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2020年03月19日
東大ポポロ事件
大学の学問の自由と自治は、直接には教授その他の研究者の研究、その結果の発表、研究結果の教授の自由とこれらを保障するための自治とを意味する。
おはようございます、こんにちは、こんばんは、、いつみてもごきげんよう。
大学における学生の集会も、大学の公認した学内団体であるとか、大学の許可した学内集会であるとかいうことのみによって、特別な自由と自治を享有するものではなく、学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない。
大学の許可を受け、大学構内で松川事件に関する演劇を開き、一般の公衆が自由に入場券を買って入場ができるような状態にあった本件集会に、警察官が立ち入ったとしても、大学の学問の自由と自治を享有しない集会であるから、何ら違法ではない。
おはようございます、こんにちは、こんばんは、、いつみてもごきげんよう。
大学における学生の集会も、大学の公認した学内団体であるとか、大学の許可した学内集会であるとかいうことのみによって、特別な自由と自治を享有するものではなく、学生の集会が真に学問的な研究またはその結果の発表のためのものでなく、実社会の政治的社会的活動に当る行為をする場合には、大学の有する特別の学問の自由と自治は享有しないといわなければならない。
大学の許可を受け、大学構内で松川事件に関する演劇を開き、一般の公衆が自由に入場券を買って入場ができるような状態にあった本件集会に、警察官が立ち入ったとしても、大学の学問の自由と自治を享有しない集会であるから、何ら違法ではない。
2020年03月17日
2020年03月16日
マクリーン事件
おはようございます、こんにちは、こんばんは、、いつみてもごきげんよう。
今日は試験によく出るマクリーン事件について
マクリーン事件(マクリーンじけん)とは、日本における在留外国人の政治活動の自由と在留許可をめぐる事件である。本件は、外国人に対して日本国憲法が保障する人権が、どこまで保障されるのかという点でも指導的な判例とされている。
今日は試験によく出るマクリーン事件について
マクリーン事件(マクリーンじけん)とは、日本における在留外国人の政治活動の自由と在留許可をめぐる事件である。本件は、外国人に対して日本国憲法が保障する人権が、どこまで保障されるのかという点でも指導的な判例とされている。
2020年03月15日
塩見訴訟
おはようございます、こんにちは、こんばんは、、いつみてもごきげんよう。
今回から判例特集をば。
初回は塩見訴訟
概要
1934年6月に朝鮮人夫婦の長女として大阪市で生まれた塩見日出(A)は、2歳の時に麻疹にかかり両目の視力を失った。出生当初は日本国籍保有者であったが、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約発効に伴って日本国籍を喪失して外国人となった。Aは1967年に日本人男性と結婚をして、1970年12月に日本国籍を取得した。
Aは1972年5月に障害者福祉年金の支給を求める裁定請求を行ったが、同年8月に却下された。国民年金法第56条第1項ただし書(国籍条項)により、Aは国民年金法上の障害者認定日(Aの場合は国民年金制度が創設された1959年11月1日)に外国国籍であったというのが理由であった。
1973年11月に却下処分取り消しを求めて提訴した(第一次塩見訴訟)。1980年10月29日の大阪地裁判決、1984年12月19日の大阪高裁判決はともにAの請求を退ける判決を下した。そこでAは最高裁判所に上告した。
1989年3月2日に最高裁は堀木訴訟の最高裁判決を引用して「福祉国家の理念に基づいた(憲法)25条は国の義務規定ではなく責務を宣言したに過ぎない。その趣旨を具体化するにあたっては国の財政事情等を無視できず、立法措置の選択は立法府の広い裁量にゆだねられている」「社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについて、国は特別の条約が無い限り、外交関係、国際情勢、国内の諸事情等に照らしながら政治的判断で決定できる。限られた財源で福祉的給付を行うにあたり、自国民を優先的に扱うことも許されるべきで合理性を欠くとはいえず、原告に対して障害福祉年金の支給をしないことは憲法25条の規定に違反するものではない」「憲法14条は法の下の平等を定めているが、合理的理由のない差別を禁止する趣旨であり、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り規定には違反せず、在留外国人を支給対象者から除くなど、日本国籍がある者とそうでない者との間の区別は憲法14条に違反しない」として上告を棄却し、敗訴が確定した[1]。
難民条約の批准によって1982年に国民年金法から国籍条項が撤廃されたが、同法附則第5項で国籍条項削除が過去に遡及されなかったためAは1988年3月に提訴した(第二次塩見訴訟)。1994年3月24日の大阪地裁判決、1996年7月26日の大阪高裁判決はともに原告の請求を退ける判決を下した。そこでAは最高裁判所に上告した。
2001年3月13日、最高裁判所は上告を棄却し、Aの敗訴が確定した。
今回から判例特集をば。
初回は塩見訴訟
概要
1934年6月に朝鮮人夫婦の長女として大阪市で生まれた塩見日出(A)は、2歳の時に麻疹にかかり両目の視力を失った。出生当初は日本国籍保有者であったが、1952年4月28日にサンフランシスコ平和条約発効に伴って日本国籍を喪失して外国人となった。Aは1967年に日本人男性と結婚をして、1970年12月に日本国籍を取得した。
Aは1972年5月に障害者福祉年金の支給を求める裁定請求を行ったが、同年8月に却下された。国民年金法第56条第1項ただし書(国籍条項)により、Aは国民年金法上の障害者認定日(Aの場合は国民年金制度が創設された1959年11月1日)に外国国籍であったというのが理由であった。
1973年11月に却下処分取り消しを求めて提訴した(第一次塩見訴訟)。1980年10月29日の大阪地裁判決、1984年12月19日の大阪高裁判決はともにAの請求を退ける判決を下した。そこでAは最高裁判所に上告した。
1989年3月2日に最高裁は堀木訴訟の最高裁判決を引用して「福祉国家の理念に基づいた(憲法)25条は国の義務規定ではなく責務を宣言したに過ぎない。その趣旨を具体化するにあたっては国の財政事情等を無視できず、立法措置の選択は立法府の広い裁量にゆだねられている」「社会保障上の施策において在留外国人をどのように処遇するかについて、国は特別の条約が無い限り、外交関係、国際情勢、国内の諸事情等に照らしながら政治的判断で決定できる。限られた財源で福祉的給付を行うにあたり、自国民を優先的に扱うことも許されるべきで合理性を欠くとはいえず、原告に対して障害福祉年金の支給をしないことは憲法25条の規定に違反するものではない」「憲法14条は法の下の平等を定めているが、合理的理由のない差別を禁止する趣旨であり、各人に存する経済的、社会的その他種々の事実関係上の差異を理由としてその法的取扱いに区別を設けることは、その区別が合理性を有する限り規定には違反せず、在留外国人を支給対象者から除くなど、日本国籍がある者とそうでない者との間の区別は憲法14条に違反しない」として上告を棄却し、敗訴が確定した[1]。
難民条約の批准によって1982年に国民年金法から国籍条項が撤廃されたが、同法附則第5項で国籍条項削除が過去に遡及されなかったためAは1988年3月に提訴した(第二次塩見訴訟)。1994年3月24日の大阪地裁判決、1996年7月26日の大阪高裁判決はともに原告の請求を退ける判決を下した。そこでAは最高裁判所に上告した。
2001年3月13日、最高裁判所は上告を棄却し、Aの敗訴が確定した。
