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2019年05月11日
仏印海軍、インド洋で過去最大の合同軍事演習 中国をけん制
仏印海軍、インド洋で過去最大の合同軍事演習 中国をけん制
https://www.afpbb.com/articles/-/3224482
【5月10日 AFP】フランスとインドの海軍は10日、インド西部ゴア(Goa)沖のインド洋で合同軍事演習を実施した。演習には、仏海軍の原子力空母「シャルル・ドゴール(Charles de Gaulle)」をはじめ、両軍の戦艦や潜水艦計12隻が参加。仏当局によると、2001年に海軍が合同軍事演習を開始して以来、最大規模だったという。
経済大国として影響力を拡大し、南シナ海(South China Sea)の係争海域で領有権を主張して緊張を高める中国に、フランスとインドは神経をとがらせている。
合同軍事演習で仏艦隊を指揮するオリビエ・ルバ(Olivier Lebas)司令官は、「われわれは、特に国際貿易において戦略的かつ巨大な意味合いを持つ海域に、安定をもたらすことができると考えている」と述べた。
中国は広域経済圏構想「一帯一路(Belt and Road)」を通じてインド洋航路に戦艦や潜水艦を派遣したり、商業インフラ施設の大規模工事を推進したりするなど存在感を強めている。これまでインド洋で大きな影響力を維持してきたインドは、同構想に強く反対している。(c)AFP
AFP
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May 11, 2019 at 10:22PM
https://www.afpbb.com/articles/-/3224482
【5月10日 AFP】フランスとインドの海軍は10日、インド西部ゴア(Goa)沖のインド洋で合同軍事演習を実施した。演習には、仏海軍の原子力空母「シャルル・ドゴール(Charles de Gaulle)」をはじめ、両軍の戦艦や潜水艦計12隻が参加。仏当局によると、2001年に海軍が合同軍事演習を開始して以来、最大規模だったという。
経済大国として影響力を拡大し、南シナ海(South China Sea)の係争海域で領有権を主張して緊張を高める中国に、フランスとインドは神経をとがらせている。
合同軍事演習で仏艦隊を指揮するオリビエ・ルバ(Olivier Lebas)司令官は、「われわれは、特に国際貿易において戦略的かつ巨大な意味合いを持つ海域に、安定をもたらすことができると考えている」と述べた。
中国は広域経済圏構想「一帯一路(Belt and Road)」を通じてインド洋航路に戦艦や潜水艦を派遣したり、商業インフラ施設の大規模工事を推進したりするなど存在感を強めている。これまでインド洋で大きな影響力を維持してきたインドは、同構想に強く反対している。(c)AFP
AFP
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May 11, 2019 at 10:22PM
ローマ皇帝ネロの黄金宮殿、「秘密の部屋」を発見
ローマ皇帝ネロの黄金宮殿、「秘密の部屋」を発見
https://www.afpbb.com/articles/-/3224521
【5月11日 AFP】約2000年前に建てられたローマ皇帝ネロ(Nero)のドムス・アウレア(Domus Aurea、黄金宮殿)で、修復作業中にきめ細かなフレスコ画で飾られた秘密の部屋が見つかった。作業を監督するコロッセオ考古学公園が10日、AFPに明らかにした。
考古学チームは、秘密の部屋につながる穴を偶然発見。部屋は、ケンタウロスやギリシャ神話の神パン(Pan)などの神話に関する絵で彩られていたという。
チームはこの部屋を「サーラ・デッラ・スフィンジェ(Sala della Sfinge、スフィンクスの間)」と命名。大発見だと述べた。
この発見は「紀元60年代のローマの雰囲気」を垣間見ることを可能とするもの。部屋はとても華やかで、保存状態も非常に良好だという。
紀元64〜68年に建設されたドムス・アウレアは、建物と庭園、人工の池から成る巨大複合施設。しかし、ネロにはローマ中心部の大半を焼き尽くした64年の大火の際、バイオリンを奏でていたという逸話もあることから、後の皇帝によって埋められたり、公共用地に転用されたりした。
ネロが68年に死去した後、後の皇帝たちはネロの統治の痕跡を消し去ろうとした。皇帝トラヤヌス(Trajan)は、ドムス・アウレアを埋めて浴場を建設。皇帝ウェスパシアヌス(Vespasian)は、池があった場所にコロッセオ(Colosseum)を建設する手はずを整えた。
現在、ドムス・アウレアの大半はローマの地下に埋まっており、これまでに発掘されたのはごく一部にとどまっている。(c)AFP
AFP
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May 11, 2019 at 04:20PM
https://www.afpbb.com/articles/-/3224521
【5月11日 AFP】約2000年前に建てられたローマ皇帝ネロ(Nero)のドムス・アウレア(Domus Aurea、黄金宮殿)で、修復作業中にきめ細かなフレスコ画で飾られた秘密の部屋が見つかった。作業を監督するコロッセオ考古学公園が10日、AFPに明らかにした。
考古学チームは、秘密の部屋につながる穴を偶然発見。部屋は、ケンタウロスやギリシャ神話の神パン(Pan)などの神話に関する絵で彩られていたという。
チームはこの部屋を「サーラ・デッラ・スフィンジェ(Sala della Sfinge、スフィンクスの間)」と命名。大発見だと述べた。
この発見は「紀元60年代のローマの雰囲気」を垣間見ることを可能とするもの。部屋はとても華やかで、保存状態も非常に良好だという。
紀元64〜68年に建設されたドムス・アウレアは、建物と庭園、人工の池から成る巨大複合施設。しかし、ネロにはローマ中心部の大半を焼き尽くした64年の大火の際、バイオリンを奏でていたという逸話もあることから、後の皇帝によって埋められたり、公共用地に転用されたりした。
ネロが68年に死去した後、後の皇帝たちはネロの統治の痕跡を消し去ろうとした。皇帝トラヤヌス(Trajan)は、ドムス・アウレアを埋めて浴場を建設。皇帝ウェスパシアヌス(Vespasian)は、池があった場所にコロッセオ(Colosseum)を建設する手はずを整えた。
現在、ドムス・アウレアの大半はローマの地下に埋まっており、これまでに発掘されたのはごく一部にとどまっている。(c)AFP
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May 11, 2019 at 04:20PM
日加首相、米国抜きの新TPPを称賛 「市場に恩恵」
日加首相、米国抜きの新TPPを称賛 「市場に恩恵」
https://www.afpbb.com/articles/-/3223029
【4月29日 AFP】カナダを訪問中の安倍晋三(Shinzo Abe)首相は28日、ジャスティン・トルドー(Justin Trudeau)首相と会談し、米国が脱退した環太平洋連携協定(TPP)の縮小化版となる新協定が、市場に恩恵をもたらしているとの見解で一致した。
米国のドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領は、TPPが発効される前の2017年に協定から離脱。昨年末、米国抜きの新協定「包括的および先進的な環太平洋連携協定」(CPTPP)が発効した。
CPTPPは約5億人の消費者を抱えるアジア太平洋地域の11か国が、増大する中国の経済的影響力に対抗することを目指し、加盟国間での貿易障壁を取り除いたもの。
カナダの首都オタワで共同会見した安倍・トルドー両首相は、CPTPPが日本とカナダを含めた加盟国の国民および事業に「多大な恩恵を与えている」と述べた。
トルドー首相はCPTPPについて、米国が火付け役となった保護貿易主義とは「対極的な立場」を取るものだと述べ、ここ数か月でカナダ産牛肉の対日輸出量が3倍に増えたことに触れつつ「米国にはこのようなアクセス権がない」と語った。
安倍首相もトルドー氏に賛同し、CPTPPは前進するための手本となるべきものだと評価。カナダと日本は今後、CPTPPの加盟国数を増やす努力を行っていくだろうと述べた。(c)AFP
AFP
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May 11, 2019 at 10:24AM
https://www.afpbb.com/articles/-/3223029
【4月29日 AFP】カナダを訪問中の安倍晋三(Shinzo Abe)首相は28日、ジャスティン・トルドー(Justin Trudeau)首相と会談し、米国が脱退した環太平洋連携協定(TPP)の縮小化版となる新協定が、市場に恩恵をもたらしているとの見解で一致した。
米国のドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領は、TPPが発効される前の2017年に協定から離脱。昨年末、米国抜きの新協定「包括的および先進的な環太平洋連携協定」(CPTPP)が発効した。
