コメントできないなら、ファンブログから出て行く!と騒いでいる人は大勢見つかったんだけど、今までに交わしたコメントが見られないことを嘆いている人が全然いない違和感。
これからコメントをもらう手段は考えれば対処できるわけで、それよりも今までのコメントが見られなくなったことの方が、ずっと重要な問題な気がするんだけど。
幸い自分は、こないだ公開したスクリプトで、今までのコメントやトラックバックを含め、全部抽出できていたのでよかったけれど、そうでなかったらコメントが消えたのはショックだったと思う。
消えてしまったコメントのことを嘆いている人がいないのは何なんだろう。
今まで、これだけ不調だったファンブログに残り続けておきながら、コメント欄が消えたその日に大勢移転している。コメント欄が消えた日から、システムが非常に軽快、順調に動き始めたのにも関わらず。
彼らにとっては、コメントというのは会話なんだろうな。自分にとっては、コメントというのは手紙に近い感覚だ。
会話は、口から出て行くごとに消えていく。話した瞬間に過去のものになるのだから、消えて当たり前。そういう感覚なんだろうか。人のコメント欄を見るたびに、なんで毎日同じようなくだらないことばかり書き込むんだろうかと疑問に思っていたけれど、そういう感覚なのかもしれない。
手紙であれば、暑中見舞いや年賀状ならともかく、普通は用件があって送るもの。暑中見舞いや年賀状がありがたいのは年に一度だからであって、毎日来たらありがたみはない。用件もないのに、毎日毎日コメントしている彼らは何なんだろうと思っていたが、手紙という感覚ではなかったんだな。
そして、コメントできないことに腹をたて、不満だけを口にしてブログを移転する。今までの財産はこのブログで出来た出会いなわけだけど、このブログには感謝もせずに去っていく。
今回の長かったトラブルは確かに問題だったけれど、これでメンバーの人間性が、ふるいにかけられた気もする。感謝もせずに去っていく者。
正直、自分はブログと言うのは情報発信が主なものであって、コメントというコミュニケーションは付加的なものだと感じている。そうではなく、コメントという会話だけを楽しみたい者は、これからみんな去っていく。
くだらない記事でも何か書いてあれば、コメントをしに人が来るということはなくなった。記事がつまらなければ人は来ない。
自分自身は、このブログからよそへ拠点を移すつもりでいたが、トラブルがなくなり、「あしあと」めぐりやコメントまわりというわずらわしい連中も来なくなったファンブログは、天国な気がする。
移転の準備を進めていたが、さあどうしたものか。