕以外にイスタンブールにいるわけないじゃないですか〜。アタリですよ(笑)」

と言うと、後から周りに集まってきたスタッフも一同「ワ〜オ」と和やかな雰囲気になります。

てなわけで概要を説明後、撮影日の日程の確認やCM出演にあたっての契約書を渡され、「友人に一度見てもらっていいから、撮影日にサインして持ってきてくれ」と親切な対応。まぁ外国人に対しての対応としては当然かもしれないけどね。かくして本当にCM撮影に挑むことになりました。


約1週間後、僕はイスタンブールのシシリー地区にある巨大ショッピングモール「ジェバーヒル」の前で撮影クルーのバスを待っていました。その後それらしきバスが到着し、クルーと一緒にセットが組んである現場に向かいます。

そこはシシリーから車で20分ほど離れたマスラック地区にある倉庫のような場所で、そとから見るとちょっと怪しい雰囲気でした。しかし、中に入るとビックリ!そこは映画やドラマ、CMの撮影に特化した専用のセットが組んであり、いくつもの部屋に様々な用途の撮影が可能な作りとなっています。
そして今回の僕らの撮影用に、特別に日本家屋風のセットも組まれていました!初めての体験だったのでちょっと着いて早々フラフラと見回ってしまったほどです。

とりあえずスタッフの人達に挨拶をし、撮影の準備にかかりました。衣装係の人から専用の衣装に着替えるようにと言われ、渡されたのが袴と裃(殿様とかが肩に着るやつ)のようなやつ。袴はまぁ、分かるとして裃はちょっと大げさじゃないかと思いました。しかし、一番面白かったのは「誰も袴の正しい着付け方を知らない」ということです。

「え?あなた着方知ってるの?さすが本物の日本人ね〜」

そんな風に感心される始末です。確かに後に別なCMで、トルコ人がサムライの恰好してるのを見たら、袴が前後逆でした。

でも彼らに言いたかった。日本人でも着方知ってる人はそんなにいないと。
しかし、僕以外の人が仮に採用されていたら、はたしてどんな風に着せられていたのか、ちょっと気にはなります(笑)

衣装合わせが終わり、頭にもガチガチにエクステを盛りまくった疑似ちょんまげを乗せられ、これにて準備は完了!いざ撮影タイムです!

その前に、今回のCMの監督であるバーキさんに挨拶をします。とても気さくな人で、撮影スタッフも親しみを込めて「バーキホジャ」と呼んでいました。このホジャという単語は、本来は先生・宣教師という意味ですが、撮影現場では「監督」という意味でそう呼ぶこともあります。物腰柔らかいホジャに、早速どんな流れで撮影を行うのか説明を受けます。

今回のCMでは、CGのテレビをぶった切る演出にするため、あらかじめテレビの台が置いてある場所に向かって切りつける動作を行うというものです。
流れとしては以下のようです。

風が吹き付け、ろうそくが消える

気配を察知し、刀を抜きつけ

テレビをKill!

Kill!!

Kill!!!

決めポーズを取って終了。

といって感じです。

「なんだこれだけか。簡単じゃん」

と思いましたが、それが甘い考えだとすぐに思い知らされます。
この時僕は「撮影」というものを良くわかっていませんでした。

このホジャのこだわりは凄まじく、何度も何度もリテイクを余儀なくされ、一つのシーンを終えるのに一時間以上掛けていたと思います。
加えて一つのシーン撮影が終わって次のシーンに移る際の準備が、これまた長く、実際撮影時間よりも待ち時間の方が長い場合も多々ありました。

そんなこんなで最終的には朝の9時にスタートした撮影は、翌日の朝6時です!?
もう一度言います。次の日の朝6時です。実に21時間拘束されていたことになります。撮影の間に仮眠を取ったりしましたが、後にも先にもこんなに長い間撮影したのはこのCMのみです。
その後も何度もCMやドラマに出ることになりますが、最初に一番キツイ経験をしたことになります。

しかし、その甲斐があってCMは素晴らしいものになり、出来上がって本当にトルコのお茶の間に流れた時は本当に興奮しました!これです!!



テレビで放送されるまでに約2か月待ちましたが、待った甲斐があったというものです!
これを見て、友人達からのメッセージや、CM会社からのお礼のメッセージなどが届き、充実した気分を味わうことができました。そしてギャラも、当時の一般的なトルコ人の給料の約一か月分+αがもらえ、懐もホクホクです(笑)

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かくして僕のトルコでのスターの道はこうして始まりました。

これから更に面白い体験が待っていますので、こうご期待!

