2023年07月07日
道路族問題 Part.1
道路族問題は根深いので複数回に分けてお話をさせていただきます。
part.1はどちらかというと「道路族とは」的なものですので、そんなのいやと言うほど理解しているよという方は飛ばしてpart2移行へお進みくださいませ。
道路族問題を読み解くためにはまず「道路族」という生物の「性質」を理解することが何より重要です。
道路族も我々と同じ人間です。
一般良識ある方からすれば
「何故このようなことをするのか?」
「迷惑だと何故わからないのか?」
「自分がされたら嫌ではないのか?」
など、当たり前に思われること、思えることが何故分からないのか?この苛立ち、本当に心中お察しするばかりですが、その辺を以下に少し長くなりますが記載させていただこうと思います。
※道路族問題の根底にあるもの
◇(道路族の)親がそういう育ちをしており、それが他人に迷惑であるとか問題であるという意識が根本的になく、そのまま子に、さらにその子に・・・と受け継がれていっている。
私はそれを感性の欠落(意識欠如ともいえる)とよんでおりますが、本当にないのです。そういう感性が。
さすがにそれはちょっと考えにくい・・・と思われる方はむしろ正常です。
むろん「一般大多数の方」はそうなのです。
ですが、本当にそういった感性が「無い」生物がこの世には一定数存在するのです。
では次に、道路族とは具体的にどういう生物なのか?を見ていきましょう。
道路族に限りませんが、いわゆる「輩」は、周りの迷惑より自分の楽しみや欲を優先させます。
どうあれそれを無理やりにでも通してくる生物ですので、根本的に「話し合い」などに応じる気はなく、それでどうにかなる相手ではありません。
よって、話し合いで解決という手段は根本的に望みがうすい(ゼロではありませんが・・・)と覚悟する必要があります。
「いやならお前が引っ越せ」これがそういう育ちをした輩の発想です。
自分が迷惑かけている側なのだから謝ろうとか、次からは面倒でも公園に行こうなんて一ミリも考えません。
逆上(逆ギレ)して「より相手が苦しむように嫌がらせをしてやろう」になります。
育ちの悪い親に育てられた子が今親となり、その分身(子供)をつくり、同じことをしている、それが現代の社会問題になっている道路族の実態であり、長きにわたる「血」から来るものですので、その解決は容易ではありません。
次に、もう少し掘り下げて道路族(輩)の特性を見ていきましょう。
彼ら(道路族)は「群れ」を好み、数の暴力を好みます。
つまり、自身が多数派側になることで、その意見がさも正当であるかのように主張し「そんなのみんなやってる」「そんなのお互い様」などの言葉を好み、さも「皆がそうであるかのように」装い、ふるまいます。
道路族のような輩にとって「子供」は「我」を通すために非常に便利なツールです。
「子供」といえば何をしても許される、強気に出れると勘違いしている傾向も強く「子供」というフレーズを免罪符のように使い、あたかも自分が子供想いのよき親であるかのように装い、相手を否定、非難してきます(子供に理解がない、子供のすることくらいで大人気ない、自分にも子供の頃があっただろう、子供がかわいそう等)
実際には、道路族のような輩の言う「子供」というものは、自身の「我」を通すため、要するに自分がそうしたいから(例えば公園に連れて行くのが面倒くさいから、家の前にいた方が楽だからなど完全に自己都合で)
「子供」をダシにつかっているにすぎません。
子供は教育環境や親の躾次第ですので、当然そういった輩子は物事の良し悪しを学んでおりませんので「そういうものなんだ」「親がイイって言ってるから」で、何も分からないまま道路族に育つだけです。
子供が「キーーッ!キャーーッ!」などかなきり声(奇声)をあげるケースはまた別でもお話させていただきますが「躾」の場合もあれば先天的な「障がい」の場合もあり、デリケートな部分ではあるのでここでは割愛させていただきます。
昔はADHDなどあまりなじみがなく、体さえ健康であれば健常者となり、精神的なものはまだ広く周知、認知されていなかった言葉ですので、そもそも「親」がそうである可能性も高く、それが遺伝している可能性もあります。
最後に「道路族」のような輩の心理的な面にフォーカスをあててお話させていただきますと、この手の生物は自身の否定に対して非常に敏感です。
正しい正しくないではなく、自身が否定されることに強烈な怒りや憎しみ不満を抱きます。
何故か?
輩という生物は総じて心に余裕がなく、一般の方より非常に強いコンプレックスを抱いて生きています。
育ちが悪く、素行不良はもとより、そもそもがなんの努力もせず惰性で生きており、学もなければ手に職もなく、ただ好きなように遊び歩いて生きて来ただけの人生です。
(ここがポイントですが)それでも子供の頃は子供だからということで通りました(大目に見てもらえました)
しかし、社会人になれば当然仕事を覚えることも必要ですし、資格をとったり努力をする必要がでてきます。
でもそれは面倒くさい。やりたくない。
結果誰にも相手にされなくなり、段々と行き場がなくなり、何も自身に誇るものがなく、潜在的に強烈な劣等意識が芽生え、かといってどうしようもないその気持ちの矛先が、いわゆる「敵」に向くのです。
ここでいう彼ら(道路族のような輩)の「敵」というのは自身の否定者であって論理的にどうとか道徳的にどうという次元ではありません。
一般大多数のまともな方々からすれば、そんなの冗談じゃない!そんなの自業自得だろう!迷惑極まりない!と思われるのは当然です。
しかし、そういった大多数の良識ある方々からすれば「なぜ?」と当たり前に思われることが「思えない」生物なのです。
これは別例ですが・・・
子供の頃、勉強は苦手で運動神経がよくて女の子にモテた男の子が大人になってから「うわぁ・・・」というケースをみたことがないでしょうか?
当時はそれでモテたし、すごいねカッコいいねって言われたのに、大人になったら「いつまで遊んでるんだ?」「現実を見ろ!」「勉強しろ!」になります。
プロのスポーツ選手になれるのはほんの一握りです。
そこまでの能力はなかった、いわゆる「学校では運動神経よかった子」みたいな子が大人になってそうなる(グレる)ケースは「それしかしらないしできないしやりたくないから」つまり、精神的部分の成長が未熟で子供のまま成長がとまってしまっている、現実逃避している(今の自分の扱われ方を受け入れられない)からといえます。
それはもはやわざとというよりは、彼らからするとすでに人生「詰んでいて」どうしようもないのです。
少し話はズレましたが・・・
輩は不幸な生物です。幸せな一般大多数の皆さんを羨ましいと思う反面、自分には永遠に届かない世界であることも理解しているだけに憎い敵でもあります。
自分と同じ不幸の谷に引きずり込もうと悪意むき出しで襲ってくるので、関わることは百害あって一利なしということです。
いやいや自分で努力して解決しろよ手に入れろよという話ですが、、、それは面倒なので彼らはしません(心は子供のまま体だけ大きくなった生命体なので、永遠に遊んでいたいのです)
だからといって何故道路族の被害者が泣き寝入りをしなければならないのか?
もちろん私も納得は出来ませんし、そういう世の中は変えるべき(言ったもん勝ち・やったもん勝ちをゆるさない)と思う一人ですので、このブログを始めております。
私自身の経験からの具体的な道路族とのバトル?警察に介入していただいた時の話などの続きはPart2以降でお話させていただきます。
長くなりましたが、まずは「敵を知る」という所からお話させていただきました。
part.1はどちらかというと「道路族とは」的なものですので、そんなのいやと言うほど理解しているよという方は飛ばしてpart2移行へお進みくださいませ。
道路族問題を読み解くためにはまず「道路族」という生物の「性質」を理解することが何より重要です。
道路族も我々と同じ人間です。
一般良識ある方からすれば
「何故このようなことをするのか?」
「迷惑だと何故わからないのか?」
「自分がされたら嫌ではないのか?」
など、当たり前に思われること、思えることが何故分からないのか?この苛立ち、本当に心中お察しするばかりですが、その辺を以下に少し長くなりますが記載させていただこうと思います。
※道路族問題の根底にあるもの
◇(道路族の)親がそういう育ちをしており、それが他人に迷惑であるとか問題であるという意識が根本的になく、そのまま子に、さらにその子に・・・と受け継がれていっている。
私はそれを感性の欠落(意識欠如ともいえる)とよんでおりますが、本当にないのです。そういう感性が。
さすがにそれはちょっと考えにくい・・・と思われる方はむしろ正常です。
むろん「一般大多数の方」はそうなのです。
ですが、本当にそういった感性が「無い」生物がこの世には一定数存在するのです。
では次に、道路族とは具体的にどういう生物なのか?を見ていきましょう。
道路族に限りませんが、いわゆる「輩」は、周りの迷惑より自分の楽しみや欲を優先させます。
どうあれそれを無理やりにでも通してくる生物ですので、根本的に「話し合い」などに応じる気はなく、それでどうにかなる相手ではありません。
よって、話し合いで解決という手段は根本的に望みがうすい(ゼロではありませんが・・・)と覚悟する必要があります。
「いやならお前が引っ越せ」これがそういう育ちをした輩の発想です。
自分が迷惑かけている側なのだから謝ろうとか、次からは面倒でも公園に行こうなんて一ミリも考えません。
逆上(逆ギレ)して「より相手が苦しむように嫌がらせをしてやろう」になります。
育ちの悪い親に育てられた子が今親となり、その分身(子供)をつくり、同じことをしている、それが現代の社会問題になっている道路族の実態であり、長きにわたる「血」から来るものですので、その解決は容易ではありません。
次に、もう少し掘り下げて道路族(輩)の特性を見ていきましょう。
彼ら(道路族)は「群れ」を好み、数の暴力を好みます。
つまり、自身が多数派側になることで、その意見がさも正当であるかのように主張し「そんなのみんなやってる」「そんなのお互い様」などの言葉を好み、さも「皆がそうであるかのように」装い、ふるまいます。
道路族のような輩にとって「子供」は「我」を通すために非常に便利なツールです。
「子供」といえば何をしても許される、強気に出れると勘違いしている傾向も強く「子供」というフレーズを免罪符のように使い、あたかも自分が子供想いのよき親であるかのように装い、相手を否定、非難してきます(子供に理解がない、子供のすることくらいで大人気ない、自分にも子供の頃があっただろう、子供がかわいそう等)
実際には、道路族のような輩の言う「子供」というものは、自身の「我」を通すため、要するに自分がそうしたいから(例えば公園に連れて行くのが面倒くさいから、家の前にいた方が楽だからなど完全に自己都合で)
「子供」をダシにつかっているにすぎません。
子供は教育環境や親の躾次第ですので、当然そういった輩子は物事の良し悪しを学んでおりませんので「そういうものなんだ」「親がイイって言ってるから」で、何も分からないまま道路族に育つだけです。
子供が「キーーッ!キャーーッ!」などかなきり声(奇声)をあげるケースはまた別でもお話させていただきますが「躾」の場合もあれば先天的な「障がい」の場合もあり、デリケートな部分ではあるのでここでは割愛させていただきます。
昔はADHDなどあまりなじみがなく、体さえ健康であれば健常者となり、精神的なものはまだ広く周知、認知されていなかった言葉ですので、そもそも「親」がそうである可能性も高く、それが遺伝している可能性もあります。
最後に「道路族」のような輩の心理的な面にフォーカスをあててお話させていただきますと、この手の生物は自身の否定に対して非常に敏感です。
正しい正しくないではなく、自身が否定されることに強烈な怒りや憎しみ不満を抱きます。
何故か?
輩という生物は総じて心に余裕がなく、一般の方より非常に強いコンプレックスを抱いて生きています。
育ちが悪く、素行不良はもとより、そもそもがなんの努力もせず惰性で生きており、学もなければ手に職もなく、ただ好きなように遊び歩いて生きて来ただけの人生です。
(ここがポイントですが)それでも子供の頃は子供だからということで通りました(大目に見てもらえました)
しかし、社会人になれば当然仕事を覚えることも必要ですし、資格をとったり努力をする必要がでてきます。
でもそれは面倒くさい。やりたくない。
結果誰にも相手にされなくなり、段々と行き場がなくなり、何も自身に誇るものがなく、潜在的に強烈な劣等意識が芽生え、かといってどうしようもないその気持ちの矛先が、いわゆる「敵」に向くのです。
ここでいう彼ら(道路族のような輩)の「敵」というのは自身の否定者であって論理的にどうとか道徳的にどうという次元ではありません。
一般大多数のまともな方々からすれば、そんなの冗談じゃない!そんなの自業自得だろう!迷惑極まりない!と思われるのは当然です。
しかし、そういった大多数の良識ある方々からすれば「なぜ?」と当たり前に思われることが「思えない」生物なのです。
これは別例ですが・・・
子供の頃、勉強は苦手で運動神経がよくて女の子にモテた男の子が大人になってから「うわぁ・・・」というケースをみたことがないでしょうか?
当時はそれでモテたし、すごいねカッコいいねって言われたのに、大人になったら「いつまで遊んでるんだ?」「現実を見ろ!」「勉強しろ!」になります。
プロのスポーツ選手になれるのはほんの一握りです。
そこまでの能力はなかった、いわゆる「学校では運動神経よかった子」みたいな子が大人になってそうなる(グレる)ケースは「それしかしらないしできないしやりたくないから」つまり、精神的部分の成長が未熟で子供のまま成長がとまってしまっている、現実逃避している(今の自分の扱われ方を受け入れられない)からといえます。
それはもはやわざとというよりは、彼らからするとすでに人生「詰んでいて」どうしようもないのです。
少し話はズレましたが・・・
輩は不幸な生物です。幸せな一般大多数の皆さんを羨ましいと思う反面、自分には永遠に届かない世界であることも理解しているだけに憎い敵でもあります。
自分と同じ不幸の谷に引きずり込もうと悪意むき出しで襲ってくるので、関わることは百害あって一利なしということです。
いやいや自分で努力して解決しろよ手に入れろよという話ですが、、、それは面倒なので彼らはしません(心は子供のまま体だけ大きくなった生命体なので、永遠に遊んでいたいのです)
だからといって何故道路族の被害者が泣き寝入りをしなければならないのか?
もちろん私も納得は出来ませんし、そういう世の中は変えるべき(言ったもん勝ち・やったもん勝ちをゆるさない)と思う一人ですので、このブログを始めております。
私自身の経験からの具体的な道路族とのバトル?警察に介入していただいた時の話などの続きはPart2以降でお話させていただきます。
長くなりましたが、まずは「敵を知る」という所からお話させていただきました。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/12071419
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック