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2019年04月17日
トルシエ監督は日本人に合っていた でも人としては… 黄金世代「同窓会」
1998年10月、U-19日本代表はアジアユース準優勝に輝き、翌年のワールドユース出場権を勝ち取った。このチームの主軸を担っていたのが、79年生まれのタレントだった。
その才能に惚れ込んだフィリップ・トルシエ監督はA代表、五輪代表だけでなく、ユース代表も率いることを希望し、翌年ワールドユースで指揮を執ることになる。
その後、トルシエ監督に抜てきされる形でA代表へと引き上げられた黄金世代は、まさに「トルシエの息子たち」――。そこで今回集まった、小野伸二、稲本潤一、永井雄一郎、中田浩二、南雄太、酒井友之、播戸竜二の7人に、まずは彼らの恩師であるフランス人指揮官について語ってもらう。
ワールドユース準V戦士7人が集結!
――今日は特別に、ゲストとしてトルシエさんをお招きしています。よろしくお願いします!
一同:(拍手)
(トルシエ監督のお面をかぶった播戸がモノマネをしながら、登場!)
一同:(苦笑)
播戸:完全にスベってるやつやん!
一同:(笑)
稲本:熱いな、熱いな、熱いな(苦笑)。
播戸:完全にスベってるやつやな!
一同:(笑)
稲本:めちゃめちゃウケとるよ。
(播戸がお面を外すそうとすると……)
中田:あれ、お面、取るの?
播戸:あ、取らへん?
稲本:ずっと付けたままやで、それ。
小野:やっちゃったな(笑)。
播戸:ここでええの?
(播戸がようやく着席)
稲本:圧がすごいな。
播戸:でも、こうやって、あれやからな、盛り上げてきたからな。思い出すな。
稲本:チームをね。
播戸:20年前を思い出すわ。
小野:播ちゃんが盛り上げてくれたからね(笑)。
播戸:いや、いや、いや。
――では、まずはフィリップ・トルシエ監督についてうかがいたいと思います。みなさん、トルシエ監督にはどんな印象を抱いていますか? 思い出すエピソードなども教えてください。小野さん、どうですか?
小野:日本人にすごく合っているというか。やっぱり日本人って、監督に怒られながらやってきたイメージが小さい頃からあったから。アメとムチではないけれど、ムチの方が多かったけどね。
永井:アメあったか(笑)。
一同:(笑)
小野:たまにあるアメが気持ち良かったというか。そういう中で僕自身は、いつも緊張感を持ちながらできていたような気がするけど、みんなはどう? どうですか? 永井さん。
永井:どうだろうね。サッカー的にはやろうとしていたことがはっきりしていたし、そういった意味では、日本人には「こうだ」っていう形を示してくれたから、やり方的にも迷わずに、俺はすんなり入れたような気がするけれど、人としては、けっこう大変だったよね(笑)。だって俺、練習で、あったじゃん、バケツに氷水とスポンジが入っていたやつ。「頭冷やせ」とか言ってさ、練習のたびにバッて。
稲本:すげえ覚えてるじゃないですか。あんまり覚えてないと言ってたのに(笑)。
小野:俺ら、それちょっと覚えてないなあ(笑)。
一同:(笑)
永井:「こうやってやるんだ」って言って、俺、髪の毛つかまれてさ、バーッて頭突っ込まれたんだぜ。そりゃあ、覚えてるだろ。
小野:それは覚えてる、絶対覚えてる(笑)。
永井:もう、そのイメージが強すぎて。
酒井:今だから言えますね。
小野:間違いない。
永井:時代が許したね。
永井と南はルール変更で大会直前に招集
小野:よく耐えたね。あとは朝のあれね。クッキータイムね。
播戸:クッキータイムなあ。
南:懐かしい(笑)。
永井:あったっけ、そんなの?
南:練習の前のやつでしょ?
小野:午前練の前の練習ってあったじゃないですか。朝食を食べる前か。
播戸:Jヴィレッジでよくやってたな。(※1997年に開設された日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター。当時、国内での合宿はよくJヴィレッジで行われており、99年3月、ワールドユース直前の国内合宿もJヴィレッジで実施された)
小野:Jヴィレッジでよくやってた。
永井:俺、Jヴィレッジ、行ってないもん。
小野:あ、そうか。
播戸:あ、そうや。
酒井:最後だけですよね。(※当初、ワールドユースには2度出場できないルールだったが、99年大会直前に改正されたため、97年の前回大会に出場していた南と永井が大会直前に招集された)
永井:言い方が悪いな、おまえ(笑)。
一同:(笑)
酒井:途中からだったから(笑)。
播戸:雄太もだよな、雄太もおらへんかったよな。
南:でも、俺は日本での合宿には参加したよ。永井くんは海外にいたから、ヨーロッパ遠征のときだけ、合流したよね。(※永井は当時、ドイツのカールスルーエに所属していた)
播戸:このふたりはね、キヨさん時代、知らんよな。(※清雲栄純監督。97年の立ち上げから98年のアジアユースまでチームを率いた。その後、トルシエ監督が就任してワールドユースを戦った)
南:そう、あとからだから。
永井:いや、でも俺は、キヨさんがチームを立ち上げた最初の合宿、那須でやったときだけはいたんだよ。
播戸:そうなんや。
トルシエ監督は今、どこで何をしている?
酒井:俺が招集されたのは、真ん中くらいだったかな。俺が入ったときには、もうイナと伸二がいた。
稲本:途中からやったやん。
小野:ジェフ(市原/当時)でさ、練習試合をやったときから始まったんだよね。
酒井:そう、そう。
稲本:なんか入ってきた、みたいな感じやった。練習試合して、次の日におる、みたいな感じやったよな。(※94年にU-16日本代表とジェフ市原ジュニアユースが練習試合を行い、ジェフの一員として出場した酒井のプレーが評価され、酒井は合宿中に代表に招集された)
小野:それで友ちゃんが来たからさ、俺らがすごく仲良くしていたヤツがどんどん落ちていくっていう(笑)。
酒井:俺、怖かったもん、チームに入るのが。もうチームができ上がっていたから。
稲本:俺がサイドバックに追いやられたときね。トルシエ、関係あらへん(トルシエのお面を指さしながら)。
一同:(笑)
播戸:(トルシエのお面を持ちながら)俺、最近ね、話したのよ。
稲本:ワイン、造ってんねんな。
播戸:そう、ワイン、造ってる。で、「ベトナムに住んでる」って言うてたよ。
中田:え、そうなの?
播戸:あ、住んでるんかは分からへんけど。俺も英語で話したから。
南:ふんわりだな、だいぶ(笑)。
一同:(笑)
中田:モロッコかどこかじゃなかったんだ。
播戸:住んでるのはモロッコかな。
永井:サミアとはまだ一緒にやっているのかな?(※モハメド・サミアコーチ。ナイジェリア代表、南アフリカ代表でトルシエのもとコーチを務め、トルシエの日本代表監督就任とともに来日し、コーチに就任。2003年には湘南ベルマーレの監督を務めた)
小野:もうやってないんじゃないの?
中田:サッカー、やってないでしょ。
播戸:ベトナムのなんかをやってるって言ったけどさあ。(※18年6月、ベトナムサッカー選手才能開発投資ファンドの常勤顧問に就任)
小野:英語でね。
播戸:そうそう、英語で。
中田:中国とは関わりあったでしょ。
小野:あったよね。(※17年3月、中国サッカー・スーパーリーグの重慶当代力帆足球倶楽部のスポーツディレクターに就任)
播戸:今も?
中田:今も中国と関わりながらやってるんじゃなかったっけ。なんかそんな感じで聞いたような気がする。
稲本:ふんわりやなあ(笑)。
小野:みんな、ふんわり(笑)。
永井:そもそもこの人選が悪い(笑)。ちゃんとしてないもん、誰ひとり。
小野:確かに(笑)。
モノマネでメンバーに入れたのかなって
播戸:いや、いや、いや。でも、俺は今日来るんかなと思ってたで、トルシエが。
小野:(お面を指して)いや、来てる、来てる。
一同:(笑)
播戸:いや、いや、いや。来るんかなと思ってたら、俺がこれ「かぶって出てくれ」みたいな。絶対あかんやつやん、みたいな。
稲本:よう受け入れたな(笑)。
播戸:しかも、あのモノマネとかもさ、やっても分からへんやろ、誰も。でも、喜んでたやろ、ヤツ(トルシエ)は。
稲本:ああ、ヤツは喜んでたよ。
播戸:めっちゃ喜んでたよな。
稲本:盛り上げてたもん、だって。
播戸:あれでちょっと、俺、(ワールドユースの)メンバー入れたのかな、みたいな。
小野:そこで?
一同:(笑)
稲本:どんな枠やねん。
播戸:いや、永井くんが来たからやで。永井くんが来なかったら。俺、アジアユースは出てたんやから、試合にずっと(笑)。な、やろ?(※98年アジアユースでは播戸が高原直泰と2トップを組んでいたが、ワールドユース直前に永井がチームに加わったことで、播戸はサブに回った)
永井:なんか、俺ら、立場悪いな(笑)。
一同:(笑)
中田:トルシエはけっこうバランスを見てたからね。試合に出る11人だけっていうより、そういうのも含めて、マネジメントはうまかったよね、あの人。だから、さっきの伸二のアメとムチじゃないけどさ、ムチの方が多くて、朝とかも、すごいぶつかってくるじゃん。
播戸:せやな。
中田:あれは覚えてるよね。
酒井:うちら、まだ19歳とかだからね。今だったら、ある程度、対応の仕方が分かるけれども、ビビってた、しかないよね。
南:でも、だんだんキレるタイミングがみんな分かってきていたよね。そろそろ今日、来るだろう、みたいな。勝ったあととか、特にさ。
酒井:だから、3バックとかキツかったでしょ。あそこ、「フラット3」で一番言われるところだからさ。(※3人のDFをフラットに並べてディフェンスラインを高く押し上げ、チーム全体の陣形をコンパクトに維持する、トルシエ監督独自の守備戦術)
中田:そうだね。特に俺なんか、もともとボランチをやってて、急に3バックに行ったから、けっこう無茶苦茶だったよ。ディフェンス、みんなおとなしいじゃん。だから、なおさらトルシエ、すごかったよね。テッシー(手島和希)とツジ(辻本茂輝)、金古(聖司)って、みんなおとなしいから。でも、昌邦さんがいい感じで間に入ってくれて。(※山本昌邦コーチ。コーチとしてトルシエを支えながら、監督と選手との間に入って、良き相談役として選手たちをサポートした)
播戸:確かにね。
戦績
グループステージ第1戦
日本 ●1-2 カメルーン
得点者=高原
グループステージ第2戦
日本 ○3-1 アメリカ
得点者=OG、高原、小笠原
グループステージ第3戦
日本 ○2-0 イングランド
得点者=石川、小野
ラウンド16
日本 ○1(5PK4)1 ポルトガル
得点者=遠藤
準々決勝
日本 ○2-0 メキシコ
得点者=本山、小野
準決勝
日本 ○2-1 ウルグアイ
得点者=高原、永井
決勝
日本 ●0-4 スペイン
得点者=なし
メンバーリスト
監督 フィリップ・トルシエ
No. Pos. 名前(所属) 生年月日 出場・得点
1 GK 榎本達也(横浜FM) 79.03.16 0試合・0得点
2 DF 手島和希(京都) 79.06.07 7試合・0得点
3 DF 辻本茂輝(京都) 79.06.23 7試合・0得点
4 DF 石川竜也(筑波大) 79.12.25 5試合・1得点
5 DF 加地亮(C大阪) 80.01.13 3試合・0得点
6 MF 稲本潤一(G大阪) 79.09.18 3試合・0得点
7 MF 酒井友之(市原) 79.06.29 7試合・0得点
8 MF 小笠原満男(鹿島) 79.04.05 7試合・1得点
9 FW 高原直泰(磐田) 79.06.04 7試合・3得点
10 MF 本山雅志(鹿島) 79.06.20 7試合・1得点
11 MF 遠藤保仁(京都) 80.01.28 7試合・1得点
12 MF 中田浩二(鹿島) 79.07.09 7試合・0得点
13 MF 小野伸二(浦和) 79.09.27 6試合・2得点
14 FW 永井雄一郎(カールスルーエ/ドイツ) 79.02.14 7試合・1得点
15 FW 高田保則(平塚) 79.02.22 3試合・0得点
16 FW 播戸竜二(G大阪) 79.08.02 5試合・0得点
17 DF 氏家英行(大宮) 79.02.23 1試合・0得点
18 GK 南雄太(柏) 79.09.30 7試合・0得点
バックアップ GK 曽ヶ端準(鹿島) 79.08.02 -試合・-得点
その才能に惚れ込んだフィリップ・トルシエ監督はA代表、五輪代表だけでなく、ユース代表も率いることを希望し、翌年ワールドユースで指揮を執ることになる。
その後、トルシエ監督に抜てきされる形でA代表へと引き上げられた黄金世代は、まさに「トルシエの息子たち」――。そこで今回集まった、小野伸二、稲本潤一、永井雄一郎、中田浩二、南雄太、酒井友之、播戸竜二の7人に、まずは彼らの恩師であるフランス人指揮官について語ってもらう。
ワールドユース準V戦士7人が集結!
――今日は特別に、ゲストとしてトルシエさんをお招きしています。よろしくお願いします!
一同:(拍手)
(トルシエ監督のお面をかぶった播戸がモノマネをしながら、登場!)
一同:(苦笑)
播戸:完全にスベってるやつやん!
一同:(笑)
稲本:熱いな、熱いな、熱いな(苦笑)。
播戸:完全にスベってるやつやな!
一同:(笑)
稲本:めちゃめちゃウケとるよ。
(播戸がお面を外すそうとすると……)
中田:あれ、お面、取るの?
播戸:あ、取らへん?
稲本:ずっと付けたままやで、それ。
小野:やっちゃったな(笑)。
播戸:ここでええの?
(播戸がようやく着席)
稲本:圧がすごいな。
播戸:でも、こうやって、あれやからな、盛り上げてきたからな。思い出すな。
稲本:チームをね。
播戸:20年前を思い出すわ。
小野:播ちゃんが盛り上げてくれたからね(笑)。
播戸:いや、いや、いや。
――では、まずはフィリップ・トルシエ監督についてうかがいたいと思います。みなさん、トルシエ監督にはどんな印象を抱いていますか? 思い出すエピソードなども教えてください。小野さん、どうですか?
小野:日本人にすごく合っているというか。やっぱり日本人って、監督に怒られながらやってきたイメージが小さい頃からあったから。アメとムチではないけれど、ムチの方が多かったけどね。
永井:アメあったか(笑)。
一同:(笑)
小野:たまにあるアメが気持ち良かったというか。そういう中で僕自身は、いつも緊張感を持ちながらできていたような気がするけど、みんなはどう? どうですか? 永井さん。
永井:どうだろうね。サッカー的にはやろうとしていたことがはっきりしていたし、そういった意味では、日本人には「こうだ」っていう形を示してくれたから、やり方的にも迷わずに、俺はすんなり入れたような気がするけれど、人としては、けっこう大変だったよね(笑)。だって俺、練習で、あったじゃん、バケツに氷水とスポンジが入っていたやつ。「頭冷やせ」とか言ってさ、練習のたびにバッて。
稲本:すげえ覚えてるじゃないですか。あんまり覚えてないと言ってたのに(笑)。
小野:俺ら、それちょっと覚えてないなあ(笑)。
一同:(笑)
永井:「こうやってやるんだ」って言って、俺、髪の毛つかまれてさ、バーッて頭突っ込まれたんだぜ。そりゃあ、覚えてるだろ。
小野:それは覚えてる、絶対覚えてる(笑)。
永井:もう、そのイメージが強すぎて。
酒井:今だから言えますね。
小野:間違いない。
永井:時代が許したね。
永井と南はルール変更で大会直前に招集
小野:よく耐えたね。あとは朝のあれね。クッキータイムね。
播戸:クッキータイムなあ。
南:懐かしい(笑)。
永井:あったっけ、そんなの?
南:練習の前のやつでしょ?
小野:午前練の前の練習ってあったじゃないですか。朝食を食べる前か。
播戸:Jヴィレッジでよくやってたな。(※1997年に開設された日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター。当時、国内での合宿はよくJヴィレッジで行われており、99年3月、ワールドユース直前の国内合宿もJヴィレッジで実施された)
小野:Jヴィレッジでよくやってた。
永井:俺、Jヴィレッジ、行ってないもん。
小野:あ、そうか。
播戸:あ、そうや。
酒井:最後だけですよね。(※当初、ワールドユースには2度出場できないルールだったが、99年大会直前に改正されたため、97年の前回大会に出場していた南と永井が大会直前に招集された)
永井:言い方が悪いな、おまえ(笑)。
一同:(笑)
酒井:途中からだったから(笑)。
播戸:雄太もだよな、雄太もおらへんかったよな。
南:でも、俺は日本での合宿には参加したよ。永井くんは海外にいたから、ヨーロッパ遠征のときだけ、合流したよね。(※永井は当時、ドイツのカールスルーエに所属していた)
播戸:このふたりはね、キヨさん時代、知らんよな。(※清雲栄純監督。97年の立ち上げから98年のアジアユースまでチームを率いた。その後、トルシエ監督が就任してワールドユースを戦った)
南:そう、あとからだから。
永井:いや、でも俺は、キヨさんがチームを立ち上げた最初の合宿、那須でやったときだけはいたんだよ。
播戸:そうなんや。
トルシエ監督は今、どこで何をしている?
酒井:俺が招集されたのは、真ん中くらいだったかな。俺が入ったときには、もうイナと伸二がいた。
稲本:途中からやったやん。
小野:ジェフ(市原/当時)でさ、練習試合をやったときから始まったんだよね。
酒井:そう、そう。
稲本:なんか入ってきた、みたいな感じやった。練習試合して、次の日におる、みたいな感じやったよな。(※94年にU-16日本代表とジェフ市原ジュニアユースが練習試合を行い、ジェフの一員として出場した酒井のプレーが評価され、酒井は合宿中に代表に招集された)
小野:それで友ちゃんが来たからさ、俺らがすごく仲良くしていたヤツがどんどん落ちていくっていう(笑)。
酒井:俺、怖かったもん、チームに入るのが。もうチームができ上がっていたから。
稲本:俺がサイドバックに追いやられたときね。トルシエ、関係あらへん(トルシエのお面を指さしながら)。
一同:(笑)
播戸:(トルシエのお面を持ちながら)俺、最近ね、話したのよ。
稲本:ワイン、造ってんねんな。
播戸:そう、ワイン、造ってる。で、「ベトナムに住んでる」って言うてたよ。
中田:え、そうなの?
播戸:あ、住んでるんかは分からへんけど。俺も英語で話したから。
南:ふんわりだな、だいぶ(笑)。
一同:(笑)
中田:モロッコかどこかじゃなかったんだ。
播戸:住んでるのはモロッコかな。
永井:サミアとはまだ一緒にやっているのかな?(※モハメド・サミアコーチ。ナイジェリア代表、南アフリカ代表でトルシエのもとコーチを務め、トルシエの日本代表監督就任とともに来日し、コーチに就任。2003年には湘南ベルマーレの監督を務めた)
小野:もうやってないんじゃないの?
中田:サッカー、やってないでしょ。
播戸:ベトナムのなんかをやってるって言ったけどさあ。(※18年6月、ベトナムサッカー選手才能開発投資ファンドの常勤顧問に就任)
小野:英語でね。
播戸:そうそう、英語で。
中田:中国とは関わりあったでしょ。
小野:あったよね。(※17年3月、中国サッカー・スーパーリーグの重慶当代力帆足球倶楽部のスポーツディレクターに就任)
播戸:今も?
中田:今も中国と関わりながらやってるんじゃなかったっけ。なんかそんな感じで聞いたような気がする。
稲本:ふんわりやなあ(笑)。
小野:みんな、ふんわり(笑)。
永井:そもそもこの人選が悪い(笑)。ちゃんとしてないもん、誰ひとり。
小野:確かに(笑)。
モノマネでメンバーに入れたのかなって
播戸:いや、いや、いや。でも、俺は今日来るんかなと思ってたで、トルシエが。
小野:(お面を指して)いや、来てる、来てる。
一同:(笑)
播戸:いや、いや、いや。来るんかなと思ってたら、俺がこれ「かぶって出てくれ」みたいな。絶対あかんやつやん、みたいな。
稲本:よう受け入れたな(笑)。
播戸:しかも、あのモノマネとかもさ、やっても分からへんやろ、誰も。でも、喜んでたやろ、ヤツ(トルシエ)は。
稲本:ああ、ヤツは喜んでたよ。
播戸:めっちゃ喜んでたよな。
稲本:盛り上げてたもん、だって。
播戸:あれでちょっと、俺、(ワールドユースの)メンバー入れたのかな、みたいな。
小野:そこで?
一同:(笑)
稲本:どんな枠やねん。
播戸:いや、永井くんが来たからやで。永井くんが来なかったら。俺、アジアユースは出てたんやから、試合にずっと(笑)。な、やろ?(※98年アジアユースでは播戸が高原直泰と2トップを組んでいたが、ワールドユース直前に永井がチームに加わったことで、播戸はサブに回った)
永井:なんか、俺ら、立場悪いな(笑)。
一同:(笑)
中田:トルシエはけっこうバランスを見てたからね。試合に出る11人だけっていうより、そういうのも含めて、マネジメントはうまかったよね、あの人。だから、さっきの伸二のアメとムチじゃないけどさ、ムチの方が多くて、朝とかも、すごいぶつかってくるじゃん。
播戸:せやな。
中田:あれは覚えてるよね。
酒井:うちら、まだ19歳とかだからね。今だったら、ある程度、対応の仕方が分かるけれども、ビビってた、しかないよね。
南:でも、だんだんキレるタイミングがみんな分かってきていたよね。そろそろ今日、来るだろう、みたいな。勝ったあととか、特にさ。
酒井:だから、3バックとかキツかったでしょ。あそこ、「フラット3」で一番言われるところだからさ。(※3人のDFをフラットに並べてディフェンスラインを高く押し上げ、チーム全体の陣形をコンパクトに維持する、トルシエ監督独自の守備戦術)
中田:そうだね。特に俺なんか、もともとボランチをやってて、急に3バックに行ったから、けっこう無茶苦茶だったよ。ディフェンス、みんなおとなしいじゃん。だから、なおさらトルシエ、すごかったよね。テッシー(手島和希)とツジ(辻本茂輝)、金古(聖司)って、みんなおとなしいから。でも、昌邦さんがいい感じで間に入ってくれて。(※山本昌邦コーチ。コーチとしてトルシエを支えながら、監督と選手との間に入って、良き相談役として選手たちをサポートした)
播戸:確かにね。
戦績
グループステージ第1戦
日本 ●1-2 カメルーン
得点者=高原
グループステージ第2戦
日本 ○3-1 アメリカ
得点者=OG、高原、小笠原
グループステージ第3戦
日本 ○2-0 イングランド
得点者=石川、小野
ラウンド16
日本 ○1(5PK4)1 ポルトガル
得点者=遠藤
準々決勝
日本 ○2-0 メキシコ
得点者=本山、小野
準決勝
日本 ○2-1 ウルグアイ