2020年03月12日
凹むよね
おはようございます、こんにちは、こんばんは、、いつみてもごきげんよう。
さて
僕らの仕事はある種の人間の心理を表していますよね。
例えば、僕なんかも応援してくれる人もいれば、滅茶苦茶悪口を言う人もいっぱいいます。
それはもう人間が共同で生活してゆく上で真実ですよね。
もし僕が(自分を悪く言う人に対して)そんなこと言わないでと言っても、そんなこと(その人達は)聞くわけがないんですよ。人間なんて陰口とか悪口大好きなんだから。
(悪口・陰口を言われても)楽しんだ方がいいですよ。(笑いに変えた方がいいという意味)僕はなるべく、陰口、悪口は楽しもうと思ってますよ。
腹も立ったり、傷つくこともあるけど、それは言ったってしょうがない。」(TOKYO FM 福山雅治 福のラジオ)
抜粋しました。
さて、ある日のびっくりドンキー
粉チーズにゆかりのふりかけ。
旨し
さて
僕らの仕事はある種の人間の心理を表していますよね。
例えば、僕なんかも応援してくれる人もいれば、滅茶苦茶悪口を言う人もいっぱいいます。
それはもう人間が共同で生活してゆく上で真実ですよね。
もし僕が(自分を悪く言う人に対して)そんなこと言わないでと言っても、そんなこと(その人達は)聞くわけがないんですよ。人間なんて陰口とか悪口大好きなんだから。
(悪口・陰口を言われても)楽しんだ方がいいですよ。(笑いに変えた方がいいという意味)僕はなるべく、陰口、悪口は楽しもうと思ってますよ。
腹も立ったり、傷つくこともあるけど、それは言ったってしょうがない。」(TOKYO FM 福山雅治 福のラジオ)
抜粋しました。
さて、ある日のびっくりドンキー
粉チーズにゆかりのふりかけ。
旨し
2020年03月08日
名刺交換
2020年03月05日
うーむ。共感障害。
おはようございます、こんにちは、こんばんは、、いつみてもごきげんよう。
さて、ある雑誌を抜粋
挨拶を返さない、話を聞いてもうなずかない、周囲が忙しそうなのに仕事を手伝わない…など、“人として当たり前”のことをしない人が周囲にいる。そんな「この人どうなの?」と思ってしまう人が同僚や部下にいれば苦労が絶えない。
社会人になると、空気を読んだり、常識で考えたりして行動に移す“当たり前”のことが一気に増える。たとえば、部下は上司と一緒のとき、エレベーターにいち早く乗って、ボタンを押す。しかし、部下の中にはしない者もいる。上司が理由を聞くと、「言われていないから」「押すタイミングがわからない」。こういった部下は、エレベーターだけではなく、全般的に空気を読んだり常識で考えたりできず、当たり前のことができないため、「気が利かない」「使えない」「頭が悪い」という烙印が押されがちだ。
しかし、『共感障害 「話が通じない」の正体』(黒川伊保子/新潮社)は、そういった烙印を押すことは短絡的だとする。本書によると、それは著者が「共感障害」と呼んでいる脳のトラブルの一種が原因となっているかもしれないからだ。
本書が定義する「共感障害」とは、人の気持ちを感知する能力が欠損していたり、人の意識や所作を感じることができなかったりする症状をいう。共感障害には自閉症、ADHDも含まれるが、本書は今、光を当てないといけないのは、自閉症でもADHDでもない“第三の共感障害者”だとしている。
本書によると、通常、人と人との間での“わかり合えない”感じは、人それぞれがもつ思考スタイルをつくり出す「認識フレーム」のバランス差によって生じる。まず大きく分けられる認識フレームは、「ゴール指向」と「プロセス指向」。人はゴール指向のとき、結論を急ぎ、問題解決を旨とする。プロセス指向のときは、経緯を知りたがる、あるいは語りたがって、共感を旨とする。誰もがどちらももっているが、バランスには個人差があり、性別などでも変わってくる。たとえば、情がからむ話においては、男性はゴール指向を、女性はプロセス指向を使う傾向が強い。男性が女性に思う「だから結局、何がしたいんだ?」、女性が男性に思う「答えを聞きたいんじゃなくて…」という差が生まれる原因がここにある。
もうひとつ、「典型フレーム」優先か「独自フレーム」優先か、という差も“わかり合えない”感じに影響を与える。社会通念的な「典型フレーム」は、いわば社会生活をする上での定型のような思考スタイルなので、このフレームを多くもつと、空気を読む、常識で考えるといった結果導き出される言動をスムーズに起こしやすい。一方、独自の着眼点をつなげた「独自フレーム」を多くもつと、人と違った発想ができる。前者だけでは人生はつまらない。後者だけでは人生が破滅的になる。やはり、このフレームも人によってバランス差があるため、ふとしたときに「今、それを言う?」といった“わかり合えない”感じを表出させる。
と、ここまで「認識フレーム」の違いについて説明した。通常、認識フレームの差で人はわかり合えない、話が通じない場面に出会う。しかし、理解をしようとするなどの工夫があれば、壁を乗り越えられる。ところが、本記事の本題である共感障害のある人は、これが困難だと本書は述べる。認識フレーム差以前に、共感障害によって、お互いの間でコミュニケーションロスが起こっているからだ。そして、このコミュニケーションロスは年々増しているという。なぜなら、先に述べた“第三の共感障害者”が増大しているからだ。自閉症でもADHDでもなく、共感障害を引き起こす原因は、ミラーニューロン不活性による、と本書は述べる。
ミラーニューロンは、鏡の脳細胞とも呼ばれる細胞で、目の前の人の動作をそのまま自分の神経系に、さながら鏡のように写し取る。目の前の人が満面の笑みを浮かべれば、ミラーニューロンの作用で、自分もついつられて微笑んでしまうのだ。本書は、自閉症児はこのミラーニューロンがうまく機能していないと予測する。自閉症児ではなくとも、生まれつき人よりミラーニューロンが作用しにくい子どもはいる。そういう子どもは、たとえば人に挨拶ができないという姿を見せる。しかし、ミラーニューロンで周囲の動作をしぜんに写し取れなくとも、8歳頃までであれば、しつけによって所作や概念を刷り込ませることができる。挨拶をさせる、人の話にうなずくようにする、周囲を手伝わせるなどは、幼い脳であれば大人がサポート可能なのだ。
“第三の共感障害者”は増大していると先に述べた。その理由のひとつは、大人のしつけ不足があるのかもしれない。そして、本書が考えるもうひとつの理由も見逃せない。それは授乳中のスマホ視聴だ。授乳中は、赤ちゃんの口角周辺の筋肉は、三次元的に微細に動いている。お母さんの表情筋を読み取って、自分の表情筋に伝えやすい。ミラーニューロンが最も有効に使われるこの時間に、お母さんの目がスマホやゲームに向いていると、赤ちゃんはコミュニケーションの認識フレームをうまくつくり出せない。
このように“第三の共感障害者”が誕生する要因は、主に子ども時代にあると考えられる。自分の同僚や部下が共感障害者の疑いがある場合には、どうすればよいのだろうか。大切なのは、“暗黙の当たり前”を求めず、かつそれができないことを怠慢や傲慢にすり替えないこと。あなたが上司であれば、部下がすべきことを絞り込むなど、うまく扱うための戦略を練るといい。
本書によると、共感障害者には2パターンある。1つ目は「朗らかな共感障害者」。周囲の気分に引きずられず、「どうしよう」より「どうにかなる」と考える。2つ目は「内向的な共感障害者」。細かいことが気になって仕方ない、同じことを飽きずに延々と続けられる、という特性をもつ。こういった部下はうまく扱えば、「朗らかな共感障害者」はムードメーカーとして、「内向的な共感障害者」は職人的なポジションで活躍させられる可能性がある。
共感障害者は、本人としてみれば悪気がなく、やる気はあり、人の話を聞こうともしているのに、なぜかそばにいる人をイラッとさせたり、ガッカリさせたり、モチベーションを下げさせてしまったりする。本書を読んで共感障害を理解することで、上司であるあなたは、自分だけでなくチームの成功を呼び込めるかもしれない。