CPTPPは約5億人の消費者を抱えるアジア太平洋地域の11か国が、増大する中国の経済的影響力に対抗することを目指し、加盟国間での貿易障壁を取り除いたもの。
カナダの首都オタワで共同会見した安倍・トルドー両首相は、CPTPPが日本とカナダを含めた加盟国の国民および事業に「多大な恩恵を与えている」と述べた。
トルドー首相はCPTPPについて、米国が火付け役となった保護貿易主義とは「対極的な立場」を取るものだと述べ、ここ数か月でカナダ産牛肉の対日輸出量が3倍に増えたことに触れつつ「米国にはこのようなアクセス権がない」と語った。
安倍首相もトルドー氏に賛同し、CPTPPは前進するための手本となるべきものだと評価。カナダと日本は今後、CPTPPの加盟国数を増やす努力を行っていくだろうと述べた。(c)AFP
AFP
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May 11, 2019 at 10:24AM
米特殊部隊の「英雄」 対IS戦での戦争犯罪で軍法会議に トランプ氏に介入要請も
米特殊部隊の「英雄」 対IS戦での戦争犯罪で軍法会議に トランプ氏に介入要請も
https://www.afpbb.com/articles/-/3223075
【5月9日 AFP】10代の捕虜を刺し殺し、民間人の少女や老人を狙撃し、住宅街に向けて重機関銃を乱射──2017年にイラク北部でイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」掃討作戦を展開していた米海軍特殊部隊「シールズ(SEALs)」のエリート隊長が、これらの戦争犯罪に手を染めたとして今月、軍法会議にかけられる。共和党議員の中には、ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領の介入を求める動きもある。
【記者コラム】この「結末」を誰が予想した……崩壊した国シリア
シールズの特殊作戦部隊を率いてイラクやアフガニスタンで数々の戦闘任務をこなし、勲章を授与されたエドワード・ギャラガー(Edward Gallagher)隊長(39)は、軍法会議への出廷が命じられた今も多くの米国人にとっては英雄だ。保守系のFOXニュース(Fox News)の扱いも英雄で、その存在は来年の米大統領選で争点となる可能性すらある。
米共和党の議員約40人は公開書簡で、今月28日の軍法会議開廷までギャラガー隊長を保釈せよと要求。議員の一人は公訴棄却を求め、トランプ大統領に介入するよう要請している。
トランプ大統領もツイッター(Twitter)への投稿で、銀星章の叙勲候補者にもなったギャラガー隊長の「これまでの国家への奉仕に敬意を表し」、軍法会議開廷までの拘束状況が「ただちに」緩和されるよう介入したことを明らかにした。
シールズ・チーム7(SEAL Team 7)の小隊長だったギャラガー隊長は昨年9月に逮捕され、米サンディエゴ海軍基地で拘束されている。罪状は計画殺人、殺人未遂、司法妨害などで、有罪と認定されれば終身刑を言い渡される可能性がある。本人は全ての罪状を否認している。
専門紙ネービー・タイムズ(The Navy Times)と米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)は、ギャラガー隊長の素行に震え上がった小隊の複数の隊員が上官に訴え出たが、告発すれば自分たちのキャリアに傷がつくぞと警告されていたと報じた。
AFP
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May 11, 2019 at 08:17AM
https://www.afpbb.com/articles/-/3223075
【5月9日 AFP】10代の捕虜を刺し殺し、民間人の少女や老人を狙撃し、住宅街に向けて重機関銃を乱射──2017年にイラク北部でイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」掃討作戦を展開していた米海軍特殊部隊「シールズ(SEALs)」のエリート隊長が、これらの戦争犯罪に手を染めたとして今月、軍法会議にかけられる。共和党議員の中には、ドナルド・トランプ(Donald Trump)大統領の介入を求める動きもある。
【記者コラム】この「結末」を誰が予想した……崩壊した国シリア
シールズの特殊作戦部隊を率いてイラクやアフガニスタンで数々の戦闘任務をこなし、勲章を授与されたエドワード・ギャラガー(Edward Gallagher)隊長(39)は、軍法会議への出廷が命じられた今も多くの米国人にとっては英雄だ。保守系のFOXニュース(Fox News)の扱いも英雄で、その存在は来年の米大統領選で争点となる可能性すらある。
米共和党の議員約40人は公開書簡で、今月28日の軍法会議開廷までギャラガー隊長を保釈せよと要求。議員の一人は公訴棄却を求め、トランプ大統領に介入するよう要請している。
トランプ大統領もツイッター(Twitter)への投稿で、銀星章の叙勲候補者にもなったギャラガー隊長の「これまでの国家への奉仕に敬意を表し」、軍法会議開廷までの拘束状況が「ただちに」緩和されるよう介入したことを明らかにした。
シールズ・チーム7(SEAL Team 7)の小隊長だったギャラガー隊長は昨年9月に逮捕され、米サンディエゴ海軍基地で拘束されている。罪状は計画殺人、殺人未遂、司法妨害などで、有罪と認定されれば終身刑を言い渡される可能性がある。本人は全ての罪状を否認している。
専門紙ネービー・タイムズ(The Navy Times)と米紙ニューヨーク・タイムズ(New York Times)は、ギャラガー隊長の素行に震え上がった小隊の複数の隊員が上官に訴え出たが、告発すれば自分たちのキャリアに傷がつくぞと警告されていたと報じた。
AFP
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May 11, 2019 at 08:17AM
2019年05月10日
英古代王子の墓室、道路脇で発見 「ツタンカーメン王の墓」になぞらえる専門家も
英古代王子の墓室、道路脇で発見 「ツタンカーメン王の墓」になぞらえる専門家も
https://www.afpbb.com/articles/-/3224351
【5月10日 AFP】英イングランド南東部エセックス(Essex)州の道路脇の茂みにあったわずかな隆起の下から古代の墓室が見つかったと、調査に当たっていた考古学者チームが9日、明らかにした。英国としては、エジプトのツタンカーメン王(King Tutankhamun)の墓に匹敵するくらいの発見だという。
墓室は、ロンドン北東に位置するエセックス州サウスエンド(Southend)近郊プリトルウェル(Prittlewell)のパブと安売りスーパーの近くを走る道路脇で見つかった。英国の研究チームは2003年、この場所を発見していたが、当初はさほど重要なものには見えなかったという。
「非常に不思議だったのは、何かが出てきそうには見えなかったことだ」。ロンドン考古学博物館(MOLA)のソフィー・ジャクソン(Sophie Jackson)主任研究員は、当時をそう振り返る。
それでもMOLAの考古学者40人で構成されるチームは、調査を進めることを決断。長年かけて注意深く掘り進め、放射性炭素年代測定を行い、アングロサクソン人の王子の墓室だと結論付けるに至った。このような墓室が英国で見つかったのは初めてだという。
この墓室は1400年前のものとみられ、キリスト教徒のアングロサクソン人の王族の埋葬地としては最古と考えられるという。
墓室全体の広さは約4メートル四方で、深さは約1.5メートル。墓室には、複数の金貨や、現在のシリアからもたらされたとみられるガラスと木で作られた色鮮やかな杯などが丁寧に配置されている。装飾品の一部は、今も墓室の壁に掛けられている。
発見されたものの中には、欧州民族の間で人気を集めたハープに似た楽器リラの一部もあり、これはアングロサクソンの彩色された木工作品としては英国最古の可能性もあるという。
AFP
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May 10, 2019 at 09:22PM
https://www.afpbb.com/articles/-/3224351
【5月10日 AFP】英イングランド南東部エセックス(Essex)州の道路脇の茂みにあったわずかな隆起の下から古代の墓室が見つかったと、調査に当たっていた考古学者チームが9日、明らかにした。英国としては、エジプトのツタンカーメン王(King Tutankhamun)の墓に匹敵するくらいの発見だという。
墓室は、ロンドン北東に位置するエセックス州サウスエンド(Southend)近郊プリトルウェル(Prittlewell)のパブと安売りスーパーの近くを走る道路脇で見つかった。英国の研究チームは2003年、この場所を発見していたが、当初はさほど重要なものには見えなかったという。
「非常に不思議だったのは、何かが出てきそうには見えなかったことだ」。ロンドン考古学博物館(MOLA)のソフィー・ジャクソン(Sophie Jackson)主任研究員は、当時をそう振り返る。
それでもMOLAの考古学者40人で構成されるチームは、調査を進めることを決断。長年かけて注意深く掘り進め、放射性炭素年代測定を行い、アングロサクソン人の王子の墓室だと結論付けるに至った。このような墓室が英国で見つかったのは初めてだという。
この墓室は1400年前のものとみられ、キリスト教徒のアングロサクソン人の王族の埋葬地としては最古と考えられるという。
墓室全体の広さは約4メートル四方で、深さは約1.5メートル。墓室には、複数の金貨や、現在のシリアからもたらされたとみられるガラスと木で作られた色鮮やかな杯などが丁寧に配置されている。装飾品の一部は、今も墓室の壁に掛けられている。
発見されたものの中には、欧州民族の間で人気を集めたハープに似た楽器リラの一部もあり、これはアングロサクソンの彩色された木工作品としては英国最古の可能性もあるという。
AFP
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May 10, 2019 at 09:22PM
2019年05月09日
バングラ機が滑走路外れ大破、11人負傷 ミャンマー空港
バングラ機が滑走路外れ大破、11人負傷 ミャンマー空港
https://www.afpbb.com/articles/-/3224265
バングラ機が滑走路外れ大破、11人負傷 ミャンマー空港
2019年5月9日 21:32 発信地:ヤンゴン/ミャンマー
【5月9日 AFP】ミャンマー・ヤンゴンの空港で8日、ビーマン・バングラデシュ航空(Biman Bangladesh Airlines)の旅客機が着陸時に滑走路を外れ、11人が負傷した。警察が明らかにした。事故発生当時、同市は突然の嵐に見舞われていた。
フェイスブック(Facebook)に投稿された画像には、胴体部分が大破し滑走路脇の草地に横たわる同機が写っている。
AFPカメラマンは、負傷した女性1人が救急車へ担架で搬送される様子を見たと話している。
現場の同空港に入った警察官は匿名を条件にAFPに対し、「操縦士1人と客室乗務員1人、乗客9人が軽傷を負った」と明かした。また同機が滑走路を外れたのは、着陸した午後6時50分(日本時間同9時20分)だったとしている。
搭乗していた乗客乗員は計31人で、国籍はバングラデシュ、ミャンマー、カナダ、中国、インド、フランス、スイスだという。(c)AFP
AFP
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May 9, 2019 at 11:22PM
https://www.afpbb.com/articles/-/3224265
バングラ機が滑走路外れ大破、11人負傷 ミャンマー空港
2019年5月9日 21:32 発信地:ヤンゴン/ミャンマー
【5月9日 AFP】ミャンマー・ヤンゴンの空港で8日、ビーマン・バングラデシュ航空(Biman Bangladesh Airlines)の旅客機が着陸時に滑走路を外れ、11人が負傷した。警察が明らかにした。事故発生当時、同市は突然の嵐に見舞われていた。
フェイスブック(Facebook)に投稿された画像には、胴体部分が大破し滑走路脇の草地に横たわる同機が写っている。
AFPカメラマンは、負傷した女性1人が救急車へ担架で搬送される様子を見たと話している。
現場の同空港に入った警察官は匿名を条件にAFPに対し、「操縦士1人と客室乗務員1人、乗客9人が軽傷を負った」と明かした。また同機が滑走路を外れたのは、着陸した午後6時50分(日本時間同9時20分)だったとしている。
搭乗していた乗客乗員は計31人で、国籍はバングラデシュ、ミャンマー、カナダ、中国、インド、フランス、スイスだという。(c)AFP
AFP
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May 9, 2019 at 11:22PM
オーストラリア中銀が失態、50豪ドル紙幣にスペルミス
オーストラリア中銀が失態、50豪ドル紙幣にスペルミス
https://www.afpbb.com/articles/-/3224230
【5月9日 AFP】オーストラリア準備銀行(RBA、中央銀行)が昨年発行した新50豪ドル(約3800円)紙幣で、印刷された文章の中に誤植が見つかった。
昨年10月に発行された新紙幣には最新の偽造対策が複数施されており、その一つとして同国初の女性国会議員となったエディス・コーワン(Edith Cowan)氏の演説が微小なマイクロ文字で印刷されている。しかし、偽造対策に使われた技術の中にスペルチェッカーは入っていなかったようだ。
印刷されているのはコーワン氏が1921年に行った演説の一部分だが、その中で「responsibility」とつづるべきところが、「responsibilty」とつづられ、2個目の「i」が抜け落ちていた。文字の大きさは、裸眼でやっと確認できる程度。
発行から7か月たって初めて発見された誤植についてRBAは9日、認識していることを明らかにしたが、すでに出回っている紙幣を回収する予定はなく、「次回印刷分から訂正する」としている。(c)AFP
AFP
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May 9, 2019 at 07:23PM
https://www.afpbb.com/articles/-/3224230
【5月9日 AFP】オーストラリア準備銀行(RBA、中央銀行)が昨年発行した新50豪ドル(約3800円)紙幣で、印刷された文章の中に誤植が見つかった。
昨年10月に発行された新紙幣には最新の偽造対策が複数施されており、その一つとして同国初の女性国会議員となったエディス・コーワン(Edith Cowan)氏の演説が微小なマイクロ文字で印刷されている。しかし、偽造対策に使われた技術の中にスペルチェッカーは入っていなかったようだ。
印刷されているのはコーワン氏が1921年に行った演説の一部分だが、その中で「responsibility」とつづるべきところが、「responsibilty」とつづられ、2個目の「i」が抜け落ちていた。文字の大きさは、裸眼でやっと確認できる程度。
発行から7か月たって初めて発見された誤植についてRBAは9日、認識していることを明らかにしたが、すでに出回っている紙幣を回収する予定はなく、「次回印刷分から訂正する」としている。(c)AFP
AFP
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May 9, 2019 at 07:23PM
【記者コラム】この「結末」を誰が予想した……崩壊した国シリア
【記者コラム】この「結末」を誰が予想した……崩壊した国シリア
https://www.afpbb.com/articles/-/3223855
【5月9日 AFP】こんな結末が訪れると、誰が予想しただろう。拘束され、砂漠に並んで座らされているイスラム過激派の戦闘員とされる数百人を見ながら、私は思った。すべては8年前、シリア政権に対する単なる抗議デモから始まった。当時は誰もイスラム過激派について話題にすることなどなかった。
そして今、ある一つの国が崩壊した。
クルド人主体の部隊によるIS掃討後のラッカの町。建物が激しく損傷している(2017年10月21日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
死者37万人以上。家を追われた人は、人口の半数以上に当たる1300万人近くに上る。平和的な民衆蜂起をのみ込んだ暴力の渦から生まれたイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は、台頭し、そして衰退した。
彼らはシリアからイラクを広範囲にわたって掌握し、「カリフ制国家」を宣言し、短期間のうちに世界中から多くの戦闘員を集めて一帯を席巻した。全盛期には、英国と同じくらいの広さと数百万の人々を支配下に置いた。
今、その残党が砂漠で並んで座らされている。その横のキャンプには、全身黒ずくめの妻や子どもたち、そして彼らの最後の拠点となったシリア東部の村、バグズ(Baghouz)で保護された民間人らが身を寄せている。
IS最後の拠点、シリア東部バグズを離れ、SDFによる尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
この「結末」を取材しながら、私の心には数々の思いがよぎった。シリアの民衆蜂起を取材するようになったのは、それが始まってから1年後だ。だから私はこの出来事に、ほぼ最初から立ち会ってきたことになる。
数々の記憶、感情、そして悲惨さを目の当たりにした。そして非常に多くのことを学んだ。
私が最初に取材したのは、2012年2月。シリア北西部イドリブ(Idlib)県の県都イドリブ市で起きた民衆蜂起だった。紛争地域の取材はこれが初めてだった。その1年前に首都ダマスカス(Damascus)で始まった平和的な抗議デモは、治安部隊によって容赦なく鎮圧され、結果的に反体制派組織「自由シリア軍(FSA)」の創設につながった。シリア全域で反体制派がゲリラ攻撃を行い、政権軍は至る所で彼らに降伏した。私がイドリブに到着したころには、同県の一部と同市の大半は、反体制派が掌握していた。政権軍の狙撃兵らが時々市内を攻撃したが、大規模な軍事作戦はなかった。
抗議デモの始まりは、他の多くのデモと変わらなかった。人々が街の中心部に集まり、民主化運動「アラブの春(Arab Spring)」による革命が起きたエジプトやリビアの大きな旗が掲げられていた。民衆はスローガンを叫んでいた。
シリア北部イドリブで金曜礼拝の後に行われた政権に対する抗議デモ(2012年2月17日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
その時突然、パチンパチンパチンと狙撃音が聞こえた。人々は右往左往し、砲撃が始まると一目散に逃げ去った。
こうした出来事に立ち会ったのは、その時が初めてだった。平和的な抗議デモが一瞬にして攻撃された。とても怖かった。皆があちこちで走り回っていた。私も一緒に走った。どこに行けばいいのか分からなかったので、ただ後をついて行った。砲弾はまさに雨のように降ってきた。私は市民数人と一緒に避難した。
目の前では10代の若者が倒れていた。誰かが、彼は15歳だと教えてくれた。どうしてこんなことが起こるのか、と心の中で思った。どうして自国民を攻撃などできるのか。砲撃は激しく、辺りに濃い煙が漂っていた。まるで黒い毛布で街が覆われたようだった。
イドリブに集まった反政府武装勢力「自由シリア軍(FSA)」(2012年2月16日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
それから数か月間、私はシリアに何度も出入りした。反体制派の戦闘員たちを怖いと感じたことは一度もない。彼らはジャーナリストたちに非常に親切だった。そのころ出会った彼らは大半が世俗的だった。「われわれは自由のために戦っている」。彼らは私にそう話した。
その後、反体制派の中にイスラム武装勢力の戦闘員らが姿を現すようになった。だが最初のうちは特に問題はなかった。2012年8月、私は彼らのキャンプの一つを訪ねたが、友好的だった。キャンプ内での写真撮影は許可されたし、脅されるようなこともなかった。
シリア・アレッポ近郊で訓練を行うイスラム聖戦グループ「ハムザ・アブドゥルムッタリブのメンバー(2012年7月19日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
間もなくして変化が生じ始めた。村々で外国人の姿を見かけるようになった。フランス語を話す者もいれば、米国人もいた。何かが変わり始めたと感じた。ある朝、銃を携行しながらジョギングをしている男たちを目にした。その光景が私の心に強い印象を残した。何かが変わりつつある、彼らは何かを始めようとしている、と思った。
直後に、シリアにはもう入国できない、と告げられた。ジャーナリストにとって危険過ぎるというのだ。しばらくすると、シリアでジャーナリストたちが誘拐されるようになった。行方が分からなくなった記者の中に、友人のジェームズ・フォーリー(James Foley)氏もいた。数か月前に国境で出会ったばかりの彼が誘拐されたなんて、信じられなかった。2012年11月だった。後に私たちは、彼が地元のギャングに連れ去られ、最終的にダーイシュ(Daesh、ISのアラビア語名の略称)に引き渡されたことを知る。このイスラム武装勢力は、ISILやISIS、イスラム国、ISなどさまざまな名称で呼ばれているが、私の心の中ではアラビア語名の略称、ダーイシュが最もしっくりくる。
それから数週間もたたないうちに、トルコ人の友人であるブンヤミン・アイギュン(Bunyamin Aygun)氏が、最後の記事を書くためにシリアに渡航すると言い出した。「頭がおかしいんじゃないのか」と私は言った。「危険過ぎる。何人も誘拐されているじゃないか」。私は彼に行かないでくれと懇願したが、彼は気を付けるからと請け合った。「この記事だけだから」と言って。だが彼はシリアへ入国した直後に誘拐されてしまった。1月初旬、彼はトルコの情報機関によって、約40日ぶりに救出された。
トルコ・イスタンブールの空港で友人や親族らに出迎えられるトルコ人報道カメラマンのブンヤミン・アイギュン氏(中央、2014年1月6日撮影)。(c)AFP / Milliyet Daily/Ozan Guzelce
対シリア国境に近いトルコ・ウルファで取材を行うトルコ人報道カメラマンのブンヤミン・アイギュン氏(2012年11月11日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
シリアではその頃までに約30人のジャーナリストが、イスラム武装勢力によって拉致あるいは拘束されたと推測されていた。数か月のうちに一部は解放されたが、2014年8月19日、あの事件が起きた。私は真夜中に目を覚まし、調べ物をするためにインターネットに接続した。それが何だったかさえ覚えていない。だが何かを読んだ瞬間、私は恐怖で凍り付いた。ダーイシュが、ジェームズ・フォーリー氏を斬首する様子を撮影した動画を投稿したとあった。背筋に戦慄が走った。そんなことはあり得ない。私は何度もそう思った。もしかしたら自分だったかもしれない─―。シリアにいたことのあるジャーナリスト全員が同じ思いにとらわれたことを、私は後で知った。私はその動画を見ることができなかった。友人ジェームズの思い出は、彼らしい姿で記憶にとどめておきたかった。
リビア・スルトの空港の一室で休息をとる米国人フリーランスジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏(2011年9月29日撮影)。(c)AFP / Aris Messinis
数年間はシリアに戻れないだろうと、私は当時、確信していた。2012年に出会った人々から口々に、シリア反体制派の支配地域に急速に過激派が押し寄せていて、映画『マッドマックス(Mad Max)』のような状況になりつつあると警告されたことを思い出した。近いうちにイスラム過激派がやって来て支配するだろうと言われたが、私は信じなかった。だが彼らの言ったことは、正しかったのだ。
私は、2012年8月にアレッポで出会ったある男のことを思い出した。政権軍の砲撃が激しかったため、私たちは戦闘員や救急隊員らとともにモスクの地下で眠っていた。そこにそのとりわけ不快なイスラム戦闘員がいた。彼はよくエアコンの隣に陣取り、コーランを読んでいた。隣り合わせで二晩、眠ったことがあったが、何度も私を押しては毛布をくれとせがんだ。彼はオランダ出身のイラク人だった。私は彼の写真を撮影した。その後、彼が残忍なダーイシュの写真に写っているのを目にするようになった(最もおぞましい写真では、彼は切断された頭部を突き刺したフェンスの前に立っていた)。
彼の名はハレド・フダリム(Khaled Khudarhim)だということが分かった。彼はISの処刑人として有名になっていた。いつだったか、彼は私の友人に電話をかけてきて、2012年8月に私が撮影した写真のことで文句を言ったという。その写真のせいでオランダ当局が警戒し、帰国できないと言ったそうだ。彼は2016年に殺害されたと考えられている。だが私の知る限り、それは確認されたことがない。
その後の仕事は、内戦によってシリアから逃れた難民の取材が中心となった。シリア内戦は、第2次世界大戦(World War II)以来、最大級の人口移動を引き起こした。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると現時点で、約620万人のシリア人が国内避難を余儀なくされており、また560万人が難民として中東地域一帯に散っている。
シリア・アレッポの戦闘を逃れ、北部アザーズ近郊バブアルサラマにある対トルコ国境検問所に到着した避難民(2016年2月5日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
私はこの難民危機を、その始まりから断続的にフィルムに収めてきた。
トルコとの国境地帯でクルド人部隊がISと戦っていた時、避難民たちが国境沿いのフェンスに開いた小さな穴に子どもたちを押し込み、通り抜けさせようとしているところを撮影した写真もある。
シリア内戦を逃れ、国境のフェンスを越えてトルコに不法入国する避難民。トルコ南東部シャンルウルファ県アクチャカレにある国境検問所付近にて(2015年6月14日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
シリア内戦を逃れ、国境のフェンス越しに子どもをトルコに不法入国させる避難民の男性。トルコ南東部シャンルウルファ県アクチャカレにある国境検問所付近にて(2015年6月14日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
シリア北部アレッポ(Aleppo)に対するロシア軍とシリア政権軍の攻撃から逃れるために再び国境地帯に押し寄せた避難民たちの写真も撮影した。ギリシャと北マケドニアの国境付近で野宿していたときの、さらに絶望に打ちひしがれた彼らや、恐ろしい海を渡ってギリシャ・レスボス(Lesbos)島にたどり着き、ボートからはい出てきた瞬間の彼らも撮影した。国境の村々がISの支配から解放され、シリアに戻って行く彼らの姿も撮影した。
シリアの人々が逃げては移動していた数年の間に、私は恐れや絶望、希望、諦め、疲れ、恐怖など、人間の持つさまざまな感情を写真に残した。だが最も強い印象を受けたのはおそらく、レスボス島に到着した時の難民たちだろう。彼らの多くは一度として海を見たことさえなかったのに、小さなボートで何キロもそこを渡って来たのだ。陸に降り立った時の彼らの顔は、まるで生まれ変わったかのようだった。
エーゲ海を渡ってトルコからギリシャ・レスボス島に到着したばかりの難民たち(2015年11月24日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
彼らの中には高齢者も大勢いた。そのことにも非常に衝撃を受けた。70歳や80歳になって自宅を追われ、言葉も何も分からない国で暮らさなければならないことを、自分の身に置き換えて想像してみてほしい。
エーゲ海を渡ってトルコからギリシャ・レスボス島に到着した高齢の難民女性(2015年11月26日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
何年も取材を続けた後、私はその「結末」に立ち会おうと心に決めた。それは今年の2月から3月にかけて、イラク国境付近を流れるユーフラテス(Euphrates)川沿いのシリアの村、バグズで訪れた。米国が支援するクルド人主体の民兵組織「シリア民主軍(SDF)」がバグズ郊外に、民間人およびダーイシュの女性や子どものための避難キャンプを設営した。彼らはそこへ行く前に、10〜15キロ手前の検査施設に連れて行かれた。
シリア北東部ハサカ県のホル難民キャンプに身を寄せるベール姿の女性(2019年2月17日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
AFP取材班はそこで何が起きているかを記録に残すため、施設に立ち入らせてほしいとSDFに何日も掛け合った。彼らは最終的に態度を軟化させた。
それは非現実的な経験だった。
目の前に座った男たちの列を見渡しながら、私は彼らが属していたとみられる組織がここ数年間に行ったことを考えた。ダーイシュ戦闘員は、世界で最も腕の立つ殺し屋に数えられた。彼らは、ジャーナリストや一般人など大勢の人々を殺した。レイプや拷問、斬首といったとても恐ろしいこともした。トルコの首都アンカラやイスタンブールで彼らが行った攻撃の映像が頭をよぎった。
トルコ南部スルチで起きたISによるとみられる自爆攻撃で息子を失い、葬儀で泣き崩れる母親。トルコ南東部ガジアンテプ県にて。この自爆攻撃では、少なくとも31人が犠牲となった(2015年7月21日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
そして今、彼らは私の目の前でひざまずいていた。その数およそ数百人。もしどこかで彼らに捕らえられていたら、そのうちの何人が私を殺したり、拷問したりしただろうかと考えた。彼らの目つきや私の感覚から推測すると、かなりの数に上ると思えた。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDF管理区域に向かって歩く男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
だが同時に、彼らはすでに降伏していた。そのため、他の人々と同じように権利があった。一部のジャーナリストたちは、彼らに質問し、返事がないと何度もしつこく質問を繰り返した。私はそういうことは嫌いだった。もし話したくないのなら、強要すべきではない。彼らは今でも人間であることに変わりないのだから。私も大勢の男たちに質問した。だが答えてくれなかったので、放っておいた。
彼らの一部を見ただけなら、カリフ制国家は崩壊したと感じるかもしれない。だが他の大多数に関しては、まったく違う感情を抱くだろう。全身を黒い布で覆った数千人の女性たち。彼女たちはまるで「黒い部隊」のようだ。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズから避難し、SDF管理区域で食料の配給を待つ一般市民(2019年3月5日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
彼女たちの多くは、ISが行ったことを心から支持しており、カリフ制国家を誇りに思っている。時々、私に話し掛けてくる女性もいたが、別の女性からなぜ敵に話し掛けるのかと言われていた。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDF管理区域に向かう途中でAFPの取材に応じた仏系チュニジア人の21歳の女性。2014年にカリフ制国家への参加を決めた彼女は、取材時もニカブの着用義務を守っていた(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
多くの戦闘員も同じだった。彼らは自分たちがしたことを誇りに思っていた。だから私には、彼らが敗北したのか、あるいは何か他のことを準備しているだけなのかわからなかった。彼らの中に金髪の男がいた。彼は話そうとせず、ただほほ笑みを浮かべていた。私は、なぜほほ笑んでいるのかと尋ねた。だが彼はその質問にも答えず、相変わらずほほ笑んでいるだけだった。彼は自分がまだ生きていることがうれしかったのだろうか。だが本当のことはわからない。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDFによる尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月27日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
そこでは、8歳〜14歳までの12人ほどのグループにも会った。彼らを見ると胸が痛んだ。彼らがどんな目に遭ったかは計り知れない。戦いや殺人を強要されたのだろうか? 少年たちは、自宅に帰されることになっていた。彼らの前にはどんな現実が待ち受けていることだろう? 耐え難いものであることは間違いない。
ISによって拘束されたヤジディー教徒とみられる子どもたち。シリア・デリゾール県のSDF管理区域にて(2019年3月6日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
ISによって拘束されたヤジディー教徒とみられる子どもたち。シリア・デリゾール県のSDF管理区域にて(2019年3月6日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
トルコに帰国後、砂漠で座らされていたダーイシュ戦闘員らの画像が頭から離れなかった。資料を調べたところ、私が撮影した写真が第2次世界大戦で降伏したドイツ兵の写真と酷似していることに衝撃を受けた。まるで同じ写真のようだった。
第2次世界大戦中、オランダ人兵士の監視下に置かれたドイツ人捕虜(撮影日不明)。(c)AFP
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDFによる尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
過激な思想は、自然災害に似ている。いったん始まったら、止めることはできない。私はそれがどのようにしてシリアで始まり、その後どのように変化していったかを見つめてきた。過激主義は、どんな場所でも起こり得るものだ。
外国人戦闘員は、非常に興味深かった。フランス人やアゼルバイジャン人、ロシア人など、いろいろな国の人々に出会った。彼らがなぜこんなことをするのか、私にはまったく理解できない。彼らの精神構造を理解することは不可能だ。なぜ教育を受けたフランス人が彼らに加わるのだろう。私にはとても奇妙に思えるし、とうてい理解できない。
シリア北部ラッカのアルナジム広場近くの通りを歩く男性(2019年2月14日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
正直に言って、私にはこれで終わりだという確信が持てない。私が見たものから推測すると、組織はまだ存続しており、今も機能している。彼らは復活のチャンスを待つつもりなのだろう。
彼らは、北部コバニ(Kobane)を含むシリア各地をはじめ、トルコのアンカラやイスタンブール、仏パリなど、世界中で多くの悪事を働いてきた。お前たちは悪いことをたくさんしてきたんだ。中東だけでなく、欧州でも―─。私は彼らを見ながらそう思った。
仏パリのレピュブリック広場近くで爆発音や銃声を聞き、逃げ惑う人々。ISが犯行声明を出したこの同時襲撃事件では、バタクラン劇場の観客を含む約130人が犠牲となった(2015年11月13日撮影)。(c)AFP
彼らは復活を目指し、どこかに付け入る隙がないかと探すことだろう。それはリビアやエジプトかもしれない。彼らにとって可能な場所ならどこでもあり得る。この地域だって例外ではない。住民の一部は今も彼らを支持していると私は確信している。もし住民たちが支援してくれると分かれば、彼らは戻ってくるかもしれない。
シリア内戦から私が学んだことがあるとすれば、それはこういうことだ。その時々の状況について拙速な判断をすべきでない、と。考えは変わる。物事は変わる。これからは、状況がどうなるかについて私がすぐに判断することはないだろう。なぜなら私は今、いかに多くの物事が変化し、しかもそのスピードがいかに速いかということを知っているからだ。何かがうまくいくかどうかはわからない。8年前、私たちは、すべてがこんな風に終わるとは予想もしなかったはずだ。
このコラムは、AFPトルコ・イスタンブール支局のビュレント・クルチ(Bulent Kilic)チーフカメラマンが、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者とともに執筆し、2019年4月11日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDF管理区域で座り込む女性や子どもたち(2019年3月6日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
AFP
via AFPBB News アクセスランキング http://www.afpbb.com/
May 9, 2019 at 06:23PM
https://www.afpbb.com/articles/-/3223855
【5月9日 AFP】こんな結末が訪れると、誰が予想しただろう。拘束され、砂漠に並んで座らされているイスラム過激派の戦闘員とされる数百人を見ながら、私は思った。すべては8年前、シリア政権に対する単なる抗議デモから始まった。当時は誰もイスラム過激派について話題にすることなどなかった。
そして今、ある一つの国が崩壊した。
クルド人主体の部隊によるIS掃討後のラッカの町。建物が激しく損傷している(2017年10月21日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
死者37万人以上。家を追われた人は、人口の半数以上に当たる1300万人近くに上る。平和的な民衆蜂起をのみ込んだ暴力の渦から生まれたイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」は、台頭し、そして衰退した。
彼らはシリアからイラクを広範囲にわたって掌握し、「カリフ制国家」を宣言し、短期間のうちに世界中から多くの戦闘員を集めて一帯を席巻した。全盛期には、英国と同じくらいの広さと数百万の人々を支配下に置いた。
今、その残党が砂漠で並んで座らされている。その横のキャンプには、全身黒ずくめの妻や子どもたち、そして彼らの最後の拠点となったシリア東部の村、バグズ(Baghouz)で保護された民間人らが身を寄せている。
IS最後の拠点、シリア東部バグズを離れ、SDFによる尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
この「結末」を取材しながら、私の心には数々の思いがよぎった。シリアの民衆蜂起を取材するようになったのは、それが始まってから1年後だ。だから私はこの出来事に、ほぼ最初から立ち会ってきたことになる。
数々の記憶、感情、そして悲惨さを目の当たりにした。そして非常に多くのことを学んだ。
私が最初に取材したのは、2012年2月。シリア北西部イドリブ(Idlib)県の県都イドリブ市で起きた民衆蜂起だった。紛争地域の取材はこれが初めてだった。その1年前に首都ダマスカス(Damascus)で始まった平和的な抗議デモは、治安部隊によって容赦なく鎮圧され、結果的に反体制派組織「自由シリア軍(FSA)」の創設につながった。シリア全域で反体制派がゲリラ攻撃を行い、政権軍は至る所で彼らに降伏した。私がイドリブに到着したころには、同県の一部と同市の大半は、反体制派が掌握していた。政権軍の狙撃兵らが時々市内を攻撃したが、大規模な軍事作戦はなかった。
抗議デモの始まりは、他の多くのデモと変わらなかった。人々が街の中心部に集まり、民主化運動「アラブの春(Arab Spring)」による革命が起きたエジプトやリビアの大きな旗が掲げられていた。民衆はスローガンを叫んでいた。
シリア北部イドリブで金曜礼拝の後に行われた政権に対する抗議デモ(2012年2月17日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
その時突然、パチンパチンパチンと狙撃音が聞こえた。人々は右往左往し、砲撃が始まると一目散に逃げ去った。
こうした出来事に立ち会ったのは、その時が初めてだった。平和的な抗議デモが一瞬にして攻撃された。とても怖かった。皆があちこちで走り回っていた。私も一緒に走った。どこに行けばいいのか分からなかったので、ただ後をついて行った。砲弾はまさに雨のように降ってきた。私は市民数人と一緒に避難した。
目の前では10代の若者が倒れていた。誰かが、彼は15歳だと教えてくれた。どうしてこんなことが起こるのか、と心の中で思った。どうして自国民を攻撃などできるのか。砲撃は激しく、辺りに濃い煙が漂っていた。まるで黒い毛布で街が覆われたようだった。
イドリブに集まった反政府武装勢力「自由シリア軍(FSA)」(2012年2月16日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
それから数か月間、私はシリアに何度も出入りした。反体制派の戦闘員たちを怖いと感じたことは一度もない。彼らはジャーナリストたちに非常に親切だった。そのころ出会った彼らは大半が世俗的だった。「われわれは自由のために戦っている」。彼らは私にそう話した。
その後、反体制派の中にイスラム武装勢力の戦闘員らが姿を現すようになった。だが最初のうちは特に問題はなかった。2012年8月、私は彼らのキャンプの一つを訪ねたが、友好的だった。キャンプ内での写真撮影は許可されたし、脅されるようなこともなかった。
シリア・アレッポ近郊で訓練を行うイスラム聖戦グループ「ハムザ・アブドゥルムッタリブのメンバー(2012年7月19日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
間もなくして変化が生じ始めた。村々で外国人の姿を見かけるようになった。フランス語を話す者もいれば、米国人もいた。何かが変わり始めたと感じた。ある朝、銃を携行しながらジョギングをしている男たちを目にした。その光景が私の心に強い印象を残した。何かが変わりつつある、彼らは何かを始めようとしている、と思った。
直後に、シリアにはもう入国できない、と告げられた。ジャーナリストにとって危険過ぎるというのだ。しばらくすると、シリアでジャーナリストたちが誘拐されるようになった。行方が分からなくなった記者の中に、友人のジェームズ・フォーリー(James Foley)氏もいた。数か月前に国境で出会ったばかりの彼が誘拐されたなんて、信じられなかった。2012年11月だった。後に私たちは、彼が地元のギャングに連れ去られ、最終的にダーイシュ(Daesh、ISのアラビア語名の略称)に引き渡されたことを知る。このイスラム武装勢力は、ISILやISIS、イスラム国、ISなどさまざまな名称で呼ばれているが、私の心の中ではアラビア語名の略称、ダーイシュが最もしっくりくる。
それから数週間もたたないうちに、トルコ人の友人であるブンヤミン・アイギュン(Bunyamin Aygun)氏が、最後の記事を書くためにシリアに渡航すると言い出した。「頭がおかしいんじゃないのか」と私は言った。「危険過ぎる。何人も誘拐されているじゃないか」。私は彼に行かないでくれと懇願したが、彼は気を付けるからと請け合った。「この記事だけだから」と言って。だが彼はシリアへ入国した直後に誘拐されてしまった。1月初旬、彼はトルコの情報機関によって、約40日ぶりに救出された。
トルコ・イスタンブールの空港で友人や親族らに出迎えられるトルコ人報道カメラマンのブンヤミン・アイギュン氏(中央、2014年1月6日撮影)。(c)AFP / Milliyet Daily/Ozan Guzelce
対シリア国境に近いトルコ・ウルファで取材を行うトルコ人報道カメラマンのブンヤミン・アイギュン氏(2012年11月11日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
シリアではその頃までに約30人のジャーナリストが、イスラム武装勢力によって拉致あるいは拘束されたと推測されていた。数か月のうちに一部は解放されたが、2014年8月19日、あの事件が起きた。私は真夜中に目を覚まし、調べ物をするためにインターネットに接続した。それが何だったかさえ覚えていない。だが何かを読んだ瞬間、私は恐怖で凍り付いた。ダーイシュが、ジェームズ・フォーリー氏を斬首する様子を撮影した動画を投稿したとあった。背筋に戦慄が走った。そんなことはあり得ない。私は何度もそう思った。もしかしたら自分だったかもしれない─―。シリアにいたことのあるジャーナリスト全員が同じ思いにとらわれたことを、私は後で知った。私はその動画を見ることができなかった。友人ジェームズの思い出は、彼らしい姿で記憶にとどめておきたかった。
リビア・スルトの空港の一室で休息をとる米国人フリーランスジャーナリストのジェームズ・フォーリー氏(2011年9月29日撮影)。(c)AFP / Aris Messinis
数年間はシリアに戻れないだろうと、私は当時、確信していた。2012年に出会った人々から口々に、シリア反体制派の支配地域に急速に過激派が押し寄せていて、映画『マッドマックス(Mad Max)』のような状況になりつつあると警告されたことを思い出した。近いうちにイスラム過激派がやって来て支配するだろうと言われたが、私は信じなかった。だが彼らの言ったことは、正しかったのだ。
私は、2012年8月にアレッポで出会ったある男のことを思い出した。政権軍の砲撃が激しかったため、私たちは戦闘員や救急隊員らとともにモスクの地下で眠っていた。そこにそのとりわけ不快なイスラム戦闘員がいた。彼はよくエアコンの隣に陣取り、コーランを読んでいた。隣り合わせで二晩、眠ったことがあったが、何度も私を押しては毛布をくれとせがんだ。彼はオランダ出身のイラク人だった。私は彼の写真を撮影した。その後、彼が残忍なダーイシュの写真に写っているのを目にするようになった(最もおぞましい写真では、彼は切断された頭部を突き刺したフェンスの前に立っていた)。
彼の名はハレド・フダリム(Khaled Khudarhim)だということが分かった。彼はISの処刑人として有名になっていた。いつだったか、彼は私の友人に電話をかけてきて、2012年8月に私が撮影した写真のことで文句を言ったという。その写真のせいでオランダ当局が警戒し、帰国できないと言ったそうだ。彼は2016年に殺害されたと考えられている。だが私の知る限り、それは確認されたことがない。
その後の仕事は、内戦によってシリアから逃れた難民の取材が中心となった。シリア内戦は、第2次世界大戦(World War II)以来、最大級の人口移動を引き起こした。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると現時点で、約620万人のシリア人が国内避難を余儀なくされており、また560万人が難民として中東地域一帯に散っている。
シリア・アレッポの戦闘を逃れ、北部アザーズ近郊バブアルサラマにある対トルコ国境検問所に到着した避難民(2016年2月5日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
私はこの難民危機を、その始まりから断続的にフィルムに収めてきた。
トルコとの国境地帯でクルド人部隊がISと戦っていた時、避難民たちが国境沿いのフェンスに開いた小さな穴に子どもたちを押し込み、通り抜けさせようとしているところを撮影した写真もある。
シリア内戦を逃れ、国境のフェンスを越えてトルコに不法入国する避難民。トルコ南東部シャンルウルファ県アクチャカレにある国境検問所付近にて(2015年6月14日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
シリア内戦を逃れ、国境のフェンス越しに子どもをトルコに不法入国させる避難民の男性。トルコ南東部シャンルウルファ県アクチャカレにある国境検問所付近にて(2015年6月14日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
シリア北部アレッポ(Aleppo)に対するロシア軍とシリア政権軍の攻撃から逃れるために再び国境地帯に押し寄せた避難民たちの写真も撮影した。ギリシャと北マケドニアの国境付近で野宿していたときの、さらに絶望に打ちひしがれた彼らや、恐ろしい海を渡ってギリシャ・レスボス(Lesbos)島にたどり着き、ボートからはい出てきた瞬間の彼らも撮影した。国境の村々がISの支配から解放され、シリアに戻って行く彼らの姿も撮影した。
シリアの人々が逃げては移動していた数年の間に、私は恐れや絶望、希望、諦め、疲れ、恐怖など、人間の持つさまざまな感情を写真に残した。だが最も強い印象を受けたのはおそらく、レスボス島に到着した時の難民たちだろう。彼らの多くは一度として海を見たことさえなかったのに、小さなボートで何キロもそこを渡って来たのだ。陸に降り立った時の彼らの顔は、まるで生まれ変わったかのようだった。
エーゲ海を渡ってトルコからギリシャ・レスボス島に到着したばかりの難民たち(2015年11月24日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
彼らの中には高齢者も大勢いた。そのことにも非常に衝撃を受けた。70歳や80歳になって自宅を追われ、言葉も何も分からない国で暮らさなければならないことを、自分の身に置き換えて想像してみてほしい。
エーゲ海を渡ってトルコからギリシャ・レスボス島に到着した高齢の難民女性(2015年11月26日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
何年も取材を続けた後、私はその「結末」に立ち会おうと心に決めた。それは今年の2月から3月にかけて、イラク国境付近を流れるユーフラテス(Euphrates)川沿いのシリアの村、バグズで訪れた。米国が支援するクルド人主体の民兵組織「シリア民主軍(SDF)」がバグズ郊外に、民間人およびダーイシュの女性や子どものための避難キャンプを設営した。彼らはそこへ行く前に、10〜15キロ手前の検査施設に連れて行かれた。
シリア北東部ハサカ県のホル難民キャンプに身を寄せるベール姿の女性(2019年2月17日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
AFP取材班はそこで何が起きているかを記録に残すため、施設に立ち入らせてほしいとSDFに何日も掛け合った。彼らは最終的に態度を軟化させた。
それは非現実的な経験だった。
目の前に座った男たちの列を見渡しながら、私は彼らが属していたとみられる組織がここ数年間に行ったことを考えた。ダーイシュ戦闘員は、世界で最も腕の立つ殺し屋に数えられた。彼らは、ジャーナリストや一般人など大勢の人々を殺した。レイプや拷問、斬首といったとても恐ろしいこともした。トルコの首都アンカラやイスタンブールで彼らが行った攻撃の映像が頭をよぎった。
トルコ南部スルチで起きたISによるとみられる自爆攻撃で息子を失い、葬儀で泣き崩れる母親。トルコ南東部ガジアンテプ県にて。この自爆攻撃では、少なくとも31人が犠牲となった(2015年7月21日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
そして今、彼らは私の目の前でひざまずいていた。その数およそ数百人。もしどこかで彼らに捕らえられていたら、そのうちの何人が私を殺したり、拷問したりしただろうかと考えた。彼らの目つきや私の感覚から推測すると、かなりの数に上ると思えた。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDF管理区域に向かって歩く男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
だが同時に、彼らはすでに降伏していた。そのため、他の人々と同じように権利があった。一部のジャーナリストたちは、彼らに質問し、返事がないと何度もしつこく質問を繰り返した。私はそういうことは嫌いだった。もし話したくないのなら、強要すべきではない。彼らは今でも人間であることに変わりないのだから。私も大勢の男たちに質問した。だが答えてくれなかったので、放っておいた。
彼らの一部を見ただけなら、カリフ制国家は崩壊したと感じるかもしれない。だが他の大多数に関しては、まったく違う感情を抱くだろう。全身を黒い布で覆った数千人の女性たち。彼女たちはまるで「黒い部隊」のようだ。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズから避難し、SDF管理区域で食料の配給を待つ一般市民(2019年3月5日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
彼女たちの多くは、ISが行ったことを心から支持しており、カリフ制国家を誇りに思っている。時々、私に話し掛けてくる女性もいたが、別の女性からなぜ敵に話し掛けるのかと言われていた。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDF管理区域に向かう途中でAFPの取材に応じた仏系チュニジア人の21歳の女性。2014年にカリフ制国家への参加を決めた彼女は、取材時もニカブの着用義務を守っていた(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
多くの戦闘員も同じだった。彼らは自分たちがしたことを誇りに思っていた。だから私には、彼らが敗北したのか、あるいは何か他のことを準備しているだけなのかわからなかった。彼らの中に金髪の男がいた。彼は話そうとせず、ただほほ笑みを浮かべていた。私は、なぜほほ笑んでいるのかと尋ねた。だが彼はその質問にも答えず、相変わらずほほ笑んでいるだけだった。彼は自分がまだ生きていることがうれしかったのだろうか。だが本当のことはわからない。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDFによる尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月27日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
そこでは、8歳〜14歳までの12人ほどのグループにも会った。彼らを見ると胸が痛んだ。彼らがどんな目に遭ったかは計り知れない。戦いや殺人を強要されたのだろうか? 少年たちは、自宅に帰されることになっていた。彼らの前にはどんな現実が待ち受けていることだろう? 耐え難いものであることは間違いない。
