2016年04月21日
被災地熊本に勝利をプレゼント、天草出身のヤクルト・山中 投手
20日の阪神戦(甲子園)で、先発した”サブマリン・ヤクルト山中 投手”が、
6回1失点と好投し今季初登板初先発で初勝利をあげました。
山中 投手は昨季途中にソフトバンクホークスより移籍の今年プロ4年目の30歳。
今季初勝利のインタビューでは、
「普段と違った思いでマウンドに立って、被災地に勝利をプレゼントできてよかった。
僕らはプロ野球選手なので、こういうことしかできない。
ひとつでも多く明るい光を与えられればいいかなと思っています」
震災の影響を未だに続く故郷・熊本で必死に耐え忍んでいる人たちに、
言葉を詰まらせながら語っていました。
≪ヤクルト・山中 浩史投手≫
1985年9月生まれの今年がプロ4年目30歳、熊本県天草郡新和町(現・天草市)出身。
新和町立(現・天草市立)新和中学校では軟式野球部に。
2年生で投手になった際、この時からサイドスローだったそう。
熊本市立必由館高校に進学。
アンダースローのお手本にしたのは、日本を代表するサブマリン・渡辺俊介(当時、ロッテ)。
これに「自分に合っている」という手応えを得ました。
2年生の大会で強豪校を抑えて自信をつけてからずっとアンダースロー。
3年夏に甲子園出場しましたが初戦敗退。
故障していたこともあり登板機会はあまりありませんでした。
高校卒業後は九州東海大学へ進学。
山中 投手は3年から主戦となり春と秋のリーグ戦連覇に貢献しました。
2006年大学選手権出場では、岸孝之 投手(現・西武)に投げ勝っています。
しかし、この年にドラフト指名する球団はなく”Honda熊本”で野球を続けることに。
Honda熊本では1年目の2008年=日本選手権出場(2回戦)、
2009年=都市対抗野球出場(3回戦)、2010年=アジア大会銅メダル獲得、
2011年=都市対抗出場(2回戦)、2012年=都市対抗出場(初戦敗退)。
在籍した5年間すべてで大きな大会に出場しています。
完成度の高い投球術を持ち、アマ時代はMAX133キロのストレートと80キロ台のスローボールを操り、
2012年秋、ソフトバンクがドラフト6位で指名。
「順位は気にしません。入ってからが勝負です」とコメントし、27歳でプロ入りしました。
2013年の1年目は二軍で10勝をあげて最多勝に輝くものの、
開幕ローテーション入りするも結果を残せず一軍では17試合で0勝2敗。
そして2年目の2014年7月、一軍未勝利のまま新垣渚 投手とともにヤクルトへ。
2対2の川島慶三、日高亮との交換トレードでした。
大きな転機になったという移籍先のヤクルトで、
サイドスローとして活躍した高津臣吾コーチから、
投げる際の右手首の角度を変える指導を受け飛躍のきっかけに。
昨年開幕は二軍スタートだったが、
ローテーションの谷間を埋める形で一軍先発陣に加わると、
6月12日の西武戦で念願のプロ初勝利をあげます。
完全に後半戦からは一軍定着しローテーションの一角として期待されるようになりました。
野球 ブログランキングへ
にほんブログ村
≫≫≫初回無料ポイントだけで遊ぶ人気チャットランキング
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4980528
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック