アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2019年04月17日

トルシエ監督は日本人に合っていた でも人としては… 黄金世代「同窓会」

1998年10月、U-19日本代表はアジアユース準優勝に輝き、翌年のワールドユース出場権を勝ち取った。このチームの主軸を担っていたのが、79年生まれのタレントだった。



その才能に惚れ込んだフィリップ・トルシエ監督はA代表、五輪代表だけでなく、ユース代表も率いることを希望し、翌年ワールドユースで指揮を執ることになる。



その後、トルシエ監督に抜てきされる形でA代表へと引き上げられた黄金世代は、まさに「トルシエの息子たち」――。そこで今回集まった、小野伸二、稲本潤一、永井雄一郎、中田浩二、南雄太、酒井友之、播戸竜二の7人に、まずは彼らの恩師であるフランス人指揮官について語ってもらう。







ワールドユース準V戦士7人が集結!



――今日は特別に、ゲストとしてトルシエさんをお招きしています。よろしくお願いします!



一同:(拍手)


(トルシエ監督のお面をかぶった播戸がモノマネをしながら、登場!)


一同:(苦笑)


播戸:完全にスベってるやつやん!


一同:(笑)


稲本:熱いな、熱いな、熱いな(苦笑)。


播戸:完全にスベってるやつやな!


一同:(笑)


稲本:めちゃめちゃウケとるよ。


(播戸がお面を外すそうとすると……)


中田:あれ、お面、取るの?


播戸:あ、取らへん?


稲本:ずっと付けたままやで、それ。


小野:やっちゃったな(笑)。


播戸:ここでええの?


(播戸がようやく着席)


稲本:圧がすごいな。


播戸:でも、こうやって、あれやからな、盛り上げてきたからな。思い出すな。


稲本:チームをね。


播戸:20年前を思い出すわ。


小野:播ちゃんが盛り上げてくれたからね(笑)。


播戸:いや、いや、いや。




――では、まずはフィリップ・トルシエ監督についてうかがいたいと思います。みなさん、トルシエ監督にはどんな印象を抱いていますか? 思い出すエピソードなども教えてください。小野さん、どうですか?


小野:日本人にすごく合っているというか。やっぱり日本人って、監督に怒られながらやってきたイメージが小さい頃からあったから。アメとムチではないけれど、ムチの方が多かったけどね。


永井:アメあったか(笑)。


一同:(笑)


小野:たまにあるアメが気持ち良かったというか。そういう中で僕自身は、いつも緊張感を持ちながらできていたような気がするけど、みんなはどう? どうですか? 永井さん。


永井:どうだろうね。サッカー的にはやろうとしていたことがはっきりしていたし、そういった意味では、日本人には「こうだ」っていう形を示してくれたから、やり方的にも迷わずに、俺はすんなり入れたような気がするけれど、人としては、けっこう大変だったよね(笑)。だって俺、練習で、あったじゃん、バケツに氷水とスポンジが入っていたやつ。「頭冷やせ」とか言ってさ、練習のたびにバッて。


稲本:すげえ覚えてるじゃないですか。あんまり覚えてないと言ってたのに(笑)。


小野:俺ら、それちょっと覚えてないなあ(笑)。


一同:(笑)


永井:「こうやってやるんだ」って言って、俺、髪の毛つかまれてさ、バーッて頭突っ込まれたんだぜ。そりゃあ、覚えてるだろ。


小野:それは覚えてる、絶対覚えてる(笑)。


永井:もう、そのイメージが強すぎて。


酒井:今だから言えますね。


小野:間違いない。


永井:時代が許したね。

永井と南はルール変更で大会直前に招集


小野:よく耐えたね。あとは朝のあれね。クッキータイムね。


播戸:クッキータイムなあ。


南:懐かしい(笑)。


永井:あったっけ、そんなの?


南:練習の前のやつでしょ?


小野:午前練の前の練習ってあったじゃないですか。朝食を食べる前か。


播戸:Jヴィレッジでよくやってたな。(※1997年に開設された日本初のサッカーナショナルトレーニングセンター。当時、国内での合宿はよくJヴィレッジで行われており、99年3月、ワールドユース直前の国内合宿もJヴィレッジで実施された)


小野:Jヴィレッジでよくやってた。


永井:俺、Jヴィレッジ、行ってないもん。


小野:あ、そうか。


播戸:あ、そうや。


酒井:最後だけですよね。(※当初、ワールドユースには2度出場できないルールだったが、99年大会直前に改正されたため、97年の前回大会に出場していた南と永井が大会直前に招集された)


永井:言い方が悪いな、おまえ(笑)。


一同:(笑)


酒井:途中からだったから(笑)。


播戸:雄太もだよな、雄太もおらへんかったよな。


南:でも、俺は日本での合宿には参加したよ。永井くんは海外にいたから、ヨーロッパ遠征のときだけ、合流したよね。(※永井は当時、ドイツのカールスルーエに所属していた)


播戸:このふたりはね、キヨさん時代、知らんよな。(※清雲栄純監督。97年の立ち上げから98年のアジアユースまでチームを率いた。その後、トルシエ監督が就任してワールドユースを戦った)


南:そう、あとからだから。


永井:いや、でも俺は、キヨさんがチームを立ち上げた最初の合宿、那須でやったときだけはいたんだよ。


播戸:そうなんや。


トルシエ監督は今、どこで何をしている?



酒井:俺が招集されたのは、真ん中くらいだったかな。俺が入ったときには、もうイナと伸二がいた。


稲本:途中からやったやん。


小野:ジェフ(市原/当時)でさ、練習試合をやったときから始まったんだよね。


酒井:そう、そう。


稲本:なんか入ってきた、みたいな感じやった。練習試合して、次の日におる、みたいな感じやったよな。(※94年にU-16日本代表とジェフ市原ジュニアユースが練習試合を行い、ジェフの一員として出場した酒井のプレーが評価され、酒井は合宿中に代表に招集された)


小野:それで友ちゃんが来たからさ、俺らがすごく仲良くしていたヤツがどんどん落ちていくっていう(笑)。


酒井:俺、怖かったもん、チームに入るのが。もうチームができ上がっていたから。


稲本:俺がサイドバックに追いやられたときね。トルシエ、関係あらへん(トルシエのお面を指さしながら)。


一同:(笑)


images (1).jpg



播戸:(トルシエのお面を持ちながら)俺、最近ね、話したのよ。


稲本:ワイン、造ってんねんな。


播戸:そう、ワイン、造ってる。で、「ベトナムに住んでる」って言うてたよ。


中田:え、そうなの?


播戸:あ、住んでるんかは分からへんけど。俺も英語で話したから。


南:ふんわりだな、だいぶ(笑)。


一同:(笑)


中田:モロッコかどこかじゃなかったんだ。


播戸:住んでるのはモロッコかな。


永井:サミアとはまだ一緒にやっているのかな?(※モハメド・サミアコーチ。ナイジェリア代表、南アフリカ代表でトルシエのもとコーチを務め、トルシエの日本代表監督就任とともに来日し、コーチに就任。2003年には湘南ベルマーレの監督を務めた)


小野:もうやってないんじゃないの?


中田:サッカー、やってないでしょ。


播戸:ベトナムのなんかをやってるって言ったけどさあ。(※18年6月、ベトナムサッカー選手才能開発投資ファンドの常勤顧問に就任)


小野:英語でね。


播戸:そうそう、英語で。


中田:中国とは関わりあったでしょ。


小野:あったよね。(※17年3月、中国サッカー・スーパーリーグの重慶当代力帆足球倶楽部のスポーツディレクターに就任)


播戸:今も?


中田:今も中国と関わりながらやってるんじゃなかったっけ。なんかそんな感じで聞いたような気がする。


稲本:ふんわりやなあ(笑)。


小野:みんな、ふんわり(笑)。


永井:そもそもこの人選が悪い(笑)。ちゃんとしてないもん、誰ひとり。


小野:確かに(笑)。

モノマネでメンバーに入れたのかなって



播戸:いや、いや、いや。でも、俺は今日来るんかなと思ってたで、トルシエが。


小野:(お面を指して)いや、来てる、来てる。


一同:(笑)


播戸:いや、いや、いや。来るんかなと思ってたら、俺がこれ「かぶって出てくれ」みたいな。絶対あかんやつやん、みたいな。


稲本:よう受け入れたな(笑)。


播戸:しかも、あのモノマネとかもさ、やっても分からへんやろ、誰も。でも、喜んでたやろ、ヤツ(トルシエ)は。


稲本:ああ、ヤツは喜んでたよ。


播戸:めっちゃ喜んでたよな。


稲本:盛り上げてたもん、だって。


播戸:あれでちょっと、俺、(ワールドユースの)メンバー入れたのかな、みたいな。


小野:そこで?


一同:(笑)


稲本:どんな枠やねん。


播戸:いや、永井くんが来たからやで。永井くんが来なかったら。俺、アジアユースは出てたんやから、試合にずっと(笑)。な、やろ?(※98年アジアユースでは播戸が高原直泰と2トップを組んでいたが、ワールドユース直前に永井がチームに加わったことで、播戸はサブに回った)


永井:なんか、俺ら、立場悪いな(笑)。


一同:(笑)


中田:トルシエはけっこうバランスを見てたからね。試合に出る11人だけっていうより、そういうのも含めて、マネジメントはうまかったよね、あの人。だから、さっきの伸二のアメとムチじゃないけどさ、ムチの方が多くて、朝とかも、すごいぶつかってくるじゃん。


播戸:せやな。


中田:あれは覚えてるよね。


酒井:うちら、まだ19歳とかだからね。今だったら、ある程度、対応の仕方が分かるけれども、ビビってた、しかないよね。


南:でも、だんだんキレるタイミングがみんな分かってきていたよね。そろそろ今日、来るだろう、みたいな。勝ったあととか、特にさ。


酒井:だから、3バックとかキツかったでしょ。あそこ、「フラット3」で一番言われるところだからさ。(※3人のDFをフラットに並べてディフェンスラインを高く押し上げ、チーム全体の陣形をコンパクトに維持する、トルシエ監督独自の守備戦術)


中田:そうだね。特に俺なんか、もともとボランチをやってて、急に3バックに行ったから、けっこう無茶苦茶だったよ。ディフェンス、みんなおとなしいじゃん。だから、なおさらトルシエ、すごかったよね。テッシー(手島和希)とツジ(辻本茂輝)、金古(聖司)って、みんなおとなしいから。でも、昌邦さんがいい感じで間に入ってくれて。(※山本昌邦コーチ。コーチとしてトルシエを支えながら、監督と選手との間に入って、良き相談役として選手たちをサポートした)


播戸:確かにね。




戦績

グループステージ第1戦

日本 ●1-2 カメルーン

得点者=高原


グループステージ第2戦

日本 ○3-1 アメリカ

得点者=OG、高原、小笠原


グループステージ第3戦

日本 ○2-0 イングランド

得点者=石川、小野


ラウンド16

日本 ○1(5PK4)1 ポルトガル

得点者=遠藤


準々決勝

日本 ○2-0 メキシコ

得点者=本山、小野


準決勝

日本 ○2-1 ウルグアイ

得点者=高原、永井


決勝

日本 ●0-4 スペイン

得点者=なし


メンバーリスト

監督 フィリップ・トルシエ

No. Pos. 名前(所属) 生年月日 出場・得点

1 GK 榎本達也(横浜FM) 79.03.16 0試合・0得点

2 DF 手島和希(京都) 79.06.07 7試合・0得点

3 DF 辻本茂輝(京都) 79.06.23 7試合・0得点

4 DF 石川竜也(筑波大) 79.12.25 5試合・1得点

5 DF 加地亮(C大阪) 80.01.13 3試合・0得点

6 MF 稲本潤一(G大阪) 79.09.18 3試合・0得点

7 MF 酒井友之(市原) 79.06.29 7試合・0得点

8 MF 小笠原満男(鹿島) 79.04.05 7試合・1得点

9 FW 高原直泰(磐田) 79.06.04 7試合・3得点

10 MF 本山雅志(鹿島) 79.06.20 7試合・1得点

11 MF 遠藤保仁(京都) 80.01.28 7試合・1得点

12 MF 中田浩二(鹿島) 79.07.09 7試合・0得点

13 MF 小野伸二(浦和) 79.09.27 6試合・2得点

14 FW 永井雄一郎(カールスルーエ/ドイツ) 79.02.14 7試合・1得点

15 FW 高田保則(平塚) 79.02.22 3試合・0得点

16 FW 播戸竜二(G大阪) 79.08.02 5試合・0得点

17 DF 氏家英行(大宮) 79.02.23 1試合・0得点

18 GK 南雄太(柏) 79.09.30 7試合・0得点

バックアップ GK 曽ヶ端準(鹿島) 79.08.02 -試合・-得点
この記事へのコメント
コメントを書く

お名前: 必須項目

メールアドレス: 必須項目


ホームページアドレス: 必須項目

コメント: 必須項目

認証コード: 必須項目

※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/8726081
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
【SIESTA読谷】
シエスタ読谷さんの画像
シエスタ読谷
ハイサイ!(*゚▽゚*) 南国の地、沖縄県の社会人サッカー1部リーグに所属しております、シエスタ読谷と申します! 当ブログでは様々なサッカー関連情報や動画等を紹介したりしていきたいと思います♪
プロフィール
【お勧めリンク先一覧】
最新記事
RSS取得
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。