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2018年02月10日
『ナットの代わり』
Q
車のタイヤを交換していた男がナットを誤って全て下水道に落としてしまった。
「どうしよう」と男は途方にくれてしまったが、通りすがりの男の子が実にいい提案をしてくれて出発できた。
男の子の提案とはどんなものだった?
ヒント
Q.タイヤを取り付ける方法?
A.はい
Q.落としたナットを拾った?
A.いいえ
Q.特殊な装備が必要?
A.いいえ
Q.簡単に実行できること?
A.はい
A.
男の子はこう提案した。
「ほかの三つのタイヤから一つずつナットを取り外して、それでタイヤを固定したら?」
コメント
これは上手い!と思いました。
スローンは難易度を星一つにしてて解けた人もいるかもしれませんね。
私の予想ははずれました。
ジョークやパズルでは時々子供がいい味出します。
これは子供特有の「率直で囚われない視点」があるからじゃなかと推測しています。
大人になると常識と行儀作法を身につけた反面世間ずれしてしまいます。
常識という名の色んな先入観や、アインシュタインの言う「偏見のコレクション」を身につけてしまってる。
その点子供はまだまだ自由です。
「王様は裸だ!」と子供しか叫ばなかったように、世間体や体裁に構わず時に大人がやれない役割も果たしてくれます。
確か松田道弘さんの『超能力のトリック』(講談社現代新書)に載っていた話だったと思いますが、
偽の超能力者と称する人物は手品師と同じく様々な「引き込む」テクニックを身につけているそうです。
例えばチェスのプロ棋士のようにさも悩んだり立ち上がったり、力を発揮するのに苦労してる感じで歩き回ったりして、いかにも信憑性のあるような雰囲気を作ると。
大人の方が逆にそういった振る舞いにミスリードされて惑わされやすいそうです。
しかし子供はそうじゃありません。
素直でパフォーマンスなどどうでもよく、率直に「早くやってよ」などと催促したりして自称超能力者はやりにくくて困ってしまうとか。
子供の視点。これは発想においても忘れてはいけないと思いますね。
確かスローンも言及していたと思います。
発明家で「五歳の子供にかえったつもりで考える」と言った人もいました。
これに関係して思い出したのが、イギリス文学での「道化師(フール)」の話です。
シェイクスピアの『リア王』にも出てきてましたね。
フールは宮廷で高位の貴族や時には王様に対しても、無礼でおどけた態度を許されていました。
それはずけずけ言わせて笑いを取る反面、「反対意見」に身をさらさせてバランスを取らせる役割も果たしていたそうです。
なるほど、確かに大企業の社長とか政治家みたいにえらくなると周りにイエスマンが増えます。
「民主主義の発展」がどうとか、大げさな話を持ち出すつもりはありませんが、
個人の発想でも独善に陥らないために「フール」が必要かもしれませんね。
おまけ
阿刀田高さんが監修しているショートショート(原稿用紙五〜八枚程度の短い小説。
ジョークネタや落ちや小話のようなものも多い)があります。
これは星新一さんの『ショートショートの広場』の後を継いだものですが、
『小説現代』に読者投稿を受け付ける形で成立してます。
その中の一編で笑ってしまって記憶に残っているのがあります。子供つながりとういうことで。
病院のベットにいる老人が臨終の間際になって嘆いています。
「自分はいままで頑張ってきたのに、二番ばかりだった。どんな分野でも一回も一番を取れなかった」
とあれやこれやの例をあげて嘆き悲しみます。
周りの家族は二番になるだけでもすごいじゃないかと慰めてるんですが、どうしてもナンバーワンになりたかった老人は聞きません。
絶望で嘆き悲しむ老人に、後ろに居た幼い孫が進み出で何やら耳元で囁きます。
すると老人の表情はぱっと明るくなり安らかに眠りについた。
あとで家族がいったい何と言ったんだと不思議がりますが、子供の言った台詞はこうだったと判明します。
「おじいちゃん、一番にはなれなかったかもしれないけど二番になった数は一番だね」
車のタイヤを交換していた男がナットを誤って全て下水道に落としてしまった。
「どうしよう」と男は途方にくれてしまったが、通りすがりの男の子が実にいい提案をしてくれて出発できた。
男の子の提案とはどんなものだった?
ヒント
Q.タイヤを取り付ける方法?
A.はい
Q.落としたナットを拾った?
A.いいえ
Q.特殊な装備が必要?
A.いいえ
Q.簡単に実行できること?
A.はい
A.
男の子はこう提案した。
「ほかの三つのタイヤから一つずつナットを取り外して、それでタイヤを固定したら?」
コメント
これは上手い!と思いました。
スローンは難易度を星一つにしてて解けた人もいるかもしれませんね。
私の予想ははずれました。
ジョークやパズルでは時々子供がいい味出します。
これは子供特有の「率直で囚われない視点」があるからじゃなかと推測しています。
大人になると常識と行儀作法を身につけた反面世間ずれしてしまいます。
常識という名の色んな先入観や、アインシュタインの言う「偏見のコレクション」を身につけてしまってる。
その点子供はまだまだ自由です。
「王様は裸だ!」と子供しか叫ばなかったように、世間体や体裁に構わず時に大人がやれない役割も果たしてくれます。
確か松田道弘さんの『超能力のトリック』(講談社現代新書)に載っていた話だったと思いますが、
偽の超能力者と称する人物は手品師と同じく様々な「引き込む」テクニックを身につけているそうです。
例えばチェスのプロ棋士のようにさも悩んだり立ち上がったり、力を発揮するのに苦労してる感じで歩き回ったりして、いかにも信憑性のあるような雰囲気を作ると。
大人の方が逆にそういった振る舞いにミスリードされて惑わされやすいそうです。
しかし子供はそうじゃありません。
素直でパフォーマンスなどどうでもよく、率直に「早くやってよ」などと催促したりして自称超能力者はやりにくくて困ってしまうとか。
子供の視点。これは発想においても忘れてはいけないと思いますね。
確かスローンも言及していたと思います。
発明家で「五歳の子供にかえったつもりで考える」と言った人もいました。
これに関係して思い出したのが、イギリス文学での「道化師(フール)」の話です。
シェイクスピアの『リア王』にも出てきてましたね。
フールは宮廷で高位の貴族や時には王様に対しても、無礼でおどけた態度を許されていました。
それはずけずけ言わせて笑いを取る反面、「反対意見」に身をさらさせてバランスを取らせる役割も果たしていたそうです。
なるほど、確かに大企業の社長とか政治家みたいにえらくなると周りにイエスマンが増えます。
「民主主義の発展」がどうとか、大げさな話を持ち出すつもりはありませんが、
個人の発想でも独善に陥らないために「フール」が必要かもしれませんね。
おまけ
阿刀田高さんが監修しているショートショート(原稿用紙五〜八枚程度の短い小説。
ジョークネタや落ちや小話のようなものも多い)があります。
これは星新一さんの『ショートショートの広場』の後を継いだものですが、
『小説現代』に読者投稿を受け付ける形で成立してます。
その中の一編で笑ってしまって記憶に残っているのがあります。子供つながりとういうことで。
病院のベットにいる老人が臨終の間際になって嘆いています。
「自分はいままで頑張ってきたのに、二番ばかりだった。どんな分野でも一回も一番を取れなかった」
とあれやこれやの例をあげて嘆き悲しみます。
周りの家族は二番になるだけでもすごいじゃないかと慰めてるんですが、どうしてもナンバーワンになりたかった老人は聞きません。
絶望で嘆き悲しむ老人に、後ろに居た幼い孫が進み出で何やら耳元で囁きます。
すると老人の表情はぱっと明るくなり安らかに眠りについた。
あとで家族がいったい何と言ったんだと不思議がりますが、子供の言った台詞はこうだったと判明します。
「おじいちゃん、一番にはなれなかったかもしれないけど二番になった数は一番だね」
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