歴史評論家の香原斗志さんは「権力を脅かす存在はかつての主君・源頼朝の
遺児やライバルでも躊躇なく手にかける、今でいう殺人鬼のような男だ。
ドラマで描かれているような優しき武将ではない」という。
日本史上で人気のない大物の一人に源頼朝がいる。身内だろうが忠臣だろう
が容赦なく滅ぼしていく冷酷非道な支配者というイメージが強いからだ。
事実、放映中のNHK大河ドラマ【鎌倉殿の13人】でも大泉洋がそんな
姿を講演しただけに頼朝に目を背ける向きは多かったという。
そんな頼朝に比べると血と血を洗う政争が収まらない中で苦悩を重ねる
主人公の北条義時や義時の父で自らの決断力に欠け、若い女房の尻のしか
れるばかりの北条時政への好感度が相対的に増しているようだ。
しかし史実の上では冷酷非道という点でこの北条父子は頼朝に負けずとも
劣らない。むろん先手を打って相手をつぶさねば自分がつぶされてしまうと
いう状況が鎌倉にはあった。だから頼朝は非道を完逐したのであり北条父子
もそのことを頼朝に学んだと思われます。
とはいえ、これから大河ドラマで時政と義時が行うことはもしストレートに
描くでもすればドラマがあまりにも重苦しくなりすぎてしまうと心配になる
ほど凄惨なのである。
そんな北条時政像は8月14日に放映された第31話「諦めの悪い男」から
始まった。2代将軍頼家が病に倒れ助かる見込みがないと思われている中で
頼家の乳父で後見人の比企能員は頼朝に嫁がせた娘の若狭局が生んだ一幡
すなわち能員の孫への家督継承を推し進めた。
しかしそうされては今後北条が出る幕がなくなってしまう。それを知った
比企一族は一幡に小御所に立てこもるが政子の同意を得た北条方の大軍が
小御所を襲って比企一族とも滅ぼしてしまうのだ。
鎌倉幕府が編纂した歴史書【吾妻鏡】には頼朝と能員が北条氏討伐の計画
を話し合ったとして障子越しに聞いた政子が父の時政に急ぎ伝え北条がや
むなく反撃したように書かれている。
だが黙っていても権勢が飛び込んでくる伊木川に北条を討伐すべき理由はない
実は天台州の僧慈円が描いた歴史書【愚管抄】にはすべてを時政が仕掛けた
ように書かれているのです。
比企の変で勢いづいてから時政の暴走ぶりはすさまじい。まず、頼家がまだ
生きているのに朝廷に使者を送り頼家が死んだので弟の八幡による将軍継承
を認めてほしいと奉請したのだ。それが認められて八幡は後鳥羽上皇から
「実朝」という名を賜っている。これ以降時政は政所別当の筆頭としてまだ
11歳(満年齢)の実朝に代わって新恩給与本領安堵などの関わる公式文書
を自分の名で次々に発給している。
更に詳しく知りたければ下記をご覧ください。
https://president.jp/articles/-/61010
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