それでは皆さん、ホシュチャカルン!

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2019年03月16日

30代の僕がハマった英会話

どうもメルハバ!
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突然ですが、皆さん英語は喋れますか?


僕はというと、まだそんなに自信がありません(汗)

英語が喋れるようになったら、絶対に楽しいだろうな〜と思います。
僕もそんな内の一人です。

英語喋れるようになって、外国人と友達になりたい!
旅先で困らないために、まずは英語を覚えたい!
海外勤務で英語が必要になるので、仕事をの為に覚えたい!

などなど覚えたい理由は様々だと思いますが、僕は外国人の友人をもっと増やしたいと思うのが理由です。


僕はトルコ語が流暢に話せます。それこそローカル仕込みの喋りで、知り合ったばかりのトルコ人とすぐに打ち解けれるくらい鉄板ネタのジョークを持っているなど、豊富なボキャブラリーがあります。

しかし!・・・英語はてんでダメです(汗)

ホントよくそんなんで外国に行こうと思ったなと、友人にはよく言われます。それにトルコ滞在中、僕の周りの諸外国の友人達は、英語が話せる人がほとんどでした。彼らのほとんどはトルコ語も喋れたので、僕らの共通語はトルコ語でしたが、時々集まって話すとやっぱり英語で話すシチュエーションが発生することがあり、そんなときは一人蚊帳の外状態になるわけで悔しい思いをしていました。

自分も英語喋れるようになりたい!

いつしか劣等感はやる気に代わっていきました。

そして今、日本に帰ってきて僕は自分に合った英語学習の方法を見つけました。
それは・・・
レアジョブ英会話
です。

このプログラムは、スカイプを使って現地の英語が話せる講師を相手にレッスンを受けるというもので、講師は全員フィリピン人です。

フィリピン人の英語ってどうなの?と思った方、僕も最初はそう思いました。

調べてみると、フィリピンの公用語は英語とタガログ語です。つまり、日常的に英語を話しているということです。なんで英語が公用語なのかは、フィリピンの歴史に関係していますが、ここは割愛します。

一度トルコで、フィリピン人のツアーグループを目にしたことがありました。トルコ人のガイドは英語で説明していましたが、グループの数人が質問をしたとき、フィリピン人達はそのガイドよりも流暢な英語を話していました。あくまでも喋りのスピードとか発音とかで判断しただけですが、素人目にも「上手い」と思わせるには十分な会話でした。

そういうこともあって、ネットでこのプログラムを見つけた時は興味が沸きました。しかもレッスン料が安い!料金の例を挙げると以下のようです。

・日常英会話コース
@月8回プランーーー4200円(カウンセリング付き5180円)+税

➁毎日25分レッスンーーー5800円(カウンセリング付き6780円)+税

・ビジネス英会話コース
➂毎日25分レッスンーーー9800円(カウンセリング付き10780円)+税

・中学・高校生コース
C毎日25分レッスンーーー9800円(カウンセリング付き10780円)+税


こんな感じです。ちなみに僕は➁番のカウンセリング無しのコースを続けています。
カウンセリングというのは、学習の仕方が分からなくなったり、レッスンの自動予約などをしてくれる言わば学習を円滑に続けるためのマネージャーのような存在です。このカウンセリングを担当するのはもちろん日本人です。なぜ僕がカウンセリングを必要としなかったかですが、自分に何が足りないかが明確に分かっていたからです。そうでない方は、このカウンセリング込みのパッケージを購入するとよいでしょう。

そしてなんと、このレアジョブには始めるにあたりお試しのレッスンが計2回受けられます

やり方は簡単、まずはもちろんスカイプを準備します。そしてレアジョブのサイトに行って会員登録(無料)をします。
するとすぐに講師が選べるようになり、教師を選択してレッスンの予約を受けます。
あとはレッスンの時間を待つのみです。初めは流石の僕も少し緊張しましたが、まあなんとかなります。だって彼らも同じ人間ですから :)

ちなみに僕は、スマホとイヤホンのみでレッスンを受けています。スカイプとレアジョブのアプリをダウンロードすれば、いつでもどこでもレッスンが受けられます。


そもそもレアジョブの講師達には、それぞれ得意分野のマークがついています。
初心者向きのマークだったり、実用英会話に特化したマーク、TOFELスピーキングに対応した講師など様々です。各講師のページには、自己紹介の音声と経歴、日本語レベルなどが記載してあるので、じっくり選んで自分に合った講師を選択しましょう。


お試しレッスンが終わると、講師があなたの英語レベルを教えてくれます。ちなみに僕はレベル5(10段階中)でした。これからレッスンでやるべきことや、レアジョブ内のどの教材をもとに進めたらいいかなどを教えてくれます。本登録はその後任意なので、ここでもし「やっぱり合わないな」と思ったら退会すれば問題ありません。

レアジョブ内には日々勉強するための教材も準備してあり、予習をするのにはもちろん、レッスン時に選択すれば講師はそれに沿って授業を進めてくれます。だからある程度授業内容が予測できるのがいいところです。もちろんフリートークに設定もできますが、それだとボキャブラリーが少ないうちは会話が成り立たない状況になることが多く、僕は最初のころ講師に「教材に沿って進めた方がいいよ」と言われました(汗)


僕はこのレアジョブ英会話を始めて、このブログを書いている時点で2か月目です。最初は気の合う講師を見つけるのに時間がかかりました。このシステムのデメリットを上げるとしたら、講師が多いので、当たりハズレがあるということです。もちろん講師として登録しているので、きちんと教える能力があります。ただ、少々経験不足だったり、発音が聞き取りづらい、そしてどうしても自分と気が合わないという人も稀にいました。
しかし、そういう時はレアジョブ運営局にメッセージを送ると、気の合わなかった講師をリストに表示させないとか、レッスン回数を増やすチケットをくれるなど対応もしてくれます。なんだかちょっと世知辛いですが、こちらはお金を払っているので利用できるものは利用しましょう。

今では気の合う講師を4人ほど見つけ、ほぼ毎日ローテーションでレッスンを受けています。レッスン中に間違った表現を使えば即座に直してくれるし、終了後には今日のポイントなどを細かく分析してくれるなど、たった25分ですがとても充実したレッスンを受けれています。発音も個人差はありますが、今のところ特に問題は感じません。そして何より僕が気に入ったのは、フィリピンの人達はとても陽気な人たちが多く、楽しませてくれるところです。

僕の目標は2020年のオリンピックまでに日常会話をマスターすることです。様々な国から来る外国人と友達になれるチャンスなので、それまで続けていきたいと思います!

皆さんも親しみやすいフィリピン人の人達と英会話初めてはいかがですか?

興味が沸いた方は、下のリンクからどうぞ。
↓↓





posted by エミル at 07:39| Comment(0) | TrackBack(0) | 言語

2019年03月11日

3月11日

どうもメルハバ。

3月11日は日本人、特に東北出身の人達には忘れられない日です。そしてそれは、福島生まれの僕にとっても大きな意味をもちます。僕はこの日に起こった東日本大震災を境に、人生が180度変わりました。もちろんこれは、東北に住んでいた全ての人に当てはまることですが、僕がトルコに行ったのは、この震災がキッカケと言っても過言ではないのです。それくらい僕の人生において忘れることができない日なんです。

あの日、僕は宮城県の仙台市にいました。用事があって仙台に来ていて、それが終わってお気に入りのバウムクーヘンを買うためいつものケーキ屋にて列に並んでいました。なんの変哲もない、いつも通りの日常でしたが、どのバウムクーヘンを買うか悩んでいた次の瞬間「グラリ」と地面が大きく揺れます。本当に文字の通り、一回地面が大きく波打つのを感じるくらい揺れたのです。

「何かいつもの地震と違う」

そう思った僕は、すぐさま出口に向かって歩き出しましたが、その数秒後に大きな音とともに激しい揺れが始まりました。出口に向かうまでに、商品棚のお酒や飲み物が一斉に落ちて割れるほど揺れ、やっとのことで地上に出ると僕は衝撃を受けました。それは1分だったか5分だったか、一切止むことがないように思えるくらい長い時間に思えるほどで、周りの建物は揺れ、高層ビルは"しなって"いるかのように見えました。その影響であたりには轟音が鳴り響いていました。僕の他にも地上に人はいましたが、全員何が起こったのか分からないような状態で同じく呆然と立ち尽くしています。