得点者=高原、永井
決勝
日本 ●0-4 スペイン
得点者=なし
メンバーリスト
監督 フィリップ・トルシエ
No. Pos. 名前(所属) 生年月日 出場・得点
1 GK 榎本達也(横浜FM) 79.03.16 0試合・0得点
2 DF 手島和希(京都) 79.06.07 7試合・0得点
3 DF 辻本茂輝(京都) 79.06.23 7試合・0得点
4 DF 石川竜也(筑波大) 79.12.25 5試合・1得点
5 DF 加地亮(C大阪) 80.01.13 3試合・0得点
6 MF 稲本潤一(G大阪) 79.09.18 3試合・0得点
7 MF 酒井友之(市原) 79.06.29 7試合・0得点
8 MF 小笠原満男(鹿島) 79.04.05 7試合・1得点
9 FW 高原直泰(磐田) 79.06.04 7試合・3得点
10 MF 本山雅志(鹿島) 79.06.20 7試合・1得点
11 MF 遠藤保仁(京都) 80.01.28 7試合・1得点
12 MF 中田浩二(鹿島) 79.07.09 7試合・0得点
13 MF 小野伸二(浦和) 79.09.27 6試合・2得点
14 FW 永井雄一郎(カールスルーエ/ドイツ) 79.02.14 7試合・1得点
15 FW 高田保則(平塚) 79.02.22 3試合・0得点
16 FW 播戸竜二(G大阪) 79.08.02 5試合・0得点
17 DF 氏家英行(大宮) 79.02.23 1試合・0得点
18 GK 南雄太(柏) 79.09.30 7試合・0得点
バックアップ GK 曽ヶ端準(鹿島) 79.08.02 -試合・-得点
2019年04月15日
「彼は閃光のように早い」「相手は本気で苛立っていた」伊東純也のパフォーマンスにベルギー紙は絶賛の嵐!!
「完璧なパス」でアシストを記録
現地時間4月14日、プレーオフ1(PO1)の第4節が行なわれ、勝点1ポイント差で現在1位のヘンクは、2位のクラブ・ブルージュと直接対決。3-1で勝利し、首位を維持している。
このプレーオフ1では、レギュラーシーズンの最終的な勝点を半分にした状態で6チームが総当たり戦を行なう。PO1に勝利し、リーグ優勝を決めたチームには、来シーズンのチャンピオンズ・リーグ出場権が与えられる仕組みだ。
ここまでの3試合で2勝1敗と勝ち越しているヘンクの不動のレギュラーに定着した伊東純也は、4ー3-3の右ウイングで先発し、フル出場で勝利に貢献している。
試合開始から絶えず前線に顔を出し、何度もチャンスを創出すると、80分には3点目をアシスト。終盤にC・ブルージュの猛攻に遭った時間帯では、守備でも奮戦した。
現地メディアはこの伊東の活躍を高く評価している。現地紙『De Standaard』は「完璧なパスがイトウからサマッタに通ってゴール! ヘンクはホームでパーティーを開いていたようだ!」とアシストを称賛。ベルギー全国紙の『Het Laatste Nieuws』も、「両チームはお互いに相手を苦しめていたが、とくにスピードスターがいるヘンクの攻撃陣に、C・ブルージュは手を焼いただろう」と評している。
さらに、ベルギー紙『Het Nieuwsblad』は10点中8点の高評価を与え、日本代表アタッカーの活躍を絶賛した。
「この日、ヘンクで目立った活躍をしたのは、主将のレアンドロ・トロサール、中盤のルシアン・マリノフスキ、そして伊東純也だ。後半のハイライトはとくに伊東に集中していた。“閃光のように早い”ウイングは、プレーオフを通じて成長し続けている。この試合でもトリッキーなプレーと豊富な運動量とスピードを武器に走り回っていた。
常にせわしなく素早い伊東に対し、対峙したC・ブルージュのステファノ・デンスビルは前半だけでも本気で苛立っている様子だった。伊東は時折、突っ走りすぎるきらいはあるが、彼のパフォーマンスはチームの勝利を揺るぎないものにしている」
上位対決を制したヘンクはPO1の首位をキープ。次節は4月19日、アウェーでスタンダール・リエージュと対戦する。
現地時間4月14日、プレーオフ1(PO1)の第4節が行なわれ、勝点1ポイント差で現在1位のヘンクは、2位のクラブ・ブルージュと直接対決。3-1で勝利し、首位を維持している。
このプレーオフ1では、レギュラーシーズンの最終的な勝点を半分にした状態で6チームが総当たり戦を行なう。PO1に勝利し、リーグ優勝を決めたチームには、来シーズンのチャンピオンズ・リーグ出場権が与えられる仕組みだ。
ここまでの3試合で2勝1敗と勝ち越しているヘンクの不動のレギュラーに定着した伊東純也は、4ー3-3の右ウイングで先発し、フル出場で勝利に貢献している。
試合開始から絶えず前線に顔を出し、何度もチャンスを創出すると、80分には3点目をアシスト。終盤にC・ブルージュの猛攻に遭った時間帯では、守備でも奮戦した。
現地メディアはこの伊東の活躍を高く評価している。現地紙『De Standaard』は「完璧なパスがイトウからサマッタに通ってゴール! ヘンクはホームでパーティーを開いていたようだ!」とアシストを称賛。ベルギー全国紙の『Het Laatste Nieuws』も、「両チームはお互いに相手を苦しめていたが、とくにスピードスターがいるヘンクの攻撃陣に、C・ブルージュは手を焼いただろう」と評している。
さらに、ベルギー紙『Het Nieuwsblad』は10点中8点の高評価を与え、日本代表アタッカーの活躍を絶賛した。
「この日、ヘンクで目立った活躍をしたのは、主将のレアンドロ・トロサール、中盤のルシアン・マリノフスキ、そして伊東純也だ。後半のハイライトはとくに伊東に集中していた。“閃光のように早い”ウイングは、プレーオフを通じて成長し続けている。この試合でもトリッキーなプレーと豊富な運動量とスピードを武器に走り回っていた。
常にせわしなく素早い伊東に対し、対峙したC・ブルージュのステファノ・デンスビルは前半だけでも本気で苛立っている様子だった。伊東は時折、突っ走りすぎるきらいはあるが、彼のパフォーマンスはチームの勝利を揺るぎないものにしている」
上位対決を制したヘンクはPO1の首位をキープ。次節は4月19日、アウェーでスタンダール・リエージュと対戦する。
2019年04月07日
FC琉球がJリーグ新記録! 2017年9月から続くホーム無敗を26試合に伸ばす 柏レイソルと1―1
サッカー明治安田生命J2第8節は7日、各地で行われ、現在4位のFC琉球はタピック県総ひやごんスタジアムで3位の柏レイソルと対戦し1―1で引き分け、2017年9月から続くホーム無敗を26試合に伸ばし、Jリーグ記録更新の快挙を成し遂げた。
FC琉球は2003年に県内初のJリーグを目指し発足。県リーグ、九州、JFLを経て14年から始まったJ3に参戦。J3で5季目の昨季、圧倒的な攻撃サッカーでリーグ制覇と昇格を決めて、今季からJ2に戦いの場を移していた。
金鍾成前監督が率いた2017年9月30日から無敗を継続した。今季から指揮を執る樋口靖洋新監督の下、この日で26試合無敗(18勝8分け)を達成した。従来のJリーグ記録はJ1浦和やガンバ大阪(いずれも2007年)などのビッグクラブの25試合だった。
FC琉球は2003年に県内初のJリーグを目指し発足。県リーグ、九州、JFLを経て14年から始まったJ3に参戦。J3で5季目の昨季、圧倒的な攻撃サッカーでリーグ制覇と昇格を決めて、今季からJ2に戦いの場を移していた。
金鍾成前監督が率いた2017年9月30日から無敗を継続した。今季から指揮を執る樋口靖洋新監督の下、この日で26試合無敗(18勝8分け)を達成した。従来のJリーグ記録はJ1浦和やガンバ大阪(いずれも2007年)などのビッグクラブの25試合だった。
2019年03月24日
レアルGKクルトワさんやらかした説
ティボー・クルトワのパフォーマンスに関する論争は終わるどころか、悪化している。今回はベルギー代表でのプレーが原因だった。
彼の派手なミスからの失点で一時的にチームはロシア代表に1-1の同点に追いつかれた。幸いにも、指揮官ロベルト・マルティネスが率いるチームは最終的に3-1で勝利を収めた。
クルトワ、レアルでの守護神の座が遠のく痛恨の失態
クルトワはジダンのレアル・マドリー監督復帰戦で控えに回った事やピッチ外の問題によるメディアへの露出などから調子の悪さを疑われ、批判の的となっている。
しかし、クルトワはこの状況に対して自己弁護を行う事を望んだ。
「スペインメディアが僕を殺そうとしても、僕はベストGKの1人だと考え続けている。僕は非常に強いと思う。しっかりトレーニングをし、うまくプレーしているから落ち着いているよ」
