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2014年08月22日

中森明菜の復活を後押しするか『孤独の研究 中森明菜とその時代』

おはようございます。
ecarです。

今日は、

【中森明菜の復活を後押しするか『週刊ポスト』で連載中のノンフィクション『孤独の研究 中森明菜とその時代』】

をお届けします。




『週刊ポスト』で連載中のノンフィクション『孤独の研究 中森明菜とその時代』

中森明菜が無期限の活動休止に入ってから、
この10月で丸3年が経つ。
復活を待ち望むファンが多い中、
今年7月から
『週刊ポスト』
で連載中のノンフィクション
『孤独の研究 中森明菜とその時代』が、
いよいよ佳境を迎えている。
 


ジャーナリスト・安田浩一氏による同連載は、
実父や次兄といった本人の家族をはじめとする周辺取材をもとに、
幼少時からの明菜の足取りを追うものだ。
また、
デビュー当時の所属レコード会社ワーナー・パイオニアの担当ディレクターや、
1990年まで所属した事務所・研音の社長や現場マネージャー(いずれも当時)といった関係者にも数多く取材しており、
音楽ファンにとって貴重なエピソードもしばしば出てくる。
たとえば、
来生たかお作曲によるデビュー曲「スローモーション」とは別に、
あの加藤和彦が“幻のデビュー曲”を作っていたという。
その曲は「あまりにも退嬰的」との理由でお蔵入りし、
残念ながら音源も残っていないそうだ。
 


実際の連載では、
明菜のパーソナリティの描写に多くの紙幅が割かれている。
「少女A」でブレイクを果たした当時は、
大人びた生意気な少女という印象の強かった彼女。
89年の自殺未遂騒動などを経て、
現在では“あやうい”というイメージを持っている人も少なくないだろう。
しかし幼少期やデビュー前のエピソードからは、
また違った明菜像が浮かび上がってくる。
第9回目までの連載分から、
印象的なエピソードを紹介しよう。
 

スーパークリッシュは、
お口で生きる乳酸菌を使いはみがきの後にも、
なめられるよう作られた新しい健康習慣の商品です。




6人兄弟の4番目として育った明菜は、
幼少期から歌を好んでいた。
4歳からはモダンバレエを始め、
14歳になるまで休みなく通った。
その熱心さに、
講師は明菜を「本当に真面目」と評している。
また、
中学1年の担任によると「天真爛漫な子」で、
担任が落ち込んでいるときは決まって
「先生、がんばって!」
と声をかけてくれたという。
「少女A」
でブレイクした当時の明菜は不良少女の雰囲気をまとっていたが、
根っからの“ワル”ではなかったことがわかるエピソードだ。
安田氏は「昔も、
そして今も、
明菜はいくつもの顔を持っている」と記しながら、
真面目な部分もあやうさも、
全てをひっくるめて明菜なのだ、
というスタンスで連載を進めていく。
 


デビュー前に関係者へ挨拶をする際、
いつも深々とお辞儀をし、
皆に“常識的ないい子”という印象を与えていたという明菜。
厳しいボイストレーニングにも弱音ひとず吐かずに取り組み、
メディア各社への挨拶のために地方をめぐって頭を下げ続けた。
また、
デビュー直後の野外イベントで大雨が降った際には、
主催者が中止を検討する状況にも関わらず
「歌います」
とステージに立ち、
髪を濡らしながらも歌い切る根性をみせた。
安田氏は
「明菜は前のめりに生きていく女だった」
と表現する。

 

スーパークリッシュは、
お口で生きる乳酸菌を使いはみがきの後にも、
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もっとも、
当時の現場マネージャーの証言によれば、
感情の起伏が激しい明菜に、
周囲のスタッフは振り回されることも多かったようだ。
ある時、
明菜は何が気に入らないのか、
楽屋で化粧品をまとめてマネージャーに投げつけた。
納得のいかないマネージャーも反撃し、
つかみ合いのケンカになったというから、
10代の明菜が激情型の少女であったのは確かなようだ。
衣装へのこだわりも強く、
デビュー間もない段階でスタイリストの用意した衣装を
「イメージに合わない」
として拒否したエピソードも残されている。
6年にわたって付き添った当時のマネージャーは、
「彼女なりのアイドル像みたいなものがあったのでしょう」
と振り返りつつ、
そうしたわがままこそ
「明菜のセルフプロデュース能力だったのかもしれない」
と話す。
 


連載8回目では、
“明菜が家族に金を使い込まれた”
という噂の真相にも迫っている。
語るのは、
現在はタクシー運転手をしている3歳上の次兄だ。
明菜はデビュー2年後、
節税対策のために個人事務所「ミルキーハウス」を立ち上げ、
実母を社長に、
兄弟を役員に据えた。
役員となった兄弟が勤めていた会社を辞めたことで、
明菜は
「私のギャラを使い込んでいる」
と疑いを持つようになったようだ。
しかし実際には、
ミルキーハウスは彼女の資産管理のほかにカラオケ店も経営しており、
そこでの収益を給料にあてていたのだという。
 


ミルキーハウスは、
実母のガンを患ったことをきっかけにカラオケ店を含めて営業をやめたが、
明菜はその後“家族のため”として、
銀行から1億円を借り入れてビルを建てている。
賃貸マンションと店舗が同居するそのビルに、
家族はそれぞれ自身の店を構えたが、
うまくいかずに閉店。
このときの明菜の心境を、
安田氏は「明菜からすれば家族孝行のためにビルを建てたのに、
肝心の家族はいったい何をやっているのか、
という思いであったに違いない」と分析する。
明菜に借り入れの負担がのしかかり、
結局はローンの支払途中でビルを売却。
家族の亀裂がより深まる結果に終わってしまった。
 


明菜は現在、
家族とほとんど連絡を取っていないという。
そのことについて次兄は
「僕らに迷惑がかからないよう、
よけいな心配をさせないよう、
不器用な彼女らしい家族孝行をしているとも考えられる」
と話している。
 


連載9回目では、
転機となった近藤真彦との恋愛へと話が進む。
2人は
『ヤンヤン歌うスタジオ』
(テレビ東京系)の収録などで仲を深め、
やがて交際に発展した。
元マネージャーによると、
両者の事務所とも交際の事実を知りながら放任しており、
明菜と近藤のマネージャー同士が協力し、
マスコミにバレないようにデートをさせることもあったという。
 


スーパークリッシュは、
お口で生きる乳酸菌を使いはみがきの後にも、
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人気アイドル同士、
いつ仲を引き裂かれてもおかしくはない状況だ。
それでも2人が見守られていたのは、
明菜と近藤の関係が“可愛らしい”ものであったことが理由のひとつのようだ。
2人のデートは、
母が経営するカラオケ店を訪ねて食事をしたり、
中森の実家で家族を含めてトランプで遊んだりという、
微笑ましいものだった。
しかし、
明菜は近藤と交際を深めるうちに、
「小さな秘密を抱えたかのように、
どこかよそよそしくなってきた」
(レコード会社の担当ディレクター)。
周囲と距離をつくるほどに、
明菜は近藤に入れ込んでいったのだ。
 


そして89年7月、
明菜は近藤のマンションで自殺未遂を起こす――連載9回目は、
衝撃の事件に触れたところで終わっている。
同連載は今後、
謎に包まれた事件の事実関係をどう明かし、
どのような切り口で明菜の“孤独”に迫るのか。
 


明菜に近い関係者が多く取材に応じていることから、
明菜本人も一定の理解を示していると見られる本連載。
仮に本人登場がなくても、
明菜への注目度を高め、
その復活を後押しすることになるのではないだろうか。



本日も、
最後までお読みいただきまして感謝いたします。
ありがとうございました。

ecar
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