しばらくして揺れが収まると、みんな我に返ったように一斉に電話をかけ始めます。僕もちょうどその日は仙台市内に父と弟が来ていたので、連絡を取ろうとしますが繋がりません。仕方がないので父の勤め先まで歩こうとしましたが、この時突然雪が降り始めてきました。ここ数日は天気も良く、春のような気温だったので薄着で来ていたので、突然の寒さに耐えられず、仕方なく仙台駅内に戻ります。
周りはパニックで、いたるところから煙が立ち上がり、ところどころ道路が隆起していて道行く人々は右往左往しています。僕もどうしたらよいか分からず、やることといえばしきりに電話をかけることしかありませんが、運よく30分後くらいにやっとのことで父に電話がつながり、すでに弟とは合流していたようなので一緒に家へと急ぎます。

仙台市内から僕の家までは、当時は高速道路などなく、国道6号線(通称ロッコク)を車で約2時間かかります。しかし、道路が隆起していたり、途中津波に侵食されて通れなくなっていたりといくつものアクシデントが発生し、大きく遠回りしなければならなくなります。しかも途中ラジオで、ウチから200mほどしか離れていない近所の老人ホームが流されたというニュースが聞こえてきたため、僕らは焦ります。何せウチから海までは約2キロほど離れており、過去に一度も津波が来たことなんてなかったので、これを聞いたときはいったい何が起こっているのか、もうパニック状態でした。

やっとの思いで家の近くまで来ると、またしても信じられない光景が目に入ります。畑のいたるところに、あるはずのない漁船が散乱していたのです。異世界に迷い込んでしまったような異常な光景が広がっていました。
正直もうダメだと思いました。ここまで津波が来ているなんて想像すらしていなかったので、家も倒壊しているのを覚悟しました。

そして家に到着したのは、地震から約7時間後の午後10時です。

そこには瓦礫の山が広がっていました・・・

初めは暗くてよく分かりませんでしたが、目を凝らすと明らかに不自然な塊が山になっているのに気づきます。
どうやら津波は、ちょうど僕の家で止まったようです。

家の庭には、海から流されてきた瓦礫と、この時は気づきませんでしたが死体も一緒に流されてきていたのです。もの凄く気分が悪くなりました。

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※これは実家から歩いて5分ほどの場所から撮った当時の写真です。

今朝まで普通に生活していた環境が、たったの数時間で変わってしまったのを見て、ショックなんて言葉では言い表せないような感覚に陥りました。唯一の救いは、家族には何もなかったことです。津波発生と同時に町内にサイレンが鳴り響き、家に押し寄せる前に逃げたそうです。
が、当然家には住めなくなってしまったので、市内の親せきの家にとりあえず避難することになりました。
とりあえず全員無事だったとのことで一安心したのも束の間、もっと最悪の出来事が発生します。

福島第一原発の屋根が吹き飛んだ

この時は本当に全員が耳を疑いました。ここから原発までは約30Kmしかなく、放射線の影響が広がるのは明確です。それと同時に外が騒がしくなってきました。
同じように放射線の影響を恐れた住民が、一斉に市外に避難し始めたのです。
自分たちもこうしてはいられないと、最低限の荷物だけ持って着の身着のまま車に乗り込みます。僕ら一同は、福島市にいる親戚の家を目指すことになりました。

親戚の家に到着し、とりあえず一休みできましたが、やはり人数も多く、長くはお世話になれないということで、僕らは直ぐに福島市内にある避難所に移ることになります。そこは市街から少し離れた体育館で、既に大勢の同じように避難してきた人達で溢れていました。
入所の手続きのため、入り口に向かうと、防護服を着た数人の検査員が、新しく来た人達の放射線量を一人一人量ります。この時はまるで自分が「人間じゃない何か」になってしまったような気分でした。

そこから避難所生活が始まりましたが、僕が経験したなかでも特にひどい思い出です。

「昼夜相次ぐ余震で建物がひどく揺れ、轟音が響く」
「夜中に具合が悪くなって運ばれる老人達」
「親が見つからなくて夜中に泣き叫ぶ子供」

極めつけはその場にいる全員の地震速報アラームが、余震が起こる度に一斉に鳴り響くことです。ただでさえ心臓に悪いあの音が、数百台一斉に鳴るところを想像してください。恐怖でしかありません。

そんな生活が2週間ほど続きましたが、そんな状態でも時々実家に帰って少しずつ掃除をし、ようやく住める状態にまで回復しました。自衛隊の方々のおかげで、家の周りの瓦礫もほとんど撤去されており、電気はなくとも我が家で過ごすことの喜びを再び味わうことができたのは嬉しいことでした。こんなにも家族がいることののありがたさや、一緒に食事ができるという喜びは後にも先にもないでしょう。

そんな状態が更に一週間ほど過ぎたある時、運命のトルコ滞在プログラムを見つけます。これについては、別なブログにて説明してあるので読んでいただければと思います。

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※2018年に撮った同じ場所の写真

あれから8年が経ちました。今でも僕はあの日のことを忘れません。というより、忘れることなんてできないです。何年経っても、3月11日の14:46分が近づくと気分が悪くなって感傷的になります。

でも、この震災後に一つだけ学んだことがあります。

それは「諦めなければきっと次に進む扉が見つかる」ということです。

これはトルコにある諺から学んだ部分が大きいのですが、地震の後に自分が歩んできた道を振り返ると、正にそうだとしか思えないんです。時に人生は、自分の力ではどうにもならないことが起きます。そこで運よく助かっても、目の前には何もなくなっているかもしれません。でもそこで諦めてずっと同じ場所に留まっていたら、何も起きないんです。だから動き続けるしかない。動いて動いて、そうすればきっと別な扉が見つかるんです。

こんな震災は二度と起きてほしくないです。日本だけではなく、世界中で起きないことを祈ります。僕らができることは、常日頃から「明日は何が起こるか分からない」と少なくとも頭の片隅には置いておくことなのかもしれません。

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2019年02月01日

祝!香川選手ベシクタシュ移籍!

どうもメルハバ!

ビックニュースです!
ついに我らがベシクタシュに、待望の日本人選手がやってきました!

香川真司選手です!
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昨年からずっと噂に上がっており、噂が出ては消えという繰り返しでしたが、ここに来てようやくベシクタシュオーナーのフィキレット・オルマンがGO サインを出したようです。
「日本市場へのアピール」とか言う話も耳にしましたが、そんなことはハッキリ言ってどうでもいいです!

自分が好きな海外のチームに、日本人選手が来るのがどれだけ嬉しいか!もうそれだけで感激です。

シーズン終了までのレンタル移籍ですが、すぐさまベシクタシュTV 局の友達に聞いて確認したところ、本当に契約が決まったみたいで良かった!

既にトルコでも盛り上がってるみたいで、ベシクタシュファンの友達からお祝いと移籍の連絡が絶えません。なぜならベシクタシュは過去に一度も日本人選手を獲得したことがなく、初めての挑戦だからです。
なのでTwitterやInstagramのハッシュタグには、

「#Samuraiofthebosphorus」
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というタグが出ています。

これはベシクタシュの本拠地であるボーダフォンアリーナが、ボスフォラス海峡のすぐ脇にあることからつけられました。

既にベシクタシュ関連のSNS アカウントでは、香川選手の写真で埋め尽くされ、中にはこんなデザイン画像をあげる人も出ています。

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そして記念すべきデビュー戦が2019年2月3に行われました。なんとその試合で途中出場ながら、出てすぐ数秒で初得点を飾ります!そしてその3分後にダメ押しのPKでもう一点追加し、2得点で衝撃のデビューを果たしました!
特に最初のシュートはきれいな形のミドルシュートで、まさに「Adam gibi」ゴールでした。
トルコはもとい日本のベシクタシュファンを虜にしたことは間違いないでしょう!

SNSでも相当賑わっており、ツイッターでは香川選手のゴール関連のハッシュタグが上位に出ました。そして僕にも、連日香川選手に関するメッセージが届きます。

そんな中、日本一のベシクタシュファン(自称)として香川選手への応援メッセージ兼ベシクタシュ愛を見せた動画を投稿したところ、たちまちベシクタシュファンの間で拡散され、2日で約1万2千再生を突破してます。
この動画は別なベシクタシュのファンアカウントにもシェアされ、こちらは同じく2日で約10万再生を突破していました!そして嬉しいことに、このメッセージビデオをベシクタシュTV局の友達に送ったところ、是非番組に使いたいとのことで近い内にトルコで放送されます。第二弾も頼まれているので、僕のベシクタシュ愛をぶちまけたいと思います(笑)

今後もガラタサライの長友選手とのトルコリーグダービーマッチも実現するので、これから目が離せません。
もう正直に心の声を上げます。

あートルコ帰りたい!


願わくばベシクタシュでいい成績を残し、本人もチームを気に入って契約を延長することを望みます。

香川選手!これからも日本から応援しています!









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posted by エミル at 07:43| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

日本一のベシクタシュファン!

どうもメルハバ!

