2013年05月27日
女は手当たり次第、喧嘩はすべて買う――TOKIO・山口達也の実弟・Kouzyインタビュー
TOKIO・山口達也の実弟Kouzyこと山口公次がプロレスラーであるという話は、熱心なTOKIOファンの間では知られた話である。しかしこれまでKouzy本人が自らの半生を語ることはあまりなかった。今回、その注目すべき出自と甘いマスクで観客を魅了する、Kouzyの素顔に迫るインタビューを試みた。
一昨年の2月、Kouzyは、暗黒プロレス組織“666”からプロレスラーとしてデビューした。彼は、歌謡曲からコアなメタルまで対応できる幅広い歌唱力を持つヴォーカリストの顔を持ち、作曲家としても多くの若手のプロデュースを手がけるなど、ミュージシャンとしての長いキャリアを踏んできた。また、幼少期から研鑽を積んだ少林寺拳法三段の実力者という側面も持っている。
そんな経歴があるからだろう、(桁外れのイケメンということもあるが)Kouzyが不慣れなはずのプロレスのマットで観客を惹きつけるオーラには、目を見張るものがある。デビューしたのが音楽のライブとプロレスのコラボイベントだったため、Kouzyのレスラー姿は一度きりのお目見えとなってもおかしくないところであった。しかし、試合後にタッグを組んだ選手から「Kouzy、今日がプロレス最後か?」と聞かれた時にこう答えている。
「終わるわけねぇだろ! 俺、弱いな。次の試合で絶対リベンジして、絶対勝つので応援よろしくお願いします!」
こう表明したのは、Kouzy自らの意思によるものだ。現在では666の所属レスラーとして、月に一度のペースでマットに上る――。
Kouzyは埼玉の草加出身。完成当時、東洋最大規模といわれた草加松原団地で、男3人兄弟の末っ子として育った。次男がTOKIOの山口達也で、会社を経営している長男もまた音楽と格闘技の才能にあふれており、3人揃って格闘・音楽など一芸に秀でた兄弟だった。兄の達也は大のプロレスファンで、隣でプロレス中継を見せられて育ったKouzyもまた、兄ほどではないにせよ、プロレス好きな少年として育った。
「2人の兄のことが大好きでしたけど、長男とは9つ、次男とは7つ年が離れているんで、向こうからしたら俺はオモチャなんです。だから兄弟で本気の喧嘩をしたこともないですね。兄貴と親父が喧嘩して、窓ガラスが4枚ぐらい割れるのなんかは、よく見てましたけど」
3兄弟は、空手をやっていた父と九州出身で気の強い母から、愛情と厳しさをたっぷり受けて育ち、それぞれの道を歩んだ。
Kouzyが中学・高校時代を過ごした90年代の埼玉は、暴走族一本から、チーマー、バイカー、ギャングなど、さまざまな不良のスタイルが乱立していく移行期であった。Kouzyは不良だらけだった地元の中学にドカンを腰履きするスケータースタイルで通い、高校へ進学するころにはヒップホップのチームに所属し、ブレイクダンスを踊った。高校を卒業すると師匠に付き、本格的に音楽に打ち込むことになった。
「1回家を出て、音をガンガン出しても怒られない、田舎の畑の真ん中の家に住んだんです。その時やってた音楽はメタルでスゴく好きだったんですけど、いざデビューって時に『あなたはポップスだ』って事務所から言われたんです」
青と紫の長髪メタル少年だったKouzyは、スーツを着せられ、ビートルズのようなマッシュルームカットに変身させられた。
「なんだこれ? どこのコミックバンドなの、って思いましたね。そのおかげで仕事ももらえていたし、嫌いじゃなかったですけど……。でもまあ無理ですよ。人格までは変えられないですから」」
ポップス路線は3年続けて辞めた。練り込まれたビジネスプロジェクトとしての音楽を器用にこなすような性質をKouzyは一切持ち合わせていなかった。そういった既存の枠組みからあふれ出てしまう過剰さ。暴力性をはらみ、周囲の者からすれば破滅的とさえ映るリミッターのなさがKouzyという男だ。
「俺はうどん食べててちょっと辛さが足らないなって思ったら、一味を一瓶全部入れてしまうタイプですね。で、なんだこれ辛いじゃねえかって。なにごとも、効率悪いだろうなと思う前に、とりあえずやってみる。やる前から『やってもしょーがねえじゃん』って思ったら、そんなつまんねぇ人生ないんじゃないかって思うんです」
後のことは考えない。10代の頃は、女も手当たり次第だった。そんな生き方をしてきたのだから当然トラブルは絶えず、武道家でありながら売られた喧嘩はすべて買ってきた。整った顔だけでなく、頭、そして拳には無数の古傷が刻まれている。
「体が細いから、しょっちゅう絡まれるんですよ。でも、喧嘩は嫌いじゃないですね。どつくのが好きなんじゃなくて、どつき合いが好きなんです。プロレスの興行に出るようになって、喧嘩に対する考え方がちょっと変わりました。喧嘩なんてやっても褒めてくれる人はいないし、単なる自己満足だったのかもしれない。それがプロレスだと、勝っても負けても、客は喜んでくれる。ほかの格闘技は、どつかれないようにどついてナンボの世界じゃないですか。でもプロレスには、相手の技を受けきってからという前提がある。俺の好きなどつき合いです。その意味で、すごく良い格闘技に出会えたなって思ってますね」
体の大きな相手にどつき合いを挑み続けられることを楽しみにしていると、落ち着いた表情で語った。Kouzyは、内なる怒りと暴力衝動をエンターテインメントに昇華させる場を得たに違いない。
