2019年06月19日
鹿島神宮 茨城県鹿嶋市|御朱印ツーリング
鹿島神宮へ行ってきました。
〒314-0031
茨城県鹿嶋市宮中23061
タケミカヅチと鹿島神宮
武甕槌命は鹿島神宮の主神である。常陸国風土記や、古事記、万葉集などの文献では、鹿島神宮と武甕槌命について以下のように書かれている。
・古く、常陸国に入るものは霞ヶ浦でまず手や口を洗い、東に向かって香島大神(鹿島神宮の主神:武甕槌命)を拝んだあと入ることを許された。
・鹿島郡(現在の茨城県)は地震を起こすという大ナマズが横たわっていたが、それを武甕槌命が要石を釘として貫き止めたとされている。その説話により、茨城県は大地震による被害が少ないと言われている。
中でも要石の深さは計り知れず、かつて徳川光圀が要石の周りを掘るよう命じたとき、七日七晩掘らせても要石の終端が見つからなかったという逸話があるほど。
また、鹿島の地は東国の東端で、さらに大洋に臨む地方であることから、船を自在に扱う力を持ち、航海を守る神ともされた。
鹿島神宮御由緒
境内はかなり広く
武甕槌命のところへ、天照大御神のご命令を伝えに来られた神使が天迦久神で、鹿の神霊となっている。このことから、武甕槌命と鹿は非常に強い関係がある。
武甕槌命を祀る鹿島神宮・春日大社にはそれぞれ鹿園(春日大社の場合は「奈良公園」である)が存在している。
鹿は奈良公園が有名であるが、もともと武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられており、奈良公園に居る鹿の大元は鹿島神宮にいた鹿ということになる。
また、武甕槌命が鹿とともに奈良へ向かったときの足跡が、地名として残されている
その一例として、東京都江戸川区にある鹿骨地区は、奈良へ向かっていた際、武甕槌命とともにいた神鹿の一匹が死んでしまい、それを弔ったことが由来となっている。
この「鹿」にまつわる地名が、三重県の名張まで続いている。
御朱印は2種類あります。
鹿島神社と奥宮の2種類です。
勿論2種類頂きました。
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〒314-0031
茨城県鹿嶋市宮中23061
タケミカヅチと鹿島神宮
武甕槌命は鹿島神宮の主神である。常陸国風土記や、古事記、万葉集などの文献では、鹿島神宮と武甕槌命について以下のように書かれている。
・古く、常陸国に入るものは霞ヶ浦でまず手や口を洗い、東に向かって香島大神(鹿島神宮の主神:武甕槌命)を拝んだあと入ることを許された。
・鹿島郡(現在の茨城県)は地震を起こすという大ナマズが横たわっていたが、それを武甕槌命が要石を釘として貫き止めたとされている。その説話により、茨城県は大地震による被害が少ないと言われている。
中でも要石の深さは計り知れず、かつて徳川光圀が要石の周りを掘るよう命じたとき、七日七晩掘らせても要石の終端が見つからなかったという逸話があるほど。
また、鹿島の地は東国の東端で、さらに大洋に臨む地方であることから、船を自在に扱う力を持ち、航海を守る神ともされた。
鹿島神宮御由緒
境内はかなり広く
武甕槌命のところへ、天照大御神のご命令を伝えに来られた神使が天迦久神で、鹿の神霊となっている。このことから、武甕槌命と鹿は非常に強い関係がある。
武甕槌命を祀る鹿島神宮・春日大社にはそれぞれ鹿園(春日大社の場合は「奈良公園」である)が存在している。
鹿は奈良公園が有名であるが、もともと武甕槌命が神鹿に乗ってやってきたと伝えられており、奈良公園に居る鹿の大元は鹿島神宮にいた鹿ということになる。
また、武甕槌命が鹿とともに奈良へ向かったときの足跡が、地名として残されている
その一例として、東京都江戸川区にある鹿骨地区は、奈良へ向かっていた際、武甕槌命とともにいた神鹿の一匹が死んでしまい、それを弔ったことが由来となっている。
この「鹿」にまつわる地名が、三重県の名張まで続いている。
御朱印は2種類あります。
鹿島神社と奥宮の2種類です。
勿論2種類頂きました。
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