皆さんはトルコのサッカーチームをご存知ですか?
今だと長友選手がいるガラタサライが認知されてると思います。昔このチームには、稲本選手も在籍していたので、名前くらい聞いたことあるかもしれません。
正直言うと僕は、日本にいた時はサッカーにまったく興味がありませんでした。しかし、そんな僕がサッカーファンになるほどのチームがトルコにあります。

それは。。。

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ベシクタシュです。


このチームはトルコ三大ビッグクラブの一つで、サッカーだけではなく、バスケットボールやバレーボールなど、他のスポーツチームも有するトルコ有数のビッグクラブです。
略称は「BJK」と言い、ベシクタシュジムナスティキクリュブ(クラブ)の略です。
トルコで一番最初に設立されたチームで、設立年は1903年と古く、ライバルのガラタサライはその2年後の1905年、もう一つのビッグクラブであるフェネルバフチェに至っては1907年です。

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イスタンブールのヨーロッパサイドの海峡沿いにあるベシクタシュ地区に本拠地を構え、美しいボスフォラス海峡がすぐ脇に流れています。アリーナと海峡をセットにした写真はもう美しいの一言、とても絵になります。

白と黒を基調にしたチームカラーからか、ベシクタシュ好きはハッキリした人が多く、僕もそんな感じなのでフィーリングはピッタリです。そして僕が思うに、このチームはトルコ一応援が半端ないチームだと思います。試合中の会場では、まるで毎秒ジェット機が飛んでいるような大声援が飛び交います。

このチームには昔、日本で有名になった選手が在籍していました。

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イルハン・マンスズです。
日韓ワールドカップで活躍し、トルコを第三位まで押し上げる原動力になった人で、イケメンだったこともあり「イルハン王子」なんて呼ばれてました。ウチの妻も大ファンで、若いころのイルハンに首ったけだったそうです。でも今は妻は僕にゾッコンです(キリッ!)
なのでトルコでは、未だにベシクタシュと言えばイルハンを連想する人もいます。

現在だと一番有名なのは、ポルトガル代表のリカルド・クアレジマだと思います。
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クリスティアーノ・ロナウドの親友である彼は、長いことベシクタシュに在籍しており、チームの要かつ超人気選手です。僕も彼のプレーは凄く好きで、華麗なドリブルさばきとパスで観客を沸かせます。彼がボールを持つたびに「クアレジマならやってくれる」という期待が膨らみます。更に同じくポルトガル代表で元レアルマドリード所属の「ペペ」も在籍しています。
過去にはドイツ代表のマリオ・ゴメスも在籍しており、その二人と複数のトルコ代表選手が活躍したその年は優勝もしました。そこから2年連続で優勝をし、念願の3つ星クラブになったのは記憶に新しい出来事です。トルコでは5回優勝すると一つ星が付きます。最多は4つ星のガラタサライで、次に3ツ星のフェネルバフチェとベシクタシュが並びます。

僕がこのチームを好きになったのは、妻が好きなチームだったからというのが一番の理由です。僕はへそ曲がりなので、だいたいの人が好きなガラタサライはイマイチ乗り気になれず、かといってもう一つのビッククラブであるフェネルバフチェは、たまにえげつないプレーをするのとパジャマみたいなユニフォームが好きではなく、そんな時に妻と付き合い初めてベシクタシュが好きだというのが、サポーターになる決め手となりました。

しかし、後程このチームが好きになったおかげで、様々ないい思い出ができます。

僕はトルコでタレント生活をしていたのですが、ベシクタシュ好きなのを公言していたため、ある日ベシクタシュ専属のテレビ曲からオファーが届きます!
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BJKTVというテレビ局で、ベシクタシュの試合実況はもちろん、チームの選手移籍の情報など、ベシクタシュに関するあらゆることを放送する局です。僕が滞在していた時期にアリーナが新しくなり、そのオープニングカウントダウンの一環として番組に出演しました。何を隠そう日本人として初めてヴォ―ダフォンアリーナに足を踏み入れたのは僕です。
ベシクタシュ3.jpg

以来、何度か番組に出演し、溢れんばかりのベシクタシュ愛を披露していました。

そうすると更に面白いことが起きます。

ある日、僕はアメリカ人の友人(彼もベシクタシュファンで、一緒にテレビ番組に出演していました)とガラタサライのダービーマッチを見に、ベシクタシュ広場に向かっていました。アリーナから少し離れた所にあるこの広場は、ベシクタシュのシンボルである大鷲の像があり、周りにはバーが沢山あるのでファンの溜まり場になっています。

そこに到着すると、既にファンが集まって応援チャントが始まっていました。すると彼らが僕らに気付きます。

うおー!!マサタカとアントーニオじゃないか!!

たちまち広場中央まで連れていかれ、僕らは像の上に登ります。そしてトルコサッカーの応援でお決まりのチャントをします。

手を上げてブラブラさせ次に
オ〜ーーーーーーシ〜ーーー。。。。(静かにのポーズ)

ビル(1)!イキ(2)!ウチュ(3)!

ベシクタシュ!ベシクタシュ!

ライライライライライライライラ〜イ

オ〜〜ベ〜シクタ〜シュ!


ベシクタシュ4.jpg

もう大歓声!これほどの一体感は味わったことがありませんでした。この日はちょうど僕の誕生日でもあったので、忘れられない思い出になりました。

もう一つ、ファンになって良かったと思うことはこれです。

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当時テレビ局に知り合いがいたのでお願いしたら、選手が僕のことを知っていて全員のサイン入りユニフォームを送ってくれたんです!
リカルド・クアレジマ、マリオ・ゴメス、ジェンキ・トスン、オーウズハン・オズヤークプなどの層々たるメンバー全員のサインです。
これには感激し、もう僕の中でベシクタシュは生涯応援するチームとして心に刻み込まれました。ベシクタシュに出会ったおかげでサッカーが好きになったので、本当にこのチームには感謝しています!

最後にもっとベシクタシュを紹介するため、僕が撮ったベシクタシュの試合映像をお見せします。
これを見て、ベシクタシュとトルコのサッカーの熱さを知ってもらえたらうれしいです。
↓↓


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posted by エミル at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ

2019年01月30日

第5章:居合道と親友との出会い

どうもメルハバ!
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今回はトルコストーリーの第5回目で、人生を変えた居合道との出会いについてです。
まだ読んでない方は、第1章から読むことをオススメします。
↓↓
https://fanblogs.jp/emirturkiye/archive/3/0

猛プッシュの甲斐あってやっと会社から滞在許可証が発行され、これでやっと安心できると思っていましたが、一つの理由から僕は余り元気がありませんでした。

それは自分の中に、外国人に伝えられるような日本的要素がないんじゃないかと感じていたからです。
イスタンブールに来てからずっと思っていたのですが、ここにきてそれが凄く気になり始めます。

もちろん日本で生まれ、日本で育ち、母語も日本語ですが、何か日本特有の文化を体現するような特技があったわけではありません。
ていうかどちらかというと、ゲームばかりやっていたいわゆる「オタク」に近い感じでした。それを無駄な時間とまでは言いませんが、もっと別なことに時間を割けば良かったと思っています。

しかし、後悔先に立たずなのでどうしようもなく、加えて仕事面でも言葉の壁の問題や、まだ慣れきってないので失敗が続き悶々とする日々を送っていました。


そんな時、友人から一つの誘いを受けます。それは近所の合気道道場に、居合道の先生が来ているから見に行こうというものでした。

この時の僕は無知丸出しで

「居合道?剣道じゃなくて?」

なんて質問を返すくらいですから、この時初めて居合道というものを知ります。
お前本当に日本人かよ(笑)
と突っ込まれますが、日本人だからってなんでも知ってるって訳じゃないのに・・・しかしトルコ人はそんなことはお構いなしです。
とまぁさて置き、ちょうど何もすることなかったし、何かアクションを起こしたいこ思っていたので、友人に誘われるまま見に行くことにしました。

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その日の週末、アジアサイドのカドゥキョイ地区にて友達と待ち合わせ、その道場に向かうことにしました。
道場に付くと、ちょうどその日は別な道場との合気道も混ぜた稽古兼演舞会だったようで、大勢の屈強な体格のトルコ人で溢れていました。

そんな中、僕の運命を変える先生が現れます。

その先生は範士八段(当時は七段)、合気道と居合道を教えている方で、ここの道場と提携してトルコに武道を教えに来られているとのこと。

僕は日本にいたときは全く武道経験がなく、せいぜい体育の授業でやった柔道程度です。
なので本物の武道の先生に初めて会ったため、凄く緊張しました。

先生は初め、まさかこんな所で日本人に会うとは思っていなかったからか、少し驚かれていました。挨拶をし、二三質問をした後、僕らは見学者の席に移動して演舞が始まるのを待ちます。まずはトルコ人の合気道有段者からの演舞でした。次に居合道の演舞が始まり、この時初めて居合道というものを目にします。刃の入っていないにしろ、見た目は本物の刀のような居合刀を使っての演舞は

「中々カッコいいじゃないか」

というのが第一印象でした。そして低段者からの演舞を経てついに先生の演舞の番が回ってきたところで、僕は衝撃を受けます。

演舞が始まると、僕は先生の演舞に見とれていました。

先生は荒木流という大小二本の刀を使う流派の演舞を披露され、その演舞が時に静かに、しかし時に獰猛に襲いかかる虎の様な動きをする演舞だったのが、僕のハートに火をつけました!

そしてその演舞を見た瞬間思ったのは、「僕が求めていたものはこれだ!」ということです。
あの時ほど何かをやりたいと思ったことはないかもしれません。と言うより、「これは僕がやるべきことだ」といった使命感に似た感情が沸いていました。

演舞終了後、僕は居ても立ってもいられず、先生の傍に近づきすぐに弟子入りを懇願します。もう内から沸く衝動を抑えられませんでした。


これが僕と居合道との出会いです。


それから次の週に早速稽古に入りますが、日本でまともに武道をやったことがない僕は、最初のころ袴の履き方も分からなかったのでまたしても「本当に日本人か?」とからかわれます。

「日本人なのに何で履けないんだ?」とか
「武道やったことないってそれでも日本人か?」

等好き勝手言われたので、最初のころは正直恥ずかしかったです。
ていうか逆に、日本人の中にどれだけきちんと袴の履き方知ってる人がいるのか僕が知りたいくらいです。

しかし、ここでまた一つ問題が発生します。その当時僕はまだトルコ語が流暢ではなく、指導を受けても内容がよく分からないということです。もうそれこそ見様見真似でやるしかなく、上達はなかなかせずにまたしても悶々とした日々が始まります。日本人の先生は、日程の都合で合同演舞の後にすぐに日本に帰国してしまい、まともに指導をいただくことはできないまま始まったので袴の履き方もこれでいいのか自信がありません。この時期はやっていてもの凄く滑稽だったと思います。


そんな状態で2か月ほど稽古を続けましたが、ここで生涯の友と呼べる人物と出会います。


ある日、いつものように稽古に来ると、見慣れない人物が来ていました。挨拶しようと思い近寄ると、彼も僕に気付いて

「日本人ですか?」

と、日本語で話しかけてきました。彼の名はエルデムといい、最近まで怪我で休んでいたそう。なぜ日本語が話せるのか理由を聞くと、彼は剣道と居合道をもう10年近くやっていて、本場の道場で学ぶため日本にも滞在したことがあるんだとか。

それからの稽古は本当に素晴らしいものになりました。

エルデムのお陰で稽古仲間達とのコミュニケーションが取れるようになり、分からないことは彼が通訳となって助けてくれたので、稽古後は皆でご飯食べに行くようになるなど充実した時間を過ごすようになります。

その後も様々な苦楽を共にした彼は、僕にとって本当の兄のような存在になります。

一度こんなことがありました。

道場側のトラブルでメンバーが離散し、僕らも道場を離れて途方に暮れた時期がありました。僕ら二人しかおらず、実に半年近くまともに稽古ができない中、お互いに解決策を探してようやく環境を整え、居合道のグループを作りました。そういう経緯もあって、僕らはお互い信頼しあう親友となりました。
このグループは僕が日本に帰った後ももちろん継続しており、時々来日して一緒に先生から指導を受けることが可能になっています。
僕はというと今は毎週道場に通い、このブログを書いている2週間後に四段の審査が控えており、その3か月後には全国大会に出場するため京都に行くことになっています。

この居合道との出会いは、本当に僕に様々なものを与えてくれました。

生涯を通してやり続けられるものであるし、日本人としての誇りも手に入れ、以降トルコで日本関連のイベントにて演舞を行ったり、そしてなんとトルコでCMにも抜擢されます。次のストーリーでは、そのCMについて説明したいと思います。











posted by エミル at 14:23| Comment(0) | TrackBack(0) | トルコ
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福島県生まれ。2011年の東日本大震災後、運命のトルコに移住。そこでタレント生活を送り、トルコ人女性と結婚。2017年に家族を連れて日本に本帰国。現在日本に本当のトルコの魅力を伝えるため奮闘中。
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