ISによって拘束されたヤジディー教徒とみられる子どもたち。シリア・デリゾール県のSDF管理区域にて(2019年3月6日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
ISによって拘束されたヤジディー教徒とみられる子どもたち。シリア・デリゾール県のSDF管理区域にて(2019年3月6日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
トルコに帰国後、砂漠で座らされていたダーイシュ戦闘員らの画像が頭から離れなかった。資料を調べたところ、私が撮影した写真が第2次世界大戦で降伏したドイツ兵の写真と酷似していることに衝撃を受けた。まるで同じ写真のようだった。
第2次世界大戦中、オランダ人兵士の監視下に置かれたドイツ人捕虜(撮影日不明)。(c)AFP
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDFによる尋問を待つIS戦闘員とみられる男たち(2019年2月22日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
過激な思想は、自然災害に似ている。いったん始まったら、止めることはできない。私はそれがどのようにしてシリアで始まり、その後どのように変化していったかを見つめてきた。過激主義は、どんな場所でも起こり得るものだ。
外国人戦闘員は、非常に興味深かった。フランス人やアゼルバイジャン人、ロシア人など、いろいろな国の人々に出会った。彼らがなぜこんなことをするのか、私にはまったく理解できない。彼らの精神構造を理解することは不可能だ。なぜ教育を受けたフランス人が彼らに加わるのだろう。私にはとても奇妙に思えるし、とうてい理解できない。
シリア北部ラッカのアルナジム広場近くの通りを歩く男性(2019年2月14日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
正直に言って、私にはこれで終わりだという確信が持てない。私が見たものから推測すると、組織はまだ存続しており、今も機能している。彼らは復活のチャンスを待つつもりなのだろう。
彼らは、北部コバニ(Kobane)を含むシリア各地をはじめ、トルコのアンカラやイスタンブール、仏パリなど、世界中で多くの悪事を働いてきた。お前たちは悪いことをたくさんしてきたんだ。中東だけでなく、欧州でも―─。私は彼らを見ながらそう思った。
仏パリのレピュブリック広場近くで爆発音や銃声を聞き、逃げ惑う人々。ISが犯行声明を出したこの同時襲撃事件では、バタクラン劇場の観客を含む約130人が犠牲となった(2015年11月13日撮影)。(c)AFP
彼らは復活を目指し、どこかに付け入る隙がないかと探すことだろう。それはリビアやエジプトかもしれない。彼らにとって可能な場所ならどこでもあり得る。この地域だって例外ではない。住民の一部は今も彼らを支持していると私は確信している。もし住民たちが支援してくれると分かれば、彼らは戻ってくるかもしれない。
シリア内戦から私が学んだことがあるとすれば、それはこういうことだ。その時々の状況について拙速な判断をすべきでない、と。考えは変わる。物事は変わる。これからは、状況がどうなるかについて私がすぐに判断することはないだろう。なぜなら私は今、いかに多くの物事が変化し、しかもそのスピードがいかに速いかということを知っているからだ。何かがうまくいくかどうかはわからない。8年前、私たちは、すべてがこんな風に終わるとは予想もしなかったはずだ。
このコラムは、AFPトルコ・イスタンブール支局のビュレント・クルチ(Bulent Kilic)チーフカメラマンが、AFPパリ本社のヤナ・ドゥルギ(Yana Dlugy)記者とともに執筆し、2019年4月11日に配信された英文記事を日本語に翻訳したものです。
IS最後の拠点であるシリア・デリゾール県バグズを離れ、SDF管理区域で座り込む女性や子どもたち(2019年3月6日撮影)。(c)AFP / Bulent Kilic
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May 9, 2019 at 06:23PM
コロンバイン事件に傾倒の女、遺体で発見 自殺か 米
コロンバイン事件に傾倒の女、遺体で発見 自殺か 米
https://www.afpbb.com/articles/-/3221291
【4月18日 AFP】米コロラド州のコロンバイン高校(Columbine High School)で1999年に起きた銃乱射事件に傾倒し、当局が危険な人物とみなして行方を追っていた18歳の女が、同州デンバー近郊で遺体となって発見された。銃で自殺したとみられる。当局が17日、発表した。
メディア報道によると、ソル・パイス(Sol Pais)容疑者の遺体はデンバー近郊にあるエバンス山(Mount Evans)の麓付近で見つかった。当局はこれに先立ち、パイス容疑者がフロリダ州からコロラド州に移動し、ポンプ連射式の散弾銃と銃弾を購入したことを受け、大規模な捜索活動を開始し、同州デンバー周辺では学校の閉鎖措置が取られた。
懸念が高まった背景には、今月20日がコロンバイン高校乱射事件からちょうど20年となることもあった。生徒12人と教師1人が死亡した同事件は発生当時、米史上最多の死者を出す学校銃乱射事件となり、その後の米国では学校や公共施設での同様の事件が相次ぐようになった。(c)AFP/Javier TOVAR
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May 9, 2019 at 01:22PM
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【4月18日 AFP】米コロラド州のコロンバイン高校(Columbine High School)で1999年に起きた銃乱射事件に傾倒し、当局が危険な人物とみなして行方を追っていた18歳の女が、同州デンバー近郊で遺体となって発見された。銃で自殺したとみられる。当局が17日、発表した。
メディア報道によると、ソル・パイス(Sol Pais)容疑者の遺体はデンバー近郊にあるエバンス山(Mount Evans)の麓付近で見つかった。当局はこれに先立ち、パイス容疑者がフロリダ州からコロラド州に移動し、ポンプ連射式の散弾銃と銃弾を購入したことを受け、大規模な捜索活動を開始し、同州デンバー周辺では学校の閉鎖措置が取られた。
懸念が高まった背景には、今月20日がコロンバイン高校乱射事件からちょうど20年となることもあった。生徒12人と教師1人が死亡した同事件は発生当時、米史上最多の死者を出す学校銃乱射事件となり、その後の米国では学校や公共施設での同様の事件が相次ぐようになった。(c)AFP/Javier TOVAR
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May 9, 2019 at 01:22PM
米学校の銃乱射事件、容疑者1人は少女
米学校の銃乱射事件、容疑者1人は少女
https://www.afpbb.com/articles/-/3224156
【5月9日 AFP】米コロラド州の学校で7日に発生し、1人が死亡、8人が負傷した銃乱射事件で、地元警察は8日、容疑者として拘束された2人のうち1人は少女だったと明らかにした。
同州デンバー(Denver)郊外に位置するダグラス(Douglas)郡の保安官は当初、現場となったハイランズランチSTEM学校(STEM School Highlands Ranch)の男子生徒2人が容疑者として身柄を拘束されたと述べていた。容疑者の1人は18歳、もう1人は未成年だった。
だがトニー・スパーロック(Tony Spurlock)保安官は8日、未成年の容疑者は女性だったと訂正。捜査官らが外見から男性と見間違えていたと説明した。
同保安官によると、負傷者のうち3人は8日現在も病院で集中治療を受けており、残る5人は退院した。(c)AFP
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May 9, 2019 at 12:18PM
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【5月9日 AFP】米コロラド州の学校で7日に発生し、1人が死亡、8人が負傷した銃乱射事件で、地元警察は8日、容疑者として拘束された2人のうち1人は少女だったと明らかにした。
同州デンバー(Denver)郊外に位置するダグラス(Douglas)郡の保安官は当初、現場となったハイランズランチSTEM学校(STEM School Highlands Ranch)の男子生徒2人が容疑者として身柄を拘束されたと述べていた。容疑者の1人は18歳、もう1人は未成年だった。
だがトニー・スパーロック(Tony Spurlock)保安官は8日、未成年の容疑者は女性だったと訂正。捜査官らが外見から男性と見間違えていたと説明した。
同保安官によると、負傷者のうち3人は8日現在も病院で集中治療を受けており、残る5人は退院した。(c)AFP
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May 9, 2019 at 12:18PM