試合後、クルトワはSNSでも以下のメッセージを投稿し、自身の状況を前向きに捉えている事を示した。
「常にミスから学ぶものだ」
次戦にキプロス代表と対戦するベルギー代表でクルトワは絶対的守護神として君臨しているが、マドリーでは毎週末のレギュラーの座は保証されていない。
https://youtu.be/zeDnPZSiKrc
彼の派手なミスからの失点で一時的にチームはロシア代表に1-1の同点に追いつかれた。幸いにも、指揮官ロベルト・マルティネスが率いるチームは最終的に3-1で勝利を収めた。
クルトワ、レアルでの守護神の座が遠のく痛恨の失態
クルトワはジダンのレアル・マドリー監督復帰戦で控えに回った事やピッチ外の問題によるメディアへの露出などから調子の悪さを疑われ、批判の的となっている。
しかし、クルトワはこの状況に対して自己弁護を行う事を望んだ。
「スペインメディアが僕を殺そうとしても、僕はベストGKの1人だと考え続けている。僕は非常に強いと思う。しっかりトレーニングをし、うまくプレーしているから落ち着いているよ」
試合後、クルトワはSNSでも以下のメッセージを投稿し、自身の状況を前向きに捉えている事を示した。
「常にミスから学ぶものだ」
次戦にキプロス代表と対戦するベルギー代表でクルトワは絶対的守護神として君臨しているが、マドリーでは毎週末のレギュラーの座は保証されていない。
https://youtu.be/zeDnPZSiKrc
2019年03月14日
武蔵、気合「ここからがスタート」札幌から20年ぶり2人目の日本代表選出
日本サッカー協会は14日、今月の国際親善試合2戦(22日コロンビア戦=日産スタジアム、26日ボリビア戦=ノエビアスタジアム神戸)に臨む日本代表メンバー23人を発表した。
昨年6月開幕のワールドカップ(W杯)ロシア大会メンバーだったGK中村航輔(24=J2柏)、DF昌子源(26=トゥールーズ)、MF香川真司(29=ベシクタシュ)、MF宇佐美貴史(26=デュッセルドルフ)がW杯以来となる代表復帰を果たし、森保ジャパン発足直後に招集されながら負傷により辞退したMF山口蛍(28=神戸)も含め5選手が初の森保ジャパン。また、準優勝に終わった1月のアジア杯メンバーから13人と大幅に入れ替わってDF安西幸輝(23=鹿島)、DF畠中槙之輔(23=横浜)、FW鈴木武蔵(25=札幌)、FW鎌田大地(22=シントトロイデン)の4選手が日本代表に初選出されるなどフレッシュなメンバーとなった。
札幌からの日本代表選出は1999年の南米選手権に出場したFW吉原宏太以来20年ぶり2人目。鈴木はクラブを通じて「この度日本代表に選ばれた事を光栄に思います。そしていつもサポートしてくれる僕の周りの方々に深く感謝します」とコメント。「まだまだここからがスタートなので精一杯自分らしく頑張ります」と意気込んだ。
ジャマイカ人の父を持ち、2016年リオデジャネイロ五輪に出場した鈴木は今季から札幌に移籍。3節を終えたJ1リーグ戦では2戦3発と活躍し、チームの2連勝に貢献している。
昨年6月開幕のワールドカップ(W杯)ロシア大会メンバーだったGK中村航輔(24=J2柏)、DF昌子源(26=トゥールーズ)、MF香川真司(29=ベシクタシュ)、MF宇佐美貴史(26=デュッセルドルフ)がW杯以来となる代表復帰を果たし、森保ジャパン発足直後に招集されながら負傷により辞退したMF山口蛍(28=神戸)も含め5選手が初の森保ジャパン。また、準優勝に終わった1月のアジア杯メンバーから13人と大幅に入れ替わってDF安西幸輝(23=鹿島)、DF畠中槙之輔(23=横浜)、FW鈴木武蔵(25=札幌)、FW鎌田大地(22=シントトロイデン)の4選手が日本代表に初選出されるなどフレッシュなメンバーとなった。
札幌からの日本代表選出は1999年の南米選手権に出場したFW吉原宏太以来20年ぶり2人目。鈴木はクラブを通じて「この度日本代表に選ばれた事を光栄に思います。そしていつもサポートしてくれる僕の周りの方々に深く感謝します」とコメント。「まだまだここからがスタートなので精一杯自分らしく頑張ります」と意気込んだ。
ジャマイカ人の父を持ち、2016年リオデジャネイロ五輪に出場した鈴木は今季から札幌に移籍。3節を終えたJ1リーグ戦では2戦3発と活躍し、チームの2連勝に貢献している。