なるほど
さて、ある雑誌を抜粋
挨拶を返さない、話を聞いてもうなずかない、周囲が忙しそうなのに仕事を手伝わない…など、“人として当たり前”のことをしない人が周囲にいる。そんな「この人どうなの?」と思ってしまう人が同僚や部下にいれば苦労が絶えない。
社会人になると、空気を読んだり、常識で考えたりして行動に移す“当たり前”のことが一気に増える。たとえば、部下は上司と一緒のとき、エレベーターにいち早く乗って、ボタンを押す。しかし、部下の中にはしない者もいる。上司が理由を聞くと、「言われていないから」「押すタイミングがわからない」。こういった部下は、エレベーターだけではなく、全般的に空気を読んだり常識で考えたりできず、当たり前のことができないため、「気が利かない」「使えない」「頭が悪い」という烙印が押されがちだ。
しかし、『共感障害 「話が通じない」の正体』(黒川伊保子/新潮社)は、そういった烙印を押すことは短絡的だとする。本書によると、それは著者が「共感障害」と呼んでいる脳のトラブルの一種が原因となっているかもしれないからだ。
本書が定義する「共感障害」とは、人の気持ちを感知する能力が欠損していたり、人の意識や所作を感じることができなかったりする症状をいう。共感障害には自閉症、ADHDも含まれるが、本書は今、光を当てないといけないのは、自閉症でもADHDでもない“第三の共感障害者”だとしている。
本書によると、通常、人と人との間での“わかり合えない”感じは、人それぞれがもつ思考スタイルをつくり出す「認識フレーム」のバランス差によって生じる。まず大きく分けられる認識フレームは、「ゴール指向」と「プロセス指向」。人はゴール指向のとき、結論を急ぎ、問題解決を旨とする。プロセス指向のときは、経緯を知りたがる、あるいは語りたがって、共感を旨とする。誰もがどちらももっているが、バランスには個人差があり、性別などでも変わってくる。たとえば、情がからむ話においては、男性はゴール指向を、女性はプロセス指向を使う傾向が強い。男性が女性に思う「だから結局、何がしたいんだ?」、女性が男性に思う「答えを聞きたいんじゃなくて…」という差が生まれる原因がここにある。
もうひとつ、「典型フレーム」優先か「独自フレーム」優先か、という差も“わかり合えない”感じに影響を与える。社会通念的な「典型フレーム」は、いわば社会生活をする上での定型のような思考スタイルなので、このフレームを多くもつと、空気を読む、常識で考えるといった結果導き出される言動をスムーズに起こしやすい。一方、独自の着眼点をつなげた「独自フレーム」を多くもつと、人と違った発想ができる。前者だけでは人生はつまらない。後者だけでは人生が破滅的になる。やはり、このフレームも人によってバランス差があるため、ふとしたときに「今、それを言う?」といった“わかり合えない”感じを表出させる。
と、ここまで「認識フレーム」の違いについて説明した。通常、認識フレームの差で人はわかり合えない、話が通じない場面に出会う。しかし、理解をしようとするなどの工夫があれば、壁を乗り越えられる。ところが、本記事の本題である共感障害のある人は、これが困難だと本書は述べる。認識フレーム差以前に、共感障害によって、お互いの間でコミュニケーションロスが起こっているからだ。そして、このコミュニケーションロスは年々増しているという。なぜなら、先に述べた“第三の共感障害者”が増大しているからだ。自閉症でもADHDでもなく、共感障害を引き起こす原因は、ミラーニューロン不活性による、と本書は述べる。
ミラーニューロンは、鏡の脳細胞とも呼ばれる細胞で、目の前の人の動作をそのまま自分の神経系に、さながら鏡のように写し取る。目の前の人が満面の笑みを浮かべれば、ミラーニューロンの作用で、自分もついつられて微笑んでしまうのだ。本書は、自閉症児はこのミラーニューロンがうまく機能していないと予測する。自閉症児ではなくとも、生まれつき人よりミラーニューロンが作用しにくい子どもはいる。そういう子どもは、たとえば人に挨拶ができないという姿を見せる。しかし、ミラーニューロンで周囲の動作をしぜんに写し取れなくとも、8歳頃までであれば、しつけによって所作や概念を刷り込ませることができる。挨拶をさせる、人の話にうなずくようにする、周囲を手伝わせるなどは、幼い脳であれば大人がサポート可能なのだ。
“第三の共感障害者”は増大していると先に述べた。その理由のひとつは、大人のしつけ不足があるのかもしれない。そして、本書が考えるもうひとつの理由も見逃せない。それは授乳中のスマホ視聴だ。授乳中は、赤ちゃんの口角周辺の筋肉は、三次元的に微細に動いている。お母さんの表情筋を読み取って、自分の表情筋に伝えやすい。ミラーニューロンが最も有効に使われるこの時間に、お母さんの目がスマホやゲームに向いていると、赤ちゃんはコミュニケーションの認識フレームをうまくつくり出せない。
このように“第三の共感障害者”が誕生する要因は、主に子ども時代にあると考えられる。自分の同僚や部下が共感障害者の疑いがある場合には、どうすればよいのだろうか。大切なのは、“暗黙の当たり前”を求めず、かつそれができないことを怠慢や傲慢にすり替えないこと。あなたが上司であれば、部下がすべきことを絞り込むなど、うまく扱うための戦略を練るといい。
本書によると、共感障害者には2パターンある。1つ目は「朗らかな共感障害者」。周囲の気分に引きずられず、「どうしよう」より「どうにかなる」と考える。2つ目は「内向的な共感障害者」。細かいことが気になって仕方ない、同じことを飽きずに延々と続けられる、という特性をもつ。こういった部下はうまく扱えば、「朗らかな共感障害者」はムードメーカーとして、「内向的な共感障害者」は職人的なポジションで活躍させられる可能性がある。
共感障害者は、本人としてみれば悪気がなく、やる気はあり、人の話を聞こうともしているのに、なぜかそばにいる人をイラッとさせたり、ガッカリさせたり、モチベーションを下げさせてしまったりする。本書を読んで共感障害を理解することで、上司であるあなたは、自分だけでなくチームの成功を呼び込めるかもしれない。
なるほど
2020年03月04日
病院閑散と
おはようございます、こんにちは、こんばんは、、いつみてもごきげんよう。
てか、病院。大丈夫か?経営?
人いなくておらは良いが。
さて、勉強が手につかない場合。
東大合格者のTくん(法学部)は、家にいるとき自分の部屋では勉強しなかったそうです。
理由はご想像の通り、一人だとすぐに油断してマンガを読んでしまうからです。それではどこで勉強していたのかというと、リビングだったそうです。
そこにはいつも家族の誰かしらがいて、お茶を飲んだり読書をしたりしています。その傍らで勉強していれば、その姿は否応なく家族の目に入ることになるでしょう。つまり、自ら家族の監視下に入るわけです。(中略)他人の目があるとちょくちょく脱線するわけにも行かなくなるというわけです。
だそうです。
頑張らねば
てか、stv.古くなりすぎ45年は最低建ってからなるな。昔は綺麗な青だった。
したっけ。
がんばれ日本🇯🇵
てか、病院。大丈夫か?経営?
人いなくておらは良いが。
さて、勉強が手につかない場合。
東大合格者のTくん(法学部)は、家にいるとき自分の部屋では勉強しなかったそうです。
理由はご想像の通り、一人だとすぐに油断してマンガを読んでしまうからです。それではどこで勉強していたのかというと、リビングだったそうです。
そこにはいつも家族の誰かしらがいて、お茶を飲んだり読書をしたりしています。その傍らで勉強していれば、その姿は否応なく家族の目に入ることになるでしょう。つまり、自ら家族の監視下に入るわけです。(中略)他人の目があるとちょくちょく脱線するわけにも行かなくなるというわけです。
だそうです。
頑張らねば
てか、stv.古くなりすぎ45年は最低建ってからなるな。昔は綺麗な青だった。
したっけ。
がんばれ日本🇯🇵