http://news.livedoor.com/article/detail/7709934/
一昨年の2月、Kouzyは、暗黒プロレス組織“666”からプロレスラーとしてデビューした。彼は、歌謡曲からコアなメタルまで対応できる幅広い歌唱力を持つヴォーカリストの顔を持ち、作曲家としても多くの若手のプロデュースを手がけるなど、ミュージシャンとしての長いキャリアを踏んできた。また、幼少期から研鑽を積んだ少林寺拳法三段の実力者という側面も持っている。
そんな経歴があるからだろう、(桁外れのイケメンということもあるが)Kouzyが不慣れなはずのプロレスのマットで観客を惹きつけるオーラには、目を見張るものがある。デビューしたのが音楽のライブとプロレスのコラボイベントだったため、Kouzyのレスラー姿は一度きりのお目見えとなってもおかしくないところであった。しかし、試合後にタッグを組んだ選手から「Kouzy、今日がプロレス最後か?」と聞かれた時にこう答えている。
「終わるわけねぇだろ! 俺、弱いな。次の試合で絶対リベンジして、絶対勝つので応援よろしくお願いします!」
こう表明したのは、Kouzy自らの意思によるものだ。現在では666の所属レスラーとして、月に一度のペースでマットに上る――。
Kouzyは埼玉の草加出身。完成当時、東洋最大規模といわれた草加松原団地で、男3人兄弟の末っ子として育った。次男がTOKIOの山口達也で、会社を経営している長男もまた音楽と格闘技の才能にあふれており、3人揃って格闘・音楽など一芸に秀でた兄弟だった。兄の達也は大のプロレスファンで、隣でプロレス中継を見せられて育ったKouzyもまた、兄ほどではないにせよ、プロレス好きな少年として育った。
「2人の兄のことが大好きでしたけど、長男とは9つ、次男とは7つ年が離れているんで、向こうからしたら俺はオモチャなんです。だから兄弟で本気の喧嘩をしたこともないですね。兄貴と親父が喧嘩して、窓ガラスが4枚ぐらい割れるのなんかは、よく見てましたけど」
3兄弟は、空手をやっていた父と九州出身で気の強い母から、愛情と厳しさをたっぷり受けて育ち、それぞれの道を歩んだ。
Kouzyが中学・高校時代を過ごした90年代の埼玉は、暴走族一本から、チーマー、バイカー、ギャングなど、さまざまな不良のスタイルが乱立していく移行期であった。Kouzyは不良だらけだった地元の中学にドカンを腰履きするスケータースタイルで通い、高校へ進学するころにはヒップホップのチームに所属し、ブレイクダンスを踊った。高校を卒業すると師匠に付き、本格的に音楽に打ち込むことになった。
「1回家を出て、音をガンガン出しても怒られない、田舎の畑の真ん中の家に住んだんです。その時やってた音楽はメタルでスゴく好きだったんですけど、いざデビューって時に『あなたはポップスだ』って事務所から言われたんです」
青と紫の長髪メタル少年だったKouzyは、スーツを着せられ、ビートルズのようなマッシュルームカットに変身させられた。
「なんだこれ? どこのコミックバンドなの、って思いましたね。そのおかげで仕事ももらえていたし、嫌いじゃなかったですけど……。でもまあ無理ですよ。人格までは変えられないですから」」
ポップス路線は3年続けて辞めた。練り込まれたビジネスプロジェクトとしての音楽を器用にこなすような性質をKouzyは一切持ち合わせていなかった。そういった既存の枠組みからあふれ出てしまう過剰さ。暴力性をはらみ、周囲の者からすれば破滅的とさえ映るリミッターのなさがKouzyという男だ。
「俺はうどん食べててちょっと辛さが足らないなって思ったら、一味を一瓶全部入れてしまうタイプですね。で、なんだこれ辛いじゃねえかって。なにごとも、効率悪いだろうなと思う前に、とりあえずやってみる。やる前から『やってもしょーがねえじゃん』って思ったら、そんなつまんねぇ人生ないんじゃないかって思うんです」
後のことは考えない。10代の頃は、女も手当たり次第だった。そんな生き方をしてきたのだから当然トラブルは絶えず、武道家でありながら売られた喧嘩はすべて買ってきた。整った顔だけでなく、頭、そして拳には無数の古傷が刻まれている。
「体が細いから、しょっちゅう絡まれるんですよ。でも、喧嘩は嫌いじゃないですね。どつくのが好きなんじゃなくて、どつき合いが好きなんです。プロレスの興行に出るようになって、喧嘩に対する考え方がちょっと変わりました。喧嘩なんてやっても褒めてくれる人はいないし、単なる自己満足だったのかもしれない。それがプロレスだと、勝っても負けても、客は喜んでくれる。ほかの格闘技は、どつかれないようにどついてナンボの世界じゃないですか。でもプロレスには、相手の技を受けきってからという前提がある。俺の好きなどつき合いです。その意味で、すごく良い格闘技に出会えたなって思ってますね」
体の大きな相手にどつき合いを挑み続けられることを楽しみにしていると、落ち着いた表情で語った。Kouzyは、内なる怒りと暴力衝動をエンターテインメントに昇華させる場を得たに違いない。
http://news.livedoor.com/article/detail/7709934/
【芸能の最新記事】
この